atusi について

三重県四日市市で小さな木工所を営んでいます。

介護職員初任者研修講座、今週で修了です

介護職員初任者研修講座も、今週で修了です。月・火と講座があり、水曜に修了試験。木曜に不合格者のための補修と再試験があり、金曜日が閉講式となります。以前のホームヘルパー2級と違って試験があります。資格とか免許といった意味があるわけでもないようなので、その位置づけがよくわかりませんが、せっかくなので受けてみます。

桑名まで自転車で通っているのに、結局あまり市内を見て回っていないので今週は色々徘徊することにします。東海道にそってある「かりんとうまんじゅう」の「つたや」さんも、講座が終わればこの前を走ることもないでしょうから、最後に買っておくか・・・

かりんとうまんじゅうの「つたや」

かりんとうまんじゅうの「つたや」

桔梗の透かし彫 2

先日、実際に使われている建具の鏡板の透かし彫を見せてもらいました。サクラと杉でしたが、エッジが立ってすっきりした仕上がりでした。振り返って自分の桔梗のそれは、残念な仕上がりかなあと思って、あらためてチェックしました。まず大きさが全然違っていて、たとえば私の桔梗の花弁の境は、太い所でも1.5ミリほどしかありません。だからまあこれはこれでと納得しておきます。お施主さんは、別にフィルターをかけなくてもちゃんと桔梗に見えるとおっしゃって頂いていますしね。ただ、やはりもう少し上手になりたい。

桔梗の透かし彫。直径36ミリ程。

桔梗の透かし彫。直径36ミリ程。

ただ、このままではいかにも脆く実用的ではないので、神代タモで裏打ちしておきました。なぜ神代かというと、同じチェリーでは面白くないし、手持ちの材で色物というと、ローズ、黒檀、ブビンガ、ウォールナットなどになります。神代が、一番桔梗とイメージがあうような気がしたからです。

組紐用の作業台

組紐用の作業台

SOU・SOU足袋

講座も、実質的には今週で終了の予定です。今日は実習科目の最後で、睡眠に関すること。具体的にはカラの、加えて利用者(被介護者)をベッドに置いたままのシーツ交換の実習だった。これは介護に限らず実生活でも役に立ちそうだが、私は体が動く限り布団で寝たいのでまだ先の事と思いたい。一人3回ずつ行ったが、シーツをマットの角に巻き込む際の折り目の綺麗さなどに性格というか性分が出てしまう。一見几帳面そうで、実はずぼらでガサガサしているという私のそれも、見事に結果に現れていたなあ。見ている他の受講生の困ったような沈黙の反応が痛い。

実習の間は、動きやすい服装と上履きをということで、私はいつか現場で履こうと思っていた SOU・SOU の地下足袋を着用。普段は介護の現場で働いている講師の人2人に、動きやすそうと褒められる。

介護実習で着用している足袋

介護実習で着用している足袋

古本市

一昨日の青空古本市で買った2冊。いずれも100円

青空古本市で買った2冊

青空古本市で買った2冊

懐石全書 春夏秋冬 1 一月二月三月 淡交社

懐石は茶道の精神を持って料理されるのですから、まず心入れのある手料理であらねばなりません。山海の珍味や、季節はずれのものをご馳走するのではなく、四季折々の旬の新鮮な材料を茶事の趣向によって取り合わせ、演出し、その素材を充分生かした調理に心がけるのです。それは煮すぎず、焼きすぎず、あまり手を加えすぎず、できるだけ自然のままに仕立て、熱いものは熱く、冷たいものは冷たく、かおりと熱を大事にして、つくりたてのほやほやをこぎれいに盛り合わせて客にすすめます。これが懐石ではないでしょうか。

あまり手を加えすぎずに反応している気もしますが、別に懐石云々と構えずに普段の料理の心がけとしては、間違っていなかったかなあと嬉しくなります。それでもこの本に書かれているような、あとひと手間のような料理を作りたいなあと思います。100円で随分楽しめそうです。

エンツェンスベルガー 国際大移動 野村修訳 晶文社
エンツェンスベルガー著・野村修訳という私の定番のような本ですが、これは持っていませんでした。

エンツェンスベルガーの『スペインの短い夏』という本は、内戦下の共和国側スペインの指導者でアナーキストのドゥルティの短い生涯のドキュメントです。私にとっては、歴史書あるいはドキュメントというのはかくあるべきというお手本です。ベンヤミンの「歴史の概念について」という論考を、実際のドキュメントとして形にするとこうなるのか。実際に、エンツェンスベルガーもこのベンヤミンの論考を意識して書いているのだと思います。原著は、1992年の発行となっていますが、今のヨーロッパのレイシズムやネオナチの台頭や、日本のヘイトスピーチを考える一助にしたいと思います。

やはり50円とか、100円で買ってもらった本たちも、新しい持ち主の手で楽しんでもらっているかなあとか考えていると、これも楽しくなります。

桔梗の透かし彫

頂いた仕事(組紐用の作業台)で、なんでもどこでもいいから桔梗を入れて欲しいと依頼される。象嵌、レリーフ、ステンシルなど考えられるが、結局当たり前に小さな透かし彫を抽斗の前板に入れることにする。あまり大きいのもいやらしいので、直径36ミリ程度と考えた。上手な人ならミシン鋸で簡単に抜いてしまうのだろうけど、持っているおもちゃのようなミシン鋸、手挽きの糸鋸、いずれも失敗。結局扱い慣れた鑿と小刀でなんとか形になる。それでも3回目、目切れ部分を壊さないように和紙で裏打ちしてようやく形になった。あらためてこうしてデジカメで撮ってみると歪んでいるしガタガタだし・・・。それらしく作ってもらえれば、自分の中では強烈なフィルターが働いて、たいては桔梗に見えるとか言ってもらっているのですが、さらに細かい修正と仕上げを1本だけ手元にある篆刻刀で行おうかと思案中。

前にも書きましたが、やはり自分は器用ではなかったとまた納得させられます。

kikyou

チェリーに桔梗を彫る

食べるということ

今日は、食事介助の講義と実技でした。昼には、受講生同士がペアになり実際に夫々が用意した弁当をお互いに食べさせ合います。食事介助の実習というより、人に食べさせてもらうことがこんなにも辛く切ないという事を、利用者(被介護者)の立場になって実感するという事に狙いがあったようです。

自分で作った弁当が、全然美味しくなく、食事自体が少しも楽しくありません。いくら優しく気を使ってもらっても、他人に食べ物を箸やスプーンを使って口に運ばれるだけで、食べることが苦痛になります。自分のペースで、自分の望むものから、自分の欲する量だけ、自分で口に運ぶ。こうした当たり前すぎる行為が、実は食事を楽しむということの前提なのだと思いました。それと、コップからお茶を飲ませてもらうという事は、恐怖です。コップが傾けられ、どれだけの量のお茶がどのタイミングで口に注がれるのか、いくら声かけをしてもらっても、なかなか感覚的につかめません。いわば海で溺れて水を飲んでしまうような恐怖感があります。これに比べれば、楽のみというのは、介助はしてもらっても自分で吸って飲む形になるので、なるほど良く出来ているとあらためて思いました。弁当の残りは、普通に自分で食べましたが、そのありがたいこと楽しいこと、美味しいこと。あらためて普通に自分でご飯を食べることの出来るありがたさを感じました。

今は、1体1でお互い受講生同士ゆっくりと気を使いながらやってもらってもこんなふうに思ってしまいます。これが、実際の介護施設では、何人もの利用者を相手にしながら時間の追われながらになります。いくらプロの介護者であっても食事は辛いものになりかねません。

母親が亡くなる年(去年)の3月に、背中の圧迫骨折をやって、大変に痛がって食事を摂らなくなった事がありました。心配して私や伯母がしばらく詰めて、食事の介助をしましたが、強く拒絶されました。無理に一口二口、口に含ませると怒り出します。ベテランの職員に代わってもらっても大差ありません。その時は、圧迫骨折による痛みのせいか、あるいはそれにより認知症が進みわがままがより高じたせいかとか思っていました。その頃には母親は摂食・)嚥下(えんげともかなり弱ってはいましたが、まだ食事と排便は自分で出来ました。それが骨折による痛みもあって体が動かせなくなり、他人に食事の世話になる。今日のわずかの経験で、あの時母親が他人の介助による摂食をあんなに頑なに拒絶した気持ちが今さらながら分かりました。ほどなく痛みは残るもののなんとか摂食できるようにはなりましたが、以降急激に体が弱り始め表情も乏しくなり、11月には誤嚥性肺炎で亡くなります。一時的にしろ食べること、排泄を他人に頼らざるをえない状態になったことが、いくら認知症を患っていたにしろ生きる意欲のようなものを奪っていったのだろうと今は思います。

前の記事で、現に家族を介護している人は、あらためて介護について学んだりする気にはなれないなどと一般化して、偉そうに書きましたが、あれは私自身のことを言っているのに過ぎなかった。今日、食事介助のペアになってくれた人と色々お話をさせてもらいました。彼女は義理のお父さんを看とっています。それに今は認知症の実の母親の介護をしているそうです。その過程で色々ひどいことも言われ、嫌な目にもあっているだろうことは何となく分かります。それはね、経験者同士お互い様なんです。ご主人も今、ご自身が腹膜透析をしながら介護の現場で働いているそうです。それもわざわざ転職して。彼女も近々開所される訪問介護センターで働くことが既に決まっているとのことでした。

なんでわざわざと思ってしまいます。他の受講者の皆さんを見ていても思うのですが、単に経済的な問題なら、他に割のいい仕事はあるでしょう。一方で、例えば今日でも摂食障碍・嚥下障害について講師の施設での実例を含めて勉強して、実際に介助による食事を体験して、もうこんな事になるのなら生きていたくないなと、思っている自分がいます。そんなことを少しでも考えている人間に介護なんてされたくはないでしょう、誰だって。するとなんでお前はここにいるんだ、という事になり凹みますが、もうあまり深く考えないことにします。

東海道沿いの瀟洒なモルタル造りの洋館。社屋として使われているらしい。 GXR A12 28mm

東海道沿いの瀟洒なモルタル造りの洋館。社屋として使われているらしい。ヒマラヤ杉とツタが建物によく合っています。
GXR A12 28mm

介護職員初任者研修講座、実技に入っています

講座は、実技中心となり体位・姿勢の変換(起き上がり、寝返り)、着替え、車椅子のでの移動、ベットから車椅子への移乗などの介助を、お互いをモデルとして行う。私は、それらの事を3年間ほどもやっていたのだが、結局見よう見まねの力任せでやっていたことにあらためて気づく。

現に家族を介護している人は、あらためて介護について学んだりする気にはなれない。それは当事者として常に目の前にある現実であって、出来れば一時であってもそこから逃れ忘れたい。それを知らない第三者からきれい事の美談めいたものを押し付けられたりするのは苦痛でしかないし、一歩ひいて技術として考え習得しようとする精神的かつ時間的な余裕もない。自分に対する言い訳も含めて、それが家族介護者の現実ではないかな思ったりする。

ただ、真面目に親とか家族・親族、あるいは地域での、さらに大きく言えば日本の将来の事に少しでも思いをはせる事が出来るなら、介護の問題を考えてそれに備えることは可能なんだ。講座に参加している他の人の話を聞いてそれは思った。最初のガイダンス、講師ごとになど都合3回ほど受講者同士の自己紹介があった。私も含め9人(女7人・男2人)、皆さん相応の社会人だ。2日に1度顔を合わせる事で気心も知れてきた。皆さんの介護職員初任者講座を受講し、資格を取ろうと思った動機などをあげてみると

  • 定年退職を前に、今後の社会参加のために今必要とされている事は介護ではないかと考えた
  • 介護施設で食事を作る仕事をしているが、施設の介護職の人の働きぶりを見ていて、私もやりたいと思った
  • 公務員を早期退職して次の仕事として考えている
  • 子どもが入園して少し手を離れたので、もう一度社会参加をしたいと思った
  • 義理を含めて4人の親が健在で、やがては直面するであろう介護に備えて

などなど。皆さん、きちんとした生活者としてまずは直近の将来に対して、社会との関わりを含めて真面目に考えている事に頭が下がります。別に定年退職したら趣味の世界、それまで出来なかった自分の世界に没頭してもいいじゃないですか。子育てが一段落したら、ママ友とランチしたりとか少し息抜きをしてもいいと思います。私は、母親がボケだしたと聞いた頃も、苦労をかけさせた父親が今度は責任を持って面倒を見ろよとは思っても、自分の事としては考えていませんでした。他の受講者の皆さんの話を聞いていて、これまでの50余年、結局自分のことばかりを考えて生きてきたなあとは思いました。

週3日、講座があるので基本、土日も仕事をしています。そのせいか、はたまた往復26キロを自転車「通学」をしているせいか体のほうはヘタリ気味です。夕方、食事を摂ってそのまま一旦寝てしまうという高校生の時以来のざまも何日か。今日昨日もそうでした。自転車通学のほうは、通う楽しみにもなっていますので、やめられないなあ。画像は、途中1号線沿い員弁川近くにある素敵な2階建ての木造の洋館。地元の人に聞くと2〜30年ほど前までは開業していた医院だそうです。今でもきちんと手入れされています。

旧武藤医院1 GXR A12 28mm

武藤外科医院1
GXR A12 28mm

旧武藤医院2 GXR A12 28mm

武藤外科医院2
GXR A12 28mm

長太なごの大楠

三重県で大楠と言えばやはり長太なごの大楠か。と土曜日の昼休みに思いついて出かける。自転車で行ける距離だけど、ペダルとサドルは食傷気味なので電車と徒歩にする。 近鉄・長太ノ浦駅で下車して西南の方向に歩いて集落を抜けるとすぐに目に止まる。

実はこうして間近に見るのは初めてだったのだ。子供の頃、 鼓ヶ浦の海水浴場に家族で何度か出かけた折に、近鉄電車の車窓から教えられて眺めたような記憶がある。あの頃は、周辺に家なども少なく確かに田の中にこの樹を見ることが出来たのだろう。

鈴鹿市の看板によると、樹高26メートル、目通り直径2.9メートル、枝張りは東西30メートル、南北35メートルとある。今はまわりは一面麦畑となっているが、その中で一本立ちする姿はなかなかに美しくも立派です。それにこの樹はよく見られる枯れた巨木ではなく枝ぶりも若々しく勢いがあり、葉の緑も瑞々しい。生命力を感じさせる樹です。

南から見た長太の大楠 GXR A16 31.8mm(50mm)

南から見た長太の大楠
GXR A16 31.8mm(50mm)

北から見た長太の大楠 GXR A16 31.8mm (50mm)

北から見た長太の大楠
GXR A16 31.8mm (50mm)

GXR A12 28mm

GXR A12 28mm

GXR A16 55.5mm (85mm)

GXR A16 55.5mm (85mm)

GXR A16 46.5mm (70mm)

GXR A16 46.5mm (70mm)

麦畑の畦で大判カメラで撮影している人もいた GXR A16 55.5mm (85mm)

麦畑の畦で大判カメラで撮影している人もいた
GXR A16 55.5mm (85mm)