講座は、実技中心となり体位・姿勢の変換(起き上がり、寝返り)、着替え、車椅子のでの移動、ベットから車椅子への移乗などの介助を、お互いをモデルとして行う。私は、それらの事を3年間ほどもやっていたのだが、結局見よう見まねの力任せでやっていたことにあらためて気づく。
現に家族を介護している人は、あらためて介護について学んだりする気にはなれない。それは当事者として常に目の前にある現実であって、出来れば一時であってもそこから逃れ忘れたい。それを知らない第三者からきれい事の美談めいたものを押し付けられたりするのは苦痛でしかないし、一歩ひいて技術として考え習得しようとする精神的かつ時間的な余裕もない。自分に対する言い訳も含めて、それが家族介護者の現実ではないかな思ったりする。
ただ、真面目に親とか家族・親族、あるいは地域での、さらに大きく言えば日本の将来の事に少しでも思いをはせる事が出来るなら、介護の問題を考えてそれに備えることは可能なんだ。講座に参加している他の人の話を聞いてそれは思った。最初のガイダンス、講師ごとになど都合3回ほど受講者同士の自己紹介があった。私も含め9人(女7人・男2人)、皆さん相応の社会人だ。2日に1度顔を合わせる事で気心も知れてきた。皆さんの介護職員初任者講座を受講し、資格を取ろうと思った動機などをあげてみると
- 定年退職を前に、今後の社会参加のために今必要とされている事は介護ではないかと考えた
- 介護施設で食事を作る仕事をしているが、施設の介護職の人の働きぶりを見ていて、私もやりたいと思った
- 公務員を早期退職して次の仕事として考えている
- 子どもが入園して少し手を離れたので、もう一度社会参加をしたいと思った
- 義理を含めて4人の親が健在で、やがては直面するであろう介護に備えて
などなど。皆さん、きちんとした生活者としてまずは直近の将来に対して、社会との関わりを含めて真面目に考えている事に頭が下がります。別に定年退職したら趣味の世界、それまで出来なかった自分の世界に没頭してもいいじゃないですか。子育てが一段落したら、ママ友とランチしたりとか少し息抜きをしてもいいと思います。私は、母親がボケだしたと聞いた頃も、苦労をかけさせた父親が今度は責任を持って面倒を見ろよとは思っても、自分の事としては考えていませんでした。他の受講者の皆さんの話を聞いていて、これまでの50余年、結局自分のことばかりを考えて生きてきたなあとは思いました。
週3日、講座があるので基本、土日も仕事をしています。そのせいか、はたまた往復26キロを自転車「通学」をしているせいか体のほうはヘタリ気味です。夕方、食事を摂ってそのまま一旦寝てしまうという高校生の時以来のざまも何日か。今日昨日もそうでした。自転車通学のほうは、通う楽しみにもなっていますので、やめられないなあ。画像は、途中1号線沿い員弁川近くにある素敵な2階建ての木造の洋館。地元の人に聞くと2〜30年ほど前までは開業していた医院だそうです。今でもきちんと手入れされています。