エレーヌ・グリモーの弾くブラームスの協奏曲を聞く

ブラームスは、友達いなかったのかなあ。いやまあ、放っといてくれお前の知ったことかという事なんだけど、でも友達がいれば、こんな大仰なクドクドした自分語りみたいな音楽は作らないんじゃないかと思ったりします。

小品で、ああスッキリしたこんな曲の書き方もするんだなあと思うと、民謡を元にした歌曲だったり、他の人の主題を使った変奏曲だったりします。そういう場合は、妙な自意識もなく肩の力を抜けるんでしょうか?それにしても『シューマンの主題による変奏曲』(作品9)とか聞いていると、この人、本当に師匠で恩人の奥さん(クララ・シューマン)のことが好きだったんだなあと感じます。

一昨年の名古屋伏見のリサイタルに行きましたが、それはそれは綺麗なひとでした。

一昨年の名古屋伏見のリサイタルに行きましたが、それはそれは綺麗なひとでした。

またキックバックだ。コノヤロウ!

またメルクシパインの集成材の挽き割りで、キックバックを起こす。前回と同じ所を打つ。今度は材料が大きかったためか3秒ほど息が出来なかった。歩行に支障が出る程度に痛みも残る。さすがに2度目となると、言い訳できないし、痛いのは自分なのに言い訳を探してどうする。500幅の板なので、逃げ場がない。まだ、延々と挽き割りの作業があるので、これからは横切り盤でする。

どう考えても、4日までの納期に間に合わないので、明日からまたにの若森くんの応援に来てもらうことにした。彼は、私の多少なりと大きな現場や、ややこしい仕事の時はいつも手伝ってもらっている。付き合いが長いので、こちらの顔を見るだけで、どれくらいのペースでどこまでやらそうとしているのかを判断してくれるので、細かい指図が必要ないのもありがたい。


単純なものは良い。五感にも神経にも優しい。ベラ・バルトークがハンガリーの民謡を採譜してピアノ曲集にまとめたもの。

ベラ・バルトーク・ピアノ曲集『子供のために』

ベラ・バルトーク・ピアノ曲集『子供のために』

 

しつこくパトリシア・プティボンの歌について

パトリシア・プティボンの歌について続けます。前の記事でSend in the clownsの歌詞についてこんなふうに言われても心は動かないとか失敬なことを書いてしまいました。次の節をツラツラ聞いていると、そんなことでもなさそうです。

Don’t you love a farce? My fault, I fear
I thought that you’d want what I want, sorry my dear
But where are the clowns? Quick send in the clowns
Don’t bother they’re here

私が恐れていたこと、私の失敗とここで言っているのはなんでしょうか?あなたの望みが私の望みでもあると考えてしまっていたこと、ん?別にそれならいいじゃないか、と思えます。この芝居を最初から見ればストーリーからわかるのでしょうけど、別にそこまでする気はありません。これは、男の方が結婚したら彼女に女優を引退して家庭に入ることを望んだ。女はそれを拒んで、女優を続けた。でも、それ(女優を辞めること)が本当は自分の望みでもあった。そのことに気づくのが怖かったし、今にしてみれば失敗だった。また遠まわしの言い方ですが、後ろの節のキャリア云々と相まって、そんなところではないでしょうか?

でも、その後続けてごめんなさいとちゃんと謝っています。グタグタ文句をたれているだけじゃない。でも言ったあと、ピエロはどこよ。早く呼んでちょうだいと慌てて叫び、最後はすべて諦めたようにもういい。ピエロはここにいる(自分がピエロだ)としめます。この節の情景は、これまでと打って変わって、とてもかわいいですね。ここがこの歌のクライマックスのようです。他のステージでは、どちらかというとサービス精神旺盛なオチャラケ系の演技を見せているプティボンが、ここではDon’t bother they’s hereと歌い上げて、その後口をすぼめて切なそうに頭を垂れます。もちろん、これも演技なんですが、見ていてこちらも切なくなります。

だからなんなんだ、という事になります。続けて書きたいことがあったのですがやめておきます。風邪をひいて、午後から仕事を休んで医者に行って来ました。まだ、ひきはじめだから一日温かくして休んでいろとのこと。それならと居直って、色々書いてみたくなります。

父の命日と行けなかったパトリシア・プティボンのリサイタルの事

11月2日は、父の命日でした。4年前のこの日、私は東京に向かう早朝のこだまの車中で訃報を受けました。

ドライブモードにしていた携帯に入院中の病院や伯母などから何回も着信があることに気づき、デッキに出て留守電を聞くと「容態が急変したから、すぐに連絡されたし云々」。病院に連絡をすると「心肺停止状態にある」と告げられる。それは、死んだという事かと尋ねると、そうだと答える。ずいぶんまわりくどい言い回しをするものだと思った。すぐに次の箱根の駅で下車して、折り返し名古屋に戻った。

その日、東京に向かったのは以前に納めた仕事の簡単な手直しがあったため、だがこれはあくまでもついでであって、その日の夜の新宿のオペラシティでのパトリシア・プティボンのリサイタルを聴くためでした。半年前の発売後すぐに予約をして、夜のコンサートのため、その日の宿泊と往復のこだまの切符のペアになった格安券を購入していました。新宿御苑前では東京デザイナーズウイークというものも開催されていましたが、それはどうでもよかった。

もうその頃には父親は体力的にはかなり弱った状態でした。それに3度目の入院も90日間が過ぎ、病状が固定したとのことで急性期型の病院であるそこからの退院を迫られてもいました。色々と手配に奔走して、戻って翌日の4日もある施設の面接の予定が入っていました。母親の認知症の進行のよる妄動や健忘、虚言もひどくなっていました。念の為、ギリギリまで発券を伸ばしていたが、前日までには手続きを済ますようにとの規定だったので、その晩、ああなんとか行けそうだ、さすがに今夜事態が変わることもあるまいと思いながら、近くのコンビニで発券をした、でも本当に大丈夫だなと一抹の不安を覚えたのを記憶しています。

行くことの出来なかったパトリシア・プティボンのリサイタルチケット

行くことの出来なかったパトリシア・プティボンのリサイタルチケット


パトリシア・プティボンについては、5年前の2008年2月から6月ににかけて、私のホームページ音楽・ディスク・オーディオ日誌に3回ほど書いています。そのなかでも、プティボンの動画を紹介してその歌詞を自分で翻訳した記事は、それなりに苦労して書いた思い入れのあるものでした。是非、下のリンクを開いてプティボンの歌だけでも聞いてみて下さい。中東の山賊のプロバガンダに手を貸すyoutubeの動画は貼らないことにしました。

その記事を書いた年の4月の名古屋での公演を聞き逃したこともあって、今度こそはの気持ちがありました。また、病気治癒のための自助努力をまったく放棄してしまっていた父親と、認知症の進んだ母親の看病・支援にかなり参っていて、せめてもの気休めにという期待もありました。ですから、折り返して名古屋に向かう車中では、色々錯綜する思いの中で、なんでせめてもう一日待ってくれなかったのか、こんなささやかな気休めすら取り上げるのかい、歌舞音曲好みはあんたの方の血だし自分は散々遊んだはずじゃないか・・・とか考えたりしていました。

それから4年、自分で書いた記事を読み返すこともなく、リンクした動画を開くこともありませんでした。とくに意識をしたわけでもなかったと思いますが、見る気にもなれなかったのかもしれません。最近になって、またこのプティボンの動画を見る(見られる)ようになりました。5年間、削除されずにネット上によく残されているものです。あらためて見る(聴く)と、本当に素敵です。艶っぽさと明るい可愛らしさ、それに見事な鍛えられて計算された芸が融合された稀有な例ではないかと思います。表情の作り方、目線の細かい動かし方や指先まで神経を行き届けさせたようなアクション。今なら動画で色々見ることの出来る美空ひばりさんやマリア・カラスさんと同じようなプロの芸だと感じます。


分かりにくかった歌詞も、ぼんやり何度も聞いていると、なんとなく分かったような気になってきます。年増になった女優が、娘のような年頃の女と再婚するかつての恋人を相手に、ネチネチ嫌味を言う。それも舞台用語の符丁やら持って回った言い回しを使って。そういうつもりで聞いて、5年前の訳にあえてつけ加えるとすると、こんなところでしょうか。

Isn’t it rich? Are we a pair

というのは、プロテスタントでプラグマティズムの国の

儲かりまっか?
ボチボチでんな

という言い回しにも思えます

Just when I stopped opening doors
Finally knowing the one that I wanted was yours
Making my entrance again with my usual flair

この言い回しもよくわからなかった。このopening doorsというのは、前はdoorsと複数形でもあるし、劇場の扉のことかと思いましたが、単純に心を開くという喩えではないかとも感じます。2行目、3行目は戻ってきてとか、やり直そうというあらためての好意の告白なんでしょうが、まあ何という持って回ったようなくどい言い方だこと。いくら旧知の間とはいえ、男の立場からすれば、こんなふうに言われても心は動かないでしょうね。

Sure of my lines
No one is there

このlinesというのも、前は劇場に並ぶ行列のことかと思いました。しかし、ぼんやり聞いていると芝居の最期のカーテンコールの列のことではないかとも思えます。つまり自分にはもう一緒に芝居をしてくれる人間もいない、あるいは芝居が終わってカーテンコールに並ぼうとしても一人ぼっちだ。こちらのほうがより孤独とかその悲しみを表現しているのではないでしょうか?


時間は、色々なものを忘れさせてくれます。忘れてはいけない事もある、とも言われそうですが、そうしたものも含めて忘却という領域に封印してしまう。日常の生活の中では、それで平穏さとか楽しみが得られるなら、許されることではないかと思います。

『冬の旅』のディスク 2     Christoph Prégardien

せっかく『冬の旅』のディスクを取り出してみたのだから、しばらく仕事やこうしたパソコン作業のBGMとして順番に流していこうと思いました。ちなみにモーツァルトやバッハが流されている木工所は、いくつかはきっとあるでしょう。ショスタコーヴィッチやアルヴォ・ペルトくらいは聞いている物好きもいるかもしれません。しかし、ハンス・アイスラーやジョージ・クラムなんか聞きながら仕事している木工屋は、日本中でここくらいだろうとか考えて、にやけている事があります。

さて、まったく印象に残っていなかった、というよりつまらなかったと記憶しているディスクからかけてみました。

winterreise pregardien

  • Christoph Prégardien (tenor)
  • Andreas Staier (fortepiano)

となっています。ちなみに輸入版です。テノールの名前は日本語表記ではプレガルディエンとかされているようです。こういうのを見るとギョエテとは俺のことかとゲーテ言いとかいう昔の学生の戯れ歌を思い出します。よくわかりませんが、普通にプレガーディンとかではダメなんでしょうか?

久しぶりに聴いたことになりますが、普通に爽やかに清々しいテノールでの『冬の旅』です。伴奏がフォルテピアノというのも、声の優しい雰囲気にあっていいです。なんでつまらないとか思ってしまったのでしょう?寂寥感とか、ある種の寒々しさのようなものを『冬の旅』に求めていたとしたら、つまらないレコード批評の類を読みすぎて、自分で自分を洗脳していたとしか思えません。声の若々しさ、瑞々しさにこのプレガルディエンギョエテ読み)さんの生年を付属のライナーノートで見ると、1956年!いくらプロの声楽家とは言え、私と同い年で、こんな澄んだうつくしい声で歌えるのか!と思って録音データを見ると1996年の録音で少し安心しました。名前に”é”と、フランス語の文字が入っているので、不思議に思ってノートを続けて読んでみたのですが、普通にドイツ生まれのようです。教会の聖歌隊からはじまり、長じてハルトムート・ヘルのリートのクラスにも参加したとあります。そう言えば昨日、NHK BSプレミアムの朝のクラシック倶楽部で白井光子さんと一緒に元夫のヘルが出ていました。白井さんは白髪も美しく綺麗なお年のめされ方をされていて、とっても素敵でした。若い頃は甘いマスクで、それなりに二枚目だと思っていたヘルの方は顎がたるんだフヤケた爺さんになってました。

CDのジャケットのような小さなものに、細かい字でごちゃごちゃ書かれても、老眼の進んだ目ではいくらメガネをかけても読みづらい。そうした時は、簡単な説明書の類はデジカメで撮って背面の液晶で拡大表示して読んだりします。すこし長文でじっくり読みたい時はスキャナーで読み込んで拡大してプリントアウトします。便利になったと喜ぶべきか、不自由になりつつある我が身を嘆くべきか、よくわからなくなります。

ライナーノート

中高年はCDなど買わなくともよいと言われているようなライナーノート

 

ただ、今このディスクを買うかと言えば、買わないと思います。5,000円でリサイタルが聞けるとすれば、そちらはきっと行くでしょう。ちなみに年明けの1月12日に、名古屋・伏見・電気文化会館のザ・コンサートホールでのクリスティアン・ゲルハーヘルのリサイタルはチケット予約してあります。料金は6000円ですが、会員割引で4800円になります。

『冬の旅』のディスク

本当に久しぶりにCDを買いました。前に買ったのは、去年の今ころ、名古屋伏見の電気文化会館で聴いたサンドリーヌ・ピオーのリサイタルと同じ曲目のアルバムを、予習のため買って以来だと思います。

買ったのは、ORFEOレーベルのディースカウとポリーニの『冬の旅』、1978年のザルツブルグ・リサイタルのライブです。たまたまネットで予告を見つけて予約して買いました。ディースカウの歌自体はもう食傷気味ですが、ポリーニの伴奏を聴きたかったのです。

ディースカウとポリーニの『冬の旅』

ディースカウとポリーニの『冬の旅』

ディースカウは、この録音からしばらく経った1980年か81年に大阪でのリサイタルで同じ冬の旅を聴いて、たいへんがっかりしたことを覚えています。その頃にフィリップス・レーベルに録音したブレンデル伴奏のディスクもひどい出来でした。さすがのディースカウもこの頃は不調だったのかもしれません。ただ、このディスクでは、そんなにひどい印象も受けません。ピアノの方に神経がいっているせいか、もうディースカウも亡くなって暫く時間が経って、過去の人というイメージが私の中で定着してしまっているせいからでしょうか。

ポリーニのピアノはきれいです。伴奏という事で決して出しゃばっていませんが、レガートの音も粒だってキラキラと流れていくように奏でます。和音も濁ったような感じもなく響きます。本当に上手な人が演奏すると、こうした簡単な伴奏でも美しい音楽になるんですね。

さて、冬の旅のディスクは一体何枚買ったのだろうかと、ラックから取り出してみました。どこかに紛れているものもあるかもしれませんが、計13枚。ほかにもLPが4〜5枚あったはずです。フェティッシュなコレクターからみれば、それだけかとなりそうですが、普通の人から見れば、アホかという、まあ中途半端な数です。斎藤晴彦と高橋悠治というオチャラケや弦楽四重奏伴奏というキワモノもありますが、シュライヤーとリヒテルのライブ3種類といった定番がなかったりします。ジャケットも見ても、半数以上はまったく印象に残っていません。ハンス・ホッター、ボストリッジ、女声のシェーファーとシュトゥッツマン(Stutzumann ドイツ語翻訳読みでは普通にシュトッツマンで良いのでしょうが、このややこしい表記が一般になっているようなので従います)、それとディースカウとブレンデルあたりが印象に残ります。ディースカウとブレンデルのディスクは、私が初めて買ったCDです。

手元にある『冬の旅』のディスク

手元にある『冬の旅』のディスク

前の冬はシュトッツマンをよく聴きました。この冬は、気分からいってハンス・ホッターあたりを聴きたいかなあと考えています。

木の仕事展IN東海、明日21日からはじまります

今日は搬入でした。今回の展示では、鳴り物関係担当という事にもなっております。そのからみでは平面バッフルスピーカー(パイオニア PAX12-A)、これを復活させた300B シングル・パワーアンプで鳴らします。設営がてら視聴してましたが、良い感じです。他の出展者にも、初めて聴く平面バッフルは好評でした。あと、スワンもどきも、今回初めて聴いていただきます。

スワンもどき

スワンもどきスピーカー

EH 300B(ロシア製)というものを買ってみた

金欠の時に売り払ったセトロン・300Bの代わりを買う。大阪日本橋に行けば、安い中国製が手に入ると聞いたが、さすがに大阪まで出る暇がない。それと交通費も考えると、ネット通販で中国製以外では一番安かったEH 300Bと言う物にした。ロシア製でステアータイト(磁器)ベースのもの。

EH300B

着いた物は画像のようなもの。ロシア製の真空管は、以前にも何種類か求めたことがあったが、いずれもガラスが厚く中の電極もしっかりと作ってあって印象は良い。EHというのは何だと思っていたが、Electro Harmonixという楽器とその周辺機器のメーカー(商社?)のようだ。真空管は、おもにギターアンプ用のものをロシアで作って自社ブランドで販売している。それにしてもパッケージとベースに印刷された人面はいかにも趣味が悪い。まさか、これはブランド名になっているハルモニア(ギリシャ神話の調和を司る女神だそうな)のつもりだろうか?

手もとにノーブランドの中国製(20年ほど前に購入)があるが、それと比べるとガラスの厚みがずいぶん違う。それとステアタイトのベースもあってかなり重い。細かいことになるが、売ってしまったセトロンの300Bはフィラメントを釣り竿というかジブクレーンのミニチュアのようなもので釣ってあった。本家のウエスタン・エレクトリックの物もそうらしい。いま手元にあるロシア製と中国製はスプリングバネで釣ってある。この真空管の前身である300Aが作られたのが1933年とある(75YEARS OF WESTERN ELECTRIC TUBE MANUFACTURING / Bernard magers)。この頃は、コイルのバネより針金の張力そのものを利用したこうした方式のほうが信頼性が高かったのか、はてまた安上がりだったのか良く分からない。

cetron300B

セトロン300B

china300B

ノーブランド(中国製)300B

eh300b

EH(ロシア製)300B

こんなことで特性が大きく変わるとも思えないが、見た目は釣竿式のほうが精密感というか手が込んでいるぞ感があって良い。高橋由一の絵で、こうして池に釣竿をのばしたものがあって、それがだらりとした風景画に凛とした緊張感を与えていたなあとか思い出す。真空管アンプなんて、見た目と自己満足感がほとんどすべてなので、こうした要素は大きい。

その他、電極をガラス管内部に保持するためのマイカの形状、ゲッターの飛ばし方、ベースの材質・ピンの有無など目についた形状の相違をまとめておく。なお、本家本元のウエスタンの物は所有したことがないので分からない。セトロンのものは、忠実なコピーというかそもそもOEM生産していたものなのか、これもよく分からない。それに対して、ノーブランド中国製はコピー商品だが面倒な部分は適当に間に合わせましたというまがい物(今の中国製は知りません)、ロシア製は電極の構造が同じで特性さえ合っていればいいのだろう、あとはこちらのやり方で行くぜという感じのコピー(というより同等品か)。それはそれで潔い。ロシアン・ライカもそんなところかなあ。あれだってライカのパチモンにはちがいないけど、堂々とZorkiとかFEDとか自分のブランドつけてるから、まあ、ある意味すごいなと思います。

手元にある(あった)300Bの形状の相違
セトロン ノーブランド中国製 EH ロシア製
上部マイカ 三角形、3枚止め 丸型、2枚止め 丸型(2重)、鋸歯状
フィラメント支持 釣り竿状 コイルスプリング コイルスプリング
ゲッター 1カ所 1カ所 2カ所
ベース ベークライト(?) ベークライト(?) ステアタイト
バヨネット・ピン あり あり なし
電極の向き バラバラ バラバラ 揃えようとしている?