木賊をもらってきた

近くの製陶所の庭の剪定が行われていて、道路に集められた剪られた枝葉の中に木賊とくさが混ざっていました。実は、前々からここの木賊は目をつけていた。庭師に欲しいが良いかと聞くと、捨てるものだから、好きなだけ持っていってくれとの事 。何に使うと聞かれて、木を磨くと言うと、3人いた庭師のうち一番年配の親方らしき人が、そう言えば昔はそうして集めていた人間がいた云々。私たちが子供の頃は、狭くても庭のある家では、たいてい木賊と葉蘭が植えてありました。私の家にもありましたが、今は葉蘭だけが残っています。それを、今でも切って文字通りバランとして使っています。これは前にも書きました(→「介護職員初任者研修講座に通いはじめました」)。

近所からもらってきた木賊。乾燥させた表皮を貼り付けて研磨材にする。

近所からもらってきた木賊。乾燥させた表皮を貼り付けて研磨材にする。

庭師というと、弁慶にしておけのオチが愉快な落語の『青菜』をつい連想してしまいます。そのせいもあってか、庭師の人にはなにか親しみを感じます。最近は、ランドスケープ・アーキテクトとか横文字で呼ばないといけない人たちもいるようですが、今週はじめの『新日曜美術館』で、モネの絵の庭を再現している人の肩書が庭師となっていて実にかっこ良かった。自分の仕事に受け継がれた伝統の自覚と誇りを持っているのですね。

さて、この木賊は、乾燥させて研磨用に使います。伝統的な研磨材がどんなものか楽しみです。