atusi について

三重県四日市市で小さな木工所を営んでいます。

ふたたび、『あたらしい憲法のはなし』について

  • 『あたらしい憲法のはなし』 文部省

  • 『あたらしい憲法のはなし』について

  • 『あたらしい憲法のはなし』のオンライン・ドキュメント 2005年1月付け記事

  • 今から、12年前の2005年1月に私のホームページに載せた記事とドキュメントの紹介です。小泉純一郎、神崎武法らによってイラクへの自衛隊派兵がなされ、憲法改正が画策されたことに危機感を持ってアップしたものです。今、安倍晋三、山口那津男、小池百合子、松井一郎・橋下徹、そうしたゴロツキのような連中によって私たちの憲法が、本当に台無しにされようとしています。この『あたらしい憲法のはなし』には、戦争で負けた日本人が、どんな思いで憲法を作ったか、そして守ろうとしたかが平易な言葉で、でも強く書かれています。あらためて、もう一度読んで欲しい。広めて欲しいと思います。

    この12年前の『あたらしい憲法のはなし』についてでも書きましたが、今も、オンラインのドキュメントとしてルビをふったものは、残念ながら他にないようです。今なら、国内にたくさんいる外国人労働者やその家族に読んでもらうためにもルビは有用です。よく誤解というか歪曲されていますが、日本国憲法は、国民だけの権利を定めたものではありません。多くの条項は、その主語を何人もとされています。また特に主語を定めていない条項もそれに準じるものです。日本国憲法施行下にある人は、何人もその権利を知らされ、守られなくてはなりません。もちろん不法滞在者も含む在日外国人も、有事に逃れてくるであろう難民もその対象になります。それを、はなから射殺云々と言い放つ人間が副首相というのですから、本当におぞましい限りです。

    ちゃんとしたHTMLで、ルビをふるのは今でも相応に面倒な作業です。あらためて、このドキュメント(ruby要素つきHTMLソース)は自由に使ってもらって構いません。リンクはもちろん、コピーして自分のサイトやローカルディスクの保存などの、2次配布、3次配布も、商業利用も歓迎です。あえて言えば、 GPL に準じるものと考えています。これは、要するに先にあげたような、どんな利用も可能だが、それにあらたにクローズドなライセンスを被せるのは許さないと言う事です。

    HTMLのソース(マークアップされたもと言語)をダウンロードするには、下のリンクを右クリックして、名前を付けてリンク先を保存(Firefoxの場合)などお使いのブラウザに合わせて操作して下さい。上のリンクでも同様の操作で出来ます。詳しくは、『あたらしい憲法のはなし』についてにも書いてあります。

    『あたらしい憲法のはなし』 文部省


    GPLについてのリンク

  • GNU General Public License (原文)
  • GNU一般公衆ライセンス (日本語訳)
  • 松下竜一 『その仕事』全30巻 2 大道寺将司さんの句

    大道寺将司さんの獄中からの2冊の句集。

    松下竜一さんが、『狼煙を見よ』で取り上げた”狼”の大道寺将司さんの俳句です。松下さん、大道寺さんの母親、支援者の荒木さんが立て続けに亡くなった2004年のものです。

    その時の来て母環る木下闇こしたやみ

    母死せるあした色濃き(がく)の花

    悼 松下竜一さん

    竜天に夏草の根を引つ摑み

    封状の文字の滲みや虎が雨

    『棺一基 大道寺将司全句集』より

    引用3句目の竜天は、季語の竜天に登ると亡くなった松下さんの名前・竜一をかけたものでしょう。大道寺さんが、亡くなった人が天に登るという発想をしているとは思えません。数少ない掛け替えのない支援者で理解者であった松下さんが亡くなっても、弔いに出向くことも出来ない。それで、拘置所の作業なのでしょうか、運動場の草をむしるしかない。その無聊さと無念さを、天と閉ざされた狭い地を這うように囚われている自分を対比させ詠んでいる。そんなふうに読めます。

    相次ぐ訃報を獄中で聞いた2004年というのは、大道寺さんにとっては辛い年だったでしょう。 大道寺将司さんと、お母さんは普通の親子とは違う関係であった、でもかえって、それゆえに深い絆で結ばれていたようです。詳しくは、松下さんの本を読んでいただくとして、松下さんがいなければ、この爆弾無差別殺人犯にそうした情に満ちた生い立ちと家族関係があった事など、知る由もなかったのです。

    1句目、2句目はこのやはり看取ることの出来なかった母親の死を悼んだ句です。痛切な思いが伝わってきます。父親が亡くなってから、お母さんは北海道から暑い関東に越して来たそうです。なれない都会で、電車からホームへの転倒による骨折、加齢からくる圧迫骨折を繰り返しながら面会を続けてくれた。その母親を、ようやく涼しい木下闇に還すことなった。また訃報を伝えられた朝に目にしたものに獄屋のガクアジサイがあったのでしょう。そうした目にしたり耳にしたりした自分以外の周りのものに託すように言葉にする事でしか自分の悲しみを表現できない。そうしたことは確かにあるし、あった。大道寺さんは、松下さんか辺見庸に、逆縁にならなかったのが、まだ救いだ。と言ったそうですが、死刑囚の言として、それもつらい。

    中学生の頃に習った有名な斎藤茂吉の歌を思い出します。

    のど赤き玄鳥つばくらめふたつ屋梁はりにゐて足乳たらちねの母は死にたまふなり

    斎藤茂吉というのは、自身精神科医でありながら随分ややこしい人間だったようです。歌壇での論敵に対する執拗で陰湿な攻撃的文章を読むと気分が悪くなります。今のネットでのギスギスして不毛なやり取りのようです。斎藤茂太や北杜夫が茂吉に触れたものを読んでも、どうもすっきりしないものを感じます。今は削除されていますが、wikipediaの茂吉に関する項では、おもに夫人に対する家庭内暴力云々の記述もありました。山形の田舎から、東京の医師の家に15歳で養子に出された三男坊の僻みかと安直に考えたりもします。そういったものが、まったくなかったとも言えないでしょう。生母に対する恩讐入り混じった感情も整理されぬままの喪失の悲しみを言葉にするには、こうした形しかなかったのかなと思います。たまふという敬語使いも、この時代の親に対するものとしては当たり前かもしれませんが、なにかよそよそしさを感じます。一方で、生みの母ではなかった年子(松下さんによる仮名)さんの将司さんに対する深い情愛と、それに応える句という形で残されたものがここにあります。

    方寸(ほうすん)に悔数多あり麦の秋

    面会の礼状に書き添えた句だそうですが、これも良い句です。


    引用の4句目、虎が雨は季語ですが、その文字の滲みは、虎ならぬを名乗った自分の涙によると云うのは、少し深読みのし過ぎでしょうか。

    松下竜一 『その仕事』全30巻 1 買ってしまった

    物を減らすと言いつつまた増やしてしまいました。買ったものは、松下竜一 『その仕事』 全30巻。古本で送料込みで30,000円弱でした。もちろんアマゾン及びその登録業者からではありません。

    松下竜一・『その仕事』30巻。並べるスペースがないので、畳に直置きしている。

    きっかけは、松下さんの『狼煙を見よ 東アジア反日武装戦線”狼”部隊』をまた読みたくなったからです。先日亡くなった大道寺将司さんとご両親、その妻・あや子さんと東アジア反日武装戦線について書かれたドキュメントです。ずっと以前に求めて読んだものは、誰かの手元に渡ったまま戻ってきませんでした。松下さんの著作は、地元・四日市の図書館には所蔵が少なく、この『狼煙を見よ』もありません。津市にある三重県立図書館には、『その仕事』全30巻を所蔵していて、四日市図書館を通じて借りていました。たびたび、それを繰り返すのも面倒なのと、これから10年あるいは20年、読書を何年続けられるか分かりませんが、松下さんの本なら手元に置いて、いつでも手に取る事が出来るようにしたいと思いました。

    それと、私の連れ合いが、この著作集の中でも1冊をついやして取り上げているある冤罪事件(『記憶の闇 甲山事件<1974→1984>』)の裁判闘争の事務局を務めていました。松下さんは、公判の傍聴やその後の集会にも参加してくれて、知遇を得ています。書かれている文章の通りの、真面目で謙虚な人だったそうです。また、いつも伊藤ルイさんと連れ立って来てくれたとのこと。伊藤ルイさんは、関東大震災の際、甘粕正彦ら憲兵隊により虐殺された大杉栄と伊藤野枝さんの娘さんです。そのルイさんの半生も松下さんは本にされています(『ルイズ 父に貰いし名は 』)。もちろんこれも『その仕事』の中に含まれています。そんな関係もあって、松下さんの本ならばと合意がえられました。

    松下さんは、その出世作・『豆腐屋の四季』こそベストセラーになったようですが、家業の豆腐屋をやめて文筆業を始めてからのほうが、かえって生活は苦労なされたようです。それは、『その仕事』30巻に収められている作品の主なテーマを見ても分かります。私などにとっては、いずれも興味深いものなのですが、おそらくは一般受けのしないものばかりでしょう。たとえば、東アジア反日武装戦線や、大杉栄・伊藤野枝の遺児を書いた前掲3書の他にも、

    『久さん伝』
    大杉栄の仇を取ろうと陸軍大臣を狙撃したアナーキスト・和田久太郎の半生
    『とりでに拠る』
    大分でのダム建設に反対して、最後まで蜂ノ巣城に篭って戦った宮原知華
    『檜の山のうたびと』
    ハンセン病歌人・伊藤保の半生
    『怒りていう、逃亡には非ず』
    ダッカ事件で出獄し日本赤軍コマンドになった一般刑事囚・泉水博のこと
    風成かぜなしの女たち』
    大分県臼杵で、セメント工場建設のための埋め立てに反対した女性たちの闘争

    などなど、一般の人の感覚からみると、こんな本だれが買うのだろう。むしろよく出版してもらえたなあとすら思います。自分の書きたいもの、書かなくてはという思いにのみ從って書き続けたからでしょう。物書きとしては当たり前のようですが、同じように社会的な観点のノンフィクションを書いている澤地久枝さんとか、辺見庸の場合は違う。何が受けるか、何を書いたら売れるのかを一方でちゃんと計算というかリサーチした上でテーマを選んでいるように感じます。それは、彼らが雑誌編集者とか通信社記者という商業主義的媒体にいたということと関係していると思います。30歳までひたすら豆腐屋家業に追われてきた松下さんとは違います。

    月見どろぼう

    この辺り(三重県北部あるいは四日市限定か)だけの風習のようだが、中秋の名月の夜にはお供え物を子どもたちが盗っても良いことになっている。昔は、それこそお供えの団子を、腹をすかした子どもが盗るのは仕方がないと見過ごしてくれていた、というのが謂れかもしれない。今はもうすっかり行事化して、子どもが取りやすいように小分けされた市販のお菓子を並べるようにしている。子どもたちも、それぞれ大きな袋を手に町内を廻っている。

    小さな子どもは5時くらいから親御さんと行動開始。仕事で使う「馬」と作業台に飾る。

    子どもたちも良くしたもので、ちゃんとお月見下さいと声をかけてから、ありがとうと持っていく。それも後の仲間のため一人一個と躾けられているのか、黙っていてもそれを守っていくからかわいいものだ。親に手を引かれた小さな子どもから、部活帰りと思しき中学生まで、そのあたりは徹底されている。人気は、明治の『きのこの山・たけのこの里』やロッテの『チョコパイ』。すぐになくなった。連れ合いが昨日作って三方に飾ったダンゴも珍しがられて欲しがる子どもいたが、こちらはお月さま用だからと堪忍してもらう。これを食べてもらうのが本来の姿なんだろうけど、今の御時世ではこれは仕方がない。もちろん、少し固くなっていたがちゃんと食べられた。

    月の出る6時くらいにはほぼ完売

    台湾の木工書・『木工職人 基礎手工具』 
    その2 目を通してみた

    この『木工職人 基礎手工具』は、運営する木工学校の教科書として編集されたようだ。最専業的木工学習環境と謳っており、サイトの写真だけ眺めても本格的な実技講習をしているように見える。 この本は、その手始めとして基礎手工具としての鑿、鉋、鋸などの使い方、研ぎ方などを解説している。これらの道具は、あらかた日本のものかそれに倣ったもののようだ。

    概略は、販売サイトから見ることが出来る。→ 【限時特売】<木工職人基礎手工具>書

    表紙カバーの折り返しに、研ぎ角度確認用の切り込みがある。

    さっと目を通してみたが、非常によく出来ていると思った。まずは表紙カバーの折り返しに刻まれた角度定規に目が行く。洒落たアイデアだ。教科書としていつも講習や作業の際の手元に置いておき、鑿や鉋の研ぎ角をチェックできる。私自身も、木工をはじめた頃に、25度、30度、35度の切れ込みを入れた定規を2.3ミリの合板で作ってそれを目安にしていた。日本の30年ほども前からのバブリーとも言えた木工雑誌や数多の技法書の類で、こうしたものを見た覚えがない。厚紙の付録にでもすれば簡単に出来ただろうに。こうした雑誌や、書籍の編集者や出版元の目線がどこにあったのかが、いまさら伺いしれるような気がする。以下、他に気がついた点のいくつか書いてみる。

    鑿の裏の研ぎをイラストで解説

    図版と、写真の使い方がよく考えられている。この点は、私も使った日本の職業訓練校の教科書やいま市中に出回っている木工の技法書のおざなりさとは大違いだ。初心者が悩んだり躓くであろう事が、イラストで説明されている。たとえば、このページでは鑿の裏の研ぎ方について解説されている。この鑿の裏の研ぎというのは、意外に難しい(鉋もそうだが)。油断をするとすぐに瓢箪形になったりベタ裏になったりする。鑿の裏は定規であり、その平面維持が仕事の精度や品格に直結する。この点に関しては、以前にホームページに書いたことがある。

    鉋の紐裏・鑿も紐裏

    ちなみに鑿の裏研ぎが難しいというのは、とある銘品の鑿の展示をみても思った。これは、神戸の竹中大工道具館に所蔵展示されている善作の鑿。村松貞治郎さんの『道具曼荼羅』でも紹介されている。村松さんの本では、表の画像ばかりが載せられていたので、裏は初めて見た。これは東京の名人といわれた野村棟梁の所有していたもので、棟梁がいかにその鑿を大事に扱っていたかは、本の中のエピソードでも語られている。それにしても残念な状態になってしまっている。あるいは、棟梁の手からこちらに寄贈される前に誰かヤクザな人間に扱われてしまったか、ここでの手入れや研ぎがひどいのか。村松さんの本の写真と比べると、表や刃先もダレたひどい状態になっているから、棟梁の扱いのゆえとは思いたくない。

    竹中大工道具館に展示の「善作」の鑿・裏

    同じく「善作」の鑿・表

    ここには、千代鶴是秀さんの打った組鑿も展示されている。これを大阪の大工が購入した際のエピソードが東京の土田さんよって伝えられている伝説化された銘品(だそうだ)。その大工の死後、アマチュアの好事家の手など経てここに来たらしい。やはり残念な姿だった。なんというか、これで仕事をする或いは仕事をしてきたという凛とした緊張感漂うようなたたずまいがない。よくテキ屋の店頭に並ぶ古道具の、適当にサンダーかペーパーをかけて錆だけは落としましたという風情だ。こちらも経緯は不明だが、道具というのは実際に仕事に使われなくなるとこうなってしまうのかな。なお、竹中大工道具館では他の入場者の迷惑にならない範囲での撮影は許されている。当然ながら、言われなくとも三脚やフラッシュはダメというくらいの常識は持ちたい。


    手工具を使った実際の工作方法も書かれている。日本式の鉋を押して使っているのは、ご愛嬌としても、これは、まあアマチュアのやり方の解説になっている。ホゾや胴付を遊びを取って加工して、鑿で仕上げ・修正するように書かれている。こんなことは昔の親方に見られたら、それこそ玄能が飛んできそうな内容だが、それはまた別に書こうと思います。それと、鑿を使った穴の穿ち方も、書かれているのは大工式のやり方で、この辺りも混乱が見られて、最専業的木工学習環境を謳う教科書としては少しさびしい気がする。

    『木工職人』のホゾ加工のページ

    同じく鑿による穴あけのページ

    そういう気になる点は、多々ありながら、とてもよく出来た教科書であることは間違いない。各工程の説明につけられたイラストは、分かりやすくとてもよく出来ている。一方で、日本の職業訓練校用の教科書は、相変わらず古いあまり上等とも分かりやすいとも思えない図版を何十年も使いまわしている状態だ。各地にあるあまたの職業能力開発協会という厚労省の役人の天下り組織は何をやっているのだろう。他方、市販の木工本は、どこかの道具屋や特定の鍛冶の宣伝用カタログのような代物ばかりだ。『○○大全』とか銘打った道具や木工の本が出されるたびにがっかりさせられる。

    もうね。かつての半導体や家電がそうであったように、こうした木材の工芸的な技能や職能も台湾や他のアジアの国や地域に奪われていく。それで、インチキな手作りコピーと、薄さ何ミクロンの鉋屑といった非生産的で無益なお遊びだけが残っていく。それも近い、というかもうすでにそうなっているのかと考えさせられます。

    台湾の木工書・『木工職人 基礎手工具』 
    その1 買ってみた

    阿部藏之さんのブログで紹介されていた台湾の木工の教科書が面白そうだったので取り寄せてみた。

    台湾の木工書その名も『木工職人 基礎手工具』。発注から20日足らずで着いた。

    台湾から物を買ったことがなかったが、出版元(?)のMUGOのショップサイト・MUGO 木工職人からたどっていくと、オンラインでも購入できそうだ。中国語もよくわからないが、漢字から類推していって何とかなった。そうか携帯電話のことを手機というのか、とかなかなか面白い。購入の具体的な手続きに関しては、あちらから英語のメールが来たので助かった。やりとりの具体的内容は省くが、こうした場合は、いい恰好せずに、たどたどしく発信するほうが良い。そうすれば、向こうもこちらの英語力を察して書いてくれる。

    発送の方法と料金に関して多少のやり取りをした。最初、S.F.Expressという中国本土の物流会社を使って日本円で4,000円以上かかるが良いかとメールにあった。いくらなんでも4,000円は高い。それは、商品代金含めた値段かと問い合わせると、送料だけだとのこと。このS.F.Expressのサイトを見ると、スタンダードとエコノミーという2つのタイプがあるが、別に急がないからエコノミーにするか、他の発送方法はないかと尋ねる。すると、Chunghwa Post Co., Ltd. つまり中華郵政(台湾の郵便局)であれば300NT$(台湾ドル)で発送できると返事が来る。それでもまだ少々高い気がするが、まあ常識的範囲なので、それでお願いする。

    9月7日にオンラインで注文して、上記のようなやりとりを経て17日に出荷したと連絡があり、昨日25日に書留扱いで着いた。高いと思った送料だが、書留ならこんなものか。安全さ確実さを優先させたのだろう。カード決済の結果は以下の通り。本自体は、定価・450NT$(台湾ドル・元)が、356NT$となっていた。税金の関係かと思ったが、オンラインの値段もはなから356NT$になっていた。

    • 『木工職人 基礎手工具』 NT$ 356(台湾ドル・元) → 1,320円
    • 送料 NT$ 300(台湾ドル・元)→ 1,123円

    別に送料の件もぼったくろうという意図もなく、またメールのやりとりの間隔(こちらはなるだけ即日に返信しているが、あちらからは2~3日かかる)などみても、まだこの会社は若い会社で、台湾域内がメインで、中国本土とか中国語圏以外への発送など実績がないのかなとも思う。それでも誠意を持って対応してくれたと感じた。これがまだ玉石混淆でいっぱいスパムの飛んでくる中国本土の会社だったら、怖くてカード決済の取引などしていないでしょう。興味のある人は購入してみても良いかと思います。本の中身については、また次にします。

    かぜ台風でした

    台風が去って早朝、いつものように高齢雑種犬・タローの散歩に出かける。まだ東の空には低く黒い雨雲が立ち込めているが、その上に新月間近の細い月と金星が寄り添うように出ている。

    午前5時40分の東の空。月の左下方、時計の8時の辺りにドット抜けのように見えるのが金星です。

    昨夜の台風は、三重県北部では深夜から未明にかけて風がひどかった。それに脅えてかタローが情けない弱々しい声で泣き続ける。以下も同じだが、鳴くというより泣くのほうが近い。もうすっかり耳は遠くなった(というかほとんど聞こえない)し、目も見えない。おまけに嗅覚も弱ってきた。餌なども、トレイに餌を盛って、首根っこを持って本当の鼻先まで持って行かないと気がつかない。そうすると、やおらガツガツ食いだすので食欲がなくなってしまったわけではなさそうだ。

    そんな状態でも、触覚だけは健全なようだ。見えない聞こえない世界が、犬なりにやはり心もとないのか、最近むやみに泣き出す。そんな折でも、突っついたり撫でたりすれば、安心したように眠る。このあたりの様子は人間と同じだ。昨夜の台風は、そうした触覚というか、皮膚感覚を刺激したのかなと思う。肌に打ち付けるような強い雨混じりの風、骨振動を伴うような低周波も含む風音、いつもと違うそうしたものに反応したのかな。足腰がすっかり弱って、狭いところでの体の自由がきかなくなったせいか、今は自分の小屋に入るのもいやがる。ちなみに私は、屋内で動物を飼わない。それは親から受け継いだ習慣というか感覚で、家の中で畜生と同居などまっぴら御免なのだ。

    それでも、昨夜はさすがに哀れに思ったか、連れ合いが中に入れてやろうと言い出す。それで、玄関の土間に繋いで入れる。なれない所で、暫くウロウロしていたが、ほどなくおとなしく寝入ってしまった。やはり風が怖かったのか。

    京都に納品、三月書房に寄る

    日曜日は、京都に納品でした。ここ何年か仕事をいただくリピーターのお客さんです。今回は高座椅子で、宅配便での発送も出来たのですが、毎回お邪魔すると美味しいお酒とか気の利いたお菓子などいただくので、それが楽しみでもあり直接届けました。

    こうした椅子は、お寺の法事の際などによく見かけるようになりました。畳とかフローリングで、慣れた座の生活を続けたい。ただ膝の負担が年々気になってくるという人のために、こうした高座椅子の需要は増えるように思います。

    幅は、立派な体格のお客さんに合わせて57センチ。頑丈に組んであります。座の高さ、全体の高さは、お客さんんの指示で19センチと35センチ。メイプル、クリ、牛革。

    少しだけ世間話をして、道が込まない早いうちに帰らせてもらいました。週末は、いつも新名神の亀山ジャンクションあたりから大変な渋滞になるのです。それでも多少時間があるので、久しぶりに寺町二条の三月書房に寄りました。この書店については、前にも少し書きました。学生の頃から折を見て通っていました。2間間口の小さな町の本屋という風情ですが、その品揃えが独特というか、硬派な主張が感じられます。たとえば、アナーキズム関連の書籍と雑誌、演劇・映画・コミック関係、様々な詩集・歌集・句集、民俗学関係、ファッションではない建築の本、ある種の政治・社会問題の本、など私の知る40余年そのポリシーは変わっていないように思います。私も、京都にいた頃に、白水社の古い版のブレヒト戯曲集とか、ベケットの1冊版の戯曲全集、ちくま文庫の柳田邦男全集の内の何冊か、それと中公文庫の折口信夫全集の何冊か、そんなものを買っていました。それから東京水平社関係とかアナキズム関連の書籍とか、ここでしか見たことのないものも買っていたなあ。あの小さい書店に、柳田とか折口の全集を全巻揃えてあって、それを分売してくれていました。大手書店はもちろん、大学の生協の書店でも後年はそうした対応をしてくれなかったように思います。それで、比較的売れ筋のような本でも、気になった本は、ここで買うようにしていました。

    こうした本屋で、様々な本に囲まれ、その背表紙を眺めながら、そして気になった幾冊かを手にして目を通す。図書館とはまた少し違った幸せな時間です。休日ということもあってか、狭い店内に他にも3人のお客さんがいました。麻のシャツをザックリとまとった初老の男性、白いブラウスにデニムのスカートの自然な白髪の40代くらいかと思われる女性、もうひとり普通にジーンズにポロシャツの若い女性は、ずっと詩集のコーナーで、おそらくは誰かの詩集を読みふけっています。

    そこへ、何十年か前のゴルフウェアのような妙ないでたちの60代も後半とおぼしき男性が2人入ってきます。あ、あったとかいいながらコミックのコーナーへ。そこでやれ、つげ義春がどうの、ガロが、カウンターカルチャーが云々と立ち話をはじめます。特に大声というわけでもなかったのでしょうが、狭い店内の事、延々と続く軽薄な語りがどうしても耳に入って気が散ります。まあ、これ以上続けるとお決まりの団塊に対する悪口になってしまうのでやめておきます。

    話がずれますが、最近こうした自然な白髪の相応の年齢の女性をよく見かけるようになりました。それと、これまで2回ほど、街でベリーショートというか坊主頭の女性を見ました。私はいわゆる居職で、外に出ることが少ないし都会の生活とも無縁なので、知らないだけで、あるいはこういう人たちは増えているのかな。中山千夏さんなどが、その先駆けなのでしょうか。今、中国政府により軟禁状態にあるという劉霞さんもそうですね。いずれも、颯爽としてそれでいてごく自然な自信と意志を醸し出すお姿で、カッコよく素敵だなと思いました。誰が儲かるのか美魔女だのアンチエージングといった市井のキャンペーンに惑わされず、黒髪という根深い価値概念に抗って、今の自身の姿をひたすら肯定することから、ファッションや生き方を考えているのだと思います。ただ、それは頭ではわかっても、実際に一歩踏み出すには大変な勇気が必要でしょう。あれもはやりなのか、オッサンたちがショボい顎鬚を伸ばすのとは違います(例の加計某など、ネズミ小僧にしか見えません)。店内で、静かに本を探して開くこの白髪の、私にしたらまだ若い女性と、オレだって若い頃はガロなんか読んでいたんだぜとか言いたいだけのオッサンたちを、こうして間近で対比すると嫌になります。彼らと私なんて、傍から見れば同じひとくくりのオッサンです。気をつけたいと思います。

    今や、アマゾンで本を買うのは犯罪とは言い過ぎかもしれませんが、グローバリズムに手を貸し、こうした優良な小規模小売店潰しに加担することになるのは確かです。もう本も、なるだけ図書館で借りて買うまいと思っているのですが、納品の時に、ここで買うのならいいだろうと、これもまた自分を合理化する屁理屈のようにも思います。


    三月書房で、買った本は写真の3冊。合わせて6,804円で、貧乏自営業者にはかなりの散財になりますが、その本についてはまた別に。

    『クレーの天使』 谷川俊太郎
    『残(のこん)の月 大道寺将司句集』
    『サンチョ・パンサの帰郷』 石原吉郎