atusi について

三重県四日市市で小さな木工所を営んでいます。

木の仕事展IN東海2014 2日目

今日は、午前の早い時間にスピーカーと厨子の商談をした後は、終日ワークショップ要員となっておりました。気がつけばお昼抜き。頂いた甘いものも、今はあまり食べられなくなったし、まるで草を喰むヤギのようにチョコレートを貪り食うことが出来る齋田さんがうらやましいです。たいした準備も出来なかったのですが、事前の追い込みと風邪気味の体調もあって、なんとかテンションを保つべく気を張っておりました。

今日は珍しく男性がワークショップに参加してくれましたが、聞けば同じ出展者の福岡さんのお友達で、既にお勤めを辞めて木工を志して、来年訓練校にはいるつもりとのこと。さすがにお上手でした。福岡さんも私も、止めておけと言いましたが、51歳で仕事を辞めて、もうすでに退路を自ら断っているとのこと。まあ、他人に言われて止めるくらいなら、本当に辞めておいた方がいいでしょう。

同じ出展者の間で、私の使っているクリックリーダーという老眼鏡がいたく珍しがられています。随分前から使っているつもりなので、何を今更という気がしないでもないですが、ためしに掛けてもらっています。私たちのような手を使う仕事では、これはたいへん便利なアイテムですが、あまり安くも無いので特に取り上げて薦めることもしていませんでした。同じく珍しがっていた齋田さんにも、お渡ししたのですが、人並外れて度量とともに顔の大きな齋田さんは、クリックリーダーの前のマグネットがはまらない!こんな人は初めてでした。失礼ながら父親が倒れて、母親がボケだしたこの5年くらいの間で、こんなに腹を抱えて笑ったことはなかったなあ。お連れのUさんは、壊してしまったのではないかと心配してくれましたが、たとえこれで壊されても惜しくないような光景を見せてもらいました。

顔の大きな齋田さんは、クリックリーダーがかけられない

木の仕事の会および東海地方の小規模家具木工の牽引者・齋田一幸さん。尊敬を込めて描いています。

展示の後は、遠方からのお客さんを紗羅餐本店にお連れする。社長自らお出迎えと店内の案内をしてもらい、私の設えた什器類も紹介され、ゆっくりと美味しい食事を頂きました。私は、外で食事を頂く場合は、自分では出来ない作れないものを頂きたいと思うので、その意味でも満足いたしました。

四日市に戻ったのは23時を過ぎる。雑種犬タローは、既にふてくされ状態で、いつもの散歩が遅れた時に仕掛けてくる武藤敬司ばりのシャイニングウィザードもやらずに、ただ右回転を繰り返す。粗相もせずに我慢していたようで、少しだけ申し訳ない気になる。いつもの川原に出て、何気なく向けた北の空の低い所に地表に落ちるように流れて消える星ひとつ。流れ星など見たのはいつ以来か?そうか願い事と世間では言うのだ、とか思うでもなく、このアホ犬が元気でいればいいなとあ考えている。自分の志の低さにあきれる。

木の仕事展IN東海2014 1日目

今日は、木の仕事展IN東海2014の初日でした。平日ということもあって来客もまばらな時間帯もありましたが、東海地方の木工の大御所とも言える人や削ろう会の創始者の一人などコアな方々の来場が多く、それなりに濃い1日となりました。

一人、真空管アンプとスピーカーを熱心に見てくれていた若い人がいて、私はワークショップの対応でバタバタしていたのですが、後で話を聞くとご自分で真空管用のトランスを手巻してメーカーを起こしているとの事でびっくりしました。連絡先やホームページを教えてもらいましたが、真面目で質実なラインアップで感心いたしました。是非、スケルトン・アンプを完成させて見てもらいたかったと残念です。

エイトリックトランスフォーマー

ワークショップでは、図工の時間でも鋸もノミも触ったことがないという人に、30分で出来るとか言ってお誘いしたのですが、結局2時間近くかかってしまいました。普段から手仕事の割合の多い私なら10分で出来ますが、その感覚で考えてはいけないと思いました。さぞ、お疲れだったことでしょうが、最後自分で掘った穴にホゾを打ち込んで入った時は興奮したとおっしゃって頂きました。写真の代りにディスプレイ用に持ち込んだサクラの葉を入れてお持ち帰り。なかなか良い出来です。昨年のワークショップの鍋敷きよりも確かに作業は複雑で時間もかかると思いますが、その分、完成した時の充実感は大きいと思います。

完成したホゾ組みのフォトフレームに、サクラの紅葉を挟んで

完成したホゾ組みのフォトフレームに、サクラの紅葉を挟んで

こうしたワークショップは、男性に声をかけても遠慮されるのか、下手売ったら恥ずかしいとかいったプライドが邪魔するのか、なかなか参加してもらえません。その点、女性は自分が興味を持ったことは、なんでもやってみようという好奇心と意欲をお持ちの人が多いように思います。そうした姿勢というのは、人生を豊かにすると言ったら大げさ過ぎるようにも思いますが、色々有意義な体験が出来るという面は大きいと思います。私も心したいと思います。

明日28日(金)から”木の仕事展IN東海2014”開催です

今日は、会場の名古屋市東区の東桜会館への搬入でした。
今回の展示のための新作のひとつ、トチの古材他で作ったキャビネット(厨子)です。

トチ厨子

トチ厨子

もうひとつ、メインに考えていたスケルトン・アンプですが、間に合いませんでした。配線を残すだけなんですが、なんとか会期中に間に合うように頑張ってみます。

あと、今回のワークっショップでは、フォトフレームを作ってもらいます。実際にはノミと鋸を使って、それそれホゾ穴とホゾを作って組んでもらいます。本格的な木工の基本を体験してもらえます。是非、参加してください。時間は随時行っています。1回、500円です。 

ワークショップ・ホゾとホゾ穴で組むフォトフレーム

ワークショップ・ホゾとホゾ穴で組むフォトフレーム

”木の仕事展INは東海2014”の詳細は、こちらにDMを置いてありますのでご覧ください。画像ファイルです。

DM表面 DM裏面(会場の地図などはこちらです)

一年

一年前の今日は、空が低く暗い寒々しい日だったと記憶しています。通夜と葬儀を行った翌日と翌々日は、日差しも戻り穏やかな秋晴れでした。葬儀が終わり家から棺を載せて斎場に向かう霊柩車の運転手が、しばらく寒い日が続いて昨日までは斎場が混んで順番待ちのような状態だった。今日は比較的空いている。お母さんは頑張ってくれたのですね云々。そう言えば前日の18日の夜、名古屋の電気文化会館でのギアン・ケラスさんのバッハ無伴奏チェロ組曲のコンサートを予約していた。週末には容態の改善の兆しもあるとされていたのが、この日のあらためての検査で、回復の見込みなしとされた。

結局18日は、持ちこたえて翌19日の夕方に亡くなることになってしまいましたが、1日待ってくれたというか、せっかく楽しみにしていたのだから行けばよかったのにと言われていたような気が今さらします。もちろん、そんな状況で、コンサートなんか行けるはずもなかったのですが。前にも書きましたが、5年前父親の心肺停止の報を受けたのは東京へ向かう新幹線の中でした。やはり当日夜、新宿のオペラシティでのパトリシア・プティボンのリサイタルのチケットを予約購入してありました。宿まで取ってあったのですが、折り返し四日市に戻りました。混乱して錯綜する想いの中で、なんでもう1日待ってくれないと思っていました。父親の場合は、体はずいぶん弱っていましたが、重篤な状態というわけではありませんでした。現に急性期の病院を退院させられる予定で、次の事を塩梅している最中だったのです。

こうした偶然に都合の良い意味付与をする事を好みませんが、2人の亡くなり方が、その性格のある面を現しているようにも思えてきます。

海蔵川のサクラの落ち葉

海蔵川のサクラの落ち葉

今年は、いつも雑種犬タローを散歩させる海蔵川のサクラの葉の色づきが鮮やかです。昼休みに拾ってきた何枚かの落ち葉をスキャンしてみました。別に山のナナカマドや山漆でなくても、近くにも艶やかな紅葉を見ることが出来るのだ、と自分を慰めています。

 

ナラは、偽りの愛のように・・・?

すっかり寒々しくなった工房での残業のBGMは、ほっこりした歌ものがいい。ベンジャミン・ブリテン伴奏でピアーズの歌うCDを聴く。気になるくだりがあった。


O Waly,Waly

—–
I leanend my back up against some oak,
Thinking that he was a trusty tree;
But first he bended,and then he broke;
And so did my false love to me.
——


そうか、イングランドではナラ(オーク)はこんなイメージの木なのか?私にとっては、十分に “trusty” な存在なんだけどね。歌の最後に、宝石のような愛も、古くなって朝の露のように消えたとあるから、頼もしそうに見えるナラ(オーク)ですら曲がって折れてしまうという比喩なんでしょう。まあ、でも今、ナラ使って仕事していないからいいか。

定光寺に乾漆を見に行く

もう先週のことになってしまいましたが、案内を頂いて)定光寺(じょうこうじまで乾漆の作品を拝見しに行ってきました。車のほうが便利と言われていたのですがJR中央線の定光寺駅というのは、実は前から行ってみたかったので電車にしました。

JR中央線・定光寺駅

JR中央線・定光寺駅。 GXR A12 28mm

駅およびその周辺は、想像していた通りというかそれ以上に)禍々(まがまがしさ満載で嬉しい。この駅は、年寄りは利用できないなと思っていたら、おじいさんが2人階段を登って行きました。駅から定光寺参道の前を通ってギャラリーまでの道すがらも色々あって、宮沢賢治の『注文の多い料理店』の世界に入ってしまったように思えてきました。歩きながら少しクラクラしてきた程でしたが、あまりいらないことを書くと差し障りもありそうなのでやめておきます。


乾漆中心の展示は、いずれもほれぼれするような見事なものでした。勝手に漆の師匠と仰いでいる作家さんは、親子ほども年の離れた人ですが(もちろん私のほうが上です)、以前に漆刷毛を分けて頂きました。今回も色々不躾で初歩的な質問にも答えてもらいました。私のブログも覗いてもらっているようで、漆に関する顛末などお恥ずかしい限りですが、まあ今さら体裁しても仕方ありません。

中根寿雄さんの乾漆作品1

中根寿雄さんの乾漆作品1

こうした作品としての乾漆を手に取らせてもらうのも初めてだったのですが、その見た目の重厚感に比しての驚くほどの軽さ、そのギャップに戸惑います。木地を使ったものならこうはいかない。なるほど工芸としての乾漆というのは、まずはここにあるのかとおもいました。型の作り方から、麻や漆錆の付け方まで教えてもらいましたが、いまさら一介の木工屋が片手間にどうのこうの出来る世界ではありません。しかし、手慰み程度から始めて遊んでみたいとは、あらためて思いました。

中根寿雄さんの乾漆作品2

中根寿雄さんの乾漆作品2

中根寿雄さんの乾漆作品3

中根寿雄さんの乾漆作品3

一通り展示を見終わって、お話を聞いて、カフェを兼ねたギャラリーでコーヒーを注文する。お姉さんとオバさんの境目くらいのお年と思しききれいな店員さん(ママさんか?はたまた山の雌狐が化けたか)に、作家さんとは、お知り合いか?やはり何かを作っていらっしゃる?そういう雰囲気なので・・・とか尋ねられる。これを簡潔に営業トークから関西のママさん風に翻訳すると、オッさん、どう見てもまともな勤め人には見えへんけど、なにやってる人?ということだなあ、うん。

一周忌でした

今日は、昨年の11月19日に亡くなった母親の一周忌の法要でした。あらためて、こうした法事は送った者の言い訳と自分に対する取り繕いのための儀式という気がしてきます。本当の意味で、死者を悼み慈しむような気持ちをもって臨んでいるのは、今日も出席してくれた母親の2つ上の伯母だけのようにも思えます。

このブログのアクセス解析を見ると、介護とか看取り関連のキーワードでの検索結果から訪問して下さる人がかなりの数いらっしゃるようです。たとえば、棺 着物とかのキーワードでの訪問者は、ほとんど毎日のようにいらっしゃいます。ちなみに、実際にその検索結果を見てみると、1ページ目のデヴィ夫人がどうのといったガセのような記事の間に、このブログのある記事が出てきて不思議な気分になります。葬儀屋とかお坊さんとか、あるいは地域のお年寄りとか親族にも相談出来ない看取りとか介護の関わる微妙な問題について、多くの人がネットをさまよっているのかなと感じます。経験した葬儀の事や看取りのこと、加えて一年の間に、あらためて介護職員初任者研修に参加してわかった事、気がついたことなど書きかけてやめてしまっています。もういいかという思いもありますが、遅ればせながらでもあげていこうかと思います。

第66回 正倉院展3 赤漆履箱(せきしつのくつばこ)

正倉院展の展示では、宝物と一緒にそれを収納していた箱なども展示される場合が多々あります。主催者としては、その収納のための箱も、宝物と同様に、あるいは宝物と一体として価値のあるものとして展示してくれているのだと思います。家具や実用の木工品を制作している立場からは、その宝物よりも収納の箱に関心が行ってしまうことがあります。というか大抵はそうした逆転した見方をしているかな。

左ページ、赤漆履箱

左ページ、赤漆履箱

今回の、赤漆履箱も、そのひとつでした。これは、同時に展示されていた衲御礼履のうのごらいり画像解説)を収めるためのものだそうです。以下、図録からその概要を紹介すると、

  • 大きさ 縦498 横445 高さ233(ミリ)
  • スギ製
  • 側面は6枚組み接ぎ
  • 底板に欠き込みを入れ、その上に側板を載せる
  • 内外とも赤漆による装飾
  • 稜角には陰切)かげきり)を施す

見事なスギの赤身の糸柾で作られています。そこに赤漆(蘇芳などで赤く染めてから透漆か生漆を塗る)が施されているのですが、もともと被せ蓋に覆われていたこともあってか、非常に渋くも美しい色合いをしていました。底も含めた組み接ぎ部分に施された陰切が、よいアクセントになっています。かなり大きなものですが、使われている板の薄さ(15ミリ程か)もあって非常に引き締まった印象です。

面白いのは、底板の表面に収納する靴の踵に合わせた刳り込みがあることです。図録によると深さ12ミリほどのごく控えめなものです。踵部分のみで、あとはなだらかな勾配をもたせていることから、そこに落とし込むというよりは、収納の際の位置決めのためくらいの感じで刳られています。その控えめなさりげなさが、なんともオシャレで素敵です。

当たり前の事かもしれませんが、良く考えられて真面目につくられているなあと感心させられます。各板は、組み接ぎや切り欠きへの落し込みに加えて四角の鉄釘で留められているそうです。その上に施された蔭切というのは、漆錆をつけその上に黒漆を塗るという技法です。いうまでもなく組み手から露出した木口を埋めて、材の乾燥・収縮、割れを防ぐためでしょう。抜かりがないし、それが赤漆を施された板に対するデザイン上のアクセントになっています。今、せっかく色漆を扱いはじめたのだから、これは是非(パクリ見習いたいと思います。

こういう収納のための、いわば実用のための箱が面白く、むしろそちらに興味をひかれることもある。それは、こうしたものの方が、天平の工人の創意とか工夫、個性とか更に言うと遊び心がより発揮しやすかったからではないかと思います。宝物そのもの、聖武天皇の御物とか東大寺の儀式用の道具などは、当然格式とかある種の決まった仕様とか形式が求められたでしょう。もちろん求められる技能は、限界を超えるような高いものでしょう。それに対して収納用の箱なら、当然最低限の基準とか仕様は求められるにしろ、細かい形状や装飾まで決められてはいないのではないか。これまで色々な収納箱を見てきての感想です。そうすると天皇や東大寺に献納する宝物そのものよりも、工人の感覚なり創意なりが生かされる余地が多かったのではないかと想像します。それが、この箱の蔭切や底板の刳り込に現れているのではないでしょうか。