ブログ・サイト内のYoutube動画へのリンクを全て削除しました

このブログおよび本体のサイトから、Youtube動画へのリンクをすべて削除しました。もともと著作権的な疑問はありましたが、自分でもごまかしてきました。なにより、Youtubeが、中東の火付け強盗人殺しの山賊のプロバガンダの手段になっていると今さら思い知らされたからです。山賊がアップロードしてもすぐ削除されるといっても、すぐにそれをコピーして拡散するネット中毒の猟奇趣味のオタクどもが、世界中に存在します。管理するGoogleは、もちろんそんなこともわかっているはずです。せめて新規アカウントのアップロードを制限するか審査を導入するかなどの措置を取るべきですが、この薄気味悪い巨大営利企業はそれをしません。

ようやくCNNが、山賊どもの動画やそれをキャプチャした画像は一切扱わないと宣言しました。しかし、相変わらず日本のメディアは、山賊の下請けのように、民放はその動画を垂れ流していますし、大手新聞はキャプチャ画像を、その一面に大きく掲載しています。こうして、後藤健二さんやムアーズ・カサースベさんは山賊どもに辱められなぶり殺しにされた後も、メディアにより何百回も何万回も陵辱され続けています。もし、私たちが後藤さんやカサーベスさんの家族なら、こんなことに耐えられるでしょうか?

Googleというのは、もうネットを利用するのになしでは不便きわまりないような不気味な存在になってしまいました。でも、その管理するYoutubeは、山賊のプロバガンダの手段になっていますし、Facebookもやはりその勧誘・宣伝の手段になっているようです。こうしたものを単純に楽しんで利用している多くの人に、今さらやめろとは言えません(本当はやめろと言いたいからこんな記事を書いているのですが)。しかし、こうして無料で提供され、便利だ、楽しい、コミニュケーションだ云々と喧伝されているものが、個人情報の収拾の手段に他ならないこと、それに一方で社会悪や犯罪集団に利用されている。そして、その犯罪集団の被害者やその家族を陵辱し続けているという事実も知っておくべきだと思います。

プレーナー屑を牧場に持っていく

木取りなどは機械作業が中心となり、端材やプレーナー屑などが大量に出る。狭い工房に貯めておくと収拾がつかなくなり危険でもある。端材は、この季節薪ストーブ用に引き取り手には困らない。先日も、3月の木工展の打ち合わせにまどりの井上前代表のお宅兼事務所にお邪魔した際に引き取ってもらった。ストーブ用に長さをある程度揃えたり、縛ったり梱包したりはそこそこ手間だが、産廃にされることを考えれば余程良い。自分で使えれば一番良いのだが、紺屋の白袴のたとえのように、いまだにアラジンのブルーフレーム他を使っている。

プレーナー屑は郊外の牧場に持っていく。汚れた敷き藁に混ぜて、堆肥の材料になる。牧場ではこうしたプレーナー屑やおが屑を購入しているようで、こちらも歓迎される。口蹄疫の頃はさすがに近づけなかったが、今は行くたびに牛舎を覗いてみる。なんだか珍しい生き物が来たぞと思うのか、そもそも好奇心旺盛なのか牛たちが寄ってくる。少なくとも敵だとは思われていないと嬉しくなる。大きな顔に手を伸ばすと、それでも最初はビビったように首を逸らすが、すぐに慣れる。少々乱暴なくらいに撫でたり小突いたりして遊ぶ。

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最近、タブレットのカメラも使うようになった

 

草を食べる生き物というのは、概して大きな体をしているが、皆目が優しくていいな。少しだけ気持ちが落ち着く。つい目にしてしまったあの中東の火付け強盗人殺しの山賊の澱んだ忌まわしい目が、いまだに私を苛み続ける。

木取り

日曜日は本当は仕事をするつもりが、朝の報道から混乱してそれどころではなかった。その件は今はどうしたって、10年前の事も含めて、汚い言葉を吐きそうでやめておく。石堂順子さんは本当に立派な人だ。その心情を慮れば、せめて西に向かって頭を垂れるよりない。


気を取り直して、今日は朝からなんとか仕事を再開。作っている棚の見込み側の鏡板を木取るために、別に保管してあるクリの幅広の材を表に出す。その過程で、幅300前後、長さ3000、厚み34と39ミリのナラの板を発掘。1〜2枚は残っていた筈と思っていたが9枚もあった。 何をやっているんだ、私。

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ナラの木端で冬眠(?)していたヤモリ。もう1匹は、左手後方で、尻尾の先だけ見せて逃走中。

そのナラの1枚の木端になにか付いている。よく見ると2匹のヤモリだ。ジッとしているから冬眠しているのか、と思ってデジカメがなかったので携帯で撮っているうちに起きだしたか転げ落ちるように逃げた。こいつら、夏はガラス戸にへばりついて蚊とか虫の類を食ってくれるし、なんとなく恐竜の末裔っぽい雰囲気もあって好きだなあ。カラスやイタチに食われないように、材木の間でも工房の中でも住処はいくらでも提供するけれど、でも、年末には仕事をしているとイタチが入ってきたぞ、ここにも。

2台の棚の框部材

2台の棚の框部材

ひとまずは、主な部材の木取りは終り。これにケヤキの観音扉が24枚入る間口1間、高さ7尺の棚が2台となる。框は、見付は柾目で揃えたいし、捻れや歪みが生じないようになるだけ通直な目の良い幅広の材から取っていくことにした。相応に時間もかかった。結果、手持ちのクリの良いものから、ざっと材積にして0.3立米ほども潰して、この五平の角材と薄板になった。もったいないとは、やはり思う。

3本の映画 『パーソナルソング』、『三里塚に生きる』、『ダムネーション』

昨日31日(土)、午前中で仕事を切り上げて名古屋今池のシネマテークに映画を観に行きました。

の3本。これに、この日は『三里塚に生きる』の共同監督の一人である代島治彦さんの舞台挨拶がありました。先週には『三里塚に生きる』に合わせて、昔の小川プロの三里塚傑作選と称して古い映画の上映がありました。それも久しぶりに見たかったのですが、31日は、代島さんが来るし、『パーソナルソング』も上映が始まるし、と言う事で結局この日に出かけました。

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まあ、こんな映画を3本合わせて上映してくれるこの映画館もすごいなと思います。合わせて6時間余りの上映になり、認知症と三里塚闘争と、いずれも鑑賞というより、どうしても当事者目線で見てしまうこともあって疲れます。本当に、iPodで昔の音楽を聞かせるだけで、こんなにも生き生きとした表情と言葉が蘇るのなら、認知症治療とか介護とか、今やられていることは何なのだろう。でも少し前に読んだ『直さなくてよい認知症』では、認知症を治すべき病気ではなく、不可逆のエイジングとして捉えると介護者も本人も健やかに残された時間を過ごすことが出来るという趣旨だった。反省と自戒も含めて納得・共感していたのだが、この映画を見ると、また考えさせられる。簡単に答えを求めてはいけないのだ。

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辺田部落とか懐かしい。映画で出てくる屋号にも聞き覚えがある。東峰とか木の根はもうすでに滑走路になってしまっているが、そうかここはいわゆる敷地外で、B滑走路の進入路になって移転させられたが、まだ畑とか残っているのだ。岩山の鉄塔跡地にも入れるのだ。あの年の3月が危ないと言われて、しばらく現地に滞在していた。警戒と防衛のため毎日のように交代で鉄塔前に行っては最後にインターナショナルとか歌っていた。結局その3月は何事もなく戻って、5月に抜き打ちのように鉄塔が撤去された。その後の抗議闘争の過程で東山薫さんが亡くなった。私は、その時はもうこれで終わりだろうと勝手に「日和(ひよ)って」現地には行かなかったのだ。1977年のことだ。などなど色々思い出させる。

今も、反対運動を続けている柳川さんが静かに言う。運動を続けているのは、やはり青行(青年行動隊)の仲間で自死した三ノ宮文男さんの遺志という事が大きい。三里塚というのは、魂の問題なのだ。魂の問題を解決せずに、技術や方法で問題が解決されることはない。

私は、いろいろななりゆきもあって、あの1978年3月にも1兵卒として北総の大地にいました。でもそれ限りでした。ただ以降も絶対に成田から飛行機に乗らないと決めていますし、そもそも関西や東海地方に居て飛行機に乗る機会自体がそんなにありませんでしたから、それは守っています。登場した元反対同盟の堀越さんは、成田はもちろん飛行機自体に乗らないとおっしゃっていました。あんなものがなくても人間は生きていけるし、あんなものがあったからたくさんの血が流れ苦労があったのだと。私も、そもそもあんなでかいチタンやカーボンやジュラルミンの塊が、空を飛ぶ事自体が不自然で不可解な事だと思っていました。嫌いです。車もそうですが、地球や他の生き物にとっては破壊的で迷惑な存在でしかありません。もう金輪際、飛行機なんぞに乗らないというのが、短い間でもかの地を訪れたことのある私にとっての「魂の問題」の解決の一つかなと思いました。

シネマテークで、『三里塚に生きる』は、2月6日(金)まで、『パーソナルソング』は2月20日(金)までです。