油ふ味噌汁

登米で買った油ふと石巻で買った味噌で、味噌汁を作る。住田町の旅館と登米の郵便局員の及川さんのお宅で頂いた味噌汁がおいしかったし、祭りの中、登米の定食屋で食べた油ふ丼もいけた。

味噌は、いかにも塩分が多そうだったので、かなり薄めに溶いたつもりだったが、それでも塩辛い。毎日続けると確実に血圧があがりそう。あちらでいただいた時はそうも感じなかったのだが、やはり食材というのは、その風土の中で食すべきものなのだ。しかし、これだけでご飯がじゅうぶんいただける。味噌も油ふも相応に日持ちしそうなのでおかずに困ったとき良い。

ちなみに、私は料理が好きで三食自炊を基本にしている。食材も、調理法も別にこだわりはなく、普通にスーパーで売っているものに簡単に火を通し、またそのままいただいているだけだ。ただし、出汁はちゃんと自分で取るのと、味噌や醤油は地元産の少し良いものを求めている。遠方に行ったときも、特に名物と言われるような物は求めないが、今回のように味噌とか醤油などを目にすると買うことにしている。野菜などの食材も含めて画一化してきていると言われて久しいが、こういたものはまだまだ地方色がそれぞれ濃く残っている場合がおおく楽しい。しかし、結局は普段は地元の味噌と醤油を使っている。やはりそれが、この土地にあっているし、体がそれに慣れているのだろう。

東北で買った材で作った油ふ味噌汁

彼岸花

未明に東北から戻り、そのまま実家に直行して犬の散歩に出る。東北に向かった4日前には一輪二輪、そこにかしこに見られただけの彼岸花が鮮やかな紅を堤防に散らす。

午後からは、遅ればせながら施設に認知症の母親を見舞う。叔母がおくってくれた洋服と、岩手県住田町の仮設住宅のご婦人から頂いたばかりの手まりのようなフクロウの人形を持参する。そうしたものに関心をしめさず、盗人がいる、みんな持って行かれたと、20回ほども繰り返す。

かけら指人形

仮設住宅で作ってもらったかけら指人形

お盆

盆前に空き家となっている実家の整理をする。亡くなった父親の物もまだ完全に整理・処分出来ていないし、施設暮らしの母親の物はやはり手をつけにくい。昨年の父親の初盆の折に戻っても、もうそこがかつて半世紀以上自分が暮らした家だと分からなくなっていた。だからもうため込んだものも、その大半は記憶にないはずだから処分してもかまわないとは思うのだが。

以前の職場

大阪南港の中田木材工業に、買ったまま預かってもらっていた材木を引き取りに行く。何年か前に倒産した北海道のE林業の在庫品で、今頃はもうなかなか見られないような良質のクルミ材だ。2年以上も前に買って、昨年ある店舗の什器と内装用に使って残りはそのまま預かってもらっていた。この業界はそうした面でおおらかなところがあって、ずぼらな性格の私には助かる。

以前勤めていた会社が、南港にほど近く道中少し道をそれた所にある。昼一番の約束に多少時間があったので寄ってみる。スケールと呼ばれた酸化鉄によって赤茶けた門やスレート拭きの建屋の姿はどこにもなく、大きく小ぎれいな物流倉庫のようなものになっていた。私は、別にその会社に何の思い入れもないがその変貌振りに少し驚く。それに一応製鋼から圧延、それに出荷のためのストックヤードと加工施設のあった製造業の現場がこんな無機的で大きな集配場のようなものになったのを見るのはやはり寂しい。

それと、私が辞めてからこの会社ではいずれも製鋼の炉前で2件の労災事故があり、それぞれいずれも20代の若い社員が亡くなっている。私が辞めるときには、もう会社はその将来は展望出来ない状態であった。それで結局こうなるのであれば、もう少し早く少なくとも旧式の炉で若い現場労働者をむごたらしく死なせる前に稼働を停止するすべはなかったのかと改めて思った。たしかに小さな会社といっても下請け含めて300人の雇用を、どこかに軟着陸させるのはたいへんなことであったろう。だが、そんなことは人一人の命に代えられるものではないと今なら言うことが出来る。私自身が、この会社では労災でかなりひどい怪我をしている。運良くこの通り生きているし、後遺障害も残っていないが、その意味で他人事ではなかった。

旧国光製鋼跡

ヒバリ

今日のような梅雨の中休みの日は、いつもの朝の散歩の時にその鳴き声をたよりに空にヒバリの姿を探してみる。空が青すぎず眩しすぎないのも良い。私は仕事(木工)も、趣味(読書とかオーディオ工作)も、そしてこうしたパソコン作業も目を酷使するので、よいリハビリになる。それにしてもこのヒバリたちは、この物騒な河川敷近辺のどこに営巣しているのだろう。毎年変わらず現れるので代は重ねているはずだ。犬の散歩のコースだし、猫もカラスもいる。サツキやユキヤナギの植え込みがたくさんあるので、その根元の奥の方かとも考える。ヒバリの鳴き声というのは、なんだか気ぜわしくその甲高さが時に耳に触るようで好きではなかった。しかしこのあたりでもやたらと増えたムクのゲーゲーという汚い声よりははるかに心地良いと思うようになった。

苔玉

いつも訪れる森に行ってきました。結局去年は一度も行けなかったのですが、今年は夏から3度目になります。残念ながら、もう紅葉には遅かったのですが厚いVibram(ビブラム)の靴底と耳から伝わる落ち葉を踏む感覚を味わうだけでも山を歩く価値はあります。

芦生

落葉した森の中で、目を引くのが倒木に付いた苔の緑の鮮やかさです。

倒木に苔が付いている
苔


先日出展した暮らしに寄り添う木工展2010で、ディスプレイ用に苔玉を使いました。それは園芸店で買った物でした。でもせっかくこうして美しい苔がたくさん生えているのだから、すこし頂戴して自分で作ってみたいと思いました。今は便利なもので、ネットで苔玉 作り方で検索するとたくさんのサイトがヒットします。そのうちのいくつかに目を通させてもらうと、だいたい作り方の要領というか勘所はわかります。

園芸店で、必要な土と植える観葉植物を買ってきて作ってみました。 ケト土という盆栽用の土を元に、通気性を持たせるためにでしょうか、赤玉土を砕いてまぜます。だいたい7:3から6:4くらいの割合で良さそうです。そこに少量の腐葉土とくん炭混ぜるました。苔を貼り付け黒の木綿糸を巻いて固定しました。

苔玉
苔玉の拡大画像

実際には画像の状態から、植えた観葉植物の葉をさらに刈り込んであります。今日でちょうど一週間になりますが、どうやら落ち着いたようです。買ってきた土が余ってしまったので、調子に乗ってもっと作りたくなります。毎日犬の散歩に連れて行く道端や河原にも苔は生えていますが、どうも犬の小便や車の排ガスをかぶったような苔を連れて帰る気がしません。もっとも山の苔にしても、こんなごみごみした環境で土の団子に移されるのもいい迷惑でしょうから、これくらいにしておきます。

再手術

昨日は母親の泌尿器科の検診だった。同じ病院で金曜日には手術、その後入院も予定されているのでパスして入院後に検診してもらってもよいかと思ったが、連れて行く。検尿のため導尿をしてもらうが、骨盤横のピンの抜けて飛び出した部分が赤黒く床ずれしてミミズ腫れのような状態になっていることを教えてくれる。わざわざ私を呼んで患部を見せてくれて、整形外科で看てもらった方がよいのではないかと言われる。

事前に整形外科の担当の医師より、患部が化膿して菌が入ると骨の手術はできないと聞かされていたので、今日状態を電話で伝えて看てもらう。かなり悪い状態で、でもぎりぎり手術は出来るだろうとのこと。ただし、患部の養生のため今日から入院ということになった。

年寄りの怪我やら病気の症状は、急に進行するし、痴呆の状態では症状を自覚してまた訴えることもむずかしい。導尿などは看護師の仕事で医師が立ち会うとも思われないので、看護師が患部に気づいて、医師の報告。医師があらためて家族である私に伝えてくれたのだろう。泌尿器科の医師と二人の看護師はいずれもまだ若い女性だった。医者というのは、どうも専門外のしかも他の医師の担当する患部や症状に関しては口を出したがらないようにも思うが、指摘してもらって助かった。

人工骨頭

3月25日(木)、母親の退院後初の整形外科の検診。大腿骨の手術の予後が不良で、骨折した頸部が完全に剥離して埋め込まれたピンが外側にスライドして皮膚近くまで飛び出している。執刀医がこの週いっぱいで転勤になるとのことで、あらためて2日(金)に、新しい別の医師に診てもらい所見を聞く。放置しておけば、床ずれを起こして骨髄炎を誘発する可能性が高いので、とりあえずもう何の役にも立っていないピンは抜かなくてはならないとのこと。あとの選択として、そのままにしておくか、人工骨頭を入れるか。そのままでは左足に負荷をかけられないので自立歩行は無理、年齢からいっておそらく寝たきり状態になる。母親にはすでに判断する認知力はない。診察室を出た段階でもう自分の足の状態も医師の説明も忘れている。手術自体の多少のリスクと秋から3度目になる長期入院による認知症の進行とその間の介護負担を考えても、人工骨頭を入れてもらうことにする。9日に手術してそのまま入院となる。