atusi について

三重県四日市市で小さな木工所を営んでいます。

白い彼岸花

朝の雑種犬・タローを連れての堤防沿いの散歩では、見かける顔ぶれはたいてい一緒ですが、この四五日ほどは知らない人もチラホラ見かけるようになりました。春のサクラの季節もそうした事があります。春は花につられてという事なんでしょうが、すると今ごろは彼岸花に誘われてのことでしょうか。 進歩のない私にとっては、彼岸花はやはり山口誓子の句と、灰谷健次郎さんの『太陽の子』を連想させます。繰り返しても仕方がないので、よろしければ古いこちらの記事をご覧ください。→「曼珠沙華(彼岸花)

災害や、色々悲しいことも個々にはあるにしても、先人の知恵と努力のおかげで戦争も飢饉もこの国では避けてこれました。そのため死に花とも呼ばれたこの花の禁忌なイメージが薄れてきたのかなと思います。先入観なしに眺めれば、眼に痛いような赤が堤防のそこかしこに点描されたように並ぶ様は艶やかなものです。ただ、私にとってはこの花は『太陽の子』の沖縄戦の苛烈な体験により精神を病み自死してしまうふうちゃんのお父さんや、風車を手に泣いていたおじさんの事を連想させてしまうのです。

白い彼岸花

白い彼岸花

それと、タローを連れてこの川沿いの堤防や河川敷を歩くようになって5年ほどになりますが、これまで見ることのなかった白い彼岸花が少なくとも3カ所で咲いています。これも何らかの変異なんでしょうが冷夏と降雨の気象の影響なのでしょうか?

散歩は5時半からに

昨日は、寒さで目を覚ましました。日も短くなり、朝、雑種犬・タローの散歩に出る時間を30分遅らせるようにしました。こいつも夏の間はバテ気味でしたが、なんとか元気を取り戻したようです。

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紗羅餐本店・什器の再塗装

先週の3日間、遅い目の夏休みに入った名古屋のお店・紗羅餐(さらざん)本店の補修に入る。今回は、長さ8m✕幅1mの2枚のブビンガのL型カウンターのウレタン塗装のやり直しと、長さ4m✕幅1mのやはりブビンガのテーブルの拭漆のかけ直し。これを3日間でやり4日目にはお客さんを迎えなくてはならない。手がけてから8年ぶりに手を入れることになる。

L型カウンター。厨房を養生して再塗装。

L型カウンター。厨房を養生して再塗装。

ウレタンは、2日でやり終えて、残り1日でVOC(揮発性化学物質)を飛ばせば良い。漆はこの雨続きの天候が幸いして、普通の生漆でもまる1日あればなんとか乾燥しそうだが、不特定のお客さんが使うことになる飲食店の什器としては心配が残る。昨年使った京都の佐藤清代松商店のLTH漆なら、冬場に室なしでちゃんと乾燥した。佐藤豊会長に電話で相談したら、今の天候なら間違いなく1日で乾燥するが、やり直しの場合は油や手汗が少しでも残っていると難しいとのこと。木地のまま最初からやるより、使い込んだものを拭漆をかけ直す方が手間もかかり難しい。飲食の什器なら、一度下地から全部剥がすくらいのつもりでやった方が良いとアドバイスを受ける。

ウレタン塗装のカウンターは、オープンキッチンの厨房側の一枚には、8年分+新装前の2年分の厨房からの油や手汗がこびり付いている。サンダーではペーパーの目に詰まって取れない。ステンレスのコテをスクレッパー替わりにして、小削ぎとる。その上でシンナーで洗ってサンダーのかかる状態にしてから研いでいく。これを8m✕1mにわたってやらなくてはならない。屋内作業としてはかなり不健康だ。

その上からシーラーを2回、半艶のクリアーを2回刷毛で塗る。以前の2液製のものと違って1液製で薄め液もない。扱いの面では紛れも少ないが、硬化が遅い。塗布後、シーラーは空研ぎ、フィニッシュは水研ぎをしたがカタログにある硬化時間(それぞれ2時間)を経過しても十分に硬化せずに、研げない。環境とか健康への対応で業務用の塗料もしだいに水性化しつつあり、以前使っていた2液製のウレタン塗料なども製造中止となっている。硬化時間など、少なくとも使い勝手の面では性能的に追いついていない様に思うが、それはこちらの発想を変えなくてはいけないのだと思う。

再塗装の終わったブビンガのカウンター。長さ8メートル!

再塗装の終わったブビンガのカウンター。長さ8メートル!

再塗装したL型カウンターのもう一枚。

再塗装したL型カウンターのもう一枚。

拭漆のテーブルの方は、8年間の使用で表面の漆の塗膜はほとんど劣化して所々に輪染みも出来ている。佐藤会長のアドバイス通りに、とりあえずその輪染みが取れる程度には研磨するつもりで、#150→#240→#400とサンディングを繰り返す。その上に、テレピン油で2倍程度に希釈したLTH漆を塗る。一昼夜置いてチェックすると部分的に輪染みが残っていた。しかしながら硬化自体は十分で、空研ぎをしてもサラサラと研磨できる。もう一度輪染みを削り落として、今度はLTH漆の原液を塗って摺り込む。都合2度しか重ねていないが、それでも見違えるようにきれいにはなった。

拭漆をかけ直したブビンガのテーブル。こちらは長さ4メートルある。

拭漆をかけ直したブビンガのテーブル。こちらは長さ4メートルある。


さて、今回も木工房またにの若森昭夫君に応援を頼んだ。この店の仕事自体を一緒にやってもらっているので、説明抜きで要領も分かってもらえる。それに、拭漆とウレタン塗装と両方ができる人間は、知っている限り他にいないのだ。実は、若森くんは先月お母様を亡くされたばかりで、まだ四十九日の法要も済ませていない。それを分かってあえてお願いした。私も昨年、母親を亡くした後まだ四十九日の前に、普段なら受けないような納期的に厳しいつまらない下請け仕事を受けた。とりあえず体を動かしていると気が紛れるのだ。その時も、立場は違うが若森くんに応援をお願いした。その事を彼もよく分かっていて、今回も快諾してくれたのだ。

鎌倉右大臣・実朝の「雨やめたまへ」の歌 1



時により 過ぐれば民の嘆きなり 八大竜王はちだいりゅうおう 雨やめたまへ

『金槐和歌集』新潮日本古典集成 p176


鎌倉幕府の三代将軍であった源実朝の歌です。歌の世界では鎌倉右大臣として通っているようです。

この夏は雨続きで、広島や福知山など大きな災害がありました。今から802年前(建暦元年7月)、まだ20才にもなっていなかった将軍がどんな思いを込めてこんな歌を詠んだのか、手元の本などを開いてみました。

この歌の詞書ことばがきにはこうあります。

建暦元年 七月 洪水天にはびこり 土民愁嘆せむことを思ひて一人本尊に向かいたてまつり いささか祈念を致して曰く

実朝が、民衆の洪水の被害に対して念じて作った歌ということです。歌自体の意味は明瞭でしょう。過ぐればは、過ぎればで、八大竜王とは、仏の教えを護る八体の蛇形の善神。密教などでは、水神として雨乞いの祈りの本尊になるとあります(『金槐和歌集』 新潮日本古典集成 p176)。斎藤茂吉によると大山(相模国中郡、近世の雨降山)の阿夫利(あぶり)神社に祈念したとあります(斉藤茂吉「金槐集私鈔」)。また、正岡子規の歌に、金槐和歌集を読むとして、

大山のあぶりの神を叱りけん将軍の歌を読めばかしこし

というものもあります。ただ、この阿夫利神社に参ったという典拠がどこにあるのかは分かりません。

さて、この歌がよく知られるようになったのは、正岡子規の「八たび歌よみに与ふる書」の次の文からでしょうか?


恐らくは世人の好まざる所と存候へども、こは生の好きで好きでたまらぬ歌に御座候。かくの如く勢強き恐ろしき歌はまたと有之間敷これあるまじく、八大竜王を叱咤する処、竜王もしょう伏致すべき勢、相現れ申候。八大竜王と八字の漢語を用ゐたる処、雨やめたまへと四三の調を用ゐたる処、皆この勢を強めたる所にて候。初三句は極めて拙き句なれども、その一直線に言ひ下して拙き処、かへつてその真率偽りなき示して、祈晴の歌などには最も適当致しをり候。実朝は固より善き歌作らんとてこれを作りしにもあらざるべく、ただ真心より詠み出たらんが、なかなかに善き歌とは相成り候ひしやらん。ここらは手のさき器用を弄し、言葉のあやつりにのみ拘る歌よみどもの思ひ至らぬ所に候。  

「八たび歌よみに与ふる書」 正岡子規 『歌よみに与ふる書』岩波文庫 p34


子規の『歌よみに与ふる書』は、当時の歌壇革新を目指した挑発的な文書です。冒頭、近来和歌は一向に降ひ不申候もうさずそうろう。正直に申し候へば万葉依頼実朝以来一向に振ひ不申候。としながら、古今集以来の歌壇の主流を激しく批判します。曰く貫之は下手な歌よみにて『古今集』はくだらぬ集に有之(これあり)、またいくつかの歌を例示しながら、この歌全く取所無之(とりどころこれなく)とか、一文半文のねうちも無之駄歌とか、ほとんど言いたい放題という感じです。その流れの中で、「八たび歌よみに与ふる書」で善き歌の例として、実朝の『金槐和歌集』から3つの歌があげます。時によればの歌も、そのひとつとして2番目に取り上げられます。

躬恒みつねの歌などに対しては、ほとんど罵詈雑言に等しいものを浴びせているのに対して、こは生の好きで好きでたまらぬ歌と、これも素直すぎるような表白をしています。なんだかわかりやすくて良いですね。子規がこの中で言及している八字の漢語とか、四三の調とか、この引用の後に取り上げている三句切というのは、なんのことかさっぱり分からなかったのですが、平安時代からこの当時まで受け継がれた作歌の規則というか陋習のようなものです。これはまたあとで、分かる範囲で触れたいと思いますが、実朝の歌は、そうしたことにとらわれない事で、かえって歌の勢を強めその真率偽りなきを示しただ真心より詠み出たらん善き歌となったと子規は言いたかった。わが意を得たりという感じだったのでしょう。

少し下って、斉藤茂吉もこの実朝の歌を再三とりあげ論評しています(『金槐集私鈔』、『金槐集私鈔補遺第一』、『短歌に於ける四三調の結句』)。『金槐集私鈔』より引用しますが、ここでは子規の前掲の論説に全面的に依りながら、さらにそれを補筆するように論を進めています。ちなみに、斎藤茂吉というのは、随分ややこしい人間だったようですが、正岡子規については深く尊敬していたようで、それが文章の端々に現れています。歌の引用も直接の師である伊藤左千夫などよりもずっと多いし、歌論的な文章の中でも思わずと言う感じで子規先生とか、正岡先生と言った尊称がよく出てきます。


実朝は当時たたひとり万葉ぶりの歌を詠んだ。さうして平気で古句を踏襲した。かも佳作に至つては古今を独歩してゐる。さうしてこの歌ほど真摯深甚の気の籠つてゐる力ある歌は金槐集にも余計はない。この歌の第一句から第三句までは如何にも不器用に訥々として居る。

彼はこの歌を作るに際して一心を籠めたのは言ふまでもない。祈念をこめて吟詠するなるが故に訥々不器用となるのは自然である。さうして訥々の中に深甚の響きのあるのも自然である。巧妙ではないが荘重にして大きい響きあるのはこれが為である。このことは大切な事で贔屓目のためとか態々佳い歌にせむ為のこじつけなどといふ浅薄なものではない事を注意せねばならぬ。

中略

第四句結句に就て正岡子規氏は八大竜王と八字の漢語を用ゐたる処雨止め給えと四三の調を用ゐたる処皆この歌の勢を強めたる所にて候と云って居る。八大竜王の如き言葉は当時にあつてはどうしても思ひ切つて用ゐたかと思はれる程であつて(万葉でも、又新古今時代にも漢語を用ゐた歌は可なりあるが)伝教大師の阿耨多羅三藐三菩提あのくたらさんみゃくさんぼだいのほとけ達わがたつ杣に冥利あらせ給へ(新古今和歌集釈教の部)と双絶と称すべきである。四三調の結句は強き調子を表はし得るのであって、井上通泰氏の如く、結句は必ず三四なるべしなどといふ浅見に住すべきではない。

吾等は一生を通じてこの様に心を籠める事がおぼつかないのを悲しく思ふによつて益々この歌をあり難く思はねばならぬ。近代人にかういふ歌の詠めないのはほんたうである。只かういふ歌を単に古典歌として取扱ふほどの鈍感な鑑賞家ならば、それは実は最も甚だしい古典な人なのである。

「金槐集私鈔」 斉藤茂吉 『斎藤茂吉選集 第十五巻 歌論』岩波書店 p69


続けます。

木工のルーティンワーク・板接ぎ

雨続きで、相変わらず木工屋にとっては煩わしい状況ですが、ルーティンワークとも言える作業をしています。板のひき割りと()ぎです。寸一(34mm)厚のクリの板を縦に割って、幅方向に接いで700✕410✕12ミリの板4枚・他を作りました。板接ぎにはいくつかの流儀があるようですが、細かい技術的な問題を別にして私が気をつけている点を書きます。

傷、シラタなどを外す

あらためて書くまでもないことですが、希少な一枚板の場合は、干割れとか木口割れ、あるいは死に節などの傷でも補修して使う場合があります。接ぎ板の場合は、あえてそうした材を使う必要はありません。見えないあるいは見えにくい部材として使えば良いのです。

木表を揃える

木裏使いをしない私にとっては、これは、たいへん重要な点です。アマチュア向けの木工の入門書などに板接ぎの場合、木表と木裏を交互に並べるべき、とか書いてあるのもありました。反りを相殺する云々。まあ、いかにもアマチュア「木工家」の思いつきそうな屁理屈です。そんな生乾きの材料を反り止めも施さずに使う方が問題です。

支給されたヒノキ板で作ったテーブル。木表を上にして接いである。

支給されたヒノキ板で作ったテーブル。木表を上にして接いである。

なぜ木裏使いがダメなのかは、木を扱っていれば誰でも分かるイロハの問題です。若い人には、タマネギの切断面を例に説明したりしてきました。もう一枚、松の画像を載せておきます。こうした「めくれ」と呼ばれる現象は松や杉などの針葉樹に顕著に現れます。大工職は少し前までは当たり前に松板を削り廊下を貼っていました。そのため今でも木裏・木表に関してはシビアに考えています。こうしためくれは、広葉樹でも起きます。私の20年足らずの経験でも、タモとそれから散孔材であるクルミでやらかしてしまったことがあります。いずれも店舗のテーブルの天板でしたが、めくれのトゲでお客さんと店員の方に怪我をさせてしまいました。店舗の場合は空調も含めた使用環境が無垢の木にとっては極めて厳しいので、早々とこうした問題が現れただけで、一般家庭でも遅かれ早かれ同様の問題は出てくると思います。

タマネギの「めくれ」

タマネギの「めくれ」

松の木裏、めくれ上がって折れている

松の木裏、めくれ上がって折れている

おまけ → 看板は必ず木表を前に!

もうひとつ、ついで書いておくと、看板は必ず木表を前にします。これは親方から教わりました。理屈ではなくそうしなければならない決まり事なのだそうです。あえてわけを詮索すると、お客さんに尻を向けるのは失礼とか表の顔を隠さずきちんと晒すとか、商いの姿勢に関わる縁起かもしれません。あるいは長い期間、風雨に曝されることが前提なので、上の図のようなめくれが起きるのをさけるという実用上の問題でしょうか。街に遺る古い木の看板を見ると必ず木表を前にしてあります。その禁をあえて破る積極的な理屈がない限り守ったほうが良いと思います。

見た目も大切に

特に、テーブルや机の天板、箱物や建具類の鏡板などでは見た目も大切な要素です。往々にして板目の材を端から並べてはいでいくと、ごちゃごちゃしたうるさい物になりがちです。無難なのは、中央部に板目の材を置いて、その両側に柾目の材を接いでいくやり方です。これですと実際の幅広の板の木目に近いものになります。私は昔から中杢と言われてきたそうした木目が上品で落ち着いた雰囲気で好きです。そのために、メインとして使う材は柾目と板目の材をそれぞれストックしておく必要があります。

クリのはぎ板 700✕410ミリ

クリのはぎ板 700✕410ミリ

私がメインで使ってきたクリは、流通している材の多くがダラ挽きと呼ばれる丸太を板目方向に順送りに挽いていく製材方法で板にされたもので、しかも耳つき材です。したがって、板接ぎの場合は苦労してきました。前に書いた岸和田で購入した材は、きちんと板目・柾目を考えて製材してあり、しかも不用な耳を断ってあります。したがって、画像のようなはぎ板が比較的簡単に作れました。単価は従来のものの丁度倍ほどしましたが、歩留まりも含めて十分その値打ちはありました。

ちなみに上の画像もクリックすると拡大します。どこで接いであるか探してみてください。

ダイアトーン P−610MB

四国にお住まいの方から、新しい仕事の依頼をいただきました。

こちらのスピーカーキャビネットです。

ダイアトーン P-610用バスレフキャビネット

ダイアトーン P-610用バスレフキャビネット

残念ながら、このダイアトーン・P-610というスピーカーユニットが、20年近く前の復刻版を最後に生産を終了しており、もう仕事として作ることもないと思っておりました。それでも一応ユニットを前面から落としこむ穴のための治具なども保管してあります。念の為お客さん自身がお持ちのユニットをペアで送ってもらいました。こちらは復刻版で、私が持っていたオリジナルのものとはエッジなど若干違うところがあるのですが、懐かしく、かつそれを通り越した新鮮さを感じます。

四国のお客さんから送っていただいたダイアトーン P610MB

四国のお客さんから送っていただいたダイアトーン P-610MB

年をとるのは嫌なことです。良いことなんてありません。いや、まんざら悪くもないとか言うのは、たいていは自分に対する言い訳か同じ世代同士のなぐさめ合いのどちらかだと思います。それでもひとつだけ、50も半ばを過ぎて良かったなと思うことがあります。それは、妙なハッタリやおかしなプライドとかから多少は自由になり、実質を楽しめるようになったことです。身の丈にあったとか言うと、なんだか卑屈な響きがありますが、つまらないことに拘泥するよりも、スマートに遊びたい。それは、残された時間は既に有限だということが、どこか意識の傍らにあるからかなと思ったりします。

このダイアトーンのユニットは昔から名機と言われてきたのですが、質実で付加価値を付けるためだけの装飾や過剰仕様を排した姿は爽快さすら感じさせます。郡山の工場で40年以上作りこまれてきた丁寧で確実な作りも良い。もう本当いうと10KHz以上の音なんて聞こえないのだし、50Hzなんて地鳴りのようなものは、そもそも音楽を聴くのに必要なかったのです。ああ、これからは、他のものはみんな処分してこれで美空ひばりや、ブラームスの歌曲や、バッハの無伴奏チェロ組曲やらを静かに聴きたいなとしみじみ思いました。

 

四日市公害訴訟原告団9人の写真

もうオフトピックというか、随分時間が経ってしまいましたが、四日市に生まれ、また現在そこに住んでいる者として、書いておきたい事なのでお付き合いください。今月の2日、津市で開かれたフォトジャーナリズム展三重2014 と、 「津平和のための戦争展」・「平和を考える市民のつどい」に行ってきました。

恥ずかしい話ですが、フォトジャーナリズム展三重は県外に住む友人に教えてもらいました。様々な民間団体が協力して開催しているようで、参加費は無料。ありがたいことです。DAYS国際フォトジャーナリズム大賞の受賞作品や「四日市公害を忘れないために」写真展などたくさんの展示や企画がありました。

後者は、実行委員会主催・津市共済で津の空襲の経過や焼け野原になった市内のパノラマ写真や模型や、亡くなった人の遺品の展示。それらを前にしての語り部の体験者のお話など、こちらも手作り感と共に不戦・反戦平和を願う気持ちの伝わる良い催しでした。加えて市主催の「平和を考える市民のつどい」として、この日は映画『父と暮らせば』が上映されました。大きなホールが7割ほど埋まる盛況で、いいなと思ったのは、おざなりに上映しっぱなしではくて、始まる前に市の担当職員が津の空襲の歴史について簡潔にお話された事です。終わってからも、同じ職員の人が登壇して、ぜひ家に戻ってからも今日見た映画の感想などを話しあって平和や原爆にについて話し合って下さいと挨拶され、拍手を受けていました。宮沢りえと原田芳雄主演の映画をタダで流して終り、というのではなく、ちゃんと上映の意味を短く説明するのは、とてもいいなと思いました。

さてフォトジャーナリズム展三重で、参加者へのアンケート依頼があり、その中で一番印象に残った写真はどれかという問いがありました。私は、メイン展示のDAYSの受賞作品ではなくて、「四日市公害を忘れないために」写真展の中の、「四日市公害裁判の9人の原告」という写真にしました。 別に奇をてらったわけではなく、半世紀近く前の写真ですが報道写真として一番強い印象を与えてくれたからです。

この写真とフォトジャーナリズム展三重の他の写真については、長くなりますのでホームページに別記事としてアップしました。宜しければご覧ください。
   ↓
四日市公害訴訟原告団9人の写真 -フォトジャーナリズム展三重2014で見て


四日市公害訴訟原告団9人の写真。澤井余志郎さんによる。

四日市公害訴訟原告団9人の写真。澤井余志郎さんによる。

初盆、浴衣、ステテコ

台風11号による大雨が治まるのを待つように、11日に昨年末に亡くなった母親の初盆の法要を行いました。今回は、新たに一人女性が一緒に参ってくださって、これまでのオッサンと婆さまだけの法事に華やかさが加わったように思います。それに、翌12日は指輪をもらっていただいたSさんが、ご夫婦でお供えを持って来てくれました。少し前には、浴衣と着物をもらっていただいた人がそのお披露目も終わって焼香してくれました。名古屋から伯母も来てくれたし、賑やかな初盆となりました。

その初盆の法事の前の9日(土)、あるイベントに久しぶりに発掘した浴衣を着て出かける予定にしておりました。浴衣を着ていると入場料がタダになるという設定に釣られたのです。しかし、当日は、台風の接近で浴衣もなにも外出する事自体が無謀と思われるような天候で当然やめておきました。

さて私及び他の兄弟二人もいずれも身長が180センチを超えます。普通の丈の浴衣や寝間着を着るとバカボン状態になってしまいます。実家から発掘した浴衣は袖を通してみると、いずれも毛脛も隠れて、ちゃんと着ることが出来ます。規格外サイズの息子たち用に仕立ててくれてあったのかなあと思います。男の浴衣でおはしょりなんてしないですよね。

実家にあった浴衣

実家にあった浴衣

何枚かあるうちで、若い時気に入って何度か着せてもらっていたのが麻の絣のものです。なつかしいし、これがやはりいい。祖父の着ていたものを仕立て直したのだと聞いた覚えがあります。帯も桐箱に入ったままの角帯が3本。これも兄弟に一つずつという事だったのかなと思いますが、色違いでおもしろい。あと、下駄もあるし、腰紐なんかは寝間着の紐でいい。綿の浴衣ならそのままひっかて出ることもできそう。しかし、麻だと微妙に透けて、いいオッサンがみっともない。それに擦れて歩きにくいだろう。やはり下着がいる。父親のステテコが残してあれば、それでいいのだけれど、捨ててしまった。それで仕方がない、買いに行った。

麻の絣の浴衣と帯(藍)

麻の絣の浴衣と帯

今は、ステテコという商品名では置いていないようだけど、少し年配の店員さんに聞いたらちゃんとあった。上下それぞれ2枚セットで各々税込980円だった。今の若い人はステテコと言っても知らないでしょうね。植木等と言っても余計にわからないか。バカボンのパパのファッションと言えば了解してもらえるでしょうか。私たちが子供の頃は、夏の夕方になるとオジサンたちはこのバカボンパパ、オバサンたちはアッパッパというのが定番のスタイルだったと記憶しています。

たぶん生まれて初めて着たぞ。ステテコ。

たぶん生まれて初めて着たぞ。ステテコ。

結局、麻の浴衣は着ることがなかったのですが、せっかく買ったステテコは風呂上りに上下で来てみました。これが実に快適です。肌にまとわりつかず、ベタつかず、外気を肌に導き、実に涼しく爽快です。そらオジサンたちが愛用してきたはずだ。なんで、今までこれを着てこなかったのかと悔しい気にすらなります。試しにシーンズの下にも着用してみましたが、ジーンズの生地が肌にまとわりつかず、空気と汗の逃げ道を作ってくれるようで快適です。私は、新素材の除湿なんとか、防臭なんとかという下着の類が大手スポーツメーカーのものも含めてことごとくダメでした。肌触りが悪いので綿の下着の上からそうしたものも着用してきましたが、何をしてきたのかという感じです。これから風呂上りには、このバカボンパパ・スタイルで過ごすことになりそうです。新素材のハイテク云々のものに比べれば安いものですから、皆さんもお試しあれ!