atusi について

三重県四日市市で小さな木工所を営んでいます。

3割の期待がかなってカラスミが届いた

「3割ほど」の期待がかなって、カラスミが届きました。とりあえず、正月の準備というか年末の片付けが終わるまで我慢。

いただいたカラスミ

いただいたカラスミ

四七日の法事でした

今日は母親の四七日の法事でした。このあと年末にかかる五七日と六七日の法事はパスさせてもらって、年始の5日に忌明けとも呼ばれる四九日の法事を予定しています。これでとりあえずの一通りの弔いの儀式は終わりです。

別に私は信心があるわけではありません。こうした儀式を、今の一般的な家庭よりも比較的律儀にやるのは、ひとつはそれに従い守ってきた親の信仰とか習俗、さらには義理というものを、子どもとして尊重したいという事です。本当は、それだけです。それでもやるからには、ちゃんとやりたい。今は、火葬が終わって骨を拾った後に、早々に初七日の法要を、まさについでにしてしまうのが一般的です。家族も親族も、みな忙しいので七日後に再び集まるのは難しい。それならば、一緒にまとめて済ましてしまえという事らしのですが、まあ何というご都合主義というか嘘・偽りに満ちた行為なのでしょう。不信心モノを自覚する私が、そう思うのに、それがまかり通っている事がどうも理解できません。本当に忙しいのなら、初七日も含めて七日ごとの法事なんてやらなければいいし、本当にやりたいと思うなら、少人数でも一人でもやればいいと思います。たぶん、どこかでそれを思いついた人がいて、それを葬儀屋があざとく便乗して葬儀のプランの中に取り入れて、それで済ませることになるのなら、という忙しい人の安直な意識につけこんだのでしょう。

そうした事とは別に、7日ごとの法要とか49日での忌明けというのは、うまく出来た習慣というか習俗だなと思います。残された者にとっては、49日間というのは、気持ちの整理をして、様々な手続きをすませ、そして遺品を整理・処分するのに程よい時間のように思います。もちろん、いわゆる逆縁とか、事故とか急病で家族をなくした人にとっては、わずかひと月あまりでは気持ちの整理など出来ないでしょう。あくまで、順番で亡くなった人の場合です。7日ごとというのも、気持ちも含めて整理していく際の区切りとして良いタイミングです。それと、多少なりと落ち込んで立ち直れない遺族を見守り、その様子を見るために7日ごとに他の家族や親族が集まるという意味もあります。

4年前に前に父親が亡くなった時に、7日ごとの法事を毎週なるだけ兄弟が3人集まって、実家でやろうと話し合いました。それは、認知症の母親に少なくとも毎週一回は父親が亡くなったという事実に向きあわせて、それを摺りこむように認識させたいという思いからでした。その前後の母親の様子から、父親が亡くなったという事実が記憶からなくなり、また入院していた病院に見舞いに行くとかいう徘徊行為が始まることが十分予想されました。幸いにして、そうした状況にはならなかったのですが、ちょうど四七日の法事の時に倒れて、翌日から入院となりました。極端な脱水と栄養不足で医師からはこのままでは一週間もたないと言われて、結局一ヶ月あまりの入院となりました。そうなるまでに、なぜ気が付かなったのかという思いもありますが、最低限の見守りにはなったかなと考えています。

今回も、妹を先に亡くした伯母の落ち込み方がひどく、気持ちにせめてものハリを持ってもらい、親族たる我々が見守るためにも7日ごとの法事は有用かと思います。それもあって従兄弟も毎回名古屋から出向いて参加してくれています。とか考えていると、父親の時も、今回も岡山とか藤沢の兄弟が、前には二人とも、今回は交代でも7日ごとに帰省して、参加してくれているのは、他ならぬ私のことが気になってということもあるかと今さら気が付きました。まあ男同士というのは、あまりそんなこと言わないものだし、こちらも泣き言や愚痴は言わないようにしてきたし、まあいいかとしておきます。


それと、私は喪に服してなんかいません。黒い服で通しているわけでもないし、肉や魚も普通に食べています。こちらのお坊さんは、仏教徒にとって、死は不浄なものでもなんでもない。誰にでも訪れるもので、仏になるひとつの過程にすぎないとおっしゃいます。不信心者の私にとっては、焼かれて再び一部は土に戻り、多くは水蒸気や二酸化炭素や、ある種の塩類などの無機物になって、大気に拡散してくことです。ですから、喪中云々のハガキなんて当然出していませんし、例年年賀状を出している人には、例年以上に遅れると思いますが出すつもりにしています。


アジ南蛮漬け

小アジ南蛮漬け

 

さて、以前に買ったアジ包丁をようやく使うことが出来ました。魚屋にあった小アジを2皿・23尾、ワタとゼイゴを取って南蛮漬けにしました。こんなもの食いきれるのかと思っていたら、例によって美味しく漬かり始めた頃にはなくなってしまいました。

CAD動かしながら、アラジンでブリ大根が作れるのだぞ、自営業は!

今日は、昼前から先週処分しきれなかった実家のゴミを整理・分別して市の処分場に運ぶ。処分場も土日は休みなのだ。戻ってからはパソコン作業にあてる。来週末までに3つの図面を仕上げなくてはいけない。

こうした室内での作業の良い所は、煮物などしながら、その音やにおいを楽しみながら仕事が出来ること。自営業の愉悦ここに極まれりだ!どうだ、ボーナスないけど、こんな事出来るんだぞ、コノヤロウ!で、5時間ほど煮込んだブリ大根。先日、大量に作ったアジ南蛮がまだ残っているのにどうするかは後で考える。

しかし、無洗米なる変なものを買う人は、大根のアク抜きはどうしているのだろうか、とつまらない事が気になる。はじめは無洗米なるものが、どういうものか分からなかった。洗ってない米?そもそも米は、洗うのではなくて腰を入れて研ぐものだぜ。研いでない米?普通の米じゃないのか?あるいは五分づきくらいの米のことかと考えたりしてました。

ブリ大根

ブリ大根
PANASONIC DMC-GF1

海蔵川の夕

朝、午前5時ころに起床してタローの散歩に出る。6時からBSプレミアムの『クラシック倶楽部』を見ながら朝食、といういつもの日常に戻りつつあります。今朝は、先月18日母親の様態の悪化でリサイタルに行きそびれたギアン・ケラスのチェロをやっていました。

タローを散歩に連れて行く海蔵川の朝 LUMIX DMC-GF!

タローを散歩に連れて行く海蔵川の夕方
LUMIX DMC-GF1

家電屋のカメラとあなどるなかれ。このパナソニックのカメラはキットの20mm(フルサイズ換算40mm)の単焦点レンズとの組み合わせで、実によく写ります。

古い写真

金曜日で下請け仕事もなんとか終わり、この土日にはまた兄と弟が来てくれて実家の片付けをしました。1957年、私が1歳になったばかりの時に建ったこの家の建築確認申請の書面や、材木や建具やその他の建築材料の見積り・領収書などなどの興味深いものも出てきました。こうしたものは、几帳面だった父親が整理して保管していたと思われますが、建築資材や人工の当時の相場なども分かり面白いのですが、また別の機会に触れたいと思っています。物置になっている半二階からダンボール箱に入ったアルバムが数冊。その中の2冊にはとくに古い写真が貼られています。

身内の画像というのは、最も顰蹙なブログねたというのは承知しているつもりですが、半世紀前の写真というのは、なんであれ、それを過ごした世代にとっては共通の郷愁を呼び覚ますかも知れません。若い人には民俗的・習俗的関心の対象かもしれない・・・などと例によって屁理屈をつけて貼っていこうと思います。とりあえず1枚、若い時の両親の写真です。

若い頃の両親

若い頃の両親

安物のプリンター兼用機でスキャン(600dpi)したおそらく60年以上前の写真ですが、それでも銀塩写真というのは艷やかな粒状感と深い階調があって良い物だとあらためて思います。

後期中年者には、ふさわしい働き方があるはずさ

昨日の深夜に終わったはずの仕事のやり直しがくる。ひとつはこちらの確認ミス、ひとつは確認をとったがそれで了承をだしたメーカーの営業の判断ミス。今朝持っていったばかりのものを、再度持ち込んでくるが今日は早く寝ることにする。

朝の7時前から、夜の10時11時まで仕事場にいるというのは、やはり宜しくない。まず、食事が不健康・不健全になる(内容、時間)。それに伴い、食材を粗末にしてしまう、もっとハッキリ言えば食べないまま生ゴミとして処理してしまう。私は、食べ物を粗末にするのは、人をあやめることに次ぐ犯罪行為だと思っているので、賞味期限なるものは見もしない。五感で少々やばいかもと思うものも、ガンガン火を加えて何とかするか、タロー(雑種犬・雄・12歳)の餌にする。それでも何か捨てなくてはいけないことにしてしまうと、こんな生活をしていてはダメだと落ち込む。もうひとつ、携帯電話などというものを持ってしまったことを深く後悔する。

何年か振りにラーメンというものを食べた。塩分や毒物の分解能力の高い若い人ならともかく、我々おっさんが、例えばあれを3ヶ月間毎日食べ続けると、確実に腎臓をはじめとする臓器を壊すことになると思う。健康に対する悪影響という意味では、タバコと同じくらいエグいぞ、きっと。

秘密保護法案が参院本会議まで回されてきた。3日、4日は津や四日市でも反対の集会があったのに、何をしているのか、私。


繁みに咲く7つのバラの
6つは風のものに、
でもひとつは残る、ぼくもまた
ひとつ見つけられるように。

野村修先生訳のブレヒトの1節。野村先生については、以前ホームページの方で少し書いた(『マリー・Aの思い出』)。結局、先生の授業を受講しなかったアホが、今になって無性にその講義を聴いてみたくなる。

飛ぶ教室

今日は、二七日の法事を遠方より来てもらった兄に任せて終日仕事をする。若森君にも夜の9時半まで残業してもらった。


ヨーニー!そんなに無理するなよ。お前、まだ子供なんだし・・・

そんなことをヨナタン・トロッツに言いたがるヤツこそが、傲慢で嘘つきで、大事なものを失ってしまっているのだ、というのがこの季節になると思い出す話の主題だったんだ、確か。でも昔の自分に対してだって何をそんなに意地張っているんだよと声をかけたくなることがやっぱりあるよね。と三兄弟の次男と三姉妹の次女同士話していたことがあった。それも、もう随分昔の話になった。

RICOH GXR A12 28mm

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