11月2日は、父親の命日で墓参りに行く。昨年、7回忌の法要を母親の3回忌と兼ねて行ったから、もう亡くなってから7年になる。この日は雑種高齢犬・タローも連れて行く。今年15歳になったタローは、もともと父親がどこかでもらってきて、手のひらに乗るような仔犬だったころから7年飼っていたことになる。父親が入退院を繰り返し、母親がボケだした間は、散歩もままならず今思うとストレスがたまり、自分の小屋を噛んで壊したり暴れたりしていた。父親が亡くなり、母親を介護施設に入所させた後は、私が飼うことになった。
墓の前では、どこか神妙にしているようにも見えるが、それは飼い主の醸し出す雰囲気を察してのことだろう。犬というのは、わけが分からなくても周りの人間とくに飼い主の様子を観察して対応しているように思う。少し前のはやり言葉でいう空気を読む
という事だ。それを、この犬は賢いとか犬なりに分かっているとか言うのは、おおいなる勘違いだ。そうして買いかぶるのも飼い犬への愛情を深める要素にはなるかもしれないが、他人には吹聴しないほうが良いと自戒をこめて思うことにしている。
この墓地は、父親の実家の四日市市内の少し郊外の元々は農村だった地域にある。子どもの頃はまだ焼き場が併設されていて、そこで火葬される葬列を見たような記憶があるが、確かではない。そのくらいに田舎なのだが、この小さな村でも太平洋戦争で32人もの人が亡くなっている。墓地にはその人たちの名前を記した慰霊碑がある。その中の一人にフィリピンで戦死した私の伯父(父親の兄)の名がある。さらに碑の裏には復員者の名前が刻まれているが、その中にはやはり二人の伯父の名前もある。母親は、戦中に静岡からここに疎開(祖父の出身地でもあった)してきて、戦後父親と知り合って結婚したらしい。疎開先に対する恨みつらみが余程たまっていたのか、ボケだしてからこの地域の悪口とも愚痴ともつかぬひとり語りを延々と繰り返していたことがあった。そんな母親も、この碑が出来てからは墓参りに行くたびに、この前で深々と一礼をしていたらしい。それは習うことにしている。