四七日の法事でした

今日は母親の四七日の法事でした。このあと年末にかかる五七日と六七日の法事はパスさせてもらって、年始の5日に忌明けとも呼ばれる四九日の法事を予定しています。これでとりあえずの一通りの弔いの儀式は終わりです。

別に私は信心があるわけではありません。こうした儀式を、今の一般的な家庭よりも比較的律儀にやるのは、ひとつはそれに従い守ってきた親の信仰とか習俗、さらには義理というものを、子どもとして尊重したいという事です。本当は、それだけです。それでもやるからには、ちゃんとやりたい。今は、火葬が終わって骨を拾った後に、早々に初七日の法要を、まさについでにしてしまうのが一般的です。家族も親族も、みな忙しいので七日後に再び集まるのは難しい。それならば、一緒にまとめて済ましてしまえという事らしのですが、まあ何というご都合主義というか嘘・偽りに満ちた行為なのでしょう。不信心モノを自覚する私が、そう思うのに、それがまかり通っている事がどうも理解できません。本当に忙しいのなら、初七日も含めて七日ごとの法事なんてやらなければいいし、本当にやりたいと思うなら、少人数でも一人でもやればいいと思います。たぶん、どこかでそれを思いついた人がいて、それを葬儀屋があざとく便乗して葬儀のプランの中に取り入れて、それで済ませることになるのなら、という忙しい人の安直な意識につけこんだのでしょう。

そうした事とは別に、7日ごとの法要とか49日での忌明けというのは、うまく出来た習慣というか習俗だなと思います。残された者にとっては、49日間というのは、気持ちの整理をして、様々な手続きをすませ、そして遺品を整理・処分するのに程よい時間のように思います。もちろん、いわゆる逆縁とか、事故とか急病で家族をなくした人にとっては、わずかひと月あまりでは気持ちの整理など出来ないでしょう。あくまで、順番で亡くなった人の場合です。7日ごとというのも、気持ちも含めて整理していく際の区切りとして良いタイミングです。それと、多少なりと落ち込んで立ち直れない遺族を見守り、その様子を見るために7日ごとに他の家族や親族が集まるという意味もあります。

4年前に前に父親が亡くなった時に、7日ごとの法事を毎週なるだけ兄弟が3人集まって、実家でやろうと話し合いました。それは、認知症の母親に少なくとも毎週一回は父親が亡くなったという事実に向きあわせて、それを摺りこむように認識させたいという思いからでした。その前後の母親の様子から、父親が亡くなったという事実が記憶からなくなり、また入院していた病院に見舞いに行くとかいう徘徊行為が始まることが十分予想されました。幸いにして、そうした状況にはならなかったのですが、ちょうど四七日の法事の時に倒れて、翌日から入院となりました。極端な脱水と栄養不足で医師からはこのままでは一週間もたないと言われて、結局一ヶ月あまりの入院となりました。そうなるまでに、なぜ気が付かなったのかという思いもありますが、最低限の見守りにはなったかなと考えています。

今回も、妹を先に亡くした伯母の落ち込み方がひどく、気持ちにせめてものハリを持ってもらい、親族たる我々が見守るためにも7日ごとの法事は有用かと思います。それもあって従兄弟も毎回名古屋から出向いて参加してくれています。とか考えていると、父親の時も、今回も岡山とか藤沢の兄弟が、前には二人とも、今回は交代でも7日ごとに帰省して、参加してくれているのは、他ならぬ私のことが気になってということもあるかと今さら気が付きました。まあ男同士というのは、あまりそんなこと言わないものだし、こちらも泣き言や愚痴は言わないようにしてきたし、まあいいかとしておきます。


それと、私は喪に服してなんかいません。黒い服で通しているわけでもないし、肉や魚も普通に食べています。こちらのお坊さんは、仏教徒にとって、死は不浄なものでもなんでもない。誰にでも訪れるもので、仏になるひとつの過程にすぎないとおっしゃいます。不信心者の私にとっては、焼かれて再び一部は土に戻り、多くは水蒸気や二酸化炭素や、ある種の塩類などの無機物になって、大気に拡散してくことです。ですから、喪中云々のハガキなんて当然出していませんし、例年年賀状を出している人には、例年以上に遅れると思いますが出すつもりにしています。


アジ南蛮漬け

小アジ南蛮漬け

 

さて、以前に買ったアジ包丁をようやく使うことが出来ました。魚屋にあった小アジを2皿・23尾、ワタとゼイゴを取って南蛮漬けにしました。こんなもの食いきれるのかと思っていたら、例によって美味しく漬かり始めた頃にはなくなってしまいました。