昼、仕事場から食事に戻っても物音もせず生き物の気配もない。それが随分味気ないものだと今さら分かった。連れ合いがこんなことを言います。
タローは一人ではどこへも出かけないから、いつもここに居てくれたんだ。
帰ってくると普通にタローが居て、場合によっては散歩や餌の催促でバタバタ音を立てたり鳴き声を出したりと反応していた。 当たり前のように思っていたが、それが得難い日常の慰藉だったのだ。とくにここに戻って一人で母親の病院や施設に通い看取ったりもした5年あまりは、こいつがいなかったらどうなっていた事だろうかと思う。と、いい年をして若干のペットロス状態です。いや年をとったからか。
3日にタローが死んで、翌日の4日の16時半(一応心肺停止24時間後)には市内のペット斎場で火葬しました。立会・骨上げもして他一切のオプションなしで20,000円(税込み)でした。市のクリーンセンター(清掃工場)に持ち込めば1,620円ですみますし、多くの人はそうしています。冷凍庫に安置して数がまとまった段階で焼却するとの事でした。もちろん骨上げなど出来ません。それでいいのですが、今回は色々思うことがあって個別火葬を謳う業者にお願いしました。骨上げの妙な作法(竹と木の箸で2方から挟んで壺に納める)を指示されない以外は人間の斎場と同じような段取りになります。次の5日の午前中には小屋や餌のトレイや残った餌やおやつ、晩年の薬や介護用品なども全て片付けました。骨をいつもの散歩道だった川沿いに散骨して、残りは庭に埋めてその上に金柑の苗木を植えて弔いとしました。人間の場合は、四十九日を過ぎてとなるのですが、要らぬしがらみも不要不急なものも持たない犬の場合はなるだけ早く簡素にすませるのがふさわしいと思います。家の中での折々の静寂を逆に不自然に思い寂しさを募らせますが、それにも暫くすれば慣れることでしょう。