しつこくパトリシア・プティボンの歌について

パトリシア・プティボンの歌について続けます。前の記事でSend in the clownsの歌詞についてこんなふうに言われても心は動かないとか失敬なことを書いてしまいました。次の節をツラツラ聞いていると、そんなことでもなさそうです。

Don’t you love a farce? My fault, I fear
I thought that you’d want what I want, sorry my dear
But where are the clowns? Quick send in the clowns
Don’t bother they’re here

私が恐れていたこと、私の失敗とここで言っているのはなんでしょうか?あなたの望みが私の望みでもあると考えてしまっていたこと、ん?別にそれならいいじゃないか、と思えます。この芝居を最初から見ればストーリーからわかるのでしょうけど、別にそこまでする気はありません。これは、男の方が結婚したら彼女に女優を引退して家庭に入ることを望んだ。女はそれを拒んで、女優を続けた。でも、それ(女優を辞めること)が本当は自分の望みでもあった。そのことに気づくのが怖かったし、今にしてみれば失敗だった。また遠まわしの言い方ですが、後ろの節のキャリア云々と相まって、そんなところではないでしょうか?

でも、その後続けてごめんなさいとちゃんと謝っています。グタグタ文句をたれているだけじゃない。でも言ったあと、ピエロはどこよ。早く呼んでちょうだいと慌てて叫び、最後はすべて諦めたようにもういい。ピエロはここにいる(自分がピエロだ)としめます。この節の情景は、これまでと打って変わって、とてもかわいいですね。ここがこの歌のクライマックスのようです。他のステージでは、どちらかというとサービス精神旺盛なオチャラケ系の演技を見せているプティボンが、ここではDon’t bother they’s hereと歌い上げて、その後口をすぼめて切なそうに頭を垂れます。もちろん、これも演技なんですが、見ていてこちらも切なくなります。

だからなんなんだ、という事になります。続けて書きたいことがあったのですがやめておきます。風邪をひいて、午後から仕事を休んで医者に行って来ました。まだ、ひきはじめだから一日温かくして休んでいろとのこと。それならと居直って、色々書いてみたくなります。

父の命日と行けなかったパトリシア・プティボンのリサイタルの事

11月2日は、父の命日でした。4年前のこの日、私は東京に向かう早朝のこだまの車中で訃報を受けました。

ドライブモードにしていた携帯に入院中の病院や伯母などから何回も着信があることに気づき、デッキに出て留守電を聞くと「容態が急変したから、すぐに連絡されたし云々」。病院に連絡をすると「心肺停止状態にある」と告げられる。それは、死んだという事かと尋ねると、そうだと答える。ずいぶんまわりくどい言い回しをするものだと思った。すぐに次の箱根の駅で下車して、折り返し名古屋に戻った。

その日、東京に向かったのは以前に納めた仕事の簡単な手直しがあったため、だがこれはあくまでもついでであって、その日の夜の新宿のオペラシティでのパトリシア・プティボンのリサイタルを聴くためでした。半年前の発売後すぐに予約をして、夜のコンサートのため、その日の宿泊と往復のこだまの切符のペアになった格安券を購入していました。新宿御苑前では東京デザイナーズウイークというものも開催されていましたが、それはどうでもよかった。

もうその頃には父親は体力的にはかなり弱った状態でした。それに3度目の入院も90日間が過ぎ、病状が固定したとのことで急性期型の病院であるそこからの退院を迫られてもいました。色々と手配に奔走して、戻って翌日の4日もある施設の面接の予定が入っていました。母親の認知症の進行のよる妄動や健忘、虚言もひどくなっていました。念の為、ギリギリまで発券を伸ばしていたが、前日までには手続きを済ますようにとの規定だったので、その晩、ああなんとか行けそうだ、さすがに今夜事態が変わることもあるまいと思いながら、近くのコンビニで発券をした、でも本当に大丈夫だなと一抹の不安を覚えたのを記憶しています。

行くことの出来なかったパトリシア・プティボンのリサイタルチケット

行くことの出来なかったパトリシア・プティボンのリサイタルチケット


パトリシア・プティボンについては、5年前の2008年2月から6月ににかけて、私のホームページ音楽・ディスク・オーディオ日誌に3回ほど書いています。そのなかでも、プティボンの動画を紹介してその歌詞を自分で翻訳した記事は、それなりに苦労して書いた思い入れのあるものでした。是非、下のリンクを開いてプティボンの歌だけでも聞いてみて下さい。中東の山賊のプロバガンダに手を貸すyoutubeの動画は貼らないことにしました。

その記事を書いた年の4月の名古屋での公演を聞き逃したこともあって、今度こそはの気持ちがありました。また、病気治癒のための自助努力をまったく放棄してしまっていた父親と、認知症の進んだ母親の看病・支援にかなり参っていて、せめてもの気休めにという期待もありました。ですから、折り返して名古屋に向かう車中では、色々錯綜する思いの中で、なんでせめてもう一日待ってくれなかったのか、こんなささやかな気休めすら取り上げるのかい、歌舞音曲好みはあんたの方の血だし自分は散々遊んだはずじゃないか・・・とか考えたりしていました。

それから4年、自分で書いた記事を読み返すこともなく、リンクした動画を開くこともありませんでした。とくに意識をしたわけでもなかったと思いますが、見る気にもなれなかったのかもしれません。最近になって、またこのプティボンの動画を見る(見られる)ようになりました。5年間、削除されずにネット上によく残されているものです。あらためて見る(聴く)と、本当に素敵です。艶っぽさと明るい可愛らしさ、それに見事な鍛えられて計算された芸が融合された稀有な例ではないかと思います。表情の作り方、目線の細かい動かし方や指先まで神経を行き届けさせたようなアクション。今なら動画で色々見ることの出来る美空ひばりさんやマリア・カラスさんと同じようなプロの芸だと感じます。


分かりにくかった歌詞も、ぼんやり何度も聞いていると、なんとなく分かったような気になってきます。年増になった女優が、娘のような年頃の女と再婚するかつての恋人を相手に、ネチネチ嫌味を言う。それも舞台用語の符丁やら持って回った言い回しを使って。そういうつもりで聞いて、5年前の訳にあえてつけ加えるとすると、こんなところでしょうか。

Isn’t it rich? Are we a pair

というのは、プロテスタントでプラグマティズムの国の

儲かりまっか?
ボチボチでんな

という言い回しにも思えます

Just when I stopped opening doors
Finally knowing the one that I wanted was yours
Making my entrance again with my usual flair

この言い回しもよくわからなかった。このopening doorsというのは、前はdoorsと複数形でもあるし、劇場の扉のことかと思いましたが、単純に心を開くという喩えではないかとも感じます。2行目、3行目は戻ってきてとか、やり直そうというあらためての好意の告白なんでしょうが、まあ何という持って回ったようなくどい言い方だこと。いくら旧知の間とはいえ、男の立場からすれば、こんなふうに言われても心は動かないでしょうね。

Sure of my lines
No one is there

このlinesというのも、前は劇場に並ぶ行列のことかと思いました。しかし、ぼんやり聞いていると芝居の最期のカーテンコールの列のことではないかとも思えます。つまり自分にはもう一緒に芝居をしてくれる人間もいない、あるいは芝居が終わってカーテンコールに並ぼうとしても一人ぼっちだ。こちらのほうがより孤独とかその悲しみを表現しているのではないでしょうか?


時間は、色々なものを忘れさせてくれます。忘れてはいけない事もある、とも言われそうですが、そうしたものも含めて忘却という領域に封印してしまう。日常の生活の中では、それで平穏さとか楽しみが得られるなら、許されることではないかと思います。

鯵包丁を買ったぞ!

今日、第65回正倉院展に行って来ました。

正倉院展の後には、ならまち商店街の端にある菊一文字に、ここ数年寄るようにしています。かなり高齢なご夫婦お二人でやっていらっしゃるのですが、今日もお二人とも元気に店番をされていて安心しました。で、結局買ってしまったのが下の画像のもの。鯵包丁は、ここ3〜4年この店に限らず刃物屋の前を通るたびに覗いてはためつすがめつしていました。一緒に歩いていて、それを複数回目撃された友人からはそんなに欲しけりゃ、買えばいいいのに!とかいわれつつ、でも年に何回使うか、加えてあと何年自分で料理が出来るかなどど考えて躊躇してきたのです。

奈良・菊一文字で買った鯵包丁ほか

奈良・菊一文字で買った鯵包丁ほか

貧乏木工屋の私は、魚屋の店頭で小鯵が一盛り200円とかであるといつも買います。それを南蛮漬けにすればうまくいけば3日食べられる(たいてい途中で嫌になるのですが・・・)。それで、ゼイゴを取るときに出刃包丁ではいかにも大げさ過ぎてやりにくい、柳葉では刃が痛みそうでいやだ。仕方なくステンレスの文化包丁でやるのですが、その時はいつもこれが鯵包丁ならもっと楽に上手く出来るだろうに・・・とイジイジしていたのですが、やっとそれから解放されるという、使ったお金に比して随分な満足感というか達成感に浸っています。

ほかには3分(9ミリ)の切り出しと骨抜き。切り出しは、その姿が美しかったのと、持った感触から研ぎ直してシラガキとして使えないかと思ったからです。ずっと愛用してきたシラガキをなくしてしまい、別のものを使っているのですが、イマイチしっくりこない。私の仕事の仕方からいうと、シラガキはその精度の基本になるものですから良い物が欲しいのです(物欲を合理化する理屈はいくらでも思いつきます)。

正倉院展について書くべきなのですが、今回は不思議なくらい見終わった後の感慨のようなものが薄くて、自分でも戸惑っています。帰ってもいつものように、気になった展示をあらためて図録で確認しようとも思えずに、鯵包丁をいじっています。今回出展されたものに心に響くものが少なかったのか、あるいは私自身の精神状態のゆえなのか、もしかすると一昨日見て実際に手にした文字通り煤けた古民具との対比で、その世界の違い戸惑っているのか、自分でもよくわかりません。もう少し落ち着いて整理出来たら、あらためて正倉院展については書きたいと思います。

綿繰り機 尾西(びさい)歴史民俗資料館を訪ねました

木の仕事展で、あるお客さんから綿繰機について問い合わせがあった。レプリカを作るか欠損している部品だけでも作れないかとのこと。スパイラルになっているローラー云々と言われるが、実物を見たことがないので、今ひとつ理解できない。”木のもの”楽器屋の南部さんから、お義父さんを介して詳しい人を紹介してもらい、なおかつ現物を見せてくれることになった。採寸、写真撮影も可とのことで、たいへんありがたい。

今日、お邪魔したのは一宮市尾西歴史民俗資料館。そこの学芸員の久保さんという方を紹介してもらっていました。着いて、久保さんに館内の一室に案内される。部屋の机に13台の綿繰り機が整然と並べられています。久保さんに普段、ここでこの機械を使って、ワークショップか何かされているのですか?と尋ねると、とんでもない、いずれも資料館の貴重な収蔵品で、今日私のために収蔵庫より持ちだして並べて下さっていたとのこと。見ず知らずの馬の骨のために本当にありがたい事だと恐縮しました。

収蔵庫から出してもらった綿繰り機

収蔵庫より出してもらった綿繰り機

予習を怠ったために、忙しい久保さんを引き止めて、トンチンカンな質問を繰り返して、ようやくその使用方法や構造について理解する。13台のうち、典型的な形状で、もとの機能も保持しているであろう状態の良いものを2台選んでもらって、詳細な採寸と写真撮影をやらせてもらう。それは後日、ホームページの方にCAD図面におこして掲載したいと思います。ちなみに、最初資料館の人として紹介をされた時は、こんな骨董民具に詳しい人なら、地元の学校の校長か教頭先生を退職されたか郷土史家の嘱託のおじさんだろうと勝手に思っていました(実際に最近、そういう人に会ったばかりでした。大きな川に沿った宿場町の資料館というのも同じ!)。電話でアポを取った時、女性であったので意外でしたし、お会いしてみると知的でキリッとされていて、こちらのアホな質問にもいやな顔もせず、親切に的確に答えて頂く素敵な人でした。博物館の女性学芸員というのをポイント高く絵にすると、こういう人になるのかなと思います。

採寸させてもらった綿繰り機

採寸させてもらった綿繰り機 RICOH GXR A12 50mm

この綿繰り機は、たくさんの使い込まれた物を実際に目にして、たいへん気に入りました。素朴な形状で、材料も一見粗末なものを使っているように見えて、強い負荷のかかるローラーを支える2本の縦桟には上質の目のつんだヒノキを使い、台には通しほぞで固定してあります。無駄のない勘所を押さえたと言える作りに感心しました。

この手回しの綿繰り機は、現在も京都で作られているようで、そのメーカーのホームページを久保さんにプリントアウトしてもらいました。戻ってから、そのメーカー・稲垣機料株式会社について調べてみる。地図を見ると、一昨日、京都での打ち合わせの後、ぶらついて、その真ん前を通っていた!まあ、間が悪いというか、ちゃんと事前に予習をしておけばと悔やまれます。別の記事として詳しくは書きたいと思いますが、レプリカを作ろうと思うと、このローラーを連動させるスパイラルのネジがポイントになります。新規の制作で、どのようなものとされているのか、またNCのフライス盤があれば、可能だと思うがそれにしても特殊なバイトが必要で、パーツとして入手可能かなど尋ねてみたかったと思います。



綿繰り機の採寸データをホームページに公開しました。

綿繰り機の採寸データ

京都・西陣

千本釈迦堂

千本釈迦堂 RICOH GXR A12 28mm

今日はあたらしくいただいた仕事の打ち合わせに京都・西陣に出向く。京都には学生時代を含めて16年間ほど暮らしたが、西陣界隈というのは土地勘もない。打ち合わせの前、1時間ほど早く着いて付近を散策。打ち合わせの後には、色々スポットを教えてもらってまた歩く。教えてもらったおいしい団子屋さんは、やはりすでに売り切れだった。中の老婦人いわく「さっき売り切れたとこや。すんません。」「さっき」というのは、2時間前かまたは応仁の乱の後という定番のジョークかと考える。

団子屋さん・日栄堂

日栄堂 RICOH GXR A12 28mm

上七軒

上七軒 RICOH GXR A12 28mm

『冬の旅』のディスク 2     Christoph Prégardien

せっかく『冬の旅』のディスクを取り出してみたのだから、しばらく仕事やこうしたパソコン作業のBGMとして順番に流していこうと思いました。ちなみにモーツァルトやバッハが流されている木工所は、いくつかはきっとあるでしょう。ショスタコーヴィッチやアルヴォ・ペルトくらいは聞いている物好きもいるかもしれません。しかし、ハンス・アイスラーやジョージ・クラムなんか聞きながら仕事している木工屋は、日本中でここくらいだろうとか考えて、にやけている事があります。

さて、まったく印象に残っていなかった、というよりつまらなかったと記憶しているディスクからかけてみました。

winterreise pregardien

  • Christoph Prégardien (tenor)
  • Andreas Staier (fortepiano)

となっています。ちなみに輸入版です。テノールの名前は日本語表記ではプレガルディエンとかされているようです。こういうのを見るとギョエテとは俺のことかとゲーテ言いとかいう昔の学生の戯れ歌を思い出します。よくわかりませんが、普通にプレガーディンとかではダメなんでしょうか?

久しぶりに聴いたことになりますが、普通に爽やかに清々しいテノールでの『冬の旅』です。伴奏がフォルテピアノというのも、声の優しい雰囲気にあっていいです。なんでつまらないとか思ってしまったのでしょう?寂寥感とか、ある種の寒々しさのようなものを『冬の旅』に求めていたとしたら、つまらないレコード批評の類を読みすぎて、自分で自分を洗脳していたとしか思えません。声の若々しさ、瑞々しさにこのプレガルディエンギョエテ読み)さんの生年を付属のライナーノートで見ると、1956年!いくらプロの声楽家とは言え、私と同い年で、こんな澄んだうつくしい声で歌えるのか!と思って録音データを見ると1996年の録音で少し安心しました。名前に”é”と、フランス語の文字が入っているので、不思議に思ってノートを続けて読んでみたのですが、普通にドイツ生まれのようです。教会の聖歌隊からはじまり、長じてハルトムート・ヘルのリートのクラスにも参加したとあります。そう言えば昨日、NHK BSプレミアムの朝のクラシック倶楽部で白井光子さんと一緒に元夫のヘルが出ていました。白井さんは白髪も美しく綺麗なお年のめされ方をされていて、とっても素敵でした。若い頃は甘いマスクで、それなりに二枚目だと思っていたヘルの方は顎がたるんだフヤケた爺さんになってました。

CDのジャケットのような小さなものに、細かい字でごちゃごちゃ書かれても、老眼の進んだ目ではいくらメガネをかけても読みづらい。そうした時は、簡単な説明書の類はデジカメで撮って背面の液晶で拡大表示して読んだりします。すこし長文でじっくり読みたい時はスキャナーで読み込んで拡大してプリントアウトします。便利になったと喜ぶべきか、不自由になりつつある我が身を嘆くべきか、よくわからなくなります。

ライナーノート

中高年はCDなど買わなくともよいと言われているようなライナーノート

 

ただ、今このディスクを買うかと言えば、買わないと思います。5,000円でリサイタルが聞けるとすれば、そちらはきっと行くでしょう。ちなみに年明けの1月12日に、名古屋・伏見・電気文化会館のザ・コンサートホールでのクリスティアン・ゲルハーヘルのリサイタルはチケット予約してあります。料金は6000円ですが、会員割引で4800円になります。

『冬の旅』のディスク

本当に久しぶりにCDを買いました。前に買ったのは、去年の今ころ、名古屋伏見の電気文化会館で聴いたサンドリーヌ・ピオーのリサイタルと同じ曲目のアルバムを、予習のため買って以来だと思います。

買ったのは、ORFEOレーベルのディースカウとポリーニの『冬の旅』、1978年のザルツブルグ・リサイタルのライブです。たまたまネットで予告を見つけて予約して買いました。ディースカウの歌自体はもう食傷気味ですが、ポリーニの伴奏を聴きたかったのです。

ディースカウとポリーニの『冬の旅』

ディースカウとポリーニの『冬の旅』

ディースカウは、この録音からしばらく経った1980年か81年に大阪でのリサイタルで同じ冬の旅を聴いて、たいへんがっかりしたことを覚えています。その頃にフィリップス・レーベルに録音したブレンデル伴奏のディスクもひどい出来でした。さすがのディースカウもこの頃は不調だったのかもしれません。ただ、このディスクでは、そんなにひどい印象も受けません。ピアノの方に神経がいっているせいか、もうディースカウも亡くなって暫く時間が経って、過去の人というイメージが私の中で定着してしまっているせいからでしょうか。

ポリーニのピアノはきれいです。伴奏という事で決して出しゃばっていませんが、レガートの音も粒だってキラキラと流れていくように奏でます。和音も濁ったような感じもなく響きます。本当に上手な人が演奏すると、こうした簡単な伴奏でも美しい音楽になるんですね。

さて、冬の旅のディスクは一体何枚買ったのだろうかと、ラックから取り出してみました。どこかに紛れているものもあるかもしれませんが、計13枚。ほかにもLPが4〜5枚あったはずです。フェティッシュなコレクターからみれば、それだけかとなりそうですが、普通の人から見れば、アホかという、まあ中途半端な数です。斎藤晴彦と高橋悠治というオチャラケや弦楽四重奏伴奏というキワモノもありますが、シュライヤーとリヒテルのライブ3種類といった定番がなかったりします。ジャケットも見ても、半数以上はまったく印象に残っていません。ハンス・ホッター、ボストリッジ、女声のシェーファーとシュトゥッツマン(Stutzumann ドイツ語翻訳読みでは普通にシュトッツマンで良いのでしょうが、このややこしい表記が一般になっているようなので従います)、それとディースカウとブレンデルあたりが印象に残ります。ディースカウとブレンデルのディスクは、私が初めて買ったCDです。

手元にある『冬の旅』のディスク

手元にある『冬の旅』のディスク

前の冬はシュトッツマンをよく聴きました。この冬は、気分からいってハンス・ホッターあたりを聴きたいかなあと考えています。

木の仕事展IN東海2013

久しぶりのグループ展への参加でした。

今回は、新作として自分で勝手にスケルトンシリーズと名付けているデスクとスツールを出展しました。
詳しくは、こちらに記事があります。

ブログデスク スケルトンシリーズ

ブログデスクとスツール

ブログデスクとスツール RICOH GXR A16

 

あと、旧作になりますが古材を使った仕事も見てもらいました。
詳しくはこちらです。

(えにし)の木

ふきうるしとちおきどこ

拭漆栃置床 GXR A16