鉋の油台の件は、「鉋は、『油台』にしないほうが良い 5」で、そのブログ記事をリンクした杉山裕次郎さんから、油台に関する記事をあらたにアップしてもらいました(→「鉋掛けという工程について(番外編・油台に関する考察)」)。その中で、ご自身の体験から『油台』の効用を、曲面成型などにおける摺動の補助的役割として評価
して、積極的に取り入れてきたとされています。ただ、寸六、寸八の平鉋にはしません
とも明言されております。その上で、頻繁に油壺で注油
、もしくは油台
が、反台や南京鉋を使った曲面成型
では、職人的なアプローチである作業効率性を重視するという思考からは捨てがたい
と結論されているのだと思います。
私に気を使ってか非常に控えめに語られていますが、こうした長い経験に基づいた論述に対しては、頭を垂れて頷くしかありません。私など、反台や南京鉋などは、仕事としては椅子の笠木や後脚を削るくらいしか使ってきませんでした。その椅子自体が、今思い起こしてみて、店舗などの数物など含めて、100は下りませんが、200脚は作っただろうかという程度です。当たり前ですが、杉山さんがブログに掲載された南京鉋の年季の入り方を見ても、私のそれとは随分と差があります。
もう一人、先の記事でリンクした工房齋の齋田さんの記事(「油台」)も、反台鉋を念頭に置いたものです。具体的には台の耐久性の面での油台の効用について語られています。齋田さんは、私が「鉋は「油台」にしないほうが良い 5」で、齋田さんのブログの記事のリンクを貼る前に、一連の油台に関する記事を取り上げてくれていました。顔が脂大な齋田さんとは反対の趣旨の記事にも関わらず、技術的アプローチには複数の方法があってしかるべき(「技術に絶対はない」)という観点から、あえて取り上げてくれているのでしょう。その顔の、度量の大きさと公正さは見習うべきだと思います。私たちのように、一人親方的に仕事をしていると、蛸壺のような狭い世界での自分の経験を絶対化して、それが職人(的経験)と勘違いしがちです。杉山さんも、それと齋田さんも若干ではありますが、私より年輩になります。その頭の柔らかさと、技術的な問題に対する謙虚さのようなものが、お二人の仕事の若々しさや清新さの元になっていると感じます。やはり、いくつになっても仕事の技術的な面での興味や向上心がないと、仕事自体がつまらないものになる。まずいなと最近感じています。
反台や、四方反、それに南京などは、下端に油をひいて使ってみようと思います。でもやっぱり油台にはしないな。