神戸元町商店街

神戸でお邪魔したのは、私の一番古くからのお客様の一人です。京都市立芸大を卒業された才媛で、その後京都の老舗の川島織物の研究所にお勤めになり、母校の教壇にも立たれたそうです。まだ、女性が運転免許を取ること自体が珍しかったお若い頃、赤いスポーツカーを乗りましていたとチラッと聞いたこともあります。だいたい、いつもお話をうかがうと長くなるのですが、この日も3時間ほど。うち仕事の件は30分もなかったかな。 自宅を改装されるようで、他の工事と合わせて施工時期は早くて11月くらいとのこと。それならまだ先の話とすこし怪訝な気分となりましたが、服部さんのタイムスパンで言うと、それくらいで丁度でしょう。との事。そうだ、いつでもいいと言われると、これまでも1年ほどもお待たせしたりしていました。

お父様が認知症を患い、それをお母様が自宅で介護されていたそうで、それもあって20年来認知症の家族を支えるボランティアをされていて、その経験からお聞きした話が、私が自分の親の認知症に直面した時、随分役に立ちました。私は、傲岸不遜な嫌なヤツだと少しは自覚しているのですが、話題が多岐にわたり自分の知らない事、未経験な事に及ぶのと、一回りほど年長であることもあって、いつもおとなしく拝聴しています。


お話が済んで、元町の商店街にむかいました。お薦めの品を求めに、教えてもらったを訪ねます。その後、一昨年閉店した海文堂書店の跡がどうなっているのか、気になって行って見ました。

お洒落で粋な佇まいだった書店がかくもいやしい店になっていた

お洒落で粋な佇まいだった書店がかくもいやしい店になっていた

ごらんのようなつまらないケバケバしいドラッグストアになっていました。残念だとか他人事のように言ってはだめですね。私も含めて、簡単・安易にアマゾンなんかで本を買ってしまうから、こうした良質の本屋が潰れるのです。学生の時に、初めて訪れて以来、神戸方面に出かける事があると寄っていました。当時からレクラム文庫をかなりのスペースを使って揃えてあり、私もここで、ノヴァーリスの詩集とヘッセの短編を買った記憶があります。それと、その由緒の通り他の書店では見かけることの出来ないような海事関係の書籍があって、訳もわからないのに手にして眺めたりしていました。しかし、この10年ほどは前を通っても寄ることもなくなっていました。

ほど近い風月堂本店の2階でランチを頂きました。ここも関西の老舗らしく気取ったところのない良いお店です。リーズナブルなランチメニューで、でもメインが肉か魚を選べます。静かに流れていた音楽は、シューベルト(「音楽に寄せて」)、モーツアルト(オーボエ協奏曲)、バッハ(「ゴールドベルク変奏曲」)などなど。有線放送でしょうが気がきいています。如何にも営業が終わった後、といった風情の3人のサラリーマンと女子社員がいて、そのうちの上司と思しきオッさんが携帯で話し出したのは興ざめでした。

2号線の反対側(北側)。うん、イカしてる!

2号線の反対側(北側)。うん、イカしてる!GXR A12 28mm

廃業と言えば、ガード下の丸玉食堂も一昨年末でやめてしまったそうです。3年ほど前に、仕事で神戸に出たついでに寄ったのが最後でした。以前はガード下にたしか2軒店があり、オヤジ達でごった返していたのですが、それがいつの間にかJRの改札近くに1軒だけになっていました。そちらの方も昼時でしたが、あまり客もおらずに寂しくなっていましたから、こちらは仕方がない。香辛料と化学調味料で、食べたあとで頭が痛くなるような、深く後悔するような料理ですが、なぜか暫くすると食べたくなって寄ってしまいます。最後に寄った時は、車だったので、シラフで定番の腸詰と汁そばを頼んだのですが、あんなのもうビールなしでは食べられないなとその時も思いました。

こちらのお店はまだ健在!ご夫婦とも元気そうでした。

こちらのお店はまだ健在!ご夫婦とも元気そうでした。 GXR A12 28mm

 

もう1軒、ガード下のレンセイ製菓はまだ頑張ってくれています。今時の柔らかくて甘さを抑えた生菓子っぽいものと正反対の硬くて甘い昔ながら洋菓子です。ロシアケーキと言うのだそうですが、私たちの子供の頃は、洋菓子というとこうしたものでした。どれも1個100円の明朗会計(消費税値上げ前は、たしか90円だった)。バスケットに好きなものを入れて会計をしてもらいます。

どれも1個100円。我が道を往く昔ながらの洋菓子

どれも1個100円。我が道を往く昔ながらの洋菓子

他にも寄りたいところはあるのですが、あまり時間もなかったので、元町はそこそこにして、大阪心斎橋に。続けます。

ケヤキ

丸ス松井材木さんで購入した厚み2寸(60ミリ)のケヤキの板2枚。長さは、いわゆる1間もの(1800ミリ強)。仕上げは拭漆にするが、最近よくある黄色のケヤキは勘弁して欲しいと、松井さんにあらかじめお願いして選んでもらっていた。昔のような赤光りするような、これぞケヤキと言った材ではない若い木だが、予算のこともあり、今これくらいなら上等だと思う。

丸ス松井材木さんで買ったケヤキの板2枚

丸ス松井材木さんで買ったケヤキの板2枚

これを長さ方向に4枚、厚み方向に3枚に割って、更に縦に半分に割って計48枚の板にする。最終的には24の観音開きの戸板になる。1ヶ月ほど寝かせて応力の変化による歪みを出してから木造りをやり直す。

48枚の板にする。観音開きの戸板になる。

48枚の板にする。観音開きの戸板になる。

歩留まりから言うと、シラタを除いて考えても50%を切るか。この手の厚み・2寸、幅2尺程度の曲がった耳付き板というのは、かつては私も岐阜各務ヶ原の広葉樹の市でよく買った。しかし、結局使い勝手が悪くこうして切り刻んで小さな部材にしてしまう。

神戸 20年前に社内報に書いた被災地の報告

1月19日(月)、神戸に行ってきました。古くからのお客さんに呼ばれてのことでしたが、あれから20年という感慨はやはりありました。

20年前の震災の時、私は大阪市内のある建材(鋼材)のメーカーに勤めていました。地震があった時間は当時住んでいた大阪南部の住宅で起床する僅かに前でした。いつも使っていた南海本線が全面不通で、開通の目処なしとのことで、仕方なく家に戻ってテレビを見ていると、阪神や淡路島の甚大な被害が徐々に伝えられていました。

結局、その日は自宅に待機していました。次の日から出社しましたが、どうせ仕事にならないし、じっとしているのも嫌だったので、神戸とか伊丹に住んでいて連絡のつかなかった高齢の顧問の安否確認とか屁理屈をつけて被災地に入りました。いつもの社内での服装、作業着上下に、安全帽、安全靴に脚絆という出で立ちに、70リッターほどのリュックに水と乾パンなどの非常食を詰め込んで、神戸市の東灘区と伊丹の仁川に向かいました。途中で、避難所とか困っていそうな人を見かけると適宜、水と食料を渡して歩きました。途中、仕事柄、壊れた建築物や土木構造物があると写真に撮りながらです。

被災地で見たものや、撮り貯めた膨大な写真をもとに社内で報告会を持ち、その抜粋を社内報にも載せました。集めた資料や写真の類は、個人的に求めたものも含めて全て退社する時に後の資料として社内に残して置きました。後にその会社自体が吸収合併されて雲散霧消してしまいましたから、残念というかもったいないことをしたと思いますが、仕方ありません。ただ、その社内報は手元にありました。社内報といっても、ゼネコンを含む取引先にも配っていたものなので、随分持って回った言い回しになっていますが、これも仕方がない。ただ、他の土建屋や同業他社が右往左往するしかない中で、かなり早い段階での被災報告と分析であったと思っています。

実際に被災地の倒壊した建物や土木建造物を目の当たりにして、当時よく言われた古い建築基準が云々という高尚な問題ではないと強く確信しました。一言でいうと、そうしたレベルの問題ではなく壊れた構造物はほとんど例外なく素人目にもわかる手抜き、施工不良によるものでした。その事は、自分の記憶に残る事だけでも書き残すべきだと20年が経った今、あらてめて思います。とりあえず当時書いた社内報の記事を転載しておきます。写真などはすべて私が撮ったものです。画像ファイルにしてあります。クリックで拡大します。


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(かざり)金具の職人さんを訪ねました

12日(祝)、連休の終わりの日に、次の仕事に関係したお願いに、名古屋の錺金具の職人さんを訪ねる。

面識はなかったのですが、簡潔なホームページ(名古屋神仏錺金具)をお作りになっていて、それを拝見して不躾にお願いしたい仕事の内容をメールでまず問い合わせる。すぐに律儀な返信をもらい、何度かやりとりをして時間をとって頂いて、自宅兼工房にお邪魔することにした。 玄関のすぐ脇にある道路に面した大きなガラス窓に二面を覆われた八畳ほどの作業所でお話を伺う。手掛けられた名古屋城本丸御殿復元の、襖の引き手や長押の錺金具を拝見する。素人目にも見事なもので、いずれも銅をタガネなどで叩いたり削ったりして、最後はメッキや箔押しで仕上げるとの事。

名古屋城本丸御殿の長押の錺金具

名古屋城本丸御殿の長押の錺金具

同じく本丸御殿の襖の引き手

同じく本丸御殿の襖の引き手

引き手の制作過程。銅板を叩いたり削ったりして整形してゆく。

引き手の制作過程。銅板を叩いたり削ったりして整形してゆく。

こちらは、箔押しで仕上げてある。地金の上に水銀を塗ってその上から金箔を押して、その後から加熱して水銀を飛ばすのだという。いったんは金と水銀が合金化しており、その後水銀の成分を加熱して飛ばすため、微妙に水銀の成分が残る。それで普通の金箔と比べて落ち着いた上品な色合いとなる。また箔の微細な筋や継ぎ目も残らず強度も、メッキはもちろん漆で焼き付けたものより高いのだそうだ。

柱の錺金具。水銀で箔押ししたもの。

柱の錺金具。水銀で箔押ししたもの。

肝心の仕事の依頼に関しては、受けてもらえました。拝見した仕事から見て、ある意味失礼かとも思いましたが、そこはお互い「仕事しい」同士、妙な駆け引き抜きで、仕事の中身や予算も隠さず申し上げれば、なんとかしてもらえるものだと思いました。体使って仕事している分には、そんなにお金が儲かるわけではないことも分かってますしね、お互い。私は、こうして異業種の職人さんとお話するのが好きです。店舗の仕事や造作の仕事の場合は、大工や、軽天屋、クロスや左官と言った内装屋、水道屋、ガス屋、椅子張り屋などなど、皆、腕が太く上半身がごつくて、なんだか同じ空間にいても安心感があります。子育てを経験した女性も、それなりに腕が締まってたくましくていいです。逆にホワイトカラー(これも死語か?)な上半身が貧弱な男たちや、職人以外の異様に腕の細い若い女性は、もうなんだか別の世界の人のように思えてしまいます。


さて、この日も、近鉄と地下鉄を乗り継いで出かけました。休日ということもあって、そんなに混んではいなかったのですが、気になったのは乗り合わせた列車の優先座席に座った人間が、ことごとくスマホをいじっていた事。10代と思しきガキから50代くらいのオバさんの団体まで、老若男女を問いません。地下鉄では座席の足下に大きな字で携帯の電源をお切りくださいと書かれています。車内放送もしつこいくらい繰り返されます。見えない聞こえないのか、そのふりをしているのか。あと、これは主に若い女性ですが、電車が着いてホームに降りたあとも3人に1人くらいの割合で歩きスマホをやっています。親戚のおばさんで、ペースメーカーを埋めている人がいると言うことを別にしても、なにか悪いものに取り憑かれている亡者のようにしか見えません。ご本人たちは、そうした自分の醜怪で無様な姿を、一度客観的に見直してみるという事をしないのか不思議です。

本年もよろしくお願いします

今年もこれに乗ってどこかに通いたい

今年もこれに乗ってどこかに通いたい。久々に使ったPanasonic DMC-G1

正月は気が緩んだか、風邪をひいてしまい2日間ほど寝込んでしましました。ようやく今日から始動です。2日間、ほとんどまともに食を摂らなかったのですが、かえって胃腸は快調で、体も心持ち軽くなったような気がします。今週は、少し大きな仕事の図面を仕上げて、普段使わない材料を当たらなくてはなりません。

雑種犬タローも、正月の間にエサを食べなくなり心配したのですが、こちらは不規則に犬用のおやつ類を与えたためのようです。ショップには犬用の福袋とかもあって、弟が買ってくれて、それを少し食べさせていました。文字通りそれに味をしめたのか、普段与えているドッグフードをエサ用のボールに入れると、それを鼻で遠ざけて拒絶します。コノヤローという気持ちと、もしかして体調不良で食欲がないかと案じました。

結局、私が寝込んでいる時に一度だけ夕方の散歩をパスして、エサを与えなかったのですが、そうするときれいに片付けてしまいました。しかしながら、夏にも思ったのですが明らかに以前に比べて体力が弱っているのは分かります。来年の正月まで元気でいるかなというのが正直なところです。