和食店でのピアノ連弾鑑賞 20年ぶりの友人と

昨日は、名古屋の小さな和食店(もとやま紗羅餐)での、会食と女性2人によるピアノ連弾というイベントに行ってきました。もともと咳払いもためらわれるような、いわゆるコンサートよりも、こうした猥雑な環境で、お酒を飲みながら、会話を楽しみながら音楽を聴くのが好きです。というか、それが本来の音楽の楽しみ方のように思います。他のジャンルでは、ライブと呼ばれて当たり前の事なんですけどね。

もとやま紗羅餐での Yumi & Mako ピアノ・デュオコンサート

もとやま紗羅餐での Yumi & Mako ピアノ・デュオコンサート。このお店のテーブルは私が作らせてもらいました(クルミ)。

それには、演奏者に対する最低限の敬意と、聴衆同士の気配りがあれば良い。昨日は、そもそものお店の客層(←失礼な言葉ですが、他に思いつかない)のゆえか、良い雰囲気で楽しく過ごせました。一人、場とタイミングをわきまえず無関係にしゃべり続けるご婦人がいましたが、まあそれは仕方がない。同席のお仲間の無言の圧力で、どうやら静かにされたようですし。それと、最後のトークと質問のコーナーでは、いずれも高齢男性の下世話な話題振りに辟易させられますが、まあこれもお約束という感じで演奏のお二人は流しておりました。ジジイにしたら、まだセクハラと自分語りにならない分、上品にすら思えます。まもなく前期高齢者に近づく私も気を付けようと思います。でも、そもそも音楽と無縁のこうしたトークタイムは不要だと私は思いました。

演奏は、フォーレに始まり、定番のブラームス、タンゴを挟んでモーツァルトで終わるという素敵なプログラムでした。曲のはじめに演奏者ご自身が、簡単な解説をしてくれるのも良い。ロンドンで聴いたイングリッシュ・コンサートの演奏でも同じように曲間に解説とトークが入りましたし、最近は行っていませんが大阪でのコレギウム・ムジクムの月例のコンサートでも、主宰者の当間さんの軽妙洒脱な解説が楽しく役に立ちます。あと、1曲終わるごとに拍手が許されるのも自然で良い。いわゆる「コンサート」では、曲の楽章の切れ目では、静粛にするのがお約束ですが、私はあれは結構苦痛です。ヨーロッパの昔のオペラのビデオとか見ていると、アリアが終わった後など、幕の最中でも聴衆が拍手をして歌手もそれに応えています。そちらの方がよほど自然で良いと思います。

演奏自体は、はじめ多少ギクシャクした感じで、ピアノの音も美しくなく、これも会場や小さなアプライト・ピアノのせいかとか思っていましたが、半ばを過ぎてタンゴに入った頃からお二人の息もあってピアノの音自体が粒だってきれいになってきたのは愉快でした。モーツァルトが終わる時は、ああもう少し聞きたいと思いましたが、それくらいが丁度良いのかと思いました。正味40分ほどのコンサートでした。


さて、この日は20年ぶりに会った友人と待ち合わせて出かけました。彼女が名古屋に戻って働いているというのは、一年ほど前に知人から聞いており、その時には声だけ聞いていました。岐阜のTさんとか、Fちゃんと言えば、私の古くからの友人・知人ならお分かりになるでしょう。あらためて、当日の朝に、その知人から彼女の連絡先を聞いて携帯に電話を入れてみます。不規則勤務だというのは知っているので、まあダメ元でいいかというつもりでした。たまたま勤務はオフで、夕方からは開いている、それに昔と変わらぬノリの良さでこの変ったコンサートまで同席してもらいました。

その前に栄で会って少し話ましたが、20年ぶりでも昔話はほどほどに、お互いの今に関心と話題が向かうのはありがたいことです。私の家庭環境なども知っているというか覚えていてくれているので、愚痴もふくめた介護と看取りの件も聞いてもらったりしました。こちらは、随分と気が晴れました。ずっと医療関係の現場にいるので、前提なしに分かってもらえるのもありがたい。お店の女将さんには、幼なじみと紹介しましたが、今から思えば、学生時代なんてハナタレ小僧みたいなもので、本当にそんな感じがします。