しつこくパトリシア・プティボンの歌について

パトリシア・プティボンの歌について続けます。前の記事でSend in the clownsの歌詞についてこんなふうに言われても心は動かないとか失敬なことを書いてしまいました。次の節をツラツラ聞いていると、そんなことでもなさそうです。

Don’t you love a farce? My fault, I fear
I thought that you’d want what I want, sorry my dear
But where are the clowns? Quick send in the clowns
Don’t bother they’re here

私が恐れていたこと、私の失敗とここで言っているのはなんでしょうか?あなたの望みが私の望みでもあると考えてしまっていたこと、ん?別にそれならいいじゃないか、と思えます。この芝居を最初から見ればストーリーからわかるのでしょうけど、別にそこまでする気はありません。これは、男の方が結婚したら彼女に女優を引退して家庭に入ることを望んだ。女はそれを拒んで、女優を続けた。でも、それ(女優を辞めること)が本当は自分の望みでもあった。そのことに気づくのが怖かったし、今にしてみれば失敗だった。また遠まわしの言い方ですが、後ろの節のキャリア云々と相まって、そんなところではないでしょうか?

でも、その後続けてごめんなさいとちゃんと謝っています。グタグタ文句をたれているだけじゃない。でも言ったあと、ピエロはどこよ。早く呼んでちょうだいと慌てて叫び、最後はすべて諦めたようにもういい。ピエロはここにいる(自分がピエロだ)としめます。この節の情景は、これまでと打って変わって、とてもかわいいですね。ここがこの歌のクライマックスのようです。他のステージでは、どちらかというとサービス精神旺盛なオチャラケ系の演技を見せているプティボンが、ここではDon’t bother they’s hereと歌い上げて、その後口をすぼめて切なそうに頭を垂れます。もちろん、これも演技なんですが、見ていてこちらも切なくなります。

だからなんなんだ、という事になります。続けて書きたいことがあったのですがやめておきます。風邪をひいて、午後から仕事を休んで医者に行って来ました。まだ、ひきはじめだから一日温かくして休んでいろとのこと。それならと居直って、色々書いてみたくなります。