わたしの伯父・服部誠一は1944年(昭和19年)フィリピン・レイテ島で戦死
しています。戦病死
と伝えられたそうです。
わたしの父親の兄弟は6人です(男5女1)。うち二人(三男、長女=第5子)は夭折しています。誠一さん(いくら故人とはいえ自分の親族に敬称をつけるのは無作法かもしれませんが敢えてそう呼ばせてもらいます)は四男になります。ちなみにうちの父親は末子の五男です。父親を最後にもう兄弟は全員故人となっています。
父親の遺したアルバムの中に何枚か誠一さんの写真が残されていました。他の兄弟や親の写真などはせいぜい1〜2枚しか貼られていないのに複数の写真がまとめてありました。それには1枚1枚に説明書きが添えられています。この記事の画像の説明書きもそれに拠っています。遺品の一部として分けられたのでしょうが、戦死した(させられた)兄への思慕と無念の気持ちが伝わっています。
誠一さんについて父方の親戚などから聞かされた話など残念ながらあまり記憶にありません。ひとつは夭折した妹が脳に障害がありその子の面倒をよく見る優しい人だったこと。もうひとつやはり徴兵され敗戦後はシベリアに抑留されていた長兄が、弟の死を悼んで大岡昇平の『レイテ戦記』を繰り返し読んでいたことくらいです。
身内に対するひいき目もありますが、こうして残された写真を見ていると本当にいい若者です。直接記憶にある父方の兄弟4人に比べても一番上優しい聡明そうな顔をしています。大事にそだてられた事もうかがえます。戦争で死んだ(殺された)のは260万人という顔のない数字ではなくて、「英霊」とか言う戦争責任(者)をごまかすノッペラボウで意味不明なものではなく、こうした身近に生きた人間であったのだとあらためて思います。思い起こさなくてはいけなかったのです。