ディドの哀歌

2年前の6月、名古屋伏見の電気文化会館ザ・コンサートホールでのリサイタルで、私の好きなクリスティーネ・シェーファーが歌いました。

When I am laid in earth,
May my wrongs create
No trouble in thy breast,
Remember me, but ah! forget my fate.

私が死んで葬られる時
やらかした過ちの数々が、
あなたを煩わす事がないように
思い出してね、でも最期のことは忘れてしまって。

(拙訳です)

ヘンリー・パーセルのオペラの中のアリアです(『ディドの哀歌』)。リサイタルの前半の最後の曲でした。最後の節” Remember me, but ah! forget my fate.が切々と繰り返されます。

これは、認知症の人の残された人への最後の言葉ではないかとその時聴いていて思いました。もちろん劇での設定は全然違うのですが、そんなことはどうでもよろしい。今、講座で老化とか認知症の事をあらためて勉強していて、またその事を思い出しました。思い出してね!でも好きこのんでボケたわけでない、その” fate “は忘れて欲しい。

2012年6月30日 クリスティーネ・シェーファー リサイタル

自転車で東海道を走って帰りました

講座の開かれている老人ホームまでは、正味13キロほどで、自転車でタラタラ走って小1時間おおむね50分ほどの距離になります。今日の帰り道は地元から来ている人に教わって旧東海道を通りました。往路に使った国道1号線と違って走りやすく快適だ。もちろん車ではなくて自転車での話です。昔の街道は、曲がりくねって遠回りをしているように感じます。あれは、地形の微妙な凹凸の間をなぞるように丘を避け沢を巻いているからだと思います。自分の足で歩く、また馬を曳き荷車を押して歩くような場合、坂の登り降りが何より辛い。雨の日の水たまりや水没は最悪だったことでしょう。多少は遠まわりであっても、出来る限り平坦な道がありがたい。昔の街道というのは、そうして何十年、何百年の時間をかけて、あるいは試行錯誤を繰り返しながら作られてきたものなんだろうな。

自転車でゆくと、あるいは徒歩の場合よりも道の勾配をベダルにかかる負荷として繊細に感じることができます。先人の開いた道のありがたさを実感できます。逆に、今の「道路」を車に煽られながら走ると、それがいかに車中心・車本位の生身の人間に優しくないシロモノか良く分かります。

さて、ここをたとえば200年前、お伊勢参りの人が歩いていたのだと思うと愉快です。これから少しづつ横道にもそれて遊んでみたいと思っています。

早くお休み下さい、中曽根大勲位

昨日の憲法の日、老いさらばえた醜怪な姿を公衆に晒している政治家がいました。この人は、まだ自分の孫やひ孫にあたるような若い人に武器を持たせて人を殺し、また殺されるような国にすることに執着しているのでしょうか。その禍々(まがまが)しさは、もはや何かにとりつかれた魑魅魍魎ちみもうりょうのように思えてなりません。そんなことよりも、かつて自分が通産大臣だった時に推し進めた原子力発電が、この国を壊してしまったことを少しは反省して、その責任をどんな形にしろ取ってから公の場からさる。それがあなたの最後の役目でしょう。

少し前に、図書館の雑誌で読んでメモしてあった歌があります。さすがに、こんなものを引用するのは品がないと思っていましたが、このご老人がいまだ公人として憲法改正を叫んでいるのを聞くと、甘かったと思います。この人と石原慎太郎は一分でも一秒でも早く、すくなくとも公の場から姿を消してくれるのが日本のためだと信じます。

1918年生まれ、今年96歳か。

日本を原発大国にみちびきし中曽根康弘まだ生きている

原発の導入すすめ靖国の公式参拝したるナカソネ

日本を胡乱うらんな国にした男ナガゾネヤズヒロぼくは嫌いだ

いずれも高野公彦さんの歌です。こうした歌も一緒に発表されていました。

海かぜに原発ねむるにんげんのいかがわしさの標本として

ゆっくりと起こる海進海退の一千年後原発無けむ

ふたたび『ある精肉店のはなし』のアンコール上映について

前にも書きましたが、連休後半、名古屋駅前のシネマスコーレで、『ある精肉店のはなし』がアンコール上映されます。5月3日(祝)〜9日(金)16日(金)まで、時間はいずれも12:00〜13:50です。連休の予定が特に決まっていない人はぜひ出かけて見て下さい。もし見て面白くなかったら、そうですね、チケット代分くらいは私がビールをおごるかして何とかします。

繰り返すのは、先日のトークで監督の纐纈はなぶささんが、最後にこのアンコール上映の件を紹介して、ぜひまわりの人に教えてすすめて欲しいと頭を下げておられたからです。こういう映画は皆さんの口コミだけが頼りですともおっしゃっていました。纐纈はなぶさ監督は、最初の作品が反原発運動を戦う島の人のドキュメントです(ほうり)の島』)。もうその段階で、大手のメディア・新聞やテレビで扱われることはなくなったと言ってよいでしょう。電力会社は、こうした大手メディアの有力な広告主でスポンサーです。民主党や連合などの関係でも、電力労連という御用組合(この言葉自体が死語か)の圧力によって無視され続けることでしょう。そういう既成の利益団体・圧力団体にこびを売らず、ひたすら自分の良心と表現の意志に従って作られる映画を応援するためにもお金を払って見に行って下さい。

介護職員初任者研修講座に通いはじめました

昨日から、となり町に介護職員初任者研修講座というものに通っています。昨年までは、ホームペルパー2級と呼ばれていたものです。これから週3日のペースで6月下旬まで続きます。

また、何をはじめるつもりかと思われそうですが、自分としてはちゃんとした理由があります。不謹慎ではありますが、今は介護の仕事に就くつもりはありません。5年前に父親を、昨年11月には母親を看取りました。年明けの母親の四十九日を済ませたあたりから、自分は認知症も含めた人間の壊れ方、末期について何も分かっていなかったと思いました。大事な事はケアマネージャーや、ソーシャルワーカー、看護師や介護職員に任せっぱなしで、右往左往するばかりでした。普通の人にとってはそれで当たり前だし、仕方のないことと言われればそうだとも思います。それでも、もう過ぎてしまったこととは言え、たとえば父親の晩年のすべての意欲を放棄した緩慢な自殺とも言えそうな投げやりな姿勢とか、認知症の母親の妄動や虚言は、どういうサインだったのか、やはり今からでも理解できるならしたい。一般的な学者や評論家や宗教の人間が書いたものは、何の役にもたちません。また別の機会に取り上げたいと思いますが、そういう人たちの好んで取り上げる「介護美談」の類は、逆に介護者を追い詰め苦しめることになります。最低限、自分が専門家として職業的に、あるいは当事者として向きあうつもりで勉強しなければ何も分からないと思います。

それは、確実にやってくる自分や自分のまわりの人の老いや死、看取り、その中で否応なく罹る可能性のある認知症に少しでも自覚的に対処するすべになりはしないか、出来ればなってほしいとか考えています。具体的には、自分の伯母はもう認知症の初期症状のようなものを発症しています。それにあるお客さんの奥さんは、まだ70代の前半ですが、転倒、大腿骨転子部骨折、人工骨頭、圧迫骨折、そして認知症と、母親の辿ったのとほぼ同じ道を、10歳も早く歩みつつあります。だれも特別ではありえないのです。

葉蘭に包んだおにぎり

葉蘭に包んだおにぎり

さて、講座の開かれている場所は、主催者の運営する有料老人ホームです。入所者が揃ってデーケアーに出かける平日の昼間に、そこのデールームで今は座学が開講されています。まわりには一軒コンビニがあるくらいで食堂とかも見当たりません。で、弁当持参しています。握り飯に、簡単なおかず。バランと風呂敷で包んだおにぎりは、べたつかずご飯粒が立ったような状態が保たれるので、それだけで美味しいのです。これ、山に行く時の楽しみでもあります。

『ある精肉店のはなし』 纐纈(はなぶさ)監督のトークを聞いて

『ある精肉店のはなし』が、26、27日とアースデー名古屋の企画のひとつとして上映される。それに監督の纐纈はなぶさあやさんが来場されてトークの時間もあると教えてもらいました。すこしだけ迷って、でも結局行ってきました。行ってよかったです。

上映前に、青いカーディガンをお召になった少し大柄な女性が会場を出入りして、上映前には席の一番後ろで会場を見渡している様子でした。動画で何度か拝見していることもあって、すぐに監督の纐纈はなぶささんとわかりました。単にタッパがあるというだけでなく、たいへんな存在感をお持ちの人でした。映画では、自らナレーションを担当されているような滑舌のなめらかな聞き取りやすい、でも優しい良い声をされています。上映の後、トークタイムが設けられました。都合30分ほどもお話されたでしょうか?映画について、そもそもの企画から現在の上映についてまで、様々な視点からお話されましたが、すこしも退屈させません。あいまいなどこか誤魔化したような言葉や表現もされません。でも、あくまでも謙虚で丁寧なお話ぶりです。ついお話にひきこまれてしまいましたし、後で述べますが自分に引きつけて考えざるをえない点もあって、そのことでは心震わされて、自分もあることを始めようと思いました。

トーク中の『ある精肉店のはなし』纐纈あや監督

トーク中の『ある精肉店のはなし』纐纈あや監督

纐纈さんというのは、根っからの表現者で今は映画監督をされていますが、もしそれが出来なくなったら、一人芝居でも街頭パフォーマンスでも、何をしてでも外の世界への表現を続けるんだろうなと感じました。その表現したいものも安直な自己顕示ではなくて、纐纈さんが社会の中で見聞きして感じ考えた事を、一旦自分の中で消化して、これは誰かに伝えたい伝えなくてはならないとするものなんですね。その情熱がお話から良く伝わってきます。

纐纈さんのお話は、下記のシネマスコーレの動画でも見ることができます。当日のトークもこれと重なる部分もありますが、それこそカメラが回っていないということもあってか、より突っ込んだお話が聞けたと思います。以下、重なる点もありますが、動画で語られなかった話をメモから羅列してみます。

  • 最初にと場を見学したいと思ったのは、食べ物のなかで、肉だけがその出所を知らなかったから。と場の事前のイメージは、無機的・灰色・暗いというもの。『いのちの食べかた』というオーストリアの映画のイメージだった。
  • 松原のと場は熱かった。ライン化されてはいたが、中では労働者が全身で700キロ、800キロの牛と格闘していると感じた。残酷という感じはまったくない。ひたすらありがとうと思って見た。私が食べている肉は、こうして作られているのだ、ありがとうと思った。
  • カメラを回す時以外も、毎日北出さんのお店に通った。あの食卓が居心地がよくてあそこに座っていた。北出さんに食事は一人でするものでないと言われて、食事もごちそうになった。座っていると見えてくるものがある。
  • ホテルに泊まって、撮影の時だけカメラを持って入るようなことでは、人の生活は撮れない。
  • この映画は、マスコミやメディアでタブーとされてきたこと3つを取り上げている。生き物の命を奪うシーン、と場、部落差別。
  • メディアは、なにか事があるとそこで生活する人を当事者として、その断片を取り上げる。)ほうりの島』では、原発に反対する島民という当事者はじめからあったのではなくて、島で普通に生活していたところに原発の計画が外から持ち上がる。それを記録するなら、まずその普通にある生活を描かなくてはいけない。部落差別のことやその中での屠場の事も、その断片、断片を描いても何も伝わらない。北出さん一家の暖かい家族での日常の生活があって、それを支える生業として営まれている仕事として屠場や精肉のがある。その事をできるだけ伝えたい。
  • はじめは、ナイフ1本で家族で屠畜・解体をするそのワザを記録したいと思った。でも北出さんのご兄弟は、二人とも自分たちのしていることは、別に大したことではない。子供の頃から見てきたことを普通にやっているだけとおっしゃっていました。その日常を撮りたいと思った。
  • 撮影の間は、綱渡りというより糸の上を歩くような緊張感が常にあった。

この映画を、もう一度見て、あらためて強い印象を持ったのは、北出さんが水平社宣言の読んで、これはまさに自分たちの事が書かれていると思って部落解放運動に取り組み始めたというシーン。それと北出さんのお父さんが、小学校に上がった最初の日に教師から差別的な扱いを受けて、その教師に噛み付いて、それ以来学校に行かなくなったというエピソードです。それで、お父さんは文字が読めなかった。北出さんのお父さんについては、ご兄弟の話を通して監督も強い印象を持ったようです。私もそのシーンで一人の人のことを思い出していました。なんで、最初から思い起こさなかったのだろう。

纐纈監督のトークの中で、とくに心に残ったのは当事者扱いして、その断片を取り上げて語っても何も伝わらないという言葉でした。長くなるので、投稿をあらためます。

ノキシノブ その2

私は、あまり上等でない木造の家並みの多かった四日市の下町で育ちました。今思い出しても近所は、万古焼の工場やその問屋、鋳物屋、大工、建具屋、畳屋、仏壇屋、左官屋の職人の住まいなど色々でした。私の実家もそうした中でタバコ屋兼ヨロズヤのような事をやっていました。だから、ノキシノブなんて珍しくもないはずで、逆にそれゆえかハッキリとどこで見たとか、どこにあったとか言う記憶がないのです。わびだ、さびだという感傷とは無縁な子どもにとっては、あんなものただ貧乏臭いだけの少しも美しくないシロモノですものね。気にもとめていなかったのだと思います。でも、百人一首の順徳院の歌を教わった時は、とくに疑問もなく軒端のしのぶを受け入れていたので、知ってはいたはずです。

その軒端のしのぶを、あらためてはっきりそれと意識して見たのは、今からちょうど10年前の大阪北部のある神社でした。願掛けをしてもらっていた、ある病気の治癒のお礼参りに訪れたのですが、促されて上げた目線の先、たしか手水舎(ちょうずや)の軒にノキシノブが茂っていました。もしかしたらもう自分はここにはいなくて、それで誰か偲んでくれる人がいたとしたら、あまりあるむかしのひとつになっていたのか。とか順徳院の歌がうかんでしばし眺めておりました。

洛東遣芳館のノキシノブ

洛東遣芳館のノキシノブ

写真は、去年の今頃、京都の五条問屋町下がるの洛東遺芳館で撮ったものです。たまたま春の公開時期に近くを歩いていて訪れました。江戸時代から続く紙問屋さんの邸宅と代々の当主収集の収蔵品を春と秋に公開してくれています。あまり訪れる人もないようですが、建物も、収蔵品もきちんと管理されたすばらしいところです。

とか書いていたら、行きたくなって来ました。しかし、この春の公開は5月5日までのようです。もう連休に入ってしまってからの京都に出かける気にもならないのでやめておきますが、既にお出かけを予定されている人はどうぞ訪ねてみてください。

 

 

映画・『ある精肉店のはなし』がまた上映されます。おすすめです!

前に紹介した映画・『ある精肉店のはなし いのちを食べて いのちは生きる』が、ゴールデンウイーク中に名古屋のシネマスコーレで再び上映されます。見逃された人はぜひどうぞ。5月3日〜9日16日、時間はいずれも12:00〜13:50です。私は、その前に上映される『夢は牛のお医者さん』も見たいので、もう一度見に行くつもりにしています。

この映画について、ブログに書いただけでなく何人かの人に話をしました。中には「そんな映画を見たら肉が食べられなくなる」とおっしゃる人もいました。しかし、どこかの動画で監督の纐纈はなぶさあやさんは、「見終わった人がお肉を食べたくなるような映画にしたい」とおっしゃっていました。それで、実際に「肉がたべたくなった」という感想をもらったそうです。私は、肉がたべたくなったとまでは言えませんが、肉をいただく時は、ゆっくりとちゃんと味わいたいと思いました。たんに肉だけでなく、食べると言うこと自体を考える良い機会になります。

これを書いているうちに、Eテレの「スーパープレゼンテーション」という番組でイギリス人のジェイミー・オリバーという料理人が、アメリカやイギリスの食事と肥満について、具体的な数字や映像を交えて語っていました。ある程度知っていたつもりでしたが、かなりショッキングな内容です。私がまわりで普段目にしている状況から、日本もそうなりつつあるように感じています。私達が口にするものが、どこから、どうした人たちの営みによってもたらされるのか、やはり機会を探してでも知っておくべきだと思いました。