当たり前のことだが、犬には週末だの平日だの、そのほか諸々の人間の都合など関係ないので、今朝も5時前に起こされる。で、散歩とトイレタイム、朝飯を済ませると、自分は雨上がりの風の抜ける午前の穏やかな陽を浴びて眠り呆けていやがる。
「日々のこと」カテゴリーアーカイブ
岡山に行ってきました
世間で言うゴールデンウィーク
の初日・29日(土)と30日(日)、岡山へ行ってきました。岡山は、兄の20年来の勤務地・居住地で、そこに関東から弟もやってきて、それぞれの連れ合いもふくめて集まりました。ちなみに兄弟は60歳前後で、いずれも身長180センチ前後が3人という異様な集団になります。ただ、3人とも肥満ではない(どちらかと言うと痩身)ので、それほど周囲に対して暑苦しい思いもさせていないのではと勝手に想像しています。以下、兄夫妻の段取りしてもらった主な行程です。
写真はいずれもRICOH GXR A12 28mm によるものです。KOWA 8.5mm F2.8 とマイクロフォーサーズの組み合わせほど、鮮烈な絵ではありませんが、よく写ります。
J2 ファジアーノ岡山対湘南ベルマーレを観戦
J2といえどもさすがにJリーグ。会場が市内の良い場所に立地しているのもあってか8,089人の入場者があった。昨年も1試合平均9127人というし、試合前に親子連れで会場に向かう多くの人の姿を見ると、地域に根付いたチームだと感じた。一応メインスタンドのホーム側(岡山側)にいたが、結果は完敗。陥落したばかりとは言え、J1に在籍していたチームと、万年J2のチームの差は大きい。
後楽園
この日は、連休初日で春の幻想庭園
のオープニング。ライトアップとともに、プロジェクションマッピング
というものも行われた。
2日目(30日)の行程。かつて岡山に在住(小学生の頃、閑谷学校の廊下の雑巾がけをしたそうだ)という連れの同僚によると、かなりハードな行程だったらしい・・・
藤公園・和気神社
旧閑谷学校
17世紀に藩校として建てられて、1960年代まで実際の学校として使われたとの事。今もこの講堂は、様々な行事に使われている。こうした建物は、実際に使う事が一番の保存ということか。
備中国分寺
吉備津神社
大原美術館
倉敷の美術館や旧クラボウ跡地周辺の美観地区
は、兄嫁によるとテーマパーク
だそうだ。町並みとか商店街から、人からひたすらお金を絞りとろうとするテーマパーク
化する指標は、人力車とアクセサリー売りの露店かなと思った。
ここは、30数年前に来た時、あいにく閉館中だった。見たい絵があって、ようやく思いかなったのだが、それはまた別記事にて。
定点観測 4
定点観測地点での、今年のサクラです。いずれの写真も左上隅と右下隅がケラレていますが、これはあわててレンズ(KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8)のフードを付ける方向を間違えたためです。
おまけの今年のサクラ。こちらも工房近くの海蔵川、通勤
の道です。
定点観測 3
1月15日は、私の住む四日市は大雪でした。全国版のニュースでも四日市と広島の大雪が伝えられたほどでした。気象台の観測では、積雪20センチとの発表でしたが、実際に屋根や軒に積もった雪を見ると30センチから40センチほどもありました。
その日は神戸に向かうはずでした。熊本のボランティアの現場のリーダーであったカオリ隊長
の教会のコンサートに、同じく熊本でお世話になった初穂さんもお見えになるとの事でした。夜勤明けの連れ合いと一緒に、これはぜひとも行かねばと準備していたのですが、結局断念しました。前日からの雪で市内や近辺の鉄道も間引き・大幅遅延となっており、なんとか脱出できても、まだ雪は振り続いており戻ってこれないだろうと判断したからです。
高々30センチや40センチの雪くらい雪国の人からみれば、なんてこともないのでしょう。私も京都に住んでいた頃は、これくらいの雪は何度か経験していますが、環境もインフラも対策されず、何より人が慣れていない地域では混乱します。かいた雪を処分もできない。私の家の前には、結局それから2週間ほども集めた雪が残っていました。
雪の中の定点観測地点の画像です。ただし、こんな天気と足もとの中、いつものKOWA PROMINAR 8.5mm F2.8を持ち出す気にもなれず、使い慣れたRICOH GXR A12 28mmです。画角は違いますが、こんな時はハンドリング優先です。そう言えば2011年の3月に、東北に向かった時もこのGXRを持って行きましたし、山に行く時もたいていはこのカメラでした。
おまけ
定点観測 2
小春日和な週末、昼休みにカメラを持ち出す。定点観測地点。
連れ合いにLUMIX DMC-GX7を召し上げられてしまったので、OLYMPUS PEN E-P5で撮る。同じマイクロフォーサーズ規格で、デジカメとしての性能という面では、別に遜色はないと思う。5軸手ぶれ補正というのは、本当によく効く。ただ、このオリンパスのカメラはインターフェースが支離滅裂で、使い勝手がきわめて悪い。おまけにレンズキットに付いていた外付けのEVFは、すばらしくよく見えるのだが、チョンマゲ
と揶揄されているように不細工きわまりない。ようするにあまり持ち出す気になれないのだ。オリンパスのカメラとシャープの家電というのは、高い先端的な性能と使い勝手の独り善がりな未熟さという面で似ていると思う。
第68回 正倉院展に行ってきました
朝、墓参りに行ったあと第68回正倉院展に行ってきました。今年も会場の国立博物館に向かう前にならまち
商店街にある刃物屋・菊一文字に寄ります。これもここ数年の恒例のようになっています。店にいた女将さんにご主人のことを尋ねると今年の5月に亡くなったとのことでした。88歳だったそうです。昨年の正倉院展の時にお邪魔した折には元気な姿を拝見していたのですが、そのすぐあとの12月に圧迫骨折で入院、予後悪くそのまま亡くなられたそうです。常連のお客さんも多く、店を閉めるわけにもいかないので、今は一人で店を守っているとおっしゃっていました。
こうした小さな専門店を応援したい気持ちもあって、寄るたびに何か買っています。亡くなったご主人に薦められて購入した銅のおろし金などはたいへん重宝していて今は毎日のように使っています。言われた通りプラスチックのまがい物と、これでおろした大根は別物です。今回も2分幅の三角刀を買いました。
今回の展示では、これまで見たこともなかったような銅に鍍金の鈴のようなものが多数展示されていました。蓮華の形、ウリやクチナシの実の形などいずれも小さくかわいらしいもので、金工をしている人が見ればさそ面白かろうと思います。木工屋的に面白かったのは月並みですが、楩楠箱と、檜八角長机などですが、これはまた次回にします。
墓参り
11月2日は、父親の命日で墓参りに行く。昨年、7回忌の法要を母親の3回忌と兼ねて行ったから、もう亡くなってから7年になる。この日は雑種高齢犬・タローも連れて行く。今年15歳になったタローは、もともと父親がどこかでもらってきて、手のひらに乗るような仔犬だったころから7年飼っていたことになる。父親が入退院を繰り返し、母親がボケだした間は、散歩もままならず今思うとストレスがたまり、自分の小屋を噛んで壊したり暴れたりしていた。父親が亡くなり、母親を介護施設に入所させた後は、私が飼うことになった。
墓の前では、どこか神妙にしているようにも見えるが、それは飼い主の醸し出す雰囲気を察してのことだろう。犬というのは、わけが分からなくても周りの人間とくに飼い主の様子を観察して対応しているように思う。少し前のはやり言葉でいう空気を読む
という事だ。それを、この犬は賢いとか犬なりに分かっているとか言うのは、おおいなる勘違いだ。そうして買いかぶるのも飼い犬への愛情を深める要素にはなるかもしれないが、他人には吹聴しないほうが良いと自戒をこめて思うことにしている。
この墓地は、父親の実家の四日市市内の少し郊外の元々は農村だった地域にある。子どもの頃はまだ焼き場が併設されていて、そこで火葬される葬列を見たような記憶があるが、確かではない。そのくらいに田舎なのだが、この小さな村でも太平洋戦争で32人もの人が亡くなっている。墓地にはその人たちの名前を記した慰霊碑がある。その中の一人にフィリピンで戦死した私の伯父(父親の兄)の名がある。さらに碑の裏には復員者の名前が刻まれているが、その中にはやはり二人の伯父の名前もある。母親は、戦中に静岡からここに疎開(祖父の出身地でもあった)してきて、戦後父親と知り合って結婚したらしい。疎開先に対する恨みつらみが余程たまっていたのか、ボケだしてからこの地域の悪口とも愚痴ともつかぬひとり語りを延々と繰り返していたことがあった。そんな母親も、この碑が出来てからは墓参りに行くたびに、この前で深々と一礼をしていたらしい。それは習うことにしている。
高齢雑種犬を病院へ連れて行く
いったん治まりかけた高齢雑種犬・タローの自分の体に対する噛みむしりが再発して獣医に連れて行く。簡単な診断と注射をしてもらって2,500円。夏に罹った湿疹の再発だろうとのこと。こちらもかなり高齢の獣医さんが一人でやっているこじんまりした病院だ。駐車場も、人間の病院かと思わせるような医療機器も先端設備も何もない。犬の病院なんてこれくらいで丁度いいと思う。
この犬は病院をいやがらない。もう夏からここで注射されるのは5回目だから、いいかげん覚えて嫌がるかと思うのだが、尻尾を振って入っていく。こういう病院と獣医さんだからかとも思うが、中には暴れて吠えて注射も出来ない犬もいるとのこと。それと、夏前頃は目やにがひどくて、私のアレルギー対策用のごく弱い目薬をさしたが、これも嫌がらない。おかげかほどなく良くなった。こちらが良かれと思ってすることを、こいつなりに理解しようとしているのか、単なるアホなのかよくわからない。