熊本で地震のあった14日から、何が出来るわけでもないのに、しばらくはテレビのニュースを見ていました。16日の本震
の後に、倒壊した家屋や集合住宅の映像を見ると、やはり21年前の阪神淡路大震災の事が思い出されます。
まず感じたのは、住宅や構造物が21年前と同じ壊れ方をしているという事です。特に、1階が店舗とか駐車場になっている鉄筋コンクリート造の中層の集合住宅の壊れ方は、あの時、私がたくさん見せつけられた状況そのものです。駐車場の柱が座屈して、2階部分がだるま落としのように、地上近くまで落ちたマンション。店舗部分の柱が折れて、全体が大きく傾いたマンション。その中で、座屈した柱をクローズアップした映像がありましたが、茶筅のように、湾曲して飛び出した主筋の鉄筋がいかにも細い。25ミリないのではないか?まさか柱の主筋に22ミリ以下を使うか?それに異型鉄筋ではなくて、プレーンバーのようにも見えた。それに数自体も少なそうだ。
この熊本の映像にあったものは、実際に目にしたわけではありませんので、いい加減な事は言えません。ただ、21年前には、上に書いたようなものを、西宮で、芦屋で、神戸で散々目にしました。そして、その後、叫ばれてきた耐震補強とは一体なんだったのか。木造の戸建て住宅に筋交いや補強の金物を施す事が主眼で、こうした古い、さらに言うと手抜きで施工された鉄筋コンクリート造の耐震診断とか、補強はなされてきたのだろうか。
さらに、21年前の震災の後では鉄骨プレハブ作りの建物が震災に強い・強かったと喧伝されました。それもあってか、従来の木造軸組に代わって戸建てのプレハブ住宅や、○○ハイツと称する2階建ての集合住宅が増えたように思います。後者は、いたる所で目にするようになりました。学生向け、あるいはこの近辺では非正規の派遣労働者向け寮として使われているようです。今回の熊本に地震では、こうしたプレハブ造りの建物も倒壊しています。南阿蘇村では、2人の学生が亡くなっています。こうした安手のプレハブ造りが、喧伝されていたような耐震性を有していたのか、これも疑問に思います。
今回も、二日の間に2度の震度7の本震に相当する揺れがあったという想定外
がキャンペーンされています。不可抗力を強調することで、本来は問われるべき責任を曖昧にしてしまうのです。21年前は、古い耐震基準
というものが、責任回避の題目にされていました。しかし、私が当時現地を歩いて、目にしたものはそうした高尚なレベルの問題ではなくて、明らかな施工不良、手抜き工事の数々でした。一番ひどいと思ったのは、山陽新幹線の高架橋でした。震災の二日後だった思いますが、当時の会社の高齢の顧問の安否確認も兼ねて、西宮の仁川に向かいました。阪急西宮北口で降りて、今津線沿いに北へ向かったのですが、門戸厄神の駅を過ぎて目にしたのは、山陽新幹線のもろくも破壊された橋脚と落ちた橋桁でした。ざっと見回して武庫川の西側のあの近辺では、まともに残った高架橋はなかったと記憶しています。武庫川に架かる橋梁も潰れていました。尼崎と西宮の間を流れる武庫川には、他にも山陽本線、阪神、阪急の私鉄や高速道、一般国道など多くの橋梁が架かっていますが、山陽新幹線以外はすべて無事でした。新幹線のすぐ南を走る阪急電車などは、震災の翌日から西宮北口までの運行を開始して、私もそれを利用しました。神戸まで歩く事を考えるとずいぶん助かりました。明治から戦前にかけて基本的な構造が作られた山陽本線の橋梁が無事で、1960年代につくられた新幹線の橋脚が潰れているのです。
実は、そのすぐ後に、この新幹線の武庫川橋梁の補修工事に、私自身も鉄筋の供給・加工のメーカーの担当として関わる事になります。それが、サラリーマンとしての最後の仕事になったのですが、その事は、やはりまた別に書きます。忸怩たる思いで、社内報に書いた報告記事は、昨年このブログで転載しました。
→神戸 20年前に社内報に書いた被災地の報告
土建屋や役所が、原因と責任の所在を曖昧に、かつ隠匿して、その情報を公開してこなかった。なら、私たち末端の民間の人間が、業務上知り得た情報に関する守秘義務云々にこだわる必要もありません。