atusi について

三重県四日市市で小さな木工所を営んでいます。

駒井哲郎さんの事 3

打ち合わせも終わり辞するにあたって駒井哲郎さんの立派な画集(『日本現代版画 駒井哲郎』玲風書房)と著作(『白と黒の造形』講談社文芸文庫)を頂きました。著作は駒井さんが折々に著した短文をまとめたもので、その中にパウル・クレーについて書いたものが2編あります。いずれも秀逸な評論であり、こんなに簡潔にやさしい自分の言葉でしかも的確にクレーの芸術に迫ったものを他に知りません。それは駒井さんがご自身の版画の世界である高みに達したからこそ、クレーの内面にまで踏み込んでその芸術を俯瞰することが出来たのだと思います。

頂いた駒井哲郎さんの著作と画集

クレーやその絵について論じようとすると、つい何か気の利いた事でも書かねばと背伸びしたくなります。それは、駒井さんがここで述べているように彼の絵は、彼の内面で静かに永い時間をかけて育て上げられた結果、生まれ出たものであり、彼の絵について語るときはいつでも、彼の音楽や文学への嗜好、つまり彼の内面を支配しているた教養にまでさかのぼる必要があるとひろく認識されているからでしょう。

『白と黒の造形』の中の「女たちの館」(1952年3月)という短文は、表題のクレーの絵について論じたものです。以下引用します。

愛知県美術館所蔵のクレー・『女の舘』

パウル・クレーは幻想の世界を描いた画家と云われてますけど、その作品は常に自然となんらかの関連を持ち、彼の内面で静かに永い時間をかけて育て上げられた結果、生まれ出たものだと思います。ですから彼の絵について語るときはいつでも、彼の音楽や文学への嗜好、つまり彼の内面を支配しているた教養にまでさかのぼる必要があるのですが、僕には到底そこまで解きほぐすことは出来そうもありません。しかし僕等も出来るだけクレーに追随して、この絵を描いた頃の画家と同じような気持ちになって作品を眺めてみましょう。

この奇妙な、女たちの館は、ちょっと見たのでは特にこれと云って、なにかを示している形体は何処にもないのですが、この燐光発しているような見事な色彩が、色の中に潜んでいる可能な限りの音階を充全に奏でていると云えるでしょう。そう云えば絵全体に、横に走っている白い点線は楽譜の五線譜のようでもありますし、すき透るような微妙な藍色の地に浮かぶ様々の形体は、ちりばめられた色彩の音符と考えられないこともありません。しかし、良く見ると、それらの音符はまた窓やアーチや館の屋根のように見えてきます。そのほか階段や木立や窓に掛けられたレースの引幕までも・・・そしてなんだかとてつもなく大きく、古びた館が背景の中から忽然と浮かび上がってくるのを感じます。ちょうど舞台が暗転してくらやみの中に薄光が少しずつ差し込んでいる時のように。確かにクレーはこの絵の主題をなんらかの音楽的感動によって芽生えさせたのでしょう。1920年、ワイマールのバウハウスの教授に招かれて28年まで、その地で忠実にその職務を尽くした彼は、このワイマール居住の時代に、ほとんど毎晩と云って良い位オペラを聴きに通った時期がありました。そしてオペラや劇場で得た感動から非常に多くの作品を生み出したのです。

この絵も1921年のものですからその中の一つだと云うことが出来ます。この絵を描く時、ほとんど確実に彼があんなに愛したモーツァルトとその歌劇を思い浮かべていたに違いありません。もちろんクレーのことですから歌劇の情景をそのまま絵にするわけはなく、あらゆる置き変えや、象徴の手段など、これまで自分のものにして来たすべての近代絵画の上の教養を巧みに生かして、彼の以前には誰も描かなかった清浄でしかも悪魔的とも云える新しい認識を画面の上に繰り拡げています。

駒井哲郎 「女たちの舘」 『白と黒の造形』講談社学芸文庫より

この本にはこのクレーの絵は挿絵としても載せられていません。それで安易にネットで画像検索をしてみると『女の館』という題名で愛知県美術館に所蔵・展示されていることを知りました。横浜・東京から戻ってすぐの火曜日(翌月曜日は休館日)に出かけました。思ったよりも小さな絵です。クレーの絵ではよくあるのですが、画集で知ってから実物を見ると意外と小さいのです。クレーの絵は「大作」といった見せかけのハッタリとは無縁だし、まして日本の画壇の「巨匠」たちのような号あたり何万円といった不動産屋ばりのゲスなソロバン勘定など別の世界の事でしょう。そしてこの小さな絵の中に、駒井さんが見事に描写した燐光の音階、白い五線譜が旋律を奏で、背景の藍のグラデーションが通奏低音を構成しているようです。見ているとワクワクして本当に音楽が聞こえてきそうです。

その聞こえてくる音楽は、駒井さんが書いるようにほとんど確実にモーツァルトの歌劇でしょう。今ならその曲目も特定できます。歌劇『後宮からの逃走』です。ベルモンテやコンスタンツェ他の最後の四重唱でしょうか。実際にこの絵を目にすると暗い背景の中にいかにもトルコ風な館(pavilion)が林立しているのが分かります。また絵の中央部分に八に字上に開くように並べられている円形状のものは舘を繋ぐ灯りのようにも、女官たちの列のようにも見えます。

今はDVDやBSなどの放送や動画などで、モーツァルトの歌劇などいくらでも鑑賞することができます。この絵を見て『後宮からの逃走』を連想することも容易でしょう。しかし、駒井哲郎さんがこれを書いた1952年当時では、日本では音楽関係者か余程の好事家でなければ『後宮からの逃走』など見たことも聞いたこともなかったでしょう。まだ敗戦から7年、LPレコードがようやく出始めた頃です。駒井さんがフランスに留学するのも1954年のことです。その当時に、この絵を見てモーツァルトの音楽それも歌劇の情景とそこからの音楽的感動を読み取ることが出来たその眼力と知性に感嘆するばかりです。

本年も宜しくおつきあいください

今年も宜しくお付き合い下さい。

モデルは太郎だが、返すことにした。

以前に形の面白さに惹かれて海外のネットオークションで手に入れたペンで犬をスケッチしてみた。インク持ちは悪いが見た目に反して毛筆のように滑らかに線を引くことができる。気分だけでも北斎になれたようで愉快だ。

BARCH-PAYZANT (FREEHAND) LETTERING PENといって製図器・測量機器・計算尺などでしられたアメリカのKEUFFEL & ESSER社のかなり古いものだが、詳細は不明。雰囲気や形状からいって農夫が木の枝で草木や泥の絵の具で描いたペンから由来しているのかと考えたりしたが(branch-peasant pen の何語かが由来?)これも根拠はない。

餅つきでした

今日は連れ合いの実家の餅つき。これまで年末の仕事の追い込みで不義理をしていたが、今年は義兄をはじめ男性が病気やら都合やらで不足していることもあり杵つき要員として参加する。三重と岐阜の県境にある山村であるが、近年はNHKの朝の「連続テレビ小説」 のヒロイン(実在の著名な編集者)の父親の出身地として知られているらしい。餅つきの最中に犬を連れて通りかかったご婦人がいて、あのひとはその(ヒロインのモデルの)従姉妹とか言われていた。 一昨日の雪が村内に積もっている。

一昨日の雪の残る村内。
RICOH GXR S10

例年盆と正月には泊まりがけで帰省している。その時は色々すったもんだしながらタローも連れて行った。今回も正月の予行もかねて太郎を乗せていこうとした。ここに連れてこられた時も愛護団体のスタッフの軽自動車に乗せられて来たので、大丈夫なのだろうと勝手に判断していた。ところが車のドアを開けた段階で4本の脚を踏ん張って低い姿勢をとって拒絶する。単に狭いところ知らないところに入れられるのが不安で嫌というより、明確な拒否という反応だ。リードを引いても言葉をかけても決して動こうとはしない。結局あきらめて、少し冷静に考えると無理強いするのもかわいそうに思えてきた。保健所に保護されて以降、車に乗せられて良いことなんぞなかっただろう。去勢手術・ワクチン接種の病院、トレーナーとか預かりボランティアなどいくら善意からとは言え車に乗せられタライ回しのような生活をさせられてきたとも言える、犬の立場からは。ここに来たのもその一環でもあるのだ。

犬でも90ミリ相当のレンズで撮るとそれらしく写る。
OLYMPUS PEN E-P5 M.ZUIKO 45mm F1.8

太郎には他にも一般に躾けと言われることや我々への接し方で不安定さのようなものを感じる事がある。それもこれもこれまでの過ぎ越しからくる情緒不安や人間との関係への根深いところの不信のようなものがあるのかなあ。あっても仕方がないと思う。それもまたかわいそうに思えてくる。基本、かわいい良いやつだし。焦らずじっくりと取り敢えずは、もうここにずっていてもいいのだと思ってくれまで過ごしてもらうのが第一だと考えている。

ペット親ばかブログと言われてもかまわないと居直って、これからは犬の画像を載せる。

駒井哲郎さんの事 2

仕事の打ち合わせもそこそこに、飾られている絵について色々と尋ねました。いずれも立派な絵(版画)ですがどなたの作品でしょうと不躾に聞くと、義父の作品で名前は駒井哲郎とお答えになります。収納庫にある他の作品や画集や著作なども拝見しました。他に細々した質問を繰り返すなかで、ご子息(依頼者の夫)にも加わって頂きました。戦前に東京美術学校(現東京藝大)で学ばれ、晩年には母校の教壇にも立たれていた事。大岡信の最初の作品や大江健三郎や埴谷雄高の装丁や挿絵も手がけられている事。それに残された作品自体が戦後日本の洋版画(エッチング・リト)の唯一無二の高みにそびえている。以前見た『月映』の田中恭吉や藤森静雄・恩地孝四郎の作品と同じ静謐な清々しさを感じました。

駒井哲郎さんが装丁、また挿絵を描いた書籍

もうエディションの付けられた作品はご家族の手元になく、画材や資料の類も世田谷美術館にすべて寄贈してあるそうです。著作権も管理団体に任せてあるとの事ですが、今でも哲郎さんの作品を装丁や挿絵などに使いたいという相談もある。ギャラリーはそうした場としても使いたい意向で、そのためには椅子も必要となるとお考えになったそうです。

駒井邸和室ギャラリー椅子のパーツ。前後脚とアーム・幕板。下は実寸図面。

同パーツ。アーム、前後幕板、背もたれ。こうして実寸図の上に並べてとり合いを確認する。

駒井哲郎さんの事 1

今年最後の仕事のひとつになる椅子です。和室の小さいが瀟洒なギャラリーのためのものです。そのギャラリーに飾られる絵は、駒井哲郎さんという版画家の作品です。私は不明にして存じあげなかったのですが、戦後の日本を代表する洋版画の大家ともいえる人です。

畳ずりのついたアームチェア。座にはペーパーコードを張る。

夏に横浜に住む高齢の叔母を訪ねました。ちょうど東京世田谷在住の人から仕事の問い合わせを頂いていました。家を新築するにあたって小さな和室のギャラリーを作ったそうですが、その部屋に合う椅子が欲しいという事でした。その新しいギャラリーの写真は、事前にメールで送っていただいていました。まだ、何も展示されていない状態の写真でした。打ち合わせは、そのギャラリーで依頼を頂いた奥様と向かいあってお話をさせていただきます。壁には、エッチングと思われる版画が何点か掛けられています。実は、お話をさせて頂いている間から、その絵がずっと気になっていました。素人が慰みに描いた絵ではない。しっかりと鍛錬を積んだ確かな技量を持った画家が精力と魂を込めた作品であることは凡庸な私の目でも分かりました。

この季節、この日、読みたくなる話

 

どうしておとなはそんなにじぶんの子どものころをすっかり忘れることができるのでしょう?そして子どもは時にずいぶん悲しく不幸になるものだということが、どうして全然わからなくなってしまうのでしょう?

つまり、人形をこわしたからといって泣くか、すこし大きくなってから友だちをなくしたからといって泣くか、それはどっちでも同じことです。この人生では、なんで悲しむかということはけっして問題でなく、どんなに悲しむかということだけが問題です。子どもの涙はけっしておとなの涙より小さいものではなく、おとなの涙より重いことだって、めずらしくありません。


船長ははとばに立って、小さなヨーニーの手をひき、ときどき腕時計を見、待ちかねていました。だが、ヨーニーのおじいさんとおばあさんはきませんでした。いや、こられなかったのです。ふたりはもう何年もまえに死んでしまっていたのですから!おとうさんはただ子どもをふり捨てようと思って、ドイツへ送ったのであって、そのさきのことは考えようとはしなかったのです。

その当時ヨーニーは、じぶんがどんな目に合わされたかがまだよくわかりませんでしたが、大きくなってから、夜、まんじりともしないで泣きあかすことが、いくどもありました。四つの時に加えられたこの悲しみを、彼は一生のあいだ忘れることができないでしょう。彼は気の強い少年ではあるのですけれど。


何ごともなれてしまえば、それまでだよ。とヨーニーはいいました。じぶんの両親をえらぶことはできないしね。ときどきぼくは、両親がぼくを迎えにここに現れた場合のことを考えるが、そうすると、ぼくはひとりでこここにいられるほうがどんなに楽しいかってことに、はじめて気がつくんだよ。それはそうと、船長さんが1月3日にハンブルグに着いて、ぼくをたずね、二日間ベルリンにつれていってくれるって。すてきだろう。彼はあいてに向かってうなずきかけました。心配しないでくれたまえ。ばくはひどく幸福じゃないよ。幸福だといえば、うそになるだろう。しかし、ひどく不幸でもないよ。


エーリッヒ・ケストナー 高橋健二訳 『飛ぶ教室』より

11年前に作った厨子

11年前に作った厨子を補修して収めてきました。大阪の開業医を営むお宅ですが、その先代のお父様の位牌を納めるために作らせてもらいました。幅・800ミリの板に留端嵌(とめはしばめ)を付けるというのは、金具で補強してあってもやはり無理がありました。板側の留の部分で亀裂が入るというお粗末でした。端嵌の留部分を若干切り落として、亀裂を漆糊で埋めて、全体に拭漆を施し直しました。鉄筋コンクリート造りの医院の階上に置かれています。空調などすべて無垢板の家具にとっては厳しい条件ですが、その他に不具合はなく拭漆というのは無垢板の家具を保護・装飾するには優秀な方法だとあらためて思いました。

拭漆タモ造の厨子。
間口・1350x奥行き800x高さ・1440ミリ

4枚の開き戸は、1枚の板を割って使っています。作家先生の大好きなブックマッチではありません。あれはなんだか鯵の開きか動物のファーのような野蛮な趣味で好きではありません(鯵の開きは食品としては大好きです)。それに必ず片方が木裏使いになってしまい、日本の木工の伝統からはご法度なやり方です。

上(位牌を納める本体)は独立しています。

太郎のトライアル5日目

太郎とは、12月10日(日)の四日市動物愛護団体つむぎさん主催の譲渡会で出会いました。以前に地域誌に載った記事で、この会と譲渡会について知りました。10月の譲渡会にも出向いたのですが、開催場所が分からずに引き返していました(南部丘陵公園の南ゾーンの別の駐車場に行っていました)。まだその時はタローは健在でしたが、かなり弱ってはいました。若い仲間が一緒にいると元気になるという話も聞いていたので、相性はあるが大人しい若い犬はいないか捜してみたい。それと白状するとタローが亡くなった後に、別の犬をもらってくるのに色々な譲渡や引取・保護の情報を得ておきたいという思いもありました。

12月16日。4日目で少しは慣れたかというリラックスポーズ。後ろはおもちゃにした私の長靴。

12月10日というと、タローが死んでちょうど1週間目でした。タローに関係したものは火葬の翌日にはあらかた処分してしまったですが、未開封のエサと衛生用品はとってありました。わずかですがそれが犬猫を保護養育している団体で役に立ててもらえるならと考えました。ついでにどんな犬が保護されて譲渡先をもとめているのか一度見てみたいと思ったのです。

10時開始には少し早くついてしまったのですが、エサと衛生用品を気持ちよく受け取ってもらい、連れてこられている犬たちを見せてもらいました。大半の犬は少しの距離をあけてリードで繋がれています。ゲージの中ではありません。ですから撫でたりあやしたりも出来ます。それぞれの犬の近くに簡単なステッカー状のプレートがかけられています。そこに名前・犬種・雌雄・年齢(推定も含む)・フィラリアの有無・狂犬病ワクチンの接種歴・性格についてのコメントなどが書かれています。そこに「太郎」の他に「タロウ」もいました。

その「タロウ」は、タローとよく似た茶色の雑種犬でした。ややこしいですが、我が家にもといたのは「タロー」です。父親が付けた名前ですが「ー」という音引き(長音記号)で、譲渡会にいたのが「タロウ」と「ウ」を使ったカタカナの長音表記になります。そのタロウですが、雑種・雄・10才・14キロ・おとなしく人懐っこい性格とありました。スタッフの人に聞くと、元の飼い主のおじいさんが亡くなられて引き取ってきたとの事でした。虐待されたり、飼育放棄されたわけではないようです。ずいぶん心惹かれたのですが、亡くなったタローと似ている分なにかと比較してしまうのではないか。それにタローに比べると姿形も少々不細工です。まあそれは暫く一緒にいれば慣れるでしょう。もうひとつ気になったのは、10才という年齢の割には顔も体つきも老けて見えることです。もとの飼い主が高齢だったため散歩も含めた健康管理がどうだったのかなとも思ったりしました。つまりは、またすぐに死なれたりしたらかなわない。あとでスタッフの人に聞けば、ここにいる犬はみな預かりボランティアのもとで飼われているので、引取り手がないからと殺処分されてしまうわけではないらしい。それで少し安心して、次に書くように「太郎」の方はすでに譲渡を希望する人がいるらしいので、あと何回かこの譲渡会を訪れて貰い手がないようであれば余生を過ごしてもらうつもりで引き取ってもいいかと考えたりしました。

「太郎」はひと目でああいい犬だと思いました。20キロと譲渡会の中でもひときわ大きな犬ですが、顔つきや仕草に攻撃的・威嚇的なところが全くない。スタッフによるとむしろ甘えん坊で困るそうです。鈴鹿の保健所で保護されて、鑑札もなく、迷子の問い合わせもないまま「つむぎ」さんに引き取られたそうです。これも飼育放棄されたかその来歴は不明ですが、少なくとも人間に対する恐怖や憎しみは宿していないようです。ただし、「太郎」にはすでに譲渡を希望する人がいると聞かされました。

こちらを見ながら途中から左の方へ小首をかしげたりする。

そうした仕草も含めて「なんだかゲイっぽい」というのは連れ合いの言。手前のクロックスのパチもんも齧られ壊滅状態。
NIKON D300

 

「つむぎ」さんは誰彼なしに犬猫を譲渡するわけではありません。私もまずは、住環境・家族構成・犬の飼育歴などに関する身上調書を書きました。その上でスタッフが自宅(飼育場所)を訪れて面接します。それからトライアル期間として希望する犬を一定期間預かることになります。そうして犬も人間も双方ストレスなく過ごすことが出来ると判断したなら、正式に契約して必要な経費を支払うことになります。太郎の場合、後日明細は明らかにするが去勢手術代などもあって5万円くらいは考えておいて欲しいと言われました。トライアル期間はエサも小屋もリードなどの道具も無償で貸与されます。これはよく考えられた、おそらくは色々な経験を踏まえて作られたシステムなのでしょう。無責任な思いつきや、タダでもらえるのだろうという安直な考えの人間や、住環境も家族の合意や関係もふさわしくない所に犬を渡さない。それは「つむぎ」さんの活動の目的が虐待や飼育放棄で最悪殺処分される犬を保護し、きちんと育ててくれる人の元に届けるという事になるからでしょう。

太郎には、すでに譲渡希望の人がいてほとんど決まっていると言われました。ただし譲渡は先着順で決めるわけではないとも言われました。それは仕方がないし、今後のこともあるので面接と自宅訪問はお願いしておきました。ところがその夜、面接の日取りを決める電話で、先の希望者が辞退したので訪問の当日からトライアルを開始することも可能なので太郎を連れて行こうかと提案されました。半ば諦めかけていたので驚いたのですが、連れ合いも合意してくれたし、これも縁だと感じて連れて来てもらいました。

もうひとつ書いておくと、「タロー」という音の犬が2頭もいたのが愉快で不思議でした。まあ和犬系の雄の名前としてはありきたりとも言えるのですが、「太郎」と「タロウ」のように漢字だったり表記が微妙に違うのも面白いですよね。おなじ呼び名で、タローの代わり扱いは構わない、でもそれぞれ違う個性なんだぜと言われているようです。


そんな経過で12日、譲渡会から2日後に太郎が我が家にやってきました。それからわずか5日ですが、少しずつ太郎も慣れて馴染んでくれています。私たちも、もう返す気は毛頭ありません。つむぎのスタッフからも一度様子伺いの電話を頂きましたが、服部さんのところなら安心と言ってくれています。年内には正式な手続きを済ませて、年が明けて少し仕事に余裕が出来たらタローには結局作ってやれなかった小屋を作ろうと思っています。