家の裏庭に4輪の彼岸花が出た。これまでここに彼岸花が咲いたという記憶がない。3輪はひとつ所から。もう1輪は紫陽花の陰から。
彼岸花は種子をつけず球根性の植物で、鳥や風が運ぶわけでもない。他から土を入れた記憶もない。この2年あまりはダンボールコンポストで作った堆肥をせっせと土に混ぜ込んでいるが、その材料は私の仕事で出た広葉樹のプレーナー屑と糠と自宅の生ごみで彼岸花の球根や根が混ざることも考えにくい。カボチャが生えてきたりビワが実生してきたことはあった。
昨年12月に死んだ雑種犬・タローの骨の一部をこの庭に埋めた。どうしたってその事を思い起こす。 彼岸のいわれは仏事とも習俗ともその習合ともいわれているが、亡くなった人を思い起こすその縁となるのがその名の通り彼岸花だ。
以下は学生時代の民俗学の講義で習ったことの断片だ。
今も各地に残る田んぼの中の小高い社や墓地は、両墓制時代の埋葬地であった。そう考えるとその共同体の埋葬地である小山やそれに通じる田の畦などにこの季節に一斉に咲きだす鮮やかな彼岸花の朱は、死者が自らのことを思い出しておくれと咲かせたものだと考えても自然だ。それを迷信だの前近代な妄想だとするほうが心が貧しいと思う。
ところで私の生活範囲(おもに2匹の保護犬の散歩の範囲だが)で突然変異としての白い彼岸花が毎年どこかで現れる。今年は家の近くのかつて大きな製陶所のあった空き地に咲いた。同じ場所に現れることはない。これもまた不思議なものだ。