被災現場からの中継を見ていて気になった事があります。中継のレポーターたちが完全に
という言葉を頻繁に使います。他に形容詞を知らないが如くです。NHK、民放各局を問わずに繰り返されるので、中継時には途中から音声を切ったりしました。曰く
1階は、完全に倒壊しています。
土砂により、家屋は(橋梁)は完全に埋もれてしまっています。
そうしてアナウンスされる映像を見ると、家屋の1階の柱は部分的に(あるいは壁も含めて1面は)残されていたりします。また、崩れた土砂の中に、家屋の屋根や橋桁の一部が覗いています。つまらない事にこだわりすぎと言われるかもしれません。しかし、彼らの仕事の第一の任務は、自分の見たものを出来る限り正確に仔細に観察して、それを自分の言葉で伝えることでしょう。それが、誰も彼も、完全に
、完全に
と決まり文句のように絶叫するだけなら、お前らなんか必要ない、うるさいだけだ。単に語彙とか日本語能力の問題ではなく、まずは目の前の状況を細かく観察して伝えようとする姿勢自体が感じられない。低俗、低能、低レベルに成り果てたといってもテレビも一応は報道機関の一員でしょう。それがこの有り様なら、本当にもう存在する価値がないとされても仕方がない。
それと、これは言葉のニュアンスとその感じ方の問題かもしれませんが、完全に
とか、完全な
というのは、積極的・肯定的な事象に対する形容ではないかと思っています。現に人が下敷きになっているかもしれず(その可能性が高い)、そして事実としては完全に
は倒壊していない柱やわずかな壁の隙間から、手がかりを求めて懸命な捜索が続けられている。それを、ヘリに乗った上空から、あるいはそれを間近で見ながら、完全に倒壊しています。
完全に埋まっています。
とか繰り返し絶叫して電波で飛ばしているのは、こいつらの日本語の能力の低さを嘆くだけではすまされない問題だと思います。
この連中は、ある種の高揚感から舞い上がっていたのでしょう。それで、状況の説明としてはあまりに杜撰で不正確な、かつ適当とも思われない完全に
という言葉を連発していたのでしょう。その言葉の多少なりとポジティブなニュアンスは、自分たちの気持ちを反映しているのだと思います。報道とかメディアと呼ばれる仕事に従事している以上、大きな事故や事件、災害が起きた時、欣喜雀躍とまでは言わずとも、多少なりと高揚感を抱いてしまうのは仕方がないとも思います。それが職業意識とも言えるでしょう。ただ、こうした災害や悲惨な事故・事件などの場合、その犠牲者や被害者を思いやる気持ちが必要です。そうした最低限の倫理観すら持たないメディアの人間の傍若無人は、これまでも繰り返し批判されてきましたが、基本的には少しも変わっていないように思います。