65歳までに止める事、する事

少し前から思いついて、これまで、ごく近しい人には聞いてもらってきました。公言することで引っ込みがつかなくなるという担保効果を狙って書くことにしました。もし、65歳まで元気でいられるなら、次のことを実行します。あと6年。もうすぐ先のことです。

  1. 車を手放す
  2. 携帯電話をやめる
  3. パソコン・インターネットをやめる
  4. 電気、ガス・灯油など化石燃料の使用量を今の3分の2から半分にする
  5. ある期間、介護の仕事に携わる

言下にそんな事出来るわけがないと否定する人は、逆に今の地球破滅・原発依存、ネット中毒的な生き方にどっぷり使っているのです。口で環境が・・・とか言ってみたり、反原発を標榜している事とは関係ありません。そういうつもりで少しづつ自分の生活を見なおして実践してみると、3以外の事はそう難しいことでも、不自由なことでもないと分かりました。逆に色々なストレスから解放された爽快感すら感じるようになります。だからこうして公言することにしたのです。

それぞれの件は、また機会を見て書くことにしますが、たとえば、仕事以外の不要不急の用件で車を使わない事が当たり前になると、ストレスから解放され体も健康になるし、歩いたり、自転車に乗ったり、電車に乗ったりして過ごす時間の豊かさに気が付きます。いい事ばかりです。その点は、禁煙と同じです。3のパソコン・インターネットに関しては、このブログ自体がそうですが、人付き合いが悪いくせに喋りたがりの私のような人間にとっては、代替え手段が今のところ思いつきません。しかし、現に30代まではこんなものなしで過ごしてきたのだし、同世代から上の人の半分程度はパソコンやネットと無縁の生活を続けています。やめたらそれで何か見つかるだろうくらいには思っています。あと4に関しても、今でも私の月々の電気代を言うと、多くの人は信じられないという顔をされます。単に垂れ流すように電気を使っていないというだけの事なんですが、原発をなくせと主張する以上は、これくらいの目標があってもよいでしょう。

クロード・ランズマン監督 『SHOAH ショア』ほか6作品が上映されます

名古屋駅前のシネマスコーレシネマテークで、クロード・ランズマン監督のSHOAH ショア全4部と他2作品が上映されます。4月18日(土)から5月1日(金)まで。(スコーレテークの上映スケジュールと解説のページ

ショアは、もう30年前の映画だったのですね。私は、これを劇場で1回、その後NHKで放映された時に1回見ました。

600万人のユダヤ人がナチによって絶滅収容所で虐殺された。その事は、謂わば史実として頭にあっただけで、その600万人とひとくくりにされてしまう人間、1人ひとりに生活があって、家族があって、友人がいて、それぞれ夢や生活設計があって、日々生きていたんだという事実になかなか思いがいたりません。よく言われる「人を1人殺せば殺人者で、1万人殺せば英雄」のたとえも、数の力で逆に私たちの想像力が麻痺させられてしまう事を示しているんだと思います。そんな当たり前のことを、この映画では具体的な証言によって私たちの目前に突きつけてきました。恐ろしい、おぞましい事だったんだ。そして、一方でそうした殺戮をそれこそ粛々と仕事としてこなして、恥じることなく生き延びた人間がいる。アイヒマンだけではないのだ。

この6本のそれぞれ長編の映画を、あらためて見ようとすると、上映スケジュールだけで3日かかってしまいます。連休前の追い込みの厳しい時期にあたりますが、まだ見ていない『ソビブル』と『不正義の果て』は最低見ます。あと、日本を殺戮者の国にする集団的自衛権の法制化が進む中で、30年たって、『ショア』を見てどう感じるのか、やはり見たいと思います。

『わたしの、終わらない旅』

この映画は、忙しくても、疲れていても、気が向かなくても、小遣いがなくても、見ておくべきだと思う。

公式サイト・わたしの、終わらない旅

この辺りでは、名古屋今池のシネマスコーレで上映中。4月18日(土)17日(金)までです。

和食店でのピアノ連弾鑑賞 20年ぶりの友人と

昨日は、名古屋の小さな和食店(もとやま紗羅餐)での、会食と女性2人によるピアノ連弾というイベントに行ってきました。もともと咳払いもためらわれるような、いわゆるコンサートよりも、こうした猥雑な環境で、お酒を飲みながら、会話を楽しみながら音楽を聴くのが好きです。というか、それが本来の音楽の楽しみ方のように思います。他のジャンルでは、ライブと呼ばれて当たり前の事なんですけどね。

もとやま紗羅餐での Yumi & Mako ピアノ・デュオコンサート

もとやま紗羅餐での Yumi & Mako ピアノ・デュオコンサート。このお店のテーブルは私が作らせてもらいました(クルミ)。

それには、演奏者に対する最低限の敬意と、聴衆同士の気配りがあれば良い。昨日は、そもそものお店の客層(←失礼な言葉ですが、他に思いつかない)のゆえか、良い雰囲気で楽しく過ごせました。一人、場とタイミングをわきまえず無関係にしゃべり続けるご婦人がいましたが、まあそれは仕方がない。同席のお仲間の無言の圧力で、どうやら静かにされたようですし。それと、最後のトークと質問のコーナーでは、いずれも高齢男性の下世話な話題振りに辟易させられますが、まあこれもお約束という感じで演奏のお二人は流しておりました。ジジイにしたら、まだセクハラと自分語りにならない分、上品にすら思えます。まもなく前期高齢者に近づく私も気を付けようと思います。でも、そもそも音楽と無縁のこうしたトークタイムは不要だと私は思いました。

演奏は、フォーレに始まり、定番のブラームス、タンゴを挟んでモーツァルトで終わるという素敵なプログラムでした。曲のはじめに演奏者ご自身が、簡単な解説をしてくれるのも良い。ロンドンで聴いたイングリッシュ・コンサートの演奏でも同じように曲間に解説とトークが入りましたし、最近は行っていませんが大阪でのコレギウム・ムジクムの月例のコンサートでも、主宰者の当間さんの軽妙洒脱な解説が楽しく役に立ちます。あと、1曲終わるごとに拍手が許されるのも自然で良い。いわゆる「コンサート」では、曲の楽章の切れ目では、静粛にするのがお約束ですが、私はあれは結構苦痛です。ヨーロッパの昔のオペラのビデオとか見ていると、アリアが終わった後など、幕の最中でも聴衆が拍手をして歌手もそれに応えています。そちらの方がよほど自然で良いと思います。

演奏自体は、はじめ多少ギクシャクした感じで、ピアノの音も美しくなく、これも会場や小さなアプライト・ピアノのせいかとか思っていましたが、半ばを過ぎてタンゴに入った頃からお二人の息もあってピアノの音自体が粒だってきれいになってきたのは愉快でした。モーツァルトが終わる時は、ああもう少し聞きたいと思いましたが、それくらいが丁度良いのかと思いました。正味40分ほどのコンサートでした。


さて、この日は20年ぶりに会った友人と待ち合わせて出かけました。彼女が名古屋に戻って働いているというのは、一年ほど前に知人から聞いており、その時には声だけ聞いていました。岐阜のTさんとか、Fちゃんと言えば、私の古くからの友人・知人ならお分かりになるでしょう。あらためて、当日の朝に、その知人から彼女の連絡先を聞いて携帯に電話を入れてみます。不規則勤務だというのは知っているので、まあダメ元でいいかというつもりでした。たまたま勤務はオフで、夕方からは開いている、それに昔と変わらぬノリの良さでこの変ったコンサートまで同席してもらいました。

その前に栄で会って少し話ましたが、20年ぶりでも昔話はほどほどに、お互いの今に関心と話題が向かうのはありがたいことです。私の家庭環境なども知っているというか覚えていてくれているので、愚痴もふくめた介護と看取りの件も聞いてもらったりしました。こちらは、随分と気が晴れました。ずっと医療関係の現場にいるので、前提なしに分かってもらえるのもありがたい。お店の女将さんには、幼なじみと紹介しましたが、今から思えば、学生時代なんてハナタレ小僧みたいなもので、本当にそんな感じがします。

ホウボウを食べた

いつも行くスーパーの中の魚屋に、ホウボウが並んでいました。30センチほどのもので1尾250円ほどと安かったので、腹出しをしてもらって購入。煮付けにする。プリッとした食感に白身で淡白だけど旨みの詰まった身が美味しい。赤い深海魚は美味しいという定説がまた裏付けられたぞ。残った出汁とアラはタローに食わせるのは惜しいので、これでコンニャクを炊くことにする。

写真の代わりに記憶で描いたホウボウ。全体の3分の1が頭というイメージだ。

写真の代わりに記憶で描いたホウボウ。全体の3分の1が頭というイメージだ。

ちなみに新鮮なもの、暖かく調理したものはなるだけ早く頂くのが、食材や作った人への最低限の礼儀だと思っています。したがって自分が作ったものでも常備菜的なもの除いて、写真は撮りません、というか撮れません。もう引退してしまった蕎麦屋の女将さんに聞いた話ですが、お客さんで一番嬉しいのは、こちらが蕎麦を出すのを箸を持って待ち構えるようにして食べてくれる人だそうです。蕎麦の三たて(挽きたて、打ちたて、茹でたて)と言いますが、本当は最後の釜場が命です。これは実際に体験しましたが、大きな釜の大量の沸騰したお湯に踊るようにくぐらせて、すぐさま水に上げて氷で冷やせば、私が打ったズル玉の蕎麦でも美味しくなります。そうしてなるだけ美味しくと駆けるように出した蕎麦は、箸を持って待ち構えるように食べて欲しいものです。そこで、スマホやらデジカメやらを取り出されたら、少なからずがっかりしますよね。失礼な話です。

お金を出しているのだから、好きにさせろというのも一理あるのかもしれません。でもよくあるグルメブログの類で、料理の画像がこれでもかと載せてあるのを見ると、そもそもこういう人は薀蓄をたれる以前に、ものを食べる、少なくとも他人が作ってくれたものを頂く資格がないと思えてしまいます。

叔父の告別式に東京・目黒に行く 1

例によって泥縄で確定申告を最終日・16日にすませる。翌17日はその三日前に亡くなった横浜の叔父の告別式のため東京に出かけた。目黒の五百羅漢寺という所。横浜に住んでいてなぜ目黒かと思ったが、生前に墓地を購入し合わせて菩提寺としていたとのことだった。スマートでお洒落だった叔父には、この目黒という地はよく似合っていると、式の前に周辺を少し散策して感じた。

目黒川。この日の東京は18度まで気温が上昇。花粉が目と鼻にきた。

目黒川。この日の東京は18度まで気温が上昇。花粉が目と鼻にきた。

目黒駅を降りて、目黒通りを西に向かう。山手通りの大鳥神社を超えて目黒寄生虫館に寄る。名前からイメージされるおどろおどろしい施設では全くない。外観も展示スペースも目黒のお洒落なブティックという風情で、ともすればタブー視されがちなテーマを明るく健康的に展示している。そうだ世界的に見れば、まだ寄生虫というのは健康問題でもあるのだ。入館は無料で、館内の撮影も自由だ。ただし、他の見学者の映り込みに注意して下さいと掲示されてある。なんと言う良心的な配慮かと感心する。ここのミュージアムショップがまた絶妙で、キワモノと冗談の境目にきわどく滑り込んでいる。ちなみに定番の立体サナダムシT シャツは、私は着る根性はなく、着て歩く、電車に乗るのも問題なしと断言する某女史へのお土産にする。自分用には大人しめ(?)の別のプリントのものを購入。合わせてフタゴムシの付箋と虫を図案化したイラストの入った定規を買う。これは普通にかわいいぞ。

目黒寄生虫館の展示スペース。明るく開放的に展示することで、広く啓発したいという健全かつ積極的な姿勢がすばらしいと思う。

目黒寄生虫館の展示スペース。明るく開放的に展示することで、広く啓発したいという健全かつ積極的な姿勢がすばらしいと思う。

寄生虫館の角を南に折れて、三折坂をから龍泉寺(目黒不動)へ。私は大阪と東京を比較する時は、実際に関西が長かった事もあり大阪びいきになるが、坂が多くその周辺の風情という面では圧倒的に東京がいい。)三折坂(みおりざかというのは、3回折れるという意味と不動さんへの参道で御降りと呼ばれたからとも言う云々。そこから五百羅漢寺とは少し道を外れるが林試の森公園に寄る。ここは旧林野庁の林業試験場だった所で、後に都に払い下げられ公園として整備されたそうだ。その由来通り、内外の幅広い樹種が観察できて1日遊べそうだ。関東でこんな大きなクスは初めて見たように思う。ここのサクラはほぼ満開で、遠足の保育園児と思しき団体が早、花見をしている。近所のお年寄りたちが散策がてら立ち話に興じている。名残惜しいが、さすがに不謹慎に遊んでばかりもいられないと思って式場に向かう。出口近くに小さな月桂樹を見つける。スマートで粋だった叔父のたむけとして棺に入れたいと思って1枚、もう1枚。合わせて2枚の葉を頂戴した。カレーやサラダに入れるわけではないので、と自分で言い訳をする。それと古い話になるが、大学の農学部と理学部があった北部構内にやはり月桂樹があって、ポテトサラダとかカレーを作る時は何枚か頂戴していた。叔父とは同じ京大(三高)つながりで、これも何かの縁かと思った。それに私と違って仕事でも私生活でも歳月を全うして米寿の祝いも済ませて逝った叔父には、勝者の証ともされた月桂樹が似合う。ひねくれ者の私が、ヤッカミなしに素直にそんなふう思えるような穏やかで誰に対してもいつも謙虚で優しい人だった。

林試の森公園の桜は、早くも満開だった。

林試の森公園の桜は、早くも満開だった。

更新停滞時のあれこれ

暫く更新を怠った間の事を書かせてもらいます。

第13回 木のある暮らし展

お詫び

第13回・木のある暮らし展では、このブログで出展を予告していたものを出せませんでした。タローシリーズとか勝手に言っていたテーブルは拭漆の仕上げも含めて一応完成していた。しかし、どうも天板と脚部の結合が強度的に問題があり、こうしたものを展示するのも憚られたのでやめました。もう一つヒノキの薄板を使った収納棚も搬入を遅らせてもらったにも関わらず結局間に合いませんでした。それを期待して来てくださった方も実際にお見えになったようで、本当に申し訳なく思っています。近々、ホームページで詳細は掲載させてもらいます。

ありがたい来場者

ただ、そうしたこちらの怠慢にも関わらず、今回の第13回木のある暮らし展にはありがたい(今風にサプライズド)な人に来て頂きました。

一人は、弁護士の永嶋靖久さん(枚方法律事務所)。残念ながら私が他のお客さんと遅めの昼食に出た間に来られてお会いできませんでした。会えば30数年振りでした。その間とくに連絡をとり合っていたわけではないのですが、ブログは見ていただいていたようです。後でお礼のメールを差し上げた所、扇町公園での反原発の集会に参加して、デモ出発までの短い合間に来て下さったとのことでした。私よりたしか2学年ほど年長で、当時、日本共産党と民青同盟の牙城であった法学部で数少ない少数派の活動家としての颯爽とした姿を記憶しています。対応したスタッフから聞いた容貌などの印象から別人かと思ったのですが、まあそれはお互い様です。活躍ぶりは伝え聞いてはいましたが、権力やメディアにおもねって変節する連中がいる中で肝心の志が変わっていないのは嬉しい限りです。

もう一人、遠く東京からのお客さん。1年前に依頼されたものの一つがまだ未納で、心苦しい。特に改めて督促はされませんでしたが、たいへん失礼しております。いつも頂く舟和の芋ようかん、美味しいです。

三人目は、これも私のブログを見てわざわざ東京から私の担当のワークショップに参加してくれた若いY君。結局、その長身痩躯なイケメンぶりから主催女性スタッフの関西ノリに巻き込まれて、翌日も半スタッフのような扱いで手伝ってくれました。かれは今月末に私の工房に来て暫く滞在してくれることになっていますので、その時にあらためて紹介します。

杉山裕次郎さんのブログ・工房通信悠悠

今月中旬の2日くらいの間、このブログのアクセス数が、IPカウントで1.5倍ほど、ページビューで2〜3倍ほどに急に増えました。これまでもオーディオ関係の記事が掲示板などに貼られたりして急にIPカウントが増えることはありましたが、その場合は特定の記事目当てですので、ページビューもほぼ同じ程度にしか増えません。リファラーというリンク元を辿ると工房悠の杉山裕次郎さんのブログ・工房通信悠悠で震災ボランティアへの関連で紹介していただいておりました。木工の先達として陰ながら私淑しており、また震災時の敢然とした行動から、その行動力と義侠心を深く尊敬している方なので、ありがたいことです。また、杉山さんの発信するブログの影響力は、場末の私のそれとは大違いの大きさだと思いしらされました。ちなみに、震災ボランティアの時は他の知人の木工屋連中から、杉山さんの「暴走」を抑えるお供として服部は適任だとか言われていたようです。他の若造では無理だとか・・・。

4年目の3.11

4年前の今日は、穏やかな日差しも暖かく、春の到来も間近と思わせました。地震のあった時、私は工房の2階にいて大きな横揺れを感じて、船酔いのような状態になってしまいました。すぐにただならぬ事態を予感してテレビをつけました。

それから、10日ほど後工房悠の杉山裕次郎さんらと共にたどり着いた被災地・石巻市は今日のように雪の舞う日もある刺すような寒さの中にありました。その地で、水も電気もない状態でヘドロと汚水と重油にまみれた幾日かを過ごします。

初めて訪れた石巻市街地。露出もピントもデタラメな汚れたフロントガラス越しのこうした写真が、かえって今は当時のおののきを現しているように思います。

初めて訪れた石巻市街地。露出もピントもデタラメな汚れたフロントガラス越しのこうした写真が、かえって今は当時のおののきを現しているように思います。 RICOH GXR P10

今、思い出しても50余年生きてきた中で、あんなに人に感謝をされ、心からのお礼の言葉をかけられたことはありません。逆に言うと、それだけ切実に援助が求められていたのだと思います。行ってよかったし、行くべきであった。それにこれからも、もし同じような悲惨と災難があれば、もう一度蛮勇を奮って、さらにガタの来はじめた体を引きずって出向こうと思っています。そんな事にならないのが一番なんですが、もうひとつ、自分の親のような世代の人に、決して頭を下げさせてはいけない。それは震災下という状況であっても社会の欠陥であり理不尽ですらある。「安全」が誰のためのものか?あらたな災害が確実視される中で、ひたすら自衛隊を外の戦争に送り出すことばかりに腐心していてよいのか?あの事(被災地であった老婦人)を思い出して、人に語ろうとすると今でも声が震えて涙目になってしまいます。それで、震災ボランティアに行って感じた一番大事と思うことを直接伝えられないもどかしさがあります。


短期集中木工修行中の芸大生が、修行を一旦中断して、青春18切符で東北を旅行するそうです。遊びで出掛けていいのだろうかと言います。オッサン、オバハン、年寄り連中があれからもノーテンキに海外などに出かけるのに比べれば、あなた達若い人が今のこの時期に東北に行こうとする志がある、それ自体がすばらしい事だと思います。