飛ぶ教室

今日は、二七日の法事を遠方より来てもらった兄に任せて終日仕事をする。若森君にも夜の9時半まで残業してもらった。


ヨーニー!そんなに無理するなよ。お前、まだ子供なんだし・・・

そんなことをヨナタン・トロッツに言いたがるヤツこそが、傲慢で嘘つきで、大事なものを失ってしまっているのだ、というのがこの季節になると思い出す話の主題だったんだ、確か。でも昔の自分に対してだって何をそんなに意地張っているんだよと声をかけたくなることがやっぱりあるよね。と三兄弟の次男と三姉妹の次女同士話していたことがあった。それも、もう随分昔の話になった。

RICOH GXR A12 28mm

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良寛の歌 その2


月読(つくよみ)の ひかりを待ちて 帰りませ 山路は栗の いがの多きに 312

たまさかに来ませる君をさ夜嵐いたくな吹きそ来ませる君に 579

天が下にみつる玉より黄金(こがね)より春の初めの君がおとづれ 4

あづさゆみ春になりなば草の(いほ)をとく訪ひてましあひたきものを 635

註) 歌の末尾の数字は引用元の『良寛歌集 ─ 吉野秀雄 校註』 東洋文庫556 平凡社での通し番号です

前2首は、阿部定珍を、後2首は貞心尼を詠んだ歌らしい。いずれの歌も恋の歌のようでもあり、友人の来訪を待ち焦がれ帰途を案ずる歌でもあるように読める。人によりまた時により違う感興をもたらす。実際に斎藤茂吉は、あづさゆみ〜の歌を友に贈った歌であろうとしていた(斎藤茂吉・『良寛和歌集私抄』、後に訂正)。前に引用した歌

わかれにし心の闇に迷ふらしいづれか阿字の君がふるさと

この歌も、本来の意味は「仏の道に分かれて(捨てて)心の闇の中に迷っている君の本当の心のふるさとは何処なのだ」と叱責し窘めるものなのだろう。しかし、私には「まあ、仕方がない。今は迷い惑っても、そうした時もあるさ。でも自分のこころのふるさとをまた考えてみる時がくるさ。」と、現状をひたすら肯定しながら諭してくれているように読める。決して非難などされているように感じない。

本当に良い歌、あるいは芸術というのはそういうものだと思う。平易で具体的な描写でありながら、描く世界、呼び覚ます感情、ましてや倫理や規範や世界観を押しつけない。むしろ優しく包みながら、外の世界に対する穏やかで優しい心持ち、澄んだもの高いものへの憧れ、そうしたとっくに忘れてなくしたつもりでいたものを、たとえ一時であれ呼び覚ましてくれる。感じ、考えるのは自分自身なのだ。

阿部定珍

西蒲原郡渡部村。通称は酒造右衛門。家世々庄屋をつとむ。壮にして和歌詩文を好み江戸に遊ぶこと三年諸名家と交わる。帰来家職を()ぎ理民の材を発揮す。公暇風月を友とし吟詠雅懐を()ぶ。良寛国上(くがみ)在庵の時より施主たり交遊たりしは其文書によりて明なり。天保九年六月二十日、西国霊場巡拝のため土佐にありて瘧病(おこり)のため死す。

貞心尼

長岡藩士、奥村某の女、幼にして浄業を慕ふ。妙齢に至り北魚沼郡小出郷の医師某に嫁し、幾年ならずして不幸所天を喪ひ深く無常を観じ、遂に柏崎町洞雲寺泰禅和尚に従ひて剃度を受け、後不求庵に住す。是より先良寛禅師の高徳を敬慕せしが、文政の末年禅師を島崎村に訪うて和歌を学び且つ道義を受く。師其敏慧にして和歌に堪能なるを愛し、懇切に指導せしと。始めて値遇せしは、師七十歳貞心二十九歳の時なり。爾来六星霜、花に鳥に月に雪に風に雨に往訪して敬事し、歌を練り道を講じ其傾写を受け、禅師終焉の際所謂末期の水を呈せいしは弟子としては此尼公のみなりきと。又禅師の詩歌の今日に伝はりしも尼公の蒐集せし力多きに居る。又禅師の肖像として後世に遺るもの亦此尼公の描写せしものなり。(中略)明治五年二月十日寂す。(後略)

斎藤茂吉 「良寛和尚雑記」 『斎藤茂吉選集 第15巻 歌論』岩波書店

良寛の歌


あわ雪の中に()ちたる三千大千世界(みちおほち)またその中に沫雪ぞ降る

『良寛歌集 ─ 吉野秀雄 校註』 東洋文庫556 平凡社

注)校註によれば 三千大千世界とは、大宇宙の仏教的表現とある。

良寛和尚の歌に親しむようになったのは、この歌がきっかけです。この歌は昨年はじめ救いを求めるように読んだ『痴呆を生きるということ』─小澤勲著・岩波新書 の終章に著者によって引用されていました。小澤さんは、この本を著した時すでに癌の発症とその全身への転移を告知されていました。その時、最初から大きな動揺もなく、まったく平静に事態を受けとめた。と書かれています。それは、痴呆を病む人たちとともに生きてきたことにより、人の生は個を超えていると感じるようになったからだと。その死生観を次のように著されています。

私は今、肺癌を病んでいる。まったく無症状だったのだが、昨年春の検診で発見され、精査の結果、すでに全身に転移していることがわかった。告知を受け、命の限りが近いことを知らされた。しかし、最初から大きな動揺もなく、まったく平静に事態を受けとめた。自分でも不思議だった。ときどきなぜだろう、と考えることがある。よくわからない。しかし、痴呆を病む人たちとともに生きてきたことと、どこかで深くつながっているように思う。

彼らと生きていると、人の生は個を超えていると感じる。そのせいだろうか。私自身もわたしへのこだわりが若い頃に比較して各段に少なくなっている。むしろ、つながりの結び目としての自分という感覚の方が強くなっている、といったらよいだろうか。そのつながりは、病を得てからとても強くなっていて、私の残された生を支え、充実したものにしてくれている。そのつながりがこの本を書かせた。

今、私はあるイメージを幻視している。それは、複雑に絡みあったほとんど無限のつながりの網がある。このつながりは複雑なだけでなく、生き物のようにうごめき、一瞬一瞬変化している。一人ひとりはそのむすぼれである。

そのつながりの網は、生命の海とでもよんだらよいようなものに変幻する。一人ひとりはその海を浮遊している。あるいは、一人ひとりは生命の海を分有して生きている。無限の時間の流れのなかで、一つひとつの生命の灯はふっと消え、海の暗闇に還ってゆく。その暗闇から別の灯が生まれる。潮流のうねりと蛍のように明滅する灯。

この生命の海が滞りなく流れていれば、その流れを漂う生もまた滞りなく流れているく。ところが、この生命の海に滞りがみられるようになると、そうでなくても滞りがちな生はよどみに取り残され、光を失っていく。そのよどみは、生命の滞りをさらに深刻なものにしていく。しかし、よどみに置き去りにされた生が、再び光を放ち、生命の海に漂い始めると、生命の海は輝きに満ちてくる。

あけましておめでとうございます


わかれにし心の闇に迷ふらしいづれか阿字の君がふるさと

『良寛歌集 ─ 吉野秀雄 校註』 東洋文庫556 平凡社

注) 阿字とは、何となく曲学阿世とか阿諛という言葉から類推して、おもねるという意味かと思ったが、校註によると梵語12母音の初韻で、一切万有の本源の象徴とある。

良寛和尚にそっと諭されている、あるいは迷ふこと自体を許されているようにも、今の私には読めます。

今しばらく迷い惑ってみる、みるべきだと思っています。