針葉樹を削る鉋

補修の仕事も終り、仕掛の仕事を再開します。前に紹介したヒノキの薄板は、鉋で全体をめくってみると画像のような状態でした。ヤケが部分的に進んでいるのか、まだらになっています。それに木目がどうも私の好みではありません。制作意欲がかなり減退しました。

長らく放置されていたことによる焼けムラか?

長らく放置されていたことによる焼けムラか?

それではと、あらためて他の針葉樹の薄板を取り出して見ました。

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左は、解体された大阪の民家(昭和初期築)の扉に使われていたもの。今でもかすかに脂っぽい。屋久杉か?右は、ある地元の材木屋の処分品。中杢の上品な良い板。

これも材木屋の処分品の杉。幅が800ミリほどあるあ。

これも材木屋の処分品の杉。幅が800ミリほどあるあ。

計画変更というか、また新規に比較的大人しめの杉板を使って別のものを作ってみようかと思っています。


7年前に買った鉋。今井鉋製作所の「雪梅」

7年前に買った鉋。今井鉋製作所の「雪梅」

ところで、こうした針葉樹を削るのに画像の鉋がよく切れます。実は、この鉋は私の持っている鉋で一番新しく買ったものです。それでも、既に7年ほど前になります。三木の刃物市のあるイベントを見学している時に、たまたま隣り合った酔っぱらいのオヤジさんが、実は鉋鍛冶でした。それで、当然のように鉋の話になり、三木の他の鍛冶の鉋を愛用していると言うと、それならオレの鉋も使ってみろとなって、成り行きでその場で発注してしまいました。思い出したのですが、その時は普段の仕事に使う広葉樹用の鉋はもう間に合っているので、新規に打ってくれるのなら針葉樹用に「白」(白紙という炭素鋼)でお願いしたいと言いました。その鍛冶の爺さんは、オレは青が得意だから青にしてくれと言う事で、任せることにしました。

柔らかい地金で、普通によくきれる。名前を刻印されたは、余分。

柔らかい地金で、普通によくきれる。名前を刻印されたは、余分。

暫くして送ってきたのが画像の鉋です。カタログにもあるもので、体よく在庫処分をされたかと思ったりしましたが、あえて詮索はしないことにしました。頼みもしないのに、鉋の銘の裏に私の苗字が刻印されているのも余分なことで、私はこうした事が嫌いなのです。ただ、この鉋は、良い台にすげられていて、普通に研ぎやすくよく切れました。若干、刃持ちが悪いのは使い始めは仕方ないと言われています。でも、特にこれまで使い慣れたいくつかの鉋に代わるか、そのうちに入れるかという程でもない。それで、ほとんど使わずにいました。

最近、針葉樹の板を色々取り出して削ったりしていますが、ふとこの鉋の購入のいきさつを思い出しました。それで、試しにと使って見ました。普通に杉が削れます。杉のように一般に柔らかいと言われている材など削れて当たり前と思われるかもしれませんが、杉と地松、特に脂の多い肥松と言われる材は扱いにくいやっかいな材料になるのです。杉などは、広葉樹では普通に薄い屑が出て、そこそこきれいな削り面が作れるような鉋でも、粉しか出ない場合が多いのです。それで、少し刃を出し気味にすると、今度はむしり取るような厚い屑が出てしまう。

もう少し、ちゃんと鉋自体の調子を追い込んでから、また報告します。

追い込みをかけています

展示会を前に、4口の仕掛品を抱えている中で急な修理の依頼もあって狭い工房の中は収拾のつかない状態に。そんな中、昨日からお客さんのお嬢さんで東京芸大工芸科在学中の才媛が、20日間ほどの短期集中木工修行に来る。今時のかわいらしい娘さんだが、顔にヘンコと書いてあるし、くすんだ色の防寒着(ようするにドカジャンだ)をまとって電車で通ってくる。その彼女がまた大きな物を作ろうとしている。でまあ、かつてはここで3人一緒に仕事をしていたこともあったし、その時のように車をどけて、外にウマを並べて仕事をすればいいのだし、そういうワヤクチャな状況が嫌いでもないので、なんとかならあ。

10数年使ってもらった携帯式の麺打ち台。クリの脂が抜けてキリのようになっている。

10数年使ってもらった携帯式の麺打ち台。クリの脂が抜けてキリのようになっている。

寒くなって雑種犬タローが昼間からずっと小屋に籠って丸くなって寝てばかりいる。小屋のある裏は日当たりも悪いし、朝夕の散歩も、まだ日が短く暗いうちに済ますことになるし、さすがに不健康かなと思う。それに、昼間から寝てばかりで、こいつにまでボケられてはかなわない。それで、仕事に出る昼間は、日当たりの良い表に繋いで晒し者にすることにした。もともとこの家では私より古株の13才ということもあって、近所の人、通りすがりの人、通学の中学生などにかまってもらっているようだ。もともと、人間は皆友だちだと思っているような感じで、吠えないし敵意なしに近寄ってくる人には尻尾を振って愛想をする。昨日も初対面の芸大娘にかまってもらって、大喜びで敷物に与えたマットを咥えて遊んでもらおうとする。番犬にはならないし、なっていない。

タローシリーズ その1

前に紹介した鉄のアングルは、画像のような使い方をします。テーブルの天板を裏返して加工しているところです。吸い付き桟に埋め込んで木ねじで固定。溶接された他のアングルに脚、ヌキなどをやはり木ねじで固定します。木の中に埋め込んでしまうことも可能ですが、今回は鉄で補強してあることをあえて明示的にしたいと思っています。

スチールのアングルを吸い付き桟に埋め込む

スチールのアングルを吸い付き桟に埋め込む

市販のオフィス家具のように、脚部全体をスチールで構成するという選択肢もあって、いつかそれもやってみたいとは思っています。ただ今回は、あくまでも基本は木のテーブルで、鉄で補強することでこんな形にすることも出来るという事をテーマにしています。

私の以前の仕事は鉄筋コンクリートに関係していました。鉄筋コンクリートはRC・Reinforced Concreteと略称されています。これにちなめばRW・Reinforced Woodシリーズとか呼ぼうかと考えましたが、そのまんま過ぎて面白くない。それに、日本で生まれ育った私はアルファベットを安易に、なにかそれがクールでスマートであるかように使うのが嫌いです。ハイブリッド(木と鉄)という言葉も、いまは自動車産業の営業戦略用語になっていていやだな。それなら、ハイブリッド→雑種→雑種犬・タロ−という連想で、タロー・シリーズというのはどうかなと考えています。

第13回 木のある暮らし展に出展します

NPO法人まどりさん主催の、第13回 木のある暮らし展に出展します。詳細は下の画像を参照して下さい。PDFファイルはこちらからご覧いただけます。↓

第13回木のある暮らし展・案内(PDF)

  • 日時 3月3日(火)〜9日(日) 時間・平日10時〜16時、土日10時〜17時
  • 場所 近畿中国森林管理局森林のギャラリー
    大阪市北区天満橋1丁目8-75
  • 問い合わせ NPO法人まどり tel 072-892-4776 E-mail : info@npo-madori.com
第13回木のある暮らし展・案内

第13回木のある暮らし展・案内。クリックで拡大します。

こうした小規模で自主的な木工展で、13回も続いているというのは大変なことだと思います。これはひとえに主催のNPO法人まどりのスタッフの皆さんのご尽力によるものです。始めたことを続けるというのは、難しいものです。まして主催者として金銭的な面もふくめて具体的なメリットが少ない中で、我々のような小規模家具工房・木工所を応援したいという思いで続けて下さっています。ありがたいことです。

2009年12月に出展したクリ水屋

2009年12月に出展したクリ水屋

私は、初回に参加した4人の内の1人で、以降12回続けて出展させてもらっています。ちなみに、今回も出展されるstackの佐川瑞人さんも、初回からのメンバーです。6年前の12月には、父親が亡くなって認知症の母親が残って大変な時期だったのですが、気分転換のためにもと兄弟にも勧められて、7日ごとの法事を欠席して出展しました。その時に作ってだしたのが、上のクリ水屋です。これは縁あって、名古屋本町のあるお店で使ってもらっています。そろそろ若い人に席を譲る頃かなと最近では思ったりしますが、先日のスタッフと出展者の打ち合わせで、今後のことも色々話し合いました。詳しくはここに記しても仕方ないのですが、仕事として木工を続けている限り今後も出展したいと思っています。

ヒノキの薄板

昨日、今日と材を引っ張り出しています。寸法を測り、鉋で木地を部分的に露出させ、色や木目を吟味して木取りを考えるという作業をを繰り返しています。展示会出展のための仕事のように厳密に大きさとか仕様が決まっていない場合は、材によって大きさとか仕口を変える場合もあります。もっと言うと、気に入った材を使う、それを活かすために何かを作る。そのために仕様や仕口自体を考えたりします。本末転倒とも言われるかもしれませんが、気に入った板を引っ張り出して眺めては、これを使ってあれを作ろう、これにしようと考え悩むのは、幸せな時間でもあります。

ヒノキの薄板。割れ、入皮などの傷を外して幅・2尺4寸、高さ・3尺ほどの無地の材が取れた

ヒノキの薄板。割れ、入皮などの傷を外して幅・2尺4寸、高さ・3尺ほどの無地の材が取れた

木を出していると、またヤモリがいました。今回も2匹一緒です。ただ前に見たものより明らかに小さいし色も薄い。まだ若いカップルのようです。よく知らないのですがヤモリというのは、こうしてツガイで冬を超すのでしょうか?それに重なった板の間の隙間というのは、居心地が良いのでしょうね。確かに、私だって冬越しに眠るなら、スレートの隙間やヒューム管の中よりは木の板の間を選びます。

釘も鉄も(ガラスも布も紙も)使うぞ! ←というのを暫くはテーマとしたい

20ミリのアングルを溶接してもらった。これを吸い付き桟に埋め込みナラの脚をネジ止めする

20ミリのアングルを溶接してもらった。これを吸い付き桟に埋め込みナラの脚やヌキをネジ止めする

工房のはす向かいの板金屋にお願いして作ってもらいました。スチールのアングルを溶接してもらいましたが、寸分違わぬ精度と申し訳ないような値段でした。M3.1の木ねじ用にたくさん開けてもらった皿穴もピッタリで、当たり前ですが、さすがにプロです。

これは、左に立てかけてあるナラのテーブルの脚の一部分というか補強パーツになります。3月3日(火)から8日(日)まで大阪で開かれるNPOまどりさん主催の第13回木のある暮らし展に出展します。

これまでは、仕事としての木工という観点から、自分でいくつかのタブーを作って来ました。昨年あたりから、そうした事をやめて、もっと自由に、自分の発想とか志向を素直に形にしたいと思うようになりました。シンプルとかモダンとか、ナチュラルとかはもういいや。煮え切らない性格のゆえもあって、劇的にとまではいかないのですが、組み手や構造を積極的に見せるスケルトン・シリーズとか、色漆を使うとかがそれのつもりです。今年からは、金属とかガラスとか異種素材を、見える形で使っていこうと思っています。その第一弾となります。

プレーナー屑を牧場に持っていく

木取りなどは機械作業が中心となり、端材やプレーナー屑などが大量に出る。狭い工房に貯めておくと収拾がつかなくなり危険でもある。端材は、この季節薪ストーブ用に引き取り手には困らない。先日も、3月の木工展の打ち合わせにまどりの井上前代表のお宅兼事務所にお邪魔した際に引き取ってもらった。ストーブ用に長さをある程度揃えたり、縛ったり梱包したりはそこそこ手間だが、産廃にされることを考えれば余程良い。自分で使えれば一番良いのだが、紺屋の白袴のたとえのように、いまだにアラジンのブルーフレーム他を使っている。

プレーナー屑は郊外の牧場に持っていく。汚れた敷き藁に混ぜて、堆肥の材料になる。牧場ではこうしたプレーナー屑やおが屑を購入しているようで、こちらも歓迎される。口蹄疫の頃はさすがに近づけなかったが、今は行くたびに牛舎を覗いてみる。なんだか珍しい生き物が来たぞと思うのか、そもそも好奇心旺盛なのか牛たちが寄ってくる。少なくとも敵だとは思われていないと嬉しくなる。大きな顔に手を伸ばすと、それでも最初はビビったように首を逸らすが、すぐに慣れる。少々乱暴なくらいに撫でたり小突いたりして遊ぶ。

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最近、タブレットのカメラも使うようになった

 

草を食べる生き物というのは、概して大きな体をしているが、皆目が優しくていいな。少しだけ気持ちが落ち着く。つい目にしてしまったあの中東の火付け強盗人殺しの山賊の澱んだ忌まわしい目が、いまだに私を苛み続ける。

木取り

日曜日は本当は仕事をするつもりが、朝の報道から混乱してそれどころではなかった。その件は今はどうしたって、10年前の事も含めて、汚い言葉を吐きそうでやめておく。石堂順子さんは本当に立派な人だ。その心情を慮れば、せめて西に向かって頭を垂れるよりない。


気を取り直して、今日は朝からなんとか仕事を再開。作っている棚の見込み側の鏡板を木取るために、別に保管してあるクリの幅広の材を表に出す。その過程で、幅300前後、長さ3000、厚み34と39ミリのナラの板を発掘。1〜2枚は残っていた筈と思っていたが9枚もあった。 何をやっているんだ、私。

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ナラの木端で冬眠(?)していたヤモリ。もう1匹は、左手後方で、尻尾の先だけ見せて逃走中。

そのナラの1枚の木端になにか付いている。よく見ると2匹のヤモリだ。ジッとしているから冬眠しているのか、と思ってデジカメがなかったので携帯で撮っているうちに起きだしたか転げ落ちるように逃げた。こいつら、夏はガラス戸にへばりついて蚊とか虫の類を食ってくれるし、なんとなく恐竜の末裔っぽい雰囲気もあって好きだなあ。カラスやイタチに食われないように、材木の間でも工房の中でも住処はいくらでも提供するけれど、でも、年末には仕事をしているとイタチが入ってきたぞ、ここにも。

2台の棚の框部材

2台の棚の框部材

ひとまずは、主な部材の木取りは終り。これにケヤキの観音扉が24枚入る間口1間、高さ7尺の棚が2台となる。框は、見付は柾目で揃えたいし、捻れや歪みが生じないようになるだけ通直な目の良い幅広の材から取っていくことにした。相応に時間もかかった。結果、手持ちのクリの良いものから、ざっと材積にして0.3立米ほども潰して、この五平の角材と薄板になった。もったいないとは、やはり思う。