寺田夏子の墓 2

寺田寅彦の墓は高知市北部のわかりにくいところにあります。観光案内にも出ておりません。中土佐町の寺田寅彦先祖の墓なるものがネット検索でヒットしますが、別のものです。某検索エンジンのマップなど示せば簡単でしょうが、私は嫌いなのでやりません。アナログに自分でウロウロしながら、時に道を間違って遠回りするのもたまには良いでしょう。回り道した分その土地の雰囲気など伝わるものがあるでしょう。目印の画像を貼っておきます。ドラッグフォン(麻薬電話←わたしはスマホをこう呼んでいます)の液晶から目を離して顎をあげて探してみてください。

寺田家墓の案内表示

グリーンファーム前の信号交差点北側にある案内表示

県道44号線(高知北環状線)という道路でグリーンファーム一ツ橋店を目指します。道路の南側に面してあります。その向いに動物病院があってその信号交差点に案内の標識があります。そこを北に向かって歩きます。

電柱にある2番めの案内

電柱にある案内表示。ここを左に折れる。

しばらくすると非常に分かりくく見落としてしまいがちですが、電柱に案内の標識がくくられています。そこを左におれて狭い路地を行くと、今度は王子神社の手前・民家の際に比較的見やすい標識があります。

ここからしばらく山道を登る

そこから山道を歩いて登ると高知市教育委員会の看板があります。近辺は道幅も狭く駐車スペースはありません。また山全体が墓地公園のようになっており、寺田家以外のお墓もあるようで、実際にお参りに来ている人もいましたので、その点もよく心得ておいてください。

寺田家の墓。手前が父・利正の墓

寺田家の墓。手前が父・利正の墓

寅彦と3人の妻の墓が並ぶ

手前、寅彦の墓と3人の妻の墓が並ぶ。隣奥に夏子の墓がある。

写真は、手前から寅彦の父・利正、母・亀、寅彦、夏子、寛子(2番めの妻)、しん子(3番目の妻)の墓。男(家長)の墓が女(妻)のそれより随分大きい事に時代で済まされない違和感もっというと嫌悪感を感じます。ただ妻たちの墓もちゃんと独立して設け名前も刻まれています。後で見ますが夏子の埋葬は神式で行われたようなので、土葬されたのかもしれません。

この墓地を1936(昭和11)年3月31日に訪れた時の事を科学史家の矢島祐利が書いています(「先生の墓」『寅彦研究』 昭和11年版・寺田寅彦全集月報第4号)。この時は寅彦の姉が案内をされて、道中いろいろな話を聞いたとあります。

田の中の道を四五町行くと山の麓へ出る。其の山裾を僅か登ったところに先生の墓がある。南向きの山裾であるから、此処から高知の町がよく見える。立派な生垣をめぐらした静な好ましい墓である。眞新しい墓標の前に持ってきた花を捧げて額づいた。

寅彦がなくなってまだ三ヶ月足らずのことで、もうすでにこの頃には、最初に埋葬された夏子の他にも両親、それにやはり早世した二番目の妻の寛子もここに埋葬されていたはずです。同じ矢島祐利が一年後にあらためて墓地を訪ねた時に山裾から墓所を見上げるように撮ったという写真がある(「土佐紀行」『寅彦研究』第8号・昭和12年5月)。古い素人(矢島自身による)写真でわかりにくいが、周りの灌木や草もきれいに狩られめぐらされた生垣がはっきりと見える。これならば確かに墓地からも高知の町がよく見えたことと思います。

それが現状(2018年)では、写真に示すような状態になってしまっています。 墓石は白いコケに覆われ、もう何ヶ月も前に供えられた花は朽ちてそのままになっています。生垣らしきものもすでになく、雑草と灌木がせり出して眺望も良いとは言えません。

寺田家墓地より高知市内の眺望

寺田家墓地より高知市内を眺める。草や灌木が茂りよく見渡せるとは言えない。

寅彦の墓はもう没後二十余年経ったころには世間からは忘れられたようです。1960年8月寅彦の弟子のひとり藤岡由夫が妻を伴ってお詣りされた記事があります(藤岡由夫「寺田先生の墓詣り」『寺田寅彦全集月報』1961年4月)。

裏に墓誌が刻まれているが、二十五年の風雪に荒れて読み難くなっている。(中略)案内をしてくれた人の話によると、都から観光客が時々おまいりに来るそうである。坂本竜馬の墓、寺田寅彦の墓などというのは、すでに、土佐の名所めぐりのコースにはいっているらしい。しかし人の来た足跡が何もないところをみると、たいして大勢の人も来ないのであろう。

私の妻は、先生のお墓詣りをしてから、ひどく憂鬱になった。寺田先生のような立派なかたの墓に、しげしげと墓詣りをしてくれるような親しい人々はまわりにだれもない。(注略)私も妻につられて、いいしれぬさびしさを覚え、先生の面影のなかで、特にさびしげな面を頭に思い浮かべながら、土佐の海岸の観光にむかった。

その後、私たちも海岸にむかった。私は寺田夏子がその晩年を療養という名の隔離生活を送った種崎と桂浜を見ておきたかった。道中、どこでも龍馬、龍馬でマラソン大会の名称にもなっている。他に観光資源を思いつかないのだろうか。桂浜の銅像はひっそり太平洋を眺めている小さいものと勝手に想像してが、なんだか北朝鮮の独裁者親子のそれを思い浮かべるような大きなもので威圧感すら感じて不気味でした。