街道の持つ力は、その道を歩くか、あるいは飛行機でその上を飛ぶかで、異なってくる。それと同様に、あるテクストのもつ力も、それを読むのか、あるいは書き写すかで、違ってくる。飛ぶ者の目には、道は風景のなかを移動してゆくだけであって、それが繰り拡げられてくるしかたは、周辺の地形が繰り拡げられてくるしかたにひとしい。道を歩く者だけが、道の持つ支配力を経験する。つまり、飛ぶ者にとっては拡げられた平面図でしかないその当の地形から、道を歩く者は、道が絶景や遠景を、林の中の草地や四方に拡がる眺望を、曲折するたびごとに、あたかも指揮者の叫びが戦線の兵士を呼び出すように、呼び出すさまを経験するのである。同様に、あるテクストに取り組む人間の心を指揮するのは、書き写されたテクストのほうだけであって、これに反してたんに読む者は、テクストの内部のさまざまな新しい眺めを、けっして知ることがない。テクストとはしだいに濃密になってゆく内面の森林を通り抜ける街道なのだが、それがどのように切り拓かれていったのかは、たんに読む者には分かりようがない。なぜなら、読む者は夢想という自由な空域にあって、自分の自我の動きに従っているのだから。しかし、書き写す者のほうはその自我の動きを、テクストの動きに従わせている。したがって、中国人の筆写の作業こそは、文筆文化を比類なく保証するものだったのであり、写本は、中国という謎を解明するひとつの鍵である。
引っ越しにともなって古いノートの類がたくさん出てくる。もうたいていは捨ててしまったつもりだったのだが、他の書類になど混ざっていたものを発掘
した。下の画像は学生時代に戦前の社会運動(全国水平社と全農全会派・全協および共産党・コミンテルンとの関係)について調べていた時のノートだ。学校の課題ではなく当時身を投じていた運動の関係で興味と使命感にかられて相応に頑張って史資料を集めて読み込んでいた。どうやら大学の図書館(たぶん人文研)からドイツ語のコミンテルンの議事録まで借りて目次・目録まで作っているから、まあ若かったというかよくやるよと感心する。それに40年前はこんなに細かい字で丁寧にノートを作っていたのだ。なにも昔から大雑把でいいかげんな人間ではなかったのだと神妙な気持ちになる。
今は、もう若い時のような根気もエネルギーも持ち合わせていないが、何かを調べたいと思った時にはそれになりに史資料にあたる。それもたいていは紙のそれだ。理由は簡単で今でもまともな文献や史資料というのは紙の上にしかないからだ。その上で必要と思われる箇所をノートやレポート用紙に書き写すというやり方を40年近く墨守している。下の画像は最近のノートで、今は中断してしまっているこのブログで藤田嗣治について書いた時に作ったものだ(「藤田嗣治の戦争画について 1」、「同 2」)。あと実朝の記事(「鎌倉右大臣・実朝の『雨やめたまえ』の歌」)の時も作ったノートがあるし、そのうち投稿しようとおもっている寺田夏子に関しても作っている。こうした作業も今ならOCRソフトを使って電子化してコピー&ペーストでやってしまえる。それでも手書きでの抜粋をメインにノートを作っているのは、こうしないと私は思考の道筋がつけられないのだ。
ベンヤミンがこれを書いた1920年代には、もちろんワープロもパソコンもないのだがタイプライターはすでに標準化され普及していたようだ。ここでベンヤミンが書き写す
(原文ではabschreibenとなっている。)としているのは、あくまでもペンを使っての作業を指していると思う。中国の例をあげてることからも分かるし、アドルノによれば、
とうにタイプライターが支配的であった当時において、彼ができるだけ手書きをしていたことは特徴的である。彼は書くという肉体的行為によって、快楽を与えられたのであり、彼は好んで抜粋、清書を作ったが、一方機械的な補助手段に対しては、嫌悪感で一杯であった。
とある。ベンヤミンはあくまでも肉体的行為
である手書きによる書き写しにこそ意味があるとしているのだ。その意味で、野村修先生がここでは、literarischer Kultur
を、文筆文化
と訳しているのは、さすがだと感心させられる。ちなみに他の人の訳ではふつうに文芸文化
(細見和之訳 『この道、一方通行』みすず書房)となっている。
今、こうしてベンヤミン著・野村修訳の著書などの抜粋・引用をディスプレイを眺めながらキーボードを叩いて行っているのだが、これは書き写し
と言えるのだろうか?違うと思う。こうした場合、元の紙のテキストとディスプレイのエディターの文字を交互に眺めながらひたすらタイプミスと変換間違いにのみ神経を集中させている。極論すればOCRソフトがやる仕事を代行しているにすぎないとも言える。したがってよくやる間違いなのだが、改行を一列間違って行をダブらせたり飛ばしたりということすらある。新しい眺め
やしだいに濃密になってゆく内面の森林
どころか文脈すら追っていないのだ。