白い彼岸花

朝の雑種犬・タローを連れての堤防沿いの散歩では、見かける顔ぶれはたいてい一緒ですが、この四五日ほどは知らない人もチラホラ見かけるようになりました。春のサクラの季節もそうした事があります。春は花につられてという事なんでしょうが、すると今ごろは彼岸花に誘われてのことでしょうか。 進歩のない私にとっては、彼岸花はやはり山口誓子の句と、灰谷健次郎さんの『太陽の子』を連想させます。繰り返しても仕方がないので、よろしければ古いこちらの記事をご覧ください。→「曼珠沙華(彼岸花)

災害や、色々悲しいことも個々にはあるにしても、先人の知恵と努力のおかげで戦争も飢饉もこの国では避けてこれました。そのため死に花とも呼ばれたこの花の禁忌なイメージが薄れてきたのかなと思います。先入観なしに眺めれば、眼に痛いような赤が堤防のそこかしこに点描されたように並ぶ様は艶やかなものです。ただ、私にとってはこの花は『太陽の子』の沖縄戦の苛烈な体験により精神を病み自死してしまうふうちゃんのお父さんや、風車を手に泣いていたおじさんの事を連想させてしまうのです。

白い彼岸花

白い彼岸花

それと、タローを連れてこの川沿いの堤防や河川敷を歩くようになって5年ほどになりますが、これまで見ることのなかった白い彼岸花が少なくとも3カ所で咲いています。これも何らかの変異なんでしょうが冷夏と降雨の気象の影響なのでしょうか?

散歩は5時半からに

昨日は、寒さで目を覚ましました。日も短くなり、朝、雑種犬・タローの散歩に出る時間を30分遅らせるようにしました。こいつも夏の間はバテ気味でしたが、なんとか元気を取り戻したようです。

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四日市公害訴訟原告団9人の写真

もうオフトピックというか、随分時間が経ってしまいましたが、四日市に生まれ、また現在そこに住んでいる者として、書いておきたい事なのでお付き合いください。今月の2日、津市で開かれたフォトジャーナリズム展三重2014 と、 「津平和のための戦争展」・「平和を考える市民のつどい」に行ってきました。

恥ずかしい話ですが、フォトジャーナリズム展三重は県外に住む友人に教えてもらいました。様々な民間団体が協力して開催しているようで、参加費は無料。ありがたいことです。DAYS国際フォトジャーナリズム大賞の受賞作品や「四日市公害を忘れないために」写真展などたくさんの展示や企画がありました。

後者は、実行委員会主催・津市共済で津の空襲の経過や焼け野原になった市内のパノラマ写真や模型や、亡くなった人の遺品の展示。それらを前にしての語り部の体験者のお話など、こちらも手作り感と共に不戦・反戦平和を願う気持ちの伝わる良い催しでした。加えて市主催の「平和を考える市民のつどい」として、この日は映画『父と暮らせば』が上映されました。大きなホールが7割ほど埋まる盛況で、いいなと思ったのは、おざなりに上映しっぱなしではくて、始まる前に市の担当職員が津の空襲の歴史について簡潔にお話された事です。終わってからも、同じ職員の人が登壇して、ぜひ家に戻ってからも今日見た映画の感想などを話しあって平和や原爆にについて話し合って下さいと挨拶され、拍手を受けていました。宮沢りえと原田芳雄主演の映画をタダで流して終り、というのではなく、ちゃんと上映の意味を短く説明するのは、とてもいいなと思いました。

さてフォトジャーナリズム展三重で、参加者へのアンケート依頼があり、その中で一番印象に残った写真はどれかという問いがありました。私は、メイン展示のDAYSの受賞作品ではなくて、「四日市公害を忘れないために」写真展の中の、「四日市公害裁判の9人の原告」という写真にしました。 別に奇をてらったわけではなく、半世紀近く前の写真ですが報道写真として一番強い印象を与えてくれたからです。

この写真とフォトジャーナリズム展三重の他の写真については、長くなりますのでホームページに別記事としてアップしました。宜しければご覧ください。
   ↓
四日市公害訴訟原告団9人の写真 -フォトジャーナリズム展三重2014で見て


四日市公害訴訟原告団9人の写真。澤井余志郎さんによる。

四日市公害訴訟原告団9人の写真。澤井余志郎さんによる。

初盆、浴衣、ステテコ

台風11号による大雨が治まるのを待つように、11日に昨年末に亡くなった母親の初盆の法要を行いました。今回は、新たに一人女性が一緒に参ってくださって、これまでのオッサンと婆さまだけの法事に華やかさが加わったように思います。それに、翌12日は指輪をもらっていただいたSさんが、ご夫婦でお供えを持って来てくれました。少し前には、浴衣と着物をもらっていただいた人がそのお披露目も終わって焼香してくれました。名古屋から伯母も来てくれたし、賑やかな初盆となりました。

その初盆の法事の前の9日(土)、あるイベントに久しぶりに発掘した浴衣を着て出かける予定にしておりました。浴衣を着ていると入場料がタダになるという設定に釣られたのです。しかし、当日は、台風の接近で浴衣もなにも外出する事自体が無謀と思われるような天候で当然やめておきました。

さて私及び他の兄弟二人もいずれも身長が180センチを超えます。普通の丈の浴衣や寝間着を着るとバカボン状態になってしまいます。実家から発掘した浴衣は袖を通してみると、いずれも毛脛も隠れて、ちゃんと着ることが出来ます。規格外サイズの息子たち用に仕立ててくれてあったのかなあと思います。男の浴衣でおはしょりなんてしないですよね。

実家にあった浴衣

実家にあった浴衣

何枚かあるうちで、若い時気に入って何度か着せてもらっていたのが麻の絣のものです。なつかしいし、これがやはりいい。祖父の着ていたものを仕立て直したのだと聞いた覚えがあります。帯も桐箱に入ったままの角帯が3本。これも兄弟に一つずつという事だったのかなと思いますが、色違いでおもしろい。あと、下駄もあるし、腰紐なんかは寝間着の紐でいい。綿の浴衣ならそのままひっかて出ることもできそう。しかし、麻だと微妙に透けて、いいオッサンがみっともない。それに擦れて歩きにくいだろう。やはり下着がいる。父親のステテコが残してあれば、それでいいのだけれど、捨ててしまった。それで仕方がない、買いに行った。

麻の絣の浴衣と帯(藍)

麻の絣の浴衣と帯

今は、ステテコという商品名では置いていないようだけど、少し年配の店員さんに聞いたらちゃんとあった。上下それぞれ2枚セットで各々税込980円だった。今の若い人はステテコと言っても知らないでしょうね。植木等と言っても余計にわからないか。バカボンのパパのファッションと言えば了解してもらえるでしょうか。私たちが子供の頃は、夏の夕方になるとオジサンたちはこのバカボンパパ、オバサンたちはアッパッパというのが定番のスタイルだったと記憶しています。

たぶん生まれて初めて着たぞ。ステテコ。

たぶん生まれて初めて着たぞ。ステテコ。

結局、麻の浴衣は着ることがなかったのですが、せっかく買ったステテコは風呂上りに上下で来てみました。これが実に快適です。肌にまとわりつかず、ベタつかず、外気を肌に導き、実に涼しく爽快です。そらオジサンたちが愛用してきたはずだ。なんで、今までこれを着てこなかったのかと悔しい気にすらなります。試しにシーンズの下にも着用してみましたが、ジーンズの生地が肌にまとわりつかず、空気と汗の逃げ道を作ってくれるようで快適です。私は、新素材の除湿なんとか、防臭なんとかという下着の類が大手スポーツメーカーのものも含めてことごとくダメでした。肌触りが悪いので綿の下着の上からそうしたものも着用してきましたが、何をしてきたのかという感じです。これから風呂上りには、このバカボンパパ・スタイルで過ごすことになりそうです。新素材のハイテク云々のものに比べれば安いものですから、皆さんもお試しあれ!

無事です、台風11号。

色々ご心配頂きありがとうございます。こちらは大丈夫です。

相変わらず三重県下には大雨特別警報が出ていますし、四日市市内全域の避難指示も解除されていません。でも、裏の海蔵川の水は随分引いて、今朝もいつものようにタローを連れて河川敷を散歩してきました。ただ風は強くなってきました。避難指示の出た昨日の午後6時前くらいが一番水位も上がっていたようです。けさは、鮒の子どもが3尾ほど打ち上げられていました。

吉野に行ってきました 4(終)

如意輪寺から近鉄吉野駅

如意輪寺を出ると再びアスファルトの車道になります。そのまま歩いても面白くなさそうです。少し戻って中千本に出ることも考えましたが、この日はイマイチ体調がすぐれないこともあって、とりあえず吉野駅まで行くことにしました。途中クリの木とかマタタビのツルがありました。クリのイガはまだ青いし、マタタビの実はちょうどいい塩梅でしたが、藪にはヤマビルが群れていそうでやめておきました。

それでも、ちょこちょこ脇道にそれると、やはり信仰の山らしくあちらこちらに石碑やお地蔵さんがあります。吉野駅についたのが13時前。宮滝でバスを降りたのが10時10分くらいだったので、普通に歩いて2時間半ほどのコースでしょうか。如意輪寺駐車場から入る道がしばらく岩場になっており少し急峻ですが、あとはなだらかな坂道です。道中登り降りの起伏も少なく、日も入るし尾根に出れば風も通ります。ハイキングにはいいコースだと思います。ただし、この設定されたコースでは行程の半分以上をアスファルトの車道を歩くことになります。それを森林セラピーとまで称するのはどうかなと思ったりします。

途中見かけた小さな祠 GXR A12 28mm

途中見かけた小さな祠
GXR A12 28mm

山道にあった石碑 GXR A12 28mm

山道にあった石碑
GXR A12 28mm

お地蔵さん GXR A12 28mm

お地蔵さん
GXR A12 28mm

私自身は、上市や宮滝界隈でもっと遊んでおけば良かったと悔やんでいます。あと、近くの津風呂湖温泉というのが、なかなかに汚らしいひなびた趣きのあるところのようで面白そう。季節のよい頃なら、そうしたところで遊んだ後に少しばかり歩いて吉野駅に向かうというのも良さそうです。

吉野に行ってきました 3

高滝から如意輪寺に抜ける

登山道に入ってしばらく登ると、高滝に出ます。ちいさな滝ですが、たいへん美しい景観です。本居宣長も吉野を訪れた際にここを通ったとのこと。『菅笠日記』の該当部分を引用した看板が立っていた。昔から吉野から喜佐谷を通って離宮のあったという宮滝に抜ける街道であったらしく起伏の少ないゆるやかな登り勾配の道が続きます。稚児松地蔵と呼ばれる辺りからは、今度は一転して下りの道が如意輪寺に出るまで続きます。周囲は杉の植林地で、比較的良く手入れされていて、陽も入るし風も通ります。それなりに爽やかですが、やはり植林地というのは面白くない。それに先週後半の暑さの影響か、身体に少し変調をきたしていたこともあってあまり楽しめませんでした。

高滝

高滝

少し急な雨の通り道のような岩場を下りきると再びアスファルトの車道に出ます。そこには如意輪寺の駐車場があって案内に從って進むとお寺がありました。南朝勅願寺・小楠公遺髪奉納の地ということで、格式の高い、私のような不敬の輩が足を踏み入れるのも憚れるような所かと少々訝しく思っていました。境内に近づくと子どもの声がします。どうやら遠足で来ているようで、ちょうどお昼の時間帯で集まって弁当を食べるところでした。小さくこじんまりしたお寺で、子どもがかまわず走り回っていますし、庫裏というか休憩所のようなところでは土産物が売られていました。つまり普通の地元のお寺という雰囲気でなんだか安心しました。ここもそうですし、川上村とか十津川村とか南朝の関わりで尊皇思想の根付いた土地柄と言われています。そうした遺構のいくつかも訪れました。いずれも居丈高な、為にするような妙な政治的な装いがありません。いわばこの地域の風土とか民間信仰のような自然なものになっているのでしょうか。

如意輪寺本堂。横で子どもがお弁当を食べている。

如意輪寺本堂。横の木陰で子どもがお弁当を食べている。

吉野に行ってきました 2

喜佐谷の集落を抜ける

遭遇した小学生の一団の中の女の子4〜5人が、歩きながら歌をうたっています。

はじめて見る山 はじめて見る川 はじめて歩く道
ジャンバラホイ ジャンバラホイ ジャンバラホイホイホイ

これを飽きることなく延々繰り返します。途中思い出したように、たまに今日から友だち 明日も友だち ずっと友だちさというフレーズが挿入されます。帰ってから調べたら、元歌(『キャンプだホイ!』)と少し歌詞が違います。でも元のはじめて泳ぐ海なんて、ここには海なんかどこにもないのだから、はじめて歩く道の方がずっと自然でいい。子供たちがアドリブで適当に替えて歌っているとしたら、すばらしいなと思います。それと、合いの手のようなジャンバラホイというのはなんだろう。何かのオノマトペかそれとも適当な語呂合わせか、聞いてみたかったけど我慢して、でも並んで歩いている間、小さな声で一緒に歌っていました。

宮滝バス停から吉野川を渡る

宮滝バス停から吉野川を渡る。遭遇した小学生の先頭集団。後ろにパラパラ続いています。

私たちが子供の頃は、こうした遠足では2列縦隊くらいに並ばされて、無駄口をきくなとか言われて黙々と歩かされていたように思います。運動会の入場行進の練習とか始業式やら卒業式なんかの整列とかの練習も含めて軍事教練そのものです、今思うと。こうして適当にバラけて友達同士集まったり離れたりしながらデタラメな歌をうたいながら歩くほうが楽しいに決まっています。それに今は、ウォーキングやジョギング、それにトレーニングにしてもこうして歌ったり話したりしながら行うほうが効果があるとされているようです。でも管理する方は大変です。この時の引率の先生たちも、子供たちの様子を常に覗いながら、前後に車や自転車や、他の歩行者がないかずっと気をつけていました。林道に入ってから、前から車が来た時、少し列からはぐれた低学年の男の子を女性の先生が抱きかかえて戻していました。そんなことより強圧的に整列させて黙々と歩かせるほうが管理する側の都合から言えばずっと楽なのです。小生意気なガキであった私はそうした軍事教練もどきが大嫌いでした。それで、こんなことをさせる教師たちに、自己満足か大人の都合や理屈でやらしているのだろうと思って、ふかく軽蔑しておりました。教育に関してもいろいろ言われていますが、今の子供たちのほうが、私たちの頃よりずっと伸び伸びとして幸せだと思います。その分、先生たちは大変で、でもよくやってくれているんだと思います。

喜佐谷の登山道入り口

喜佐谷の登山道入り口

さて、しばらく並んで歩いた子供たちを追い越しての喜佐谷の集落に向かいます。途中の川沿いに公園のような場所があって、そこに先発して先回りした先生らしき人が待っていて、子供たちの姿を認めて来た来たとか呟いていたので、そこでキャンプをするのでしょう。私は歩を進めますが、いくら歩いても登山口らしきものはありません。まさかこのままアスファルトの道を歩き続けるのかと思って心配になりましたが、集落を外れたあたりにようやく標識を見つけました。