atusi について

三重県四日市市で小さな木工所を営んでいます。

ヒノキの収納棚 ヒノキの薄板 3

木のある暮らし展には間に合いませんでしたが、ヒノキの収納棚をとりあえず完成させました。前に紹介したヒノキの薄板(ヒノキの薄板ヒノキの薄板2)を使っています。

ヒノキ収納棚

ヒノキ収納棚 間口・675✕奥行・270✕高さ・970ミリ

正面

正面

丁番と扉金具。いずれも鉄に正絹磨きを施す。

丁番と扉金具。いずれも鉄に正絹磨きを施す。

錠前とローズウッドの框

錠前とローズウッドの框

躯体の框もヒノキ。天、側のはめ板は杉。

躯体の框もヒノキ。天のはめ板は杉、側はヒノキ。

もともとは手元にあったヒノキの薄板をなんとか利用したいという思いから作ったものです。実際には厚さ3〜4分(9ミリ〜12ミリ)程度の板ですから、扉などの鏡板くらいしか用途が思い浮かびません。単板として他の板に貼り付ける(ランバーコアだ)という手もありそうですが、いかにも野蛮な感じでいやです。それでも、当たり前に(戸)框に落とし込んで使うのでは面白くない。以前は、同じように薄い板で、幅が狭く良く枯れた板では、端ばめに裏を補強して使うという事をしていました。

しかし、今回のヒノキの板のように幅が2尺(600ミリ)を超える板で端ばめを施すのは、板の収縮を考えると無理です。それで考えたのが端ばめ框です。簡単に言うと、端ばめの一方を接着剤などで固定して、他方を通常の框に固定して、挟んだ板を落とし込みにして収縮・膨張を逃がすという構造です。

こちらは、通常の端ばめの形です。ただし、接着剤は留部分の周辺しか付けない。今回は後からさらに金具で固定しました。

端ばめの留に近い部分のみ接着剤で固定。

端ばめの留に近い部分のみ接着剤で固定。

他方は、框として他の框に固定する。板はそこにはめ込んで接着はしない。

こちらは框として機能させる。板ははめ込みで接着しない。

 

同じく裏側から。

同じく裏側から。

特に奇抜でも、革新的な手法とも思えず、あるいは私が知らないだけで先例があるのかもしれません。でも、これしきの手法が意匠とか特許登録されているとも思われないので、これからも使っていきたいと思います。ただ、今回の反省として

  • 端ばめの固定部分を金具で固定するなら、意匠的にも留にする必要はなかった
  • 端ばめ(框)と板は、片蟻でよいので蟻組で接合したほうが紛れは少ない

があげられます。参考になるなら、同じような薄板をお持ちの同業者の方など技法の一つとして試みてくだされば嬉しいです。

ホウボウを食べた

いつも行くスーパーの中の魚屋に、ホウボウが並んでいました。30センチほどのもので1尾250円ほどと安かったので、腹出しをしてもらって購入。煮付けにする。プリッとした食感に白身で淡白だけど旨みの詰まった身が美味しい。赤い深海魚は美味しいという定説がまた裏付けられたぞ。残った出汁とアラはタローに食わせるのは惜しいので、これでコンニャクを炊くことにする。

写真の代わりに記憶で描いたホウボウ。全体の3分の1が頭というイメージだ。

写真の代わりに記憶で描いたホウボウ。全体の3分の1が頭というイメージだ。

ちなみに新鮮なもの、暖かく調理したものはなるだけ早く頂くのが、食材や作った人への最低限の礼儀だと思っています。したがって自分が作ったものでも常備菜的なもの除いて、写真は撮りません、というか撮れません。もう引退してしまった蕎麦屋の女将さんに聞いた話ですが、お客さんで一番嬉しいのは、こちらが蕎麦を出すのを箸を持って待ち構えるようにして食べてくれる人だそうです。蕎麦の三たて(挽きたて、打ちたて、茹でたて)と言いますが、本当は最後の釜場が命です。これは実際に体験しましたが、大きな釜の大量の沸騰したお湯に踊るようにくぐらせて、すぐさま水に上げて氷で冷やせば、私が打ったズル玉の蕎麦でも美味しくなります。そうしてなるだけ美味しくと駆けるように出した蕎麦は、箸を持って待ち構えるように食べて欲しいものです。そこで、スマホやらデジカメやらを取り出されたら、少なからずがっかりしますよね。失礼な話です。

お金を出しているのだから、好きにさせろというのも一理あるのかもしれません。でもよくあるグルメブログの類で、料理の画像がこれでもかと載せてあるのを見ると、そもそもこういう人は薀蓄をたれる以前に、ものを食べる、少なくとも他人が作ってくれたものを頂く資格がないと思えてしまいます。

針葉樹(杉)を削る鉋 2

前に紹介した針葉樹用の鉋ですが、快調です。画像の左側に見える杉材、春日でも霧島でもない目の粗いごく普通の地の天井材ですがシラタも含めてきれいに削れます。

この鉋はシラタも含めて杉が良く削れる。

この鉋はシラタも含めて杉が良く削れる。

炭素鋼か?

買ったいきさつから青紙と呼ばれる特殊鋼だと思って来ましたが、どうも研ぐ時のサクサクと鋼がおりていくような感覚から、白紙ないしはそれに類した炭素鋼のような気もします。この辺りのことは20年もやっていて、未だによく分かりません。それに杉などの軟材を削るのは昔ながらの炭素鋼が甘切れして良いという根拠も、実はよく分かりません。

大切れ刃のゆえ?

もうひとつ、最近の市販の半仕込みの鉋にありがちなのですが、大切れ刃(鋭角)に研いでありました。研ぎながら徐々に刃先を立てるようにしてきましたが、これまでほとんど実用してこなかったので、まだ25度かそれ以下くらいです。これが効いているのか、でも本当は仕込み勾配の方が効くと思うのですが、これもよくわかりません。

甘めの仕込みが効く?

台の仕込みが多少甘めです。これも関係あるのかな。甘めといっても、購入してからほとんど弄っていません。これまで散々失敗してきました。購入直後にかなり固めに仕込んだつもりでも、何度か研ぎを繰り返して台と刃が馴染んでくる半年か一年後には緩んできます。それで台の表馴染みにハガキなどを貼るはめになります。それに懲りて、この鉋は刃口から刃が全く出ないような状態で、ひどい当たりの部分だけを慎重に擦るようにして徐々に馴染ませてきました。それでも結局は甘めの仕込みになってしまうのです。この甘めの仕込みというのが、台にストレスがかからず切削時にも柔らかく刃を保持して、軟材を削るのに都合が良いとか屁理屈をつける事も出来そうですが、これも具体的な根拠を示せと言われると困ります。


まあ、結果オーライでいいのですが、とりあえず杉を削れる鉋が手元にあるということで、使う材料、したがって仕事自体の幅が広がって嬉しくなります。展示会前からの継続で、手持ちの針葉樹を持ちだしては色々構想を練ったりしています。

叔父の告別式に東京・目黒に行く 1

例によって泥縄で確定申告を最終日・16日にすませる。翌17日はその三日前に亡くなった横浜の叔父の告別式のため東京に出かけた。目黒の五百羅漢寺という所。横浜に住んでいてなぜ目黒かと思ったが、生前に墓地を購入し合わせて菩提寺としていたとのことだった。スマートでお洒落だった叔父には、この目黒という地はよく似合っていると、式の前に周辺を少し散策して感じた。

目黒川。この日の東京は18度まで気温が上昇。花粉が目と鼻にきた。

目黒川。この日の東京は18度まで気温が上昇。花粉が目と鼻にきた。

目黒駅を降りて、目黒通りを西に向かう。山手通りの大鳥神社を超えて目黒寄生虫館に寄る。名前からイメージされるおどろおどろしい施設では全くない。外観も展示スペースも目黒のお洒落なブティックという風情で、ともすればタブー視されがちなテーマを明るく健康的に展示している。そうだ世界的に見れば、まだ寄生虫というのは健康問題でもあるのだ。入館は無料で、館内の撮影も自由だ。ただし、他の見学者の映り込みに注意して下さいと掲示されてある。なんと言う良心的な配慮かと感心する。ここのミュージアムショップがまた絶妙で、キワモノと冗談の境目にきわどく滑り込んでいる。ちなみに定番の立体サナダムシT シャツは、私は着る根性はなく、着て歩く、電車に乗るのも問題なしと断言する某女史へのお土産にする。自分用には大人しめ(?)の別のプリントのものを購入。合わせてフタゴムシの付箋と虫を図案化したイラストの入った定規を買う。これは普通にかわいいぞ。

目黒寄生虫館の展示スペース。明るく開放的に展示することで、広く啓発したいという健全かつ積極的な姿勢がすばらしいと思う。

目黒寄生虫館の展示スペース。明るく開放的に展示することで、広く啓発したいという健全かつ積極的な姿勢がすばらしいと思う。

寄生虫館の角を南に折れて、三折坂をから龍泉寺(目黒不動)へ。私は大阪と東京を比較する時は、実際に関西が長かった事もあり大阪びいきになるが、坂が多くその周辺の風情という面では圧倒的に東京がいい。)三折坂(みおりざかというのは、3回折れるという意味と不動さんへの参道で御降りと呼ばれたからとも言う云々。そこから五百羅漢寺とは少し道を外れるが林試の森公園に寄る。ここは旧林野庁の林業試験場だった所で、後に都に払い下げられ公園として整備されたそうだ。その由来通り、内外の幅広い樹種が観察できて1日遊べそうだ。関東でこんな大きなクスは初めて見たように思う。ここのサクラはほぼ満開で、遠足の保育園児と思しき団体が早、花見をしている。近所のお年寄りたちが散策がてら立ち話に興じている。名残惜しいが、さすがに不謹慎に遊んでばかりもいられないと思って式場に向かう。出口近くに小さな月桂樹を見つける。スマートで粋だった叔父のたむけとして棺に入れたいと思って1枚、もう1枚。合わせて2枚の葉を頂戴した。カレーやサラダに入れるわけではないので、と自分で言い訳をする。それと古い話になるが、大学の農学部と理学部があった北部構内にやはり月桂樹があって、ポテトサラダとかカレーを作る時は何枚か頂戴していた。叔父とは同じ京大(三高)つながりで、これも何かの縁かと思った。それに私と違って仕事でも私生活でも歳月を全うして米寿の祝いも済ませて逝った叔父には、勝者の証ともされた月桂樹が似合う。ひねくれ者の私が、ヤッカミなしに素直にそんなふう思えるような穏やかで誰に対してもいつも謙虚で優しい人だった。

林試の森公園の桜は、早くも満開だった。

林試の森公園の桜は、早くも満開だった。

更新停滞時のあれこれ

暫く更新を怠った間の事を書かせてもらいます。

第13回 木のある暮らし展

お詫び

第13回・木のある暮らし展では、このブログで出展を予告していたものを出せませんでした。タローシリーズとか勝手に言っていたテーブルは拭漆の仕上げも含めて一応完成していた。しかし、どうも天板と脚部の結合が強度的に問題があり、こうしたものを展示するのも憚られたのでやめました。もう一つヒノキの薄板を使った収納棚も搬入を遅らせてもらったにも関わらず結局間に合いませんでした。それを期待して来てくださった方も実際にお見えになったようで、本当に申し訳なく思っています。近々、ホームページで詳細は掲載させてもらいます。

ありがたい来場者

ただ、そうしたこちらの怠慢にも関わらず、今回の第13回木のある暮らし展にはありがたい(今風にサプライズド)な人に来て頂きました。

一人は、弁護士の永嶋靖久さん(枚方法律事務所)。残念ながら私が他のお客さんと遅めの昼食に出た間に来られてお会いできませんでした。会えば30数年振りでした。その間とくに連絡をとり合っていたわけではないのですが、ブログは見ていただいていたようです。後でお礼のメールを差し上げた所、扇町公園での反原発の集会に参加して、デモ出発までの短い合間に来て下さったとのことでした。私よりたしか2学年ほど年長で、当時、日本共産党と民青同盟の牙城であった法学部で数少ない少数派の活動家としての颯爽とした姿を記憶しています。対応したスタッフから聞いた容貌などの印象から別人かと思ったのですが、まあそれはお互い様です。活躍ぶりは伝え聞いてはいましたが、権力やメディアにおもねって変節する連中がいる中で肝心の志が変わっていないのは嬉しい限りです。

もう一人、遠く東京からのお客さん。1年前に依頼されたものの一つがまだ未納で、心苦しい。特に改めて督促はされませんでしたが、たいへん失礼しております。いつも頂く舟和の芋ようかん、美味しいです。

三人目は、これも私のブログを見てわざわざ東京から私の担当のワークショップに参加してくれた若いY君。結局、その長身痩躯なイケメンぶりから主催女性スタッフの関西ノリに巻き込まれて、翌日も半スタッフのような扱いで手伝ってくれました。かれは今月末に私の工房に来て暫く滞在してくれることになっていますので、その時にあらためて紹介します。

杉山裕次郎さんのブログ・工房通信悠悠

今月中旬の2日くらいの間、このブログのアクセス数が、IPカウントで1.5倍ほど、ページビューで2〜3倍ほどに急に増えました。これまでもオーディオ関係の記事が掲示板などに貼られたりして急にIPカウントが増えることはありましたが、その場合は特定の記事目当てですので、ページビューもほぼ同じ程度にしか増えません。リファラーというリンク元を辿ると工房悠の杉山裕次郎さんのブログ・工房通信悠悠で震災ボランティアへの関連で紹介していただいておりました。木工の先達として陰ながら私淑しており、また震災時の敢然とした行動から、その行動力と義侠心を深く尊敬している方なので、ありがたいことです。また、杉山さんの発信するブログの影響力は、場末の私のそれとは大違いの大きさだと思いしらされました。ちなみに、震災ボランティアの時は他の知人の木工屋連中から、杉山さんの「暴走」を抑えるお供として服部は適任だとか言われていたようです。他の若造では無理だとか・・・。

4年目の3.11

4年前の今日は、穏やかな日差しも暖かく、春の到来も間近と思わせました。地震のあった時、私は工房の2階にいて大きな横揺れを感じて、船酔いのような状態になってしまいました。すぐにただならぬ事態を予感してテレビをつけました。

それから、10日ほど後工房悠の杉山裕次郎さんらと共にたどり着いた被災地・石巻市は今日のように雪の舞う日もある刺すような寒さの中にありました。その地で、水も電気もない状態でヘドロと汚水と重油にまみれた幾日かを過ごします。

初めて訪れた石巻市街地。露出もピントもデタラメな汚れたフロントガラス越しのこうした写真が、かえって今は当時のおののきを現しているように思います。

初めて訪れた石巻市街地。露出もピントもデタラメな汚れたフロントガラス越しのこうした写真が、かえって今は当時のおののきを現しているように思います。 RICOH GXR P10

今、思い出しても50余年生きてきた中で、あんなに人に感謝をされ、心からのお礼の言葉をかけられたことはありません。逆に言うと、それだけ切実に援助が求められていたのだと思います。行ってよかったし、行くべきであった。それにこれからも、もし同じような悲惨と災難があれば、もう一度蛮勇を奮って、さらにガタの来はじめた体を引きずって出向こうと思っています。そんな事にならないのが一番なんですが、もうひとつ、自分の親のような世代の人に、決して頭を下げさせてはいけない。それは震災下という状況であっても社会の欠陥であり理不尽ですらある。「安全」が誰のためのものか?あらたな災害が確実視される中で、ひたすら自衛隊を外の戦争に送り出すことばかりに腐心していてよいのか?あの事(被災地であった老婦人)を思い出して、人に語ろうとすると今でも声が震えて涙目になってしまいます。それで、震災ボランティアに行って感じた一番大事と思うことを直接伝えられないもどかしさがあります。


短期集中木工修行中の芸大生が、修行を一旦中断して、青春18切符で東北を旅行するそうです。遊びで出掛けていいのだろうかと言います。オッサン、オバハン、年寄り連中があれからもノーテンキに海外などに出かけるのに比べれば、あなた達若い人が今のこの時期に東北に行こうとする志がある、それ自体がすばらしい事だと思います。

ヒノキの薄板 2

結局、気を取り直してヒノキの薄板を使った収納棚を製作中。若干遅れそうですが、木のある暮らし展でお見せしたいと思います。そのヒノキの薄板を一見、端ばめ風・実は戸框で囲う(収縮を逃がす)構造の戸板とします。端ばめ框とでも名付けようかと思っています。先例はあるのでしょうか?

端ばめ框とでも名付けようか?

端ばめ框とでも名付けようか?

端ばめの留部分の裏側

端ばめの留部分の裏側

同じく裏から見る

同じく裏から見る

針葉樹を削る鉋

補修の仕事も終り、仕掛の仕事を再開します。前に紹介したヒノキの薄板は、鉋で全体をめくってみると画像のような状態でした。ヤケが部分的に進んでいるのか、まだらになっています。それに木目がどうも私の好みではありません。制作意欲がかなり減退しました。

長らく放置されていたことによる焼けムラか?

長らく放置されていたことによる焼けムラか?

それではと、あらためて他の針葉樹の薄板を取り出して見ました。

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左は、解体された大阪の民家(昭和初期築)の扉に使われていたもの。今でもかすかに脂っぽい。屋久杉か?右は、ある地元の材木屋の処分品。中杢の上品な良い板。

これも材木屋の処分品の杉。幅が800ミリほどあるあ。

これも材木屋の処分品の杉。幅が800ミリほどあるあ。

計画変更というか、また新規に比較的大人しめの杉板を使って別のものを作ってみようかと思っています。


7年前に買った鉋。今井鉋製作所の「雪梅」

7年前に買った鉋。今井鉋製作所の「雪梅」

ところで、こうした針葉樹を削るのに画像の鉋がよく切れます。実は、この鉋は私の持っている鉋で一番新しく買ったものです。それでも、既に7年ほど前になります。三木の刃物市のあるイベントを見学している時に、たまたま隣り合った酔っぱらいのオヤジさんが、実は鉋鍛冶でした。それで、当然のように鉋の話になり、三木の他の鍛冶の鉋を愛用していると言うと、それならオレの鉋も使ってみろとなって、成り行きでその場で発注してしまいました。思い出したのですが、その時は普段の仕事に使う広葉樹用の鉋はもう間に合っているので、新規に打ってくれるのなら針葉樹用に「白」(白紙という炭素鋼)でお願いしたいと言いました。その鍛冶の爺さんは、オレは青が得意だから青にしてくれと言う事で、任せることにしました。

柔らかい地金で、普通によくきれる。名前を刻印されたは、余分。

柔らかい地金で、普通によくきれる。名前を刻印されたは、余分。

暫くして送ってきたのが画像の鉋です。カタログにもあるもので、体よく在庫処分をされたかと思ったりしましたが、あえて詮索はしないことにしました。頼みもしないのに、鉋の銘の裏に私の苗字が刻印されているのも余分なことで、私はこうした事が嫌いなのです。ただ、この鉋は、良い台にすげられていて、普通に研ぎやすくよく切れました。若干、刃持ちが悪いのは使い始めは仕方ないと言われています。でも、特にこれまで使い慣れたいくつかの鉋に代わるか、そのうちに入れるかという程でもない。それで、ほとんど使わずにいました。

最近、針葉樹の板を色々取り出して削ったりしていますが、ふとこの鉋の購入のいきさつを思い出しました。それで、試しにと使って見ました。普通に杉が削れます。杉のように一般に柔らかいと言われている材など削れて当たり前と思われるかもしれませんが、杉と地松、特に脂の多い肥松と言われる材は扱いにくいやっかいな材料になるのです。杉などは、広葉樹では普通に薄い屑が出て、そこそこきれいな削り面が作れるような鉋でも、粉しか出ない場合が多いのです。それで、少し刃を出し気味にすると、今度はむしり取るような厚い屑が出てしまう。

もう少し、ちゃんと鉋自体の調子を追い込んでから、また報告します。