服部良一衆議院議員を迎えての学習会に行ってきました。社民党の脱原発アクションプログラムの概要を直接聴けたのは良い機会でした。戻ってから、あらためてこのアクションプログラムをさっと一読しましたが、良くまとまって説得力もあると思いました。今の社民党で良くこれだけの物が作れたな、というのがむしろ正直な感想です。それだけ脱原発ということに力を注いでいるのでしょう。それに、もうそれくらいでないと、この党の存在価値はないとも思います。
このプログラムの中で具体的に揚げられた数字で、目をひかれたのが東電管内での埋蔵電力
(正確にはどう表現すべきか知りません)、つまり自家発電が500万KW、他社受電が700万KWあるということです。原発がないと、日本の産業がなりたたなくなるとか、また計画停電などをせざるをえないという電力会社とか産業界の恫喝に対しては、政策立案の立場からは具体的な数字を揚げることがやはり必要です。
出席者は20人ほど、ほとんどが私より年長の人たちで、良一さんと学生運動をともにした京大出身者がメインという感じで、懐かしい顔もチラホラ。それはそれで、ずっと社会に対する問題意識を持ち続けているという事で、たいへん立派なことだと思います。しかし、話を聞いていると3月11日の震災以降、実際に東北の地に赴いたのは服部議員と私を除いて誰もいないのではないかと感じました。東電福島第一原電の事故も、東日本大震災の中で考えるとすればという事ですが、どこか、発想というか問題意識のあり方に私が見てきた被災地の現実との乖離を感じてしまいます。それに被災地のボランティアやこちらでの反原発の集会に集まった若い人たちが、スマートフォン片手にツイーターやSNSを使って軽やかに情報を発信し交換しあっている姿と、今日集まったおじさん、おばさん達とは絶望的に接点がないように感じました。それは単にジェネレイション・ギャップという言葉であらわされる以上のものがあるように思われます。それは、その双方にとって残念なことです。
3月、一緒に石巻に行った60代の杉山裕次郎さんは、スマートフォンの使い手ですがツイーターはやっていません。私は、スマートフォンを持っていないしツイーターもしていませんし、これからもやらないと思います。それでも現地で活動している中で、ごく自然に単独で来ていた若い人たち何人かと活動と寝食をともにするようになっていました。今日も、京都での集会を企画して提案している人がその報告をしていました。いいなと思いました。3月の石巻には、原発の状況が非常に危険で、なおかつ今被災地に行くのはかえって迷惑だというおかしなキャンペーンがなされる中でも、たくさんの若い人がボランティアで来ていました。たいへん頼もしいし、これからの社会を動かしていくのもそうした若い人たちであるのは間違いありません。具体的に体を動かすことで、自分たちおじさん達もそうした流の中に入ることは可能です。もし私たちに伝えるべき経験というものがあるなら、そうして自分の体を動かすことでしか出来ないでしょう。
あるお客さんに聞いたのですが、その人のお父さんは退職した警察官だそうです。それで愛知県の退職した警察官が集まって福島の汚染地域の治安維持にあたる部隊を作ったそうです。もう年だから勝手にさせておくと、その人は言ってましたが、かっこいいなと思いました。東電や国の対応を批判して自分や家族の身を守るために活動するというのは、当然の権利ですし、そのために反原発の声をもっとあげるべきだとも思います。ですが今も東北では被曝の恐怖の中で人が暮らしているし、若い人たちがボランティアで赴いています。これを言うと誤解をまねくのですが、私のように50代も後半以上のおじさん、おばさん達は自分たちが放射線の盾になる、せめて若い人たちだけに危ない目はさせないというくらいの気概がないと、本当に世の中はかわらないように思います。