トチノキについては、前にも書きました。
そこでは、冒頭こう書いていました。
トチの樹というのも私の大好きな樹です。ただこれも、木工の材料としてではなく、生きた樹として好きなのです。
今、読み返すと直截な青臭い表現で恥ずかしくなりますが、この仕事をはじめてまだ間もない頃だったと思うので、そのままにしておきます。実際にそうした思いもあって、これまでトチとブナは木工材料として使って来なかったし、買いませんでした。いや、厳密にいうと5年ほど前に,ある新築の高級マンションの最上階の部屋の造り付けのテレビ台を造りました。その時、トチの杢の入った薄板を岐阜の櫻井銘木さんで、6寸か7寸ほどの丈物(3m)の角材をマルス松井銘木さんで買い求めました。色々事情があってのことでしたが、それだけです。展示会で出展した置床も、いま弄んでいる板も、ストックしている板も、いずれも建築廃材や捨てられていた家具などの解体材です。その他には、廃業する材木屋から引き取った床板が何枚かあります。
前に書いた記事(トチ)は、日付を見るともう10年以上も前になります。それに加える形で、トチノキについて知っていること・見聞きしたことを書きます。
何年か前に、奈良県川上村にお邪魔しました。その時案内してくださった村役場の人に聞いた話です。村の中の山林の売買というのは昔から普通に行われてきた。特に登記しない限りその山の立木(法律用語ではりゅうぼく
と読んだりします)も、不動産に付属するものとして所有権が移る。ところが、村内ではトチノキだけは、元の所有者の権利が残り新しい山の所有者も勝手に伐採したりできない。それは転売され所有者が何度代わっても同じで、そのことを明記するため、幹に元からの所有権者の名前や屋号が墨書されたり彫り込まれていたり、あるいは立て札がかけられたりしていた。云々。
こうしたことは慣習法として、広く認められてきたということを昔何かで読んだか習った覚えがあります。川上村の場合、それがおもにトチノキに対して適用されてきたという事なのでしょう。なぜトチノキなのかは、その村役場の人もわからないとおっしゃってました。でも、それは田畑など農耕地の狭小な山間部の村にとって、秋のトチの実が貴重な澱粉源になっていたからではないかと想像します。でないとお椀や鉢などの挽物の材とされるくらいで、建材としてはほとんど価値のなかったトチノキが特に村での明認札
の対象となるとは考えにくいのです。まあ、これはあくまでも部外者の素人の想像の域を出ません。
今は、土産物のようになってしまいましたが、少し前まではトチの実は山の人たちの貴重な澱粉源であり救荒食であったのは確かなようです。でも、それは人間にとってだけでなく、冬を迎える動物にとってもそうだったようです。地域によって気候によっても時期は違いますが、例えば関西の北部であれば10月の始め頃、トチの実は一斉に落果します。たしかまだ学生の時だったと思いますが、友人と二人で演習林の滋賀県側の麓の滋賀県朽木村(現高島市)で農業を営む人の所へ遊びに行った事があります。ちょうどトチの落果の時期にあたり、3人で背負子を背負って山に入りました。もちろん、演習林へはその貸借元である美山町や朽木村の住人に対しては山菜など採取の入会権は認められていました。山に入りトチの群落の下で実を拾ったり、歩いたりしているとき風が吹いて梢の擦れる音がすると、そこかしこにトチの実が落ちてきます。そうですね、外皮も含めると野球の球ほどはあるトチの実が、高い枝から落ちてくると怖いものです。実際に直撃をくらうと、痛いだけでなく下手をすると怪我をするのではないかと思いました。ヘルメットが欲しいと真剣に思ったものです。この時は、村の小学校で運動会が行われていた記憶があるので、旧体育の日・10月10日であったと思います。
でも、その時を逃して、例えば一日遅れると夜のうちに、あらかたクマや鹿や猪に食われてなくなってしまうとのことでした。ですから、たとえば少し遅れて紅葉の時季に山に入って、大きなトチの下や群落を歩いても実を見つけることはありません。川の岩場の陰とか、ウロの隙間で、どうかすると見つける事ができます。そうして持ち帰ったわずかな実も、別に面倒なアク抜きまでして食する気もなく展示会のディスプレイ用に置いていたりします。すると、たいていお客さんに面白がって持って行かれたりします。見た目は、本当にお菓子の栗まんじゅうのようで可愛いものです。