atusi について

三重県四日市市で小さな木工所を営んでいます。

プレーナー屑を牧場に持っていく

木取りなどは機械作業が中心となり、端材やプレーナー屑などが大量に出る。狭い工房に貯めておくと収拾がつかなくなり危険でもある。端材は、この季節薪ストーブ用に引き取り手には困らない。先日も、3月の木工展の打ち合わせにまどりの井上前代表のお宅兼事務所にお邪魔した際に引き取ってもらった。ストーブ用に長さをある程度揃えたり、縛ったり梱包したりはそこそこ手間だが、産廃にされることを考えれば余程良い。自分で使えれば一番良いのだが、紺屋の白袴のたとえのように、いまだにアラジンのブルーフレーム他を使っている。

プレーナー屑は郊外の牧場に持っていく。汚れた敷き藁に混ぜて、堆肥の材料になる。牧場ではこうしたプレーナー屑やおが屑を購入しているようで、こちらも歓迎される。口蹄疫の頃はさすがに近づけなかったが、今は行くたびに牛舎を覗いてみる。なんだか珍しい生き物が来たぞと思うのか、そもそも好奇心旺盛なのか牛たちが寄ってくる。少なくとも敵だとは思われていないと嬉しくなる。大きな顔に手を伸ばすと、それでも最初はビビったように首を逸らすが、すぐに慣れる。少々乱暴なくらいに撫でたり小突いたりして遊ぶ。

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最近、タブレットのカメラも使うようになった

 

草を食べる生き物というのは、概して大きな体をしているが、皆目が優しくていいな。少しだけ気持ちが落ち着く。つい目にしてしまったあの中東の火付け強盗人殺しの山賊の澱んだ忌まわしい目が、いまだに私を苛み続ける。

木取り

日曜日は本当は仕事をするつもりが、朝の報道から混乱してそれどころではなかった。その件は今はどうしたって、10年前の事も含めて、汚い言葉を吐きそうでやめておく。石堂順子さんは本当に立派な人だ。その心情を慮れば、せめて西に向かって頭を垂れるよりない。


気を取り直して、今日は朝からなんとか仕事を再開。作っている棚の見込み側の鏡板を木取るために、別に保管してあるクリの幅広の材を表に出す。その過程で、幅300前後、長さ3000、厚み34と39ミリのナラの板を発掘。1〜2枚は残っていた筈と思っていたが9枚もあった。 何をやっているんだ、私。

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ナラの木端で冬眠(?)していたヤモリ。もう1匹は、左手後方で、尻尾の先だけ見せて逃走中。

そのナラの1枚の木端になにか付いている。よく見ると2匹のヤモリだ。ジッとしているから冬眠しているのか、と思ってデジカメがなかったので携帯で撮っているうちに起きだしたか転げ落ちるように逃げた。こいつら、夏はガラス戸にへばりついて蚊とか虫の類を食ってくれるし、なんとなく恐竜の末裔っぽい雰囲気もあって好きだなあ。カラスやイタチに食われないように、材木の間でも工房の中でも住処はいくらでも提供するけれど、でも、年末には仕事をしているとイタチが入ってきたぞ、ここにも。

2台の棚の框部材

2台の棚の框部材

ひとまずは、主な部材の木取りは終り。これにケヤキの観音扉が24枚入る間口1間、高さ7尺の棚が2台となる。框は、見付は柾目で揃えたいし、捻れや歪みが生じないようになるだけ通直な目の良い幅広の材から取っていくことにした。相応に時間もかかった。結果、手持ちのクリの良いものから、ざっと材積にして0.3立米ほども潰して、この五平の角材と薄板になった。もったいないとは、やはり思う。

3本の映画 『パーソナルソング』、『三里塚に生きる』、『ダムネーション』

昨日31日(土)、午前中で仕事を切り上げて名古屋今池のシネマテークに映画を観に行きました。

の3本。これに、この日は『三里塚に生きる』の共同監督の一人である代島治彦さんの舞台挨拶がありました。先週には『三里塚に生きる』に合わせて、昔の小川プロの三里塚傑作選と称して古い映画の上映がありました。それも久しぶりに見たかったのですが、31日は、代島さんが来るし、『パーソナルソング』も上映が始まるし、と言う事で結局この日に出かけました。

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まあ、こんな映画を3本合わせて上映してくれるこの映画館もすごいなと思います。合わせて6時間余りの上映になり、認知症と三里塚闘争と、いずれも鑑賞というより、どうしても当事者目線で見てしまうこともあって疲れます。本当に、iPodで昔の音楽を聞かせるだけで、こんなにも生き生きとした表情と言葉が蘇るのなら、認知症治療とか介護とか、今やられていることは何なのだろう。でも少し前に読んだ『直さなくてよい認知症』では、認知症を治すべき病気ではなく、不可逆のエイジングとして捉えると介護者も本人も健やかに残された時間を過ごすことが出来るという趣旨だった。反省と自戒も含めて納得・共感していたのだが、この映画を見ると、また考えさせられる。簡単に答えを求めてはいけないのだ。

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辺田部落とか懐かしい。映画で出てくる屋号にも聞き覚えがある。東峰とか木の根はもうすでに滑走路になってしまっているが、そうかここはいわゆる敷地外で、B滑走路の進入路になって移転させられたが、まだ畑とか残っているのだ。岩山の鉄塔跡地にも入れるのだ。あの年の3月が危ないと言われて、しばらく現地に滞在していた。警戒と防衛のため毎日のように交代で鉄塔前に行っては最後にインターナショナルとか歌っていた。結局その3月は何事もなく戻って、5月に抜き打ちのように鉄塔が撤去された。その後の抗議闘争の過程で東山薫さんが亡くなった。私は、その時はもうこれで終わりだろうと勝手に「日和(ひよ)って」現地には行かなかったのだ。1977年のことだ。などなど色々思い出させる。

今も、反対運動を続けている柳川さんが静かに言う。運動を続けているのは、やはり青行(青年行動隊)の仲間で自死した三ノ宮文男さんの遺志という事が大きい。三里塚というのは、魂の問題なのだ。魂の問題を解決せずに、技術や方法で問題が解決されることはない。

私は、いろいろななりゆきもあって、あの1978年3月にも1兵卒として北総の大地にいました。でもそれ限りでした。ただ以降も絶対に成田から飛行機に乗らないと決めていますし、そもそも関西や東海地方に居て飛行機に乗る機会自体がそんなにありませんでしたから、それは守っています。登場した元反対同盟の堀越さんは、成田はもちろん飛行機自体に乗らないとおっしゃっていました。あんなものがなくても人間は生きていけるし、あんなものがあったからたくさんの血が流れ苦労があったのだと。私も、そもそもあんなでかいチタンやカーボンやジュラルミンの塊が、空を飛ぶ事自体が不自然で不可解な事だと思っていました。嫌いです。車もそうですが、地球や他の生き物にとっては破壊的で迷惑な存在でしかありません。もう金輪際、飛行機なんぞに乗らないというのが、短い間でもかの地を訪れたことのある私にとっての「魂の問題」の解決の一つかなと思いました。

シネマテークで、『三里塚に生きる』は、2月6日(金)まで、『パーソナルソング』は2月20日(金)までです。

神戸元町商店街

神戸でお邪魔したのは、私の一番古くからのお客様の一人です。京都市立芸大を卒業された才媛で、その後京都の老舗の川島織物の研究所にお勤めになり、母校の教壇にも立たれたそうです。まだ、女性が運転免許を取ること自体が珍しかったお若い頃、赤いスポーツカーを乗りましていたとチラッと聞いたこともあります。だいたい、いつもお話をうかがうと長くなるのですが、この日も3時間ほど。うち仕事の件は30分もなかったかな。 自宅を改装されるようで、他の工事と合わせて施工時期は早くて11月くらいとのこと。それならまだ先の話とすこし怪訝な気分となりましたが、服部さんのタイムスパンで言うと、それくらいで丁度でしょう。との事。そうだ、いつでもいいと言われると、これまでも1年ほどもお待たせしたりしていました。

お父様が認知症を患い、それをお母様が自宅で介護されていたそうで、それもあって20年来認知症の家族を支えるボランティアをされていて、その経験からお聞きした話が、私が自分の親の認知症に直面した時、随分役に立ちました。私は、傲岸不遜な嫌なヤツだと少しは自覚しているのですが、話題が多岐にわたり自分の知らない事、未経験な事に及ぶのと、一回りほど年長であることもあって、いつもおとなしく拝聴しています。


お話が済んで、元町の商店街にむかいました。お薦めの品を求めに、教えてもらったを訪ねます。その後、一昨年閉店した海文堂書店の跡がどうなっているのか、気になって行って見ました。

お洒落で粋な佇まいだった書店がかくもいやしい店になっていた

お洒落で粋な佇まいだった書店がかくもいやしい店になっていた

ごらんのようなつまらないケバケバしいドラッグストアになっていました。残念だとか他人事のように言ってはだめですね。私も含めて、簡単・安易にアマゾンなんかで本を買ってしまうから、こうした良質の本屋が潰れるのです。学生の時に、初めて訪れて以来、神戸方面に出かける事があると寄っていました。当時からレクラム文庫をかなりのスペースを使って揃えてあり、私もここで、ノヴァーリスの詩集とヘッセの短編を買った記憶があります。それと、その由緒の通り他の書店では見かけることの出来ないような海事関係の書籍があって、訳もわからないのに手にして眺めたりしていました。しかし、この10年ほどは前を通っても寄ることもなくなっていました。

ほど近い風月堂本店の2階でランチを頂きました。ここも関西の老舗らしく気取ったところのない良いお店です。リーズナブルなランチメニューで、でもメインが肉か魚を選べます。静かに流れていた音楽は、シューベルト(「音楽に寄せて」)、モーツアルト(オーボエ協奏曲)、バッハ(「ゴールドベルク変奏曲」)などなど。有線放送でしょうが気がきいています。如何にも営業が終わった後、といった風情の3人のサラリーマンと女子社員がいて、そのうちの上司と思しきオッさんが携帯で話し出したのは興ざめでした。

2号線の反対側(北側)。うん、イカしてる!

2号線の反対側(北側)。うん、イカしてる!GXR A12 28mm

廃業と言えば、ガード下の丸玉食堂も一昨年末でやめてしまったそうです。3年ほど前に、仕事で神戸に出たついでに寄ったのが最後でした。以前はガード下にたしか2軒店があり、オヤジ達でごった返していたのですが、それがいつの間にかJRの改札近くに1軒だけになっていました。そちらの方も昼時でしたが、あまり客もおらずに寂しくなっていましたから、こちらは仕方がない。香辛料と化学調味料で、食べたあとで頭が痛くなるような、深く後悔するような料理ですが、なぜか暫くすると食べたくなって寄ってしまいます。最後に寄った時は、車だったので、シラフで定番の腸詰と汁そばを頼んだのですが、あんなのもうビールなしでは食べられないなとその時も思いました。

こちらのお店はまだ健在!ご夫婦とも元気そうでした。

こちらのお店はまだ健在!ご夫婦とも元気そうでした。 GXR A12 28mm

 

もう1軒、ガード下のレンセイ製菓はまだ頑張ってくれています。今時の柔らかくて甘さを抑えた生菓子っぽいものと正反対の硬くて甘い昔ながら洋菓子です。ロシアケーキと言うのだそうですが、私たちの子供の頃は、洋菓子というとこうしたものでした。どれも1個100円の明朗会計(消費税値上げ前は、たしか90円だった)。バスケットに好きなものを入れて会計をしてもらいます。

どれも1個100円。我が道を往く昔ながらの洋菓子

どれも1個100円。我が道を往く昔ながらの洋菓子

他にも寄りたいところはあるのですが、あまり時間もなかったので、元町はそこそこにして、大阪心斎橋に。続けます。

ケヤキ

丸ス松井材木さんで購入した厚み2寸(60ミリ)のケヤキの板2枚。長さは、いわゆる1間もの(1800ミリ強)。仕上げは拭漆にするが、最近よくある黄色のケヤキは勘弁して欲しいと、松井さんにあらかじめお願いして選んでもらっていた。昔のような赤光りするような、これぞケヤキと言った材ではない若い木だが、予算のこともあり、今これくらいなら上等だと思う。

丸ス松井材木さんで買ったケヤキの板2枚

丸ス松井材木さんで買ったケヤキの板2枚

これを長さ方向に4枚、厚み方向に3枚に割って、更に縦に半分に割って計48枚の板にする。最終的には24の観音開きの戸板になる。1ヶ月ほど寝かせて応力の変化による歪みを出してから木造りをやり直す。

48枚の板にする。観音開きの戸板になる。

48枚の板にする。観音開きの戸板になる。

歩留まりから言うと、シラタを除いて考えても50%を切るか。この手の厚み・2寸、幅2尺程度の曲がった耳付き板というのは、かつては私も岐阜各務ヶ原の広葉樹の市でよく買った。しかし、結局使い勝手が悪くこうして切り刻んで小さな部材にしてしまう。

神戸 20年前に社内報に書いた被災地の報告

1月19日(月)、神戸に行ってきました。古くからのお客さんに呼ばれてのことでしたが、あれから20年という感慨はやはりありました。

20年前の震災の時、私は大阪市内のある建材(鋼材)のメーカーに勤めていました。地震があった時間は当時住んでいた大阪南部の住宅で起床する僅かに前でした。いつも使っていた南海本線が全面不通で、開通の目処なしとのことで、仕方なく家に戻ってテレビを見ていると、阪神や淡路島の甚大な被害が徐々に伝えられていました。

結局、その日は自宅に待機していました。次の日から出社しましたが、どうせ仕事にならないし、じっとしているのも嫌だったので、神戸とか伊丹に住んでいて連絡のつかなかった高齢の顧問の安否確認とか屁理屈をつけて被災地に入りました。いつもの社内での服装、作業着上下に、安全帽、安全靴に脚絆という出で立ちに、70リッターほどのリュックに水と乾パンなどの非常食を詰め込んで、神戸市の東灘区と伊丹の仁川に向かいました。途中で、避難所とか困っていそうな人を見かけると適宜、水と食料を渡して歩きました。途中、仕事柄、壊れた建築物や土木構造物があると写真に撮りながらです。

被災地で見たものや、撮り貯めた膨大な写真をもとに社内で報告会を持ち、その抜粋を社内報にも載せました。集めた資料や写真の類は、個人的に求めたものも含めて全て退社する時に後の資料として社内に残して置きました。後にその会社自体が吸収合併されて雲散霧消してしまいましたから、残念というかもったいないことをしたと思いますが、仕方ありません。ただ、その社内報は手元にありました。社内報といっても、ゼネコンを含む取引先にも配っていたものなので、随分持って回った言い回しになっていますが、これも仕方がない。ただ、他の土建屋や同業他社が右往左往するしかない中で、かなり早い段階での被災報告と分析であったと思っています。

実際に被災地の倒壊した建物や土木建造物を目の当たりにして、当時よく言われた古い建築基準が云々という高尚な問題ではないと強く確信しました。一言でいうと、そうしたレベルの問題ではなく壊れた構造物はほとんど例外なく素人目にもわかる手抜き、施工不良によるものでした。その事は、自分の記憶に残る事だけでも書き残すべきだと20年が経った今、あらてめて思います。とりあえず当時書いた社内報の記事を転載しておきます。写真などはすべて私が撮ったものです。画像ファイルにしてあります。クリックで拡大します。


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(かざり)金具の職人さんを訪ねました

12日(祝)、連休の終わりの日に、次の仕事に関係したお願いに、名古屋の錺金具の職人さんを訪ねる。

面識はなかったのですが、簡潔なホームページ(名古屋神仏錺金具)をお作りになっていて、それを拝見して不躾にお願いしたい仕事の内容をメールでまず問い合わせる。すぐに律儀な返信をもらい、何度かやりとりをして時間をとって頂いて、自宅兼工房にお邪魔することにした。 玄関のすぐ脇にある道路に面した大きなガラス窓に二面を覆われた八畳ほどの作業所でお話を伺う。手掛けられた名古屋城本丸御殿復元の、襖の引き手や長押の錺金具を拝見する。素人目にも見事なもので、いずれも銅をタガネなどで叩いたり削ったりして、最後はメッキや箔押しで仕上げるとの事。

名古屋城本丸御殿の長押の錺金具

名古屋城本丸御殿の長押の錺金具

同じく本丸御殿の襖の引き手

同じく本丸御殿の襖の引き手

引き手の制作過程。銅板を叩いたり削ったりして整形してゆく。

引き手の制作過程。銅板を叩いたり削ったりして整形してゆく。

こちらは、箔押しで仕上げてある。地金の上に水銀を塗ってその上から金箔を押して、その後から加熱して水銀を飛ばすのだという。いったんは金と水銀が合金化しており、その後水銀の成分を加熱して飛ばすため、微妙に水銀の成分が残る。それで普通の金箔と比べて落ち着いた上品な色合いとなる。また箔の微細な筋や継ぎ目も残らず強度も、メッキはもちろん漆で焼き付けたものより高いのだそうだ。

柱の錺金具。水銀で箔押ししたもの。

柱の錺金具。水銀で箔押ししたもの。

肝心の仕事の依頼に関しては、受けてもらえました。拝見した仕事から見て、ある意味失礼かとも思いましたが、そこはお互い「仕事しい」同士、妙な駆け引き抜きで、仕事の中身や予算も隠さず申し上げれば、なんとかしてもらえるものだと思いました。体使って仕事している分には、そんなにお金が儲かるわけではないことも分かってますしね、お互い。私は、こうして異業種の職人さんとお話するのが好きです。店舗の仕事や造作の仕事の場合は、大工や、軽天屋、クロスや左官と言った内装屋、水道屋、ガス屋、椅子張り屋などなど、皆、腕が太く上半身がごつくて、なんだか同じ空間にいても安心感があります。子育てを経験した女性も、それなりに腕が締まってたくましくていいです。逆にホワイトカラー(これも死語か?)な上半身が貧弱な男たちや、職人以外の異様に腕の細い若い女性は、もうなんだか別の世界の人のように思えてしまいます。


さて、この日も、近鉄と地下鉄を乗り継いで出かけました。休日ということもあって、そんなに混んではいなかったのですが、気になったのは乗り合わせた列車の優先座席に座った人間が、ことごとくスマホをいじっていた事。10代と思しきガキから50代くらいのオバさんの団体まで、老若男女を問いません。地下鉄では座席の足下に大きな字で携帯の電源をお切りくださいと書かれています。車内放送もしつこいくらい繰り返されます。見えない聞こえないのか、そのふりをしているのか。あと、これは主に若い女性ですが、電車が着いてホームに降りたあとも3人に1人くらいの割合で歩きスマホをやっています。親戚のおばさんで、ペースメーカーを埋めている人がいると言うことを別にしても、なにか悪いものに取り憑かれている亡者のようにしか見えません。ご本人たちは、そうした自分の醜怪で無様な姿を、一度客観的に見直してみるという事をしないのか不思議です。

本年もよろしくお願いします

今年もこれに乗ってどこかに通いたい

今年もこれに乗ってどこかに通いたい。久々に使ったPanasonic DMC-G1

正月は気が緩んだか、風邪をひいてしまい2日間ほど寝込んでしましました。ようやく今日から始動です。2日間、ほとんどまともに食を摂らなかったのですが、かえって胃腸は快調で、体も心持ち軽くなったような気がします。今週は、少し大きな仕事の図面を仕上げて、普段使わない材料を当たらなくてはなりません。

雑種犬タローも、正月の間にエサを食べなくなり心配したのですが、こちらは不規則に犬用のおやつ類を与えたためのようです。ショップには犬用の福袋とかもあって、弟が買ってくれて、それを少し食べさせていました。文字通りそれに味をしめたのか、普段与えているドッグフードをエサ用のボールに入れると、それを鼻で遠ざけて拒絶します。コノヤローという気持ちと、もしかして体調不良で食欲がないかと案じました。

結局、私が寝込んでいる時に一度だけ夕方の散歩をパスして、エサを与えなかったのですが、そうするときれいに片付けてしまいました。しかしながら、夏にも思ったのですが明らかに以前に比べて体力が弱っているのは分かります。来年の正月まで元気でいるかなというのが正直なところです。