追い込みをかけています

展示会を前に、4口の仕掛品を抱えている中で急な修理の依頼もあって狭い工房の中は収拾のつかない状態に。そんな中、昨日からお客さんのお嬢さんで東京芸大工芸科在学中の才媛が、20日間ほどの短期集中木工修行に来る。今時のかわいらしい娘さんだが、顔にヘンコと書いてあるし、くすんだ色の防寒着(ようするにドカジャンだ)をまとって電車で通ってくる。その彼女がまた大きな物を作ろうとしている。でまあ、かつてはここで3人一緒に仕事をしていたこともあったし、その時のように車をどけて、外にウマを並べて仕事をすればいいのだし、そういうワヤクチャな状況が嫌いでもないので、なんとかならあ。

10数年使ってもらった携帯式の麺打ち台。クリの脂が抜けてキリのようになっている。

10数年使ってもらった携帯式の麺打ち台。クリの脂が抜けてキリのようになっている。

寒くなって雑種犬タローが昼間からずっと小屋に籠って丸くなって寝てばかりいる。小屋のある裏は日当たりも悪いし、朝夕の散歩も、まだ日が短く暗いうちに済ますことになるし、さすがに不健康かなと思う。それに、昼間から寝てばかりで、こいつにまでボケられてはかなわない。それで、仕事に出る昼間は、日当たりの良い表に繋いで晒し者にすることにした。もともとこの家では私より古株の13才ということもあって、近所の人、通りすがりの人、通学の中学生などにかまってもらっているようだ。もともと、人間は皆友だちだと思っているような感じで、吠えないし敵意なしに近寄ってくる人には尻尾を振って愛想をする。昨日も初対面の芸大娘にかまってもらって、大喜びで敷物に与えたマットを咥えて遊んでもらおうとする。番犬にはならないし、なっていない。

犬は、なぜ雪が好きなのだろう?

雪の朝の散歩の時はいつも思います。興奮の仕方が違います。視覚的にも、嗅覚からも世界が変わるからかな。

めったと鳴かない犬が遠吠えをする

めったと鳴かない犬が遠吠えをする

雪を食べたりする

雪を食べたりする

こちらは正月3日。飼い主はこのせいで風邪をひいた?

こちらは正月3日。飼い主はこのせいで風邪をひいた?

ブログ・サイト内のYoutube動画へのリンクを全て削除しました

このブログおよび本体のサイトから、Youtube動画へのリンクをすべて削除しました。もともと著作権的な疑問はありましたが、自分でもごまかしてきました。なにより、Youtubeが、中東の火付け強盗人殺しの山賊のプロバガンダの手段になっていると今さら思い知らされたからです。山賊がアップロードしてもすぐ削除されるといっても、すぐにそれをコピーして拡散するネット中毒の猟奇趣味のオタクどもが、世界中に存在します。管理するGoogleは、もちろんそんなこともわかっているはずです。せめて新規アカウントのアップロードを制限するか審査を導入するかなどの措置を取るべきですが、この薄気味悪い巨大営利企業はそれをしません。

ようやくCNNが、山賊どもの動画やそれをキャプチャした画像は一切扱わないと宣言しました。しかし、相変わらず日本のメディアは、山賊の下請けのように、民放はその動画を垂れ流していますし、大手新聞はキャプチャ画像を、その一面に大きく掲載しています。こうして、後藤健二さんやムアーズ・カサースベさんは山賊どもに辱められなぶり殺しにされた後も、メディアにより何百回も何万回も陵辱され続けています。もし、私たちが後藤さんやカサーベスさんの家族なら、こんなことに耐えられるでしょうか?

Googleというのは、もうネットを利用するのになしでは不便きわまりないような不気味な存在になってしまいました。でも、その管理するYoutubeは、山賊のプロバガンダの手段になっていますし、Facebookもやはりその勧誘・宣伝の手段になっているようです。こうしたものを単純に楽しんで利用している多くの人に、今さらやめろとは言えません(本当はやめろと言いたいからこんな記事を書いているのですが)。しかし、こうして無料で提供され、便利だ、楽しい、コミニュケーションだ云々と喧伝されているものが、個人情報の収拾の手段に他ならないこと、それに一方で社会悪や犯罪集団に利用されている。そして、その犯罪集団の被害者やその家族を陵辱し続けているという事実も知っておくべきだと思います。

プレーナー屑を牧場に持っていく

木取りなどは機械作業が中心となり、端材やプレーナー屑などが大量に出る。狭い工房に貯めておくと収拾がつかなくなり危険でもある。端材は、この季節薪ストーブ用に引き取り手には困らない。先日も、3月の木工展の打ち合わせにまどりの井上前代表のお宅兼事務所にお邪魔した際に引き取ってもらった。ストーブ用に長さをある程度揃えたり、縛ったり梱包したりはそこそこ手間だが、産廃にされることを考えれば余程良い。自分で使えれば一番良いのだが、紺屋の白袴のたとえのように、いまだにアラジンのブルーフレーム他を使っている。

プレーナー屑は郊外の牧場に持っていく。汚れた敷き藁に混ぜて、堆肥の材料になる。牧場ではこうしたプレーナー屑やおが屑を購入しているようで、こちらも歓迎される。口蹄疫の頃はさすがに近づけなかったが、今は行くたびに牛舎を覗いてみる。なんだか珍しい生き物が来たぞと思うのか、そもそも好奇心旺盛なのか牛たちが寄ってくる。少なくとも敵だとは思われていないと嬉しくなる。大きな顔に手を伸ばすと、それでも最初はビビったように首を逸らすが、すぐに慣れる。少々乱暴なくらいに撫でたり小突いたりして遊ぶ。

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最近、タブレットのカメラも使うようになった

 

草を食べる生き物というのは、概して大きな体をしているが、皆目が優しくていいな。少しだけ気持ちが落ち着く。つい目にしてしまったあの中東の火付け強盗人殺しの山賊の澱んだ忌まわしい目が、いまだに私を苛み続ける。

3本の映画 『パーソナルソング』、『三里塚に生きる』、『ダムネーション』

昨日31日(土)、午前中で仕事を切り上げて名古屋今池のシネマテークに映画を観に行きました。

の3本。これに、この日は『三里塚に生きる』の共同監督の一人である代島治彦さんの舞台挨拶がありました。先週には『三里塚に生きる』に合わせて、昔の小川プロの三里塚傑作選と称して古い映画の上映がありました。それも久しぶりに見たかったのですが、31日は、代島さんが来るし、『パーソナルソング』も上映が始まるし、と言う事で結局この日に出かけました。

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まあ、こんな映画を3本合わせて上映してくれるこの映画館もすごいなと思います。合わせて6時間余りの上映になり、認知症と三里塚闘争と、いずれも鑑賞というより、どうしても当事者目線で見てしまうこともあって疲れます。本当に、iPodで昔の音楽を聞かせるだけで、こんなにも生き生きとした表情と言葉が蘇るのなら、認知症治療とか介護とか、今やられていることは何なのだろう。でも少し前に読んだ『直さなくてよい認知症』では、認知症を治すべき病気ではなく、不可逆のエイジングとして捉えると介護者も本人も健やかに残された時間を過ごすことが出来るという趣旨だった。反省と自戒も含めて納得・共感していたのだが、この映画を見ると、また考えさせられる。簡単に答えを求めてはいけないのだ。

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辺田部落とか懐かしい。映画で出てくる屋号にも聞き覚えがある。東峰とか木の根はもうすでに滑走路になってしまっているが、そうかここはいわゆる敷地外で、B滑走路の進入路になって移転させられたが、まだ畑とか残っているのだ。岩山の鉄塔跡地にも入れるのだ。あの年の3月が危ないと言われて、しばらく現地に滞在していた。警戒と防衛のため毎日のように交代で鉄塔前に行っては最後にインターナショナルとか歌っていた。結局その3月は何事もなく戻って、5月に抜き打ちのように鉄塔が撤去された。その後の抗議闘争の過程で東山薫さんが亡くなった。私は、その時はもうこれで終わりだろうと勝手に「日和(ひよ)って」現地には行かなかったのだ。1977年のことだ。などなど色々思い出させる。

今も、反対運動を続けている柳川さんが静かに言う。運動を続けているのは、やはり青行(青年行動隊)の仲間で自死した三ノ宮文男さんの遺志という事が大きい。三里塚というのは、魂の問題なのだ。魂の問題を解決せずに、技術や方法で問題が解決されることはない。

私は、いろいろななりゆきもあって、あの1978年3月にも1兵卒として北総の大地にいました。でもそれ限りでした。ただ以降も絶対に成田から飛行機に乗らないと決めていますし、そもそも関西や東海地方に居て飛行機に乗る機会自体がそんなにありませんでしたから、それは守っています。登場した元反対同盟の堀越さんは、成田はもちろん飛行機自体に乗らないとおっしゃっていました。あんなものがなくても人間は生きていけるし、あんなものがあったからたくさんの血が流れ苦労があったのだと。私も、そもそもあんなでかいチタンやカーボンやジュラルミンの塊が、空を飛ぶ事自体が不自然で不可解な事だと思っていました。嫌いです。車もそうですが、地球や他の生き物にとっては破壊的で迷惑な存在でしかありません。もう金輪際、飛行機なんぞに乗らないというのが、短い間でもかの地を訪れたことのある私にとっての「魂の問題」の解決の一つかなと思いました。

シネマテークで、『三里塚に生きる』は、2月6日(金)まで、『パーソナルソング』は2月20日(金)までです。

神戸元町商店街

神戸でお邪魔したのは、私の一番古くからのお客様の一人です。京都市立芸大を卒業された才媛で、その後京都の老舗の川島織物の研究所にお勤めになり、母校の教壇にも立たれたそうです。まだ、女性が運転免許を取ること自体が珍しかったお若い頃、赤いスポーツカーを乗りましていたとチラッと聞いたこともあります。だいたい、いつもお話をうかがうと長くなるのですが、この日も3時間ほど。うち仕事の件は30分もなかったかな。 自宅を改装されるようで、他の工事と合わせて施工時期は早くて11月くらいとのこと。それならまだ先の話とすこし怪訝な気分となりましたが、服部さんのタイムスパンで言うと、それくらいで丁度でしょう。との事。そうだ、いつでもいいと言われると、これまでも1年ほどもお待たせしたりしていました。

お父様が認知症を患い、それをお母様が自宅で介護されていたそうで、それもあって20年来認知症の家族を支えるボランティアをされていて、その経験からお聞きした話が、私が自分の親の認知症に直面した時、随分役に立ちました。私は、傲岸不遜な嫌なヤツだと少しは自覚しているのですが、話題が多岐にわたり自分の知らない事、未経験な事に及ぶのと、一回りほど年長であることもあって、いつもおとなしく拝聴しています。


お話が済んで、元町の商店街にむかいました。お薦めの品を求めに、教えてもらったを訪ねます。その後、一昨年閉店した海文堂書店の跡がどうなっているのか、気になって行って見ました。

お洒落で粋な佇まいだった書店がかくもいやしい店になっていた

お洒落で粋な佇まいだった書店がかくもいやしい店になっていた

ごらんのようなつまらないケバケバしいドラッグストアになっていました。残念だとか他人事のように言ってはだめですね。私も含めて、簡単・安易にアマゾンなんかで本を買ってしまうから、こうした良質の本屋が潰れるのです。学生の時に、初めて訪れて以来、神戸方面に出かける事があると寄っていました。当時からレクラム文庫をかなりのスペースを使って揃えてあり、私もここで、ノヴァーリスの詩集とヘッセの短編を買った記憶があります。それと、その由緒の通り他の書店では見かけることの出来ないような海事関係の書籍があって、訳もわからないのに手にして眺めたりしていました。しかし、この10年ほどは前を通っても寄ることもなくなっていました。

ほど近い風月堂本店の2階でランチを頂きました。ここも関西の老舗らしく気取ったところのない良いお店です。リーズナブルなランチメニューで、でもメインが肉か魚を選べます。静かに流れていた音楽は、シューベルト(「音楽に寄せて」)、モーツアルト(オーボエ協奏曲)、バッハ(「ゴールドベルク変奏曲」)などなど。有線放送でしょうが気がきいています。如何にも営業が終わった後、といった風情の3人のサラリーマンと女子社員がいて、そのうちの上司と思しきオッさんが携帯で話し出したのは興ざめでした。

2号線の反対側(北側)。うん、イカしてる!

2号線の反対側(北側)。うん、イカしてる!GXR A12 28mm

廃業と言えば、ガード下の丸玉食堂も一昨年末でやめてしまったそうです。3年ほど前に、仕事で神戸に出たついでに寄ったのが最後でした。以前はガード下にたしか2軒店があり、オヤジ達でごった返していたのですが、それがいつの間にかJRの改札近くに1軒だけになっていました。そちらの方も昼時でしたが、あまり客もおらずに寂しくなっていましたから、こちらは仕方がない。香辛料と化学調味料で、食べたあとで頭が痛くなるような、深く後悔するような料理ですが、なぜか暫くすると食べたくなって寄ってしまいます。最後に寄った時は、車だったので、シラフで定番の腸詰と汁そばを頼んだのですが、あんなのもうビールなしでは食べられないなとその時も思いました。

こちらのお店はまだ健在!ご夫婦とも元気そうでした。

こちらのお店はまだ健在!ご夫婦とも元気そうでした。 GXR A12 28mm

 

もう1軒、ガード下のレンセイ製菓はまだ頑張ってくれています。今時の柔らかくて甘さを抑えた生菓子っぽいものと正反対の硬くて甘い昔ながら洋菓子です。ロシアケーキと言うのだそうですが、私たちの子供の頃は、洋菓子というとこうしたものでした。どれも1個100円の明朗会計(消費税値上げ前は、たしか90円だった)。バスケットに好きなものを入れて会計をしてもらいます。

どれも1個100円。我が道を往く昔ながらの洋菓子

どれも1個100円。我が道を往く昔ながらの洋菓子

他にも寄りたいところはあるのですが、あまり時間もなかったので、元町はそこそこにして、大阪心斎橋に。続けます。

神戸 20年前に社内報に書いた被災地の報告

1月19日(月)、神戸に行ってきました。古くからのお客さんに呼ばれてのことでしたが、あれから20年という感慨はやはりありました。

20年前の震災の時、私は大阪市内のある建材(鋼材)のメーカーに勤めていました。地震があった時間は当時住んでいた大阪南部の住宅で起床する僅かに前でした。いつも使っていた南海本線が全面不通で、開通の目処なしとのことで、仕方なく家に戻ってテレビを見ていると、阪神や淡路島の甚大な被害が徐々に伝えられていました。

結局、その日は自宅に待機していました。次の日から出社しましたが、どうせ仕事にならないし、じっとしているのも嫌だったので、神戸とか伊丹に住んでいて連絡のつかなかった高齢の顧問の安否確認とか屁理屈をつけて被災地に入りました。いつもの社内での服装、作業着上下に、安全帽、安全靴に脚絆という出で立ちに、70リッターほどのリュックに水と乾パンなどの非常食を詰め込んで、神戸市の東灘区と伊丹の仁川に向かいました。途中で、避難所とか困っていそうな人を見かけると適宜、水と食料を渡して歩きました。途中、仕事柄、壊れた建築物や土木構造物があると写真に撮りながらです。

被災地で見たものや、撮り貯めた膨大な写真をもとに社内で報告会を持ち、その抜粋を社内報にも載せました。集めた資料や写真の類は、個人的に求めたものも含めて全て退社する時に後の資料として社内に残して置きました。後にその会社自体が吸収合併されて雲散霧消してしまいましたから、残念というかもったいないことをしたと思いますが、仕方ありません。ただ、その社内報は手元にありました。社内報といっても、ゼネコンを含む取引先にも配っていたものなので、随分持って回った言い回しになっていますが、これも仕方がない。ただ、他の土建屋や同業他社が右往左往するしかない中で、かなり早い段階での被災報告と分析であったと思っています。

実際に被災地の倒壊した建物や土木建造物を目の当たりにして、当時よく言われた古い建築基準が云々という高尚な問題ではないと強く確信しました。一言でいうと、そうしたレベルの問題ではなく壊れた構造物はほとんど例外なく素人目にもわかる手抜き、施工不良によるものでした。その事は、自分の記憶に残る事だけでも書き残すべきだと20年が経った今、あらてめて思います。とりあえず当時書いた社内報の記事を転載しておきます。写真などはすべて私が撮ったものです。画像ファイルにしてあります。クリックで拡大します。


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(かざり)金具の職人さんを訪ねました

12日(祝)、連休の終わりの日に、次の仕事に関係したお願いに、名古屋の錺金具の職人さんを訪ねる。

面識はなかったのですが、簡潔なホームページ(名古屋神仏錺金具)をお作りになっていて、それを拝見して不躾にお願いしたい仕事の内容をメールでまず問い合わせる。すぐに律儀な返信をもらい、何度かやりとりをして時間をとって頂いて、自宅兼工房にお邪魔することにした。 玄関のすぐ脇にある道路に面した大きなガラス窓に二面を覆われた八畳ほどの作業所でお話を伺う。手掛けられた名古屋城本丸御殿復元の、襖の引き手や長押の錺金具を拝見する。素人目にも見事なもので、いずれも銅をタガネなどで叩いたり削ったりして、最後はメッキや箔押しで仕上げるとの事。

名古屋城本丸御殿の長押の錺金具

名古屋城本丸御殿の長押の錺金具

同じく本丸御殿の襖の引き手

同じく本丸御殿の襖の引き手

引き手の制作過程。銅板を叩いたり削ったりして整形してゆく。

引き手の制作過程。銅板を叩いたり削ったりして整形してゆく。

こちらは、箔押しで仕上げてある。地金の上に水銀を塗ってその上から金箔を押して、その後から加熱して水銀を飛ばすのだという。いったんは金と水銀が合金化しており、その後水銀の成分を加熱して飛ばすため、微妙に水銀の成分が残る。それで普通の金箔と比べて落ち着いた上品な色合いとなる。また箔の微細な筋や継ぎ目も残らず強度も、メッキはもちろん漆で焼き付けたものより高いのだそうだ。

柱の錺金具。水銀で箔押ししたもの。

柱の錺金具。水銀で箔押ししたもの。

肝心の仕事の依頼に関しては、受けてもらえました。拝見した仕事から見て、ある意味失礼かとも思いましたが、そこはお互い「仕事しい」同士、妙な駆け引き抜きで、仕事の中身や予算も隠さず申し上げれば、なんとかしてもらえるものだと思いました。体使って仕事している分には、そんなにお金が儲かるわけではないことも分かってますしね、お互い。私は、こうして異業種の職人さんとお話するのが好きです。店舗の仕事や造作の仕事の場合は、大工や、軽天屋、クロスや左官と言った内装屋、水道屋、ガス屋、椅子張り屋などなど、皆、腕が太く上半身がごつくて、なんだか同じ空間にいても安心感があります。子育てを経験した女性も、それなりに腕が締まってたくましくていいです。逆にホワイトカラー(これも死語か?)な上半身が貧弱な男たちや、職人以外の異様に腕の細い若い女性は、もうなんだか別の世界の人のように思えてしまいます。


さて、この日も、近鉄と地下鉄を乗り継いで出かけました。休日ということもあって、そんなに混んではいなかったのですが、気になったのは乗り合わせた列車の優先座席に座った人間が、ことごとくスマホをいじっていた事。10代と思しきガキから50代くらいのオバさんの団体まで、老若男女を問いません。地下鉄では座席の足下に大きな字で携帯の電源をお切りくださいと書かれています。車内放送もしつこいくらい繰り返されます。見えない聞こえないのか、そのふりをしているのか。あと、これは主に若い女性ですが、電車が着いてホームに降りたあとも3人に1人くらいの割合で歩きスマホをやっています。親戚のおばさんで、ペースメーカーを埋めている人がいると言うことを別にしても、なにか悪いものに取り憑かれている亡者のようにしか見えません。ご本人たちは、そうした自分の醜怪で無様な姿を、一度客観的に見直してみるという事をしないのか不思議です。