3日目の21日(土)は、現地のその・かわべ
サテライトに派遣されました。当日は土曜日でたくさんのボランティアの来訪が予想されるので、その人たちをボラティアの要請のある所まで乗せて行く事を指示されていました。軽トラの荷台に5人1組みのチームを載せるのは道交法上は問題ありなのですが、この非常時に警察も当然黙認してくれています。前日までの2日間はもうひとつのやた
サテライトに派遣されていましたので、震災ゴミの集積場への搬入も含めて結果的に町内の比較的広い範囲を見て回れたことになります。
この日は、川辺という地区にあるお宅へのボランティアを載せ、そこの震災ゴミの搬出がおもな活動になりました。かわべ
という地名の通り高梁川にほど近い堤防の見える所にあります。しかし水はそこから南にずいぶん離れた支流の小田川が決壊して流れてきたとのことでした。やはり2階まで水に浸かっています。治水の観点からテレビでも再三報じられていましたが、実際にその災害の結果を目にすると色々と複雑な思いが交錯してきます。
そのお宅は比較的新しい家で、前日までにやはりボランティアによって運びだされた家財道具や電気製品も新しい物が多い。依頼主の30歳前後と思われる男性が一人立ち会ってくれましたが、どこか表情も虚ろで茫然自失という雰囲気です。それを気づかってか近所の人という50代くらいのご夫婦が代わって色々指示をしてくれます。私たちに派遣先として指示したサテライトの人も後でバイクで様子を見に来ます。あるいはご家族を亡くされているのかもしれません。この真備町だけでも51人の方が亡くなられています(22日現在)。東北でも熊本でも、ボランティアの派遣を要請されるような人は皆さん気丈に前向き
に振る舞われている場合が多かったように思います。それで作業が進んで休憩のおりなど被災の様子など伺うこともありました。この日はもちろんそうした話をする雰囲気ではありませんでしたし、こちらの元気さやお節介ぶりを押し付けるのもはばかられます。当たり前のことですが、こうした災害ボランティアに入るには、被災の状況に真摯に向き合うと同時に被災者との距離を常に意識しておくことが大事だとあらためて思いました。
さて、この日は四日市に戻るために早めに切り上げさせてもらうつもりでしたが、一緒に活動したボランティアのチームをサテライトまで送り届けなくてならないため、結局定時の13時半まで現地に留まりました。もっとも早く戻る理由が、この日連れ合いが不在となるため今家に居る2匹の保護犬の散歩連れて行くというだけのことです。