吉野に行ってきました 1

大和上市駅からバスで宮滝まで

吉野に行ってきました。普通に花の季節にも行っているし、別のルートで遊びたいと思って「森林セラピー」と称して紹介されていたコースを歩いてみることにしました。ただし、バスの時刻などもあるので、逆から辿ることに。

別に急ぐわけでも仕事でもないので、近鉄特急を使わず最寄りの「川原町」駅から都合3回乗り換えて3時間37分かけて大和上市駅へ。ちなみに出発は6時11分です。この大和上市駅というのが、田舎臭い良い駅です。なんとか田舎の駅舎をモダンに見せるように頑張ったというキッチュさがたまらなく良い。バブル期以降、駅前再開発と称して、ロータリーとそれを囲むような四角い商業施設と高層の目的不明のビルといったものが日本全国に広がってしまいました。規模の大小の差があるだけで、それらはどこも同じように無味乾燥、なんの面白みもありません。テナントと言ってもたいていは全国チェーンの店舗ばかりです。でも、さすがにここまでは、シロアリのようなディベロッパーや役人も、手と金が回せなかったとしたら喜ばしいことです。

近鉄大和上市駅

近鉄大和上市駅

さて、二人年配の駅員さんがいて、一人に川原町発の切符を見せて清算してもらいます。ここには自動精算機なんてありません。私は、特に決まった用件とかがない場合は、気が変わって途中下車したり目的地を変えたりできるように、とりあえず乗車時は初乗り区間の切符しか買わないことにしています。しばらくして、お客さん、すいませんがこれは何線の駅でしょうか?と尋ねられます。おい、いくらローカルな駅でも、自分の会社の駅だぞと思いつつ、名古屋線の四日市の一つ名古屋寄りの・・・と言って解決。バス停はどこかと聞くと、もう一人の駅員さんが案内してくれるが、本当に駅の真ん前で、別に案内されるまでもないのだけれど、付いてきてくれて、どこまで行くと聞かれる。宮滝までと答えると、運賃を調べて教えてくれる。そうこうしているうちにバスが来る。

バスに乗ってあらためて駅前の商店の前を通る。なんとも素敵な古い荒物屋とか食堂とかあって心惹かれる。「ひかり食堂」という看板に暖簾も出ていたので、あの時間帯(午前10時前)でもやっていたのだ。もう少し早く来て、遊んでおくのだったと後悔する。もしやと思って帰ってから“大和上市 ひかり食堂”で検索してみると、ここもブロガーが訪れています(大和上市駅前ひかり食堂)。私の好きな「食堂」の要素がすべて揃っているのではないかと思われます。こんど吉野方面に来る時は途中下車してでも絶対に寄ります。

バスは、駅前を出て吉野川沿いに169号線を走る。この辺りも何度か車で走っているのだが、バスの車窓からのんびりと眺めているといい風景だ。道沿いの家並み商店やその看板も面白い。コンビニやチェーン店の見慣れたケバケバしい看板がないのが何より良い。それにバス停の名前になっている地名がいろいろ興味深く、その謂れを想像してみる。やっぱりこうした所は車で来てはダメなんだ。

宮滝のバス停を降りると、なんだか見覚えのある醤油屋があった。それとバス停近くの案内を見ると提灯屋とか竹細工の店も近くにある。寄ってしまうと、これから山道を歩くのに醤油や提灯を抱えて歩くことになりそうなので、我慢して登山口を探すことにする。そこに、遠足のような小学校中低学年と思しき一団が先生に引率されて現れる。どうやら方向は同じようだ。

宮滝バス停から吉野川を渡る

宮滝バス停から吉野川を渡る

月命日

今日19日は、母親の月命日にあたります。8ヶ月となりました。あと、明後日21日は母親の誕生日で生きていれば満86才になっていました。だからと言って特に何もしているわけではありません。ただ、ようやく最近になって5年前の仕事と生活のペースに戻りつつあるという気はしています。

昨日、近くに一人で住む伯母(母親の姉)が従姉妹夫婦に引き取られて名古屋に行きました。母親(妹)が亡くなってから、めっきり弱って認知症の兆候もボチボチ出始めていました。それで従姉妹夫婦の店の近くに高齢者向けマンションが既に手配されていて、そこにいずれと話が進んでいたようでした。そうしたおりに、詳しくは書いても仕方ありませんが、以前から繰り返されてきた早朝からの救急車騒動を2日続けて引き起こし、なかば強引に連れていくことになったようです。私も、伯母の家に顔を出して様子を見ながら従姉妹夫婦と今後のことも含めて少し話をしました。立ち去り際に、伯母がなにか残りたいとか言ったのでしょう。お嫁さんが、おる(居るという意味)と言っても、もう無理だと分かったでしょうとたしなめるような声が聞こえました。かわいそうに思いましたが仕方がない。もう老い先そう長くはないのだから私が面倒を見るからここに居させてあげてくれ、と私自身も言わない。まあ言っても遠慮されるでしょうが、それも含めて仕方がない事だと思っています。

モーツァルトの「ソナタ九番」


ジーパンで自転車をこぐモーツァルト見かけたソナタ九番の中

昨日の朝日歌壇に載った歌です。選者の馬場あき子さんによると中学生の作のようです。

モーツァルトのソナタ9番というと、最近は通し番号の順が少し変わって、昔8番イ短調のソナタと言っていたK310を指すようです。今の中学生が言うソナタ9番というとやはりそれなんでしょうね。我々の世代でモーツァルトのイ短調のソナタといえば、かのディヌ・リパッティが悪性リンパ腫で亡くなる直前のライブ録音の壮絶な・・・云々となるのですが、そうか、なんの先入観もない中学生が聞くとジーパンに自転車のモーツァルトが見えるのですね。うん、羨ましい。もし、旧9番のK311 の事だとしても、と思ってあらためて聞いてみました。それはそれで素直な楽しい連想だと思いました。

もうね、小林秀雄の『モオツァルト』なんて読まないほうが、普通に楽しく音楽を聞くことができると思います。

東電原発事故についての映画3本

最近、東京電力福島第一原子力発電所事故に関わる映画を3本観ました。

A2-B-C
いきもののきろく 
あいときぼうのまち 

いずれも上演初日に観ました。おかげで各映画の監督やスタッフ・出演者の舞台挨拶やトーク・質疑を聞くことが出来ました。映画自体の紹介は、リンクの各映画の公式サイトや予告編を見てもらうとして、ここでは、舞台挨拶などで語られたことについてメモをもとに紹介します。

「A2-B-C」 イアン・トーマス・アッシュ監督の話

上映会で挨拶するイアン・トーマス・アッシュ監督

上映会で挨拶するイアン・トーマス・アッシュ監督

  • この映画は、海外から上映を始めた。日本での上映もそれに続いて行なっているが、まだこの映画の舞台になっている福島県伊達市では上映できていない。
  • 映画に登場してくれたお母さんたちの立場が地元では微妙になってきている。1年半が経って、この映画で話してくれたようなことは既に話せなくなってきている。
  • 復興バブルというものが確かにあって、お母さんたちのように子どもを守るために、当たり前の疑問を持つこと自体が、バブルに邪魔になるというのが、自治体、企業、住民の間にすでに広がっている。
  • 国や東電は原発の距離で線引きをして住民たちを分断している。わずかなお金を取り合いさせることで住民同士をケンカさせている。敵は東電であり、国なのだ。
  • 安全だと思いたい人は話したがらない。
  • どこかいつかと比較して、放射線量が低い、下がったと思いたがっている。

「あいときぼうのまち」管乃監督・脚本井上さんの話

挨拶する「あいときぼうのまち」のスタッフ・出演者の皆さん

挨拶する「あいときぼうのまち」のスタッフ・出演者の皆さん

  • 「東電」という名を映画で出したことにより、メディアから一斉に黙殺されている。
  • 現在、保証の問題をめぐって東電側の弁護士から、どうぞ訴訟でもして下さいというような対応も出てきている。
  • 福島県では、いわき市で先行上映をした。作ってくれてありがとうと言われた。

この件、続けます。

いただきもの

東の方にお住まいのお客さんからの頂きものです。韓国土産だそうです。この時期に韓国に遊びに行く事自体、その世間の風潮に左右されない自由闊達さに拍手です。色合いなどちょうど先週、仕事で京都に行った帰りに寄った高麗美術館で見た高麗青磁と良く似た雰囲気です(当たり前か)。 40年前に、中国に行った時、北京や瀋陽、長春のホテルではどこでもこうした形の大きめのカップが部屋に置かれており、そこにジャスミン茶を入れてポットから湯を注いで飲んだことを思い出します。ただそれには、中子(茶漉し)も取手もついていませんでした。おまじないかもしれませんが、米のとぎ汁で暫く煮てから、工房で使っています。お茶を飲むのに急須やポットが不用なので都合が良いのです。

オマケ(?)でいただいたボーダー柄のシャツは、夏の定番とは言えこの年になって、さすがに着られないかなあ。残念ですが。

韓国土産のカップ

韓国土産のカップ、茶漉しの中子と蓋が付いている。

いつの間にかこんなものが侵入していた

今日は、庭木の剪定を行いました。剪定といってもデタラメに枝を伸ばしたものを適当に切って、なんとか日が入り風が通るようにするだけです。庭の手入れは母親がやっていたようですが、認知症が進行し父親が弱って入退院を繰り返した頃から放って置かれたように思います。それに、鳥が運んできたような庭木とも言えないようなおかしな木にも支柱が立てられたりしています。ボケのせいか、あるいは年をとって、なんであれ庭に出た実生の苗木を慈しんでいたのか、よくわかりません。とりあえず1階の軒を越えたその類の木は一昨年、こちらに住むようになって刈ってしまいました。

さて、今年はいつものヤマイモに混じって、こんなものも。去年までは見たことがなかったので、これも鳥が運んできたのでしょうか。よく見れば’可愛い花なのかもしれませんが、かわいそうな名前を付けられたせいか、愛されていないし、私も庭木に絡みつかれるのが煩わしく、別に好きでもないので抜いてしまいました。

今年庭に咲いていたヘクソカズラ

今年庭に咲いていたヘクソカズラ

 

修了式でした

今日は、一月半にわたった介護職員初任者研修の修了式でした。講座の主催者である介護事業を運営する有限会社の社長の挨拶があって修了証を渡される。正味30分ほど。一応出欠の印を押すことを求められたので、これもカリキュラムのうちなのかもしれませんが、別にこんな事なら修了証を郵送してくれたら良いのにと思った。半パンにトレーナーという朝起きて、サッカーを見てそのまま来たという風情(そう自分でも言っていた)の社長の話は、どこかのコミニュティ誌に書いたというサッカーワールドカップの日本が属する予選グループC組の各国のFIFAランキングとWHOの医療ランキングの関係云々。何か気のきいた話のつもりなのかなあ。まあ、少しは介護とかすっているか。そのコミニュティ誌がまだ発行されていないので、この話を皆さんが最初に耳にできるというありがたい能書きつきでした。

この社長、講座でも1回講師を担当していた。介護保険制度と介護とコミニュケーションに関する大事な内容の単位だったけど、自分がいかにリスクを回避しながら上手く立ちまわって事業を大きくしてきたかという立身出世談がメインだったと記憶している。バブルの頃に成人となった世代の人は、この分野でしつこく生き残っているのかとジュリアナ東京の折口某を思い出しながら聞いていました。そう言えば、講座の時はパステル色の3ボタンのスーツをピチピチに・・・とまあこのへんでやめておきます。

社長のいかがわしさを除けば、他のスタッフの皆さんは気持ちの良い人ばかりでしたし、この講座に参加したことは自分にとっては大変有意義でした。当初の自分の目的であった親の事に関しては、色々と分かって身につまされて忸怩たるものがありますが、その点はまたあらためてまとめます。私は、親の事もあって、いわば否応なく、さらに言うと嫌々ながら介護という問題に向き合わざるをえなかったのですが、そうではなくて、今後の自分の直面するであろう事として前向きに考えようとする、あるいは実際にその現場を知った上で入る事を決めている、そうした30代から60代までの様々な人が、現にいるという事が分かって、そうした人たちと知り合えたことが何よりありがたかったです。出席の関係で、今回は修了試験を受けることが出来なかった60代の男性が、私の仕事仲間と意外な所でお付き合いがあった事も分かって愉快でした。

さて、この日は式のあと皆さんと一緒に軽く食事でした。メアド交換と少しの身の上話。今日はその為に集まったと思えば納得できます。記念に撮ってもらったスマホ画像。皆さんの承認を得て載せておきます。皆さん、達成感に満ちた良いお顔をされています。ただし、まだ独身の女性もいらっしゃるようなので解像度を下げて小さくしておきます。

介護職員初任者研修・修了者の皆さん

介護職員初任者研修・修了者の皆さん

修了試験でした

今日は、初任者研修の修了試験でした。欠席なく講座を履修した6名に受験資格があり、やむなく欠席のあった2名は補修を受けた後、来期の講座で受験ということになるそうです。

結果は、受験した6名全員が合格。しかもほとんどが満点に近い点数だったそうです。試験そのものは、落とすための試験というより合格させるための試験という感じでした。一つの問に5つの文章があり、その一部分が空欄になっています。そこに、5つの選択肢としてあげられた言葉を埋めるという形式です。引っ掛けの逆で、意味が多少曖昧でも文脈だけから判断しても、合格ラインの7割くらいは回答できそうな問題です。

対策も手厚く、試験の前日には試験問題と5つの選択肢そのものを、講師が読み上げそれを受講生がメモするという答え合わせのような事もやってくれます。それでも、41問×5→205の文書を読み上げメモするだけで正味4時間、けっこう大変でした。試験の意味がないと言われそうですが、それは試験というものを、選別するもの、ランク付けするもの、振り落とすもの、という固定観念からくるのかなと思いました。205例の文章は、それぞれが授業でやられた介護の理論と実践に関する大事な内容で、それを試験というイベントを通して繰り返し耳にして、自分でも書き写すことにより、自ずと体に染み込ませることになりました。講座の最初の頃に提出させられた、ほとんど教科書を丸写しのようなレポートも、そうした意味があったと思います。

さて、昨日帰りに寄った「つたや」さんには、かりんとうまんじゅうが残り9個。明日は定休日だそうで、明後日は講座は休み、最終の金曜日は自転車ではなく電車にするつもりなので、これが最後になります。ちょうど受講生と講師合わせて9人なので、皆さんにお配りしました。色々話題にしたり、地元の人に尋ねたりしたこともあって最後に穴埋め出来たように思いました。

こちらは、一号線沿いにある立派な木造建築のお菓子屋さん。こちらは縁がなかったというか、またの機会に。

桑名益生、1号線沿いにある御菓子処 和(かず) GXR A12 50mm

桑名益生、1号線沿いにある御菓子処 和(かず)
GXR A12 50mm