土曜日に見たもう1本の映画は、『ある精肉店のはなし いのちを食べて いのちは生きる』でした。たいへんいい映画でした。
大阪の貝塚市にある精肉店の話で、ここでは牛の肥育から手がけています。自分の店にある牛舎で牛を飼い、近くにある屠場で自分たちで屠殺・解体した肉を精肉して小売しています。食肉産業というのは、なんとなく分業化されているように考えていたので、こうした小さな店で肥育から小売まで一貫して行っている所があるというのが驚きでした。映画では、まず「見学会」と言われていましたが、多くの人が見守る中での牛の屠殺・解体の場面で始まります。その後は、この精肉店を営む北出さん家族・親族の日常の仕事や生活を淡々と記録しています。店主の出張販売、牛の肥育を担当していた店主の弟さんが新たに始めた太鼓作り、夏の盆踊りや年末・年始の家族総出の働きぶり。店主の奥さんは、明るいお茶目な人で盆踊りの仮装ではかわいらしいワンピースに三つ編みのウィッグ、そこに赤いリボンを結んでもらってはしゃいでいます。
食肉や皮革を生業とすることに対する差別についても避けていません。店主はケモノの皮を剥ぐ報酬として、生々しき人間の皮を剥ぎ取られ、ケモノの心臓を裂く代價として、暖かい人間の心臓を引裂かれ、そこへ下らない嘲笑の唾まで吐きかけられ
という「水平社宣言」を読んだ時に、これはまさに自分たちのことだと思って、その後、部落解放運動に参加するようになったと、これもやはり淡々と語っています。映画の最後のほうで、息子さんの結婚式のシーンがありますが、相手の人は一般の人で、彼女との北出さん達の話の中で、やはり部落差別の事が語られています。
さて、このまま話は終わるのかと思っていましたが、この屠場が閉鎖されることになり、その最後の屠殺・解体が北出さんたちによって行われます。牛舎から牛が長らく肥育を担当していた弟さんに連れられて、村の路地を通って屠場に向かいます。屠場では、店主の北出さんやそのお姉さん、奥さんたちが粛然とした面持ちで待ち受けます。私も、居住まいを正して見なくてはいけないと、ちゃんと座りなおして背筋を伸ばして見ました。
ハンマーの一撃で牛を倒すのは、店主の北出さんの仕事です。北出さんは、穏やかで一家のまとめ役でもあります。しずかに精肉業の将来やその中で店の事を語っています。弟さんは、いかにも凝り性な雰囲気。皮を剥ぐ時に脚を持つのは、女性の仕事で、あと内蔵を洗い捌くのも女性が担当します。しっかり者という感じの明るいお姉さんやお茶目な奥さんが粛々と仕事を進めます。たくさんの人が、この映画のレビューで書かれていますが、私達の口にする肉は、こうしたごく当たり前の助けあって働く人たちによって提供されます。いのちを食べる
とか、いのちをいただく
とかは良く言葉としてはつかわれますが、それは本当はこういうことなんだと示してくれていると思いました。それを食肉産業を賤業しすることにより見てこなかったように思います。映画には一家の甥っ子さん、姪っ子さん達など、子供さんを含めてたくさんの人が登場します。皆さん、顔を隠したり、もちろんモザイクをいれたりしていません。カメラも隠し撮りではありません。監督の纐纈あやさんは1年半、地元にアパートを借りて住んだそうです。このあたりどこかのインタビュー記事にありましたが、小川プロの影響というか製作思想がちゃんと受け継がれています。なにより屠殺・解体の作業だけでなく、一年を通した日常の生活もカメラの前に晒した北出さんたちは本当にエライなと思います。いわば身を持って食肉業やそれを生業にしてきたことへの誇りと、逆にそれを賤業視することの下らなさを教えてくれているように思います。
この映画を見ると、肉をいただく時の心持ちが変わります。食べること自体を考えるよいきっかけにもなると思います。名古屋駅前のシネマスコーレで2月21日まで上映しています。できれば、前に記事で紹介した『ファルージャ』も合わせて見て欲しいなと思います。