津リージョンプラザで開かれた広河隆一写真展と広河さんの講演会に行ってきました。選挙前のこの日、行っておいて良かったと思います。私たちが今、直面している集団的自衛権、機密保護法、原発、こうした問題を実際に殺される側、報道もされずに闇に葬られる側、被害者の側からあらためて考える良い機会となりました。写真展は、明日14日まで開催されています。詳細は主催者サイトからたどって下さい。
特定非営利活動法人 広河隆一非核・平和写真展開催を支援する会(略称:広河隆一写真展事務局)
以下、広河さんのブログからの引用です。そうだ、集団的自衛権は、確実に日本を殺戮者の国にする
のだ。全文はリンクをたどって下さい。
きれいごとの戦争のイメージがまかり通っているのが、我慢できない
現代の戦争は、圧倒的な力を誇る攻撃する側と、市民の犠牲者に分けられる。そして戦場は私にとって、腐る体であり、焼けただれる匂いであり、体がぐちゃぐちゃに砕ける姿であり、切断された顔、壁に付着する子どもの髪の毛だった。兵士の死体はめったに出会わない。戦争と呼ばれるものの犠牲者ほとんど市民だった。
だから私は自衛隊に死者が出るからと言う理由で、集団的自衛権に反対するのではない。臆病な兵士は優秀な兵士である。動くものを見ると、確かめもしないですぐに引き金を引く兵士である。それは市民に引き金を引ける兵士である。物影で動いたのが子どもであることを確かめることもなく。そして被害者の姿を一生見なくてすむ者、司令官や政治家の命令で、ミサイルのボタンが押される。自衛隊が10人死ぬ現場では、自衛隊によって100人が殺されるだろう。そのうちの5人は敵の兵士であり、5人は友軍に殺される兵士であり、90人は市民なのだ。
集団的自衛権は、確実に日本を殺戮者の国にする。その戦争は、メディアには絶対に流れない、惨憺たる死体が散乱する現場なのだ。
HIROPRESS 広河隆一通信
『DAYS JAPAN 8月号の編集後記に、集団的自衛権について書いた。 きれいごとの戦争イメージがまかり通っているのが、我慢できない。』