「山」に樹を見に行く 1

さて、一昨日修了試験があり、今日が修了式。昨日は一日空いており、梅雨の中休みで晴天らしい。また週末は天気が崩れると予報されている。一月半ほども介護の勉強が続いて、最後は看取りに関することだった。やはり色々思い出されて気分がクサクサしていたこともあって、思い立って「山」に出かけることにしました。

昨秋出かけたトチ・ミズナラのコース。途中、あれ、こんなにサワグルミが多かったかなと思って歩を進めると、またこの雷に打たれたブナに出会った(→ブナ)。前回と同じ道に迷い込んだ事になります。次、3度ここに来ることになったら、この瀕死のブナが私を呼んでいるのだと思うことにします。あるいは、今朝早めのタローの散歩の時に川沿いの対岸でずっと向かい合って歩を進めたキツネに憑かれたか?さらにこの日は、珍しくもテンに出会った!沢にひょっこり現れて、こちらを気にする風でもなく尾根に向かい倒木の中に姿を消す。テンは、狸よりもキツネよりもたち悪く人を騙すとか言うんですよね、確か。

再び出会った雷に打たれたブナ GXR A12 28mm

再び出会った雷に打たれたブナ GXR A12 28mm

 

もうあのミズナラは、土に還るというより倒れた姿がすでに環境そのものになりつつあります。

すっかり環境の一部となったミズナラの倒木

すっかり環境の一部となったミズナラの倒木 GXR A12 50mm

千の)(の葉を再びまとったトチ(→トチの木 その3)。

初夏のトチ

初夏のトチ GXR A12 28mm

峠の入り口、の門番のように見ていたトチの樹も、既に立ち枯れて久しいのだとあらためて気が付きました。

地蔵峠入り口のトチ

地蔵峠入り口のトチ GXR A12 28mm

私の好きなブナの樹。樹の写真ではありがちですが遠景ではその幹の立派な力強い様子が伝わりにくい。

ブナ

ブナGXR A12 28mm

食べるということ

今日は、食事介助の講義と実技でした。昼には、受講生同士がペアになり実際に夫々が用意した弁当をお互いに食べさせ合います。食事介助の実習というより、人に食べさせてもらうことがこんなにも辛く切ないという事を、利用者(被介護者)の立場になって実感するという事に狙いがあったようです。

自分で作った弁当が、全然美味しくなく、食事自体が少しも楽しくありません。いくら優しく気を使ってもらっても、他人に食べ物を箸やスプーンを使って口に運ばれるだけで、食べることが苦痛になります。自分のペースで、自分の望むものから、自分の欲する量だけ、自分で口に運ぶ。こうした当たり前すぎる行為が、実は食事を楽しむということの前提なのだと思いました。それと、コップからお茶を飲ませてもらうという事は、恐怖です。コップが傾けられ、どれだけの量のお茶がどのタイミングで口に注がれるのか、いくら声かけをしてもらっても、なかなか感覚的につかめません。いわば海で溺れて水を飲んでしまうような恐怖感があります。これに比べれば、楽のみというのは、介助はしてもらっても自分で吸って飲む形になるので、なるほど良く出来ているとあらためて思いました。弁当の残りは、普通に自分で食べましたが、そのありがたいこと楽しいこと、美味しいこと。あらためて普通に自分でご飯を食べることの出来るありがたさを感じました。

今は、1体1でお互い受講生同士ゆっくりと気を使いながらやってもらってもこんなふうに思ってしまいます。これが、実際の介護施設では、何人もの利用者を相手にしながら時間の追われながらになります。いくらプロの介護者であっても食事は辛いものになりかねません。

母親が亡くなる年(去年)の3月に、背中の圧迫骨折をやって、大変に痛がって食事を摂らなくなった事がありました。心配して私や伯母がしばらく詰めて、食事の介助をしましたが、強く拒絶されました。無理に一口二口、口に含ませると怒り出します。ベテランの職員に代わってもらっても大差ありません。その時は、圧迫骨折による痛みのせいか、あるいはそれにより認知症が進みわがままがより高じたせいかとか思っていました。その頃には母親は摂食・)嚥下(えんげともかなり弱ってはいましたが、まだ食事と排便は自分で出来ました。それが骨折による痛みもあって体が動かせなくなり、他人に食事の世話になる。今日のわずかの経験で、あの時母親が他人の介助による摂食をあんなに頑なに拒絶した気持ちが今さらながら分かりました。ほどなく痛みは残るもののなんとか摂食できるようにはなりましたが、以降急激に体が弱り始め表情も乏しくなり、11月には誤嚥性肺炎で亡くなります。一時的にしろ食べること、排泄を他人に頼らざるをえない状態になったことが、いくら認知症を患っていたにしろ生きる意欲のようなものを奪っていったのだろうと今は思います。

前の記事で、現に家族を介護している人は、あらためて介護について学んだりする気にはなれないなどと一般化して、偉そうに書きましたが、あれは私自身のことを言っているのに過ぎなかった。今日、食事介助のペアになってくれた人と色々お話をさせてもらいました。彼女は義理のお父さんを看とっています。それに今は認知症の実の母親の介護をしているそうです。その過程で色々ひどいことも言われ、嫌な目にもあっているだろうことは何となく分かります。それはね、経験者同士お互い様なんです。ご主人も今、ご自身が腹膜透析をしながら介護の現場で働いているそうです。それもわざわざ転職して。彼女も近々開所される訪問介護センターで働くことが既に決まっているとのことでした。

なんでわざわざと思ってしまいます。他の受講者の皆さんを見ていても思うのですが、単に経済的な問題なら、他に割のいい仕事はあるでしょう。一方で、例えば今日でも摂食障碍・嚥下障害について講師の施設での実例を含めて勉強して、実際に介助による食事を体験して、もうこんな事になるのなら生きていたくないなと、思っている自分がいます。そんなことを少しでも考えている人間に介護なんてされたくはないでしょう、誰だって。するとなんでお前はここにいるんだ、という事になり凹みますが、もうあまり深く考えないことにします。

東海道沿いの瀟洒なモルタル造りの洋館。社屋として使われているらしい。 GXR A12 28mm

東海道沿いの瀟洒なモルタル造りの洋館。社屋として使われているらしい。ヒマラヤ杉とツタが建物によく合っています。
GXR A12 28mm

介護職員初任者研修講座、実技に入っています

講座は、実技中心となり体位・姿勢の変換(起き上がり、寝返り)、着替え、車椅子のでの移動、ベットから車椅子への移乗などの介助を、お互いをモデルとして行う。私は、それらの事を3年間ほどもやっていたのだが、結局見よう見まねの力任せでやっていたことにあらためて気づく。

現に家族を介護している人は、あらためて介護について学んだりする気にはなれない。それは当事者として常に目の前にある現実であって、出来れば一時であってもそこから逃れ忘れたい。それを知らない第三者からきれい事の美談めいたものを押し付けられたりするのは苦痛でしかないし、一歩ひいて技術として考え習得しようとする精神的かつ時間的な余裕もない。自分に対する言い訳も含めて、それが家族介護者の現実ではないかな思ったりする。

ただ、真面目に親とか家族・親族、あるいは地域での、さらに大きく言えば日本の将来の事に少しでも思いをはせる事が出来るなら、介護の問題を考えてそれに備えることは可能なんだ。講座に参加している他の人の話を聞いてそれは思った。最初のガイダンス、講師ごとになど都合3回ほど受講者同士の自己紹介があった。私も含め9人(女7人・男2人)、皆さん相応の社会人だ。2日に1度顔を合わせる事で気心も知れてきた。皆さんの介護職員初任者講座を受講し、資格を取ろうと思った動機などをあげてみると

  • 定年退職を前に、今後の社会参加のために今必要とされている事は介護ではないかと考えた
  • 介護施設で食事を作る仕事をしているが、施設の介護職の人の働きぶりを見ていて、私もやりたいと思った
  • 公務員を早期退職して次の仕事として考えている
  • 子どもが入園して少し手を離れたので、もう一度社会参加をしたいと思った
  • 義理を含めて4人の親が健在で、やがては直面するであろう介護に備えて

などなど。皆さん、きちんとした生活者としてまずは直近の将来に対して、社会との関わりを含めて真面目に考えている事に頭が下がります。別に定年退職したら趣味の世界、それまで出来なかった自分の世界に没頭してもいいじゃないですか。子育てが一段落したら、ママ友とランチしたりとか少し息抜きをしてもいいと思います。私は、母親がボケだしたと聞いた頃も、苦労をかけさせた父親が今度は責任を持って面倒を見ろよとは思っても、自分の事としては考えていませんでした。他の受講者の皆さんの話を聞いていて、これまでの50余年、結局自分のことばかりを考えて生きてきたなあとは思いました。

週3日、講座があるので基本、土日も仕事をしています。そのせいか、はたまた往復26キロを自転車「通学」をしているせいか体のほうはヘタリ気味です。夕方、食事を摂ってそのまま一旦寝てしまうという高校生の時以来のざまも何日か。今日昨日もそうでした。自転車通学のほうは、通う楽しみにもなっていますので、やめられないなあ。画像は、途中1号線沿い員弁川近くにある素敵な2階建ての木造の洋館。地元の人に聞くと2〜30年ほど前までは開業していた医院だそうです。今でもきちんと手入れされています。

旧武藤医院1 GXR A12 28mm

武藤外科医院1
GXR A12 28mm

旧武藤医院2 GXR A12 28mm

武藤外科医院2
GXR A12 28mm

長太なごの大楠

三重県で大楠と言えばやはり長太なごの大楠か。と土曜日の昼休みに思いついて出かける。自転車で行ける距離だけど、ペダルとサドルは食傷気味なので電車と徒歩にする。 近鉄・長太ノ浦駅で下車して西南の方向に歩いて集落を抜けるとすぐに目に止まる。

実はこうして間近に見るのは初めてだったのだ。子供の頃、 鼓ヶ浦の海水浴場に家族で何度か出かけた折に、近鉄電車の車窓から教えられて眺めたような記憶がある。あの頃は、周辺に家なども少なく確かに田の中にこの樹を見ることが出来たのだろう。

鈴鹿市の看板によると、樹高26メートル、目通り直径2.9メートル、枝張りは東西30メートル、南北35メートルとある。今はまわりは一面麦畑となっているが、その中で一本立ちする姿はなかなかに美しくも立派です。それにこの樹はよく見られる枯れた巨木ではなく枝ぶりも若々しく勢いがあり、葉の緑も瑞々しい。生命力を感じさせる樹です。

南から見た長太の大楠 GXR A16 31.8mm(50mm)

南から見た長太の大楠
GXR A16 31.8mm(50mm)

北から見た長太の大楠 GXR A16 31.8mm (50mm)

北から見た長太の大楠
GXR A16 31.8mm (50mm)

GXR A12 28mm

GXR A12 28mm

GXR A16 55.5mm (85mm)

GXR A16 55.5mm (85mm)

GXR A16 46.5mm (70mm)

GXR A16 46.5mm (70mm)

麦畑の畦で大判カメラで撮影している人もいた GXR A16 55.5mm (85mm)

麦畑の畦で大判カメラで撮影している人もいた
GXR A16 55.5mm (85mm)

太夫たゆうの大楠

コンビニにおいてあった観光案内の地図を見て、昼休みに行ってみた。講座が開かれている有料老人ホームから自転車で5分程、ただし登り坂が続く。いかにも古い城下町の山の手という風情の住宅街の中にあった。2本並んでいるのか根は共通なのか、よくあるすっとした楠の巨木ではなく、強い樹勢と荒々しいばかりの姿を持つ。おそらくかつては他の競合する樹木と光を奪い合いながら、それを圧倒してきたのであろう。そうした野生の強さとおぞましさのようなものすら感じる。

残念ながら、その姿・醸し出す空気のようなものをカメラにうまく収めることが出来ない。

 

太夫の大楠1 GXR A12 28mm

太夫の大楠1
GXR A12 28mm

太夫の大楠2 GXR A12 28mm

太夫の大楠2
GXR A12 28mm

太夫の大楠3 GXR A12 28mm

太夫の大楠3
GXR A12 28mm

ノキシノブ

昨日は、城下町ウォッチ→城のある山へ登頂→おいしい食事 という粋で中身の濃い休日を企画してもらいました。ありがたくも嬉しいことです。58才となりました。途中からの雨もご愛嬌。晴れ男、晴れ女をそれぞれ自認してるものがバッティングするとお天道様がウザったく思って雨を降らすのか、なぜか雨が続きます。不思議なものです。

待ち合わせの前に、19の春に今はもう亡くなった叔父に連れられて歩いた所を覗いてみる。39年ぶりということになる。そこで見かけたもの。コンクリートの軒端(のきば)のしのぶということかな。

コンクリートに生えたノキシノブ

コンクリートに生えたノキシノブ GXR A12 28mm


百敷ももしきやふるき軒端のしのぶにもなほあまりある昔なりけり

家にも百人一首のカルタはありましたが、もっぱら坊主めくりをするばかりで、歌などなにも知らなかったと思います。学校の古文の授業で習ったのでしょうが、私はこの歌がなぜか気に入って諳んじていました。ももしきモモヒキと読み替える子供らしいいたずらではなくて、下の句のなほあまりあるむかしなりけりという調子の良い語呂が気に入っていたような記憶があります。

sinobugusa2

裏をさらけ出されてしまった問屋街 GXR A12 28mm

再開発?

再開発? GXR A12 28mm

今朝は、ひばりが鳴いていました

今朝は、雨上がりの川原で今年初めてひばりのさえずりを聞きました。

月も新月に近く、朝の金星もひとり輝いているように見えます。たしかシューベルトの歌曲で、星よ、なぜお前は一人ぼっち・・・とか言った歌詞のものがあったなあ、マイアーホッファーだったけ?探したら、"Abentstern D806" 。あら、夕方の星だった。

夕方、早く仕事を切り上げて名古屋大曽根の三光堂さんへ。老舗の高級文具店で、上品なご夫婦がやっていらっしゃるそれはそれは気持ちの良いお店でした。

いつ雨が降るかという曇り空に湿った生暖かい風の吹く妙な天気でした。名駅前での一枚。このGXR A12 28mm というカメラとユニットの組み合わせで都会を撮ると、なんだか昔見た古い無声映画時代のSF怪作、フリッツ・ラングの『メトロポリス』の絵のように写ることがあります。

GXR A12 28mm

GXR A12 28mm

再度、デジカメで朝の金星の景色を撮ってみた

手の指や、甲が夜になるとやたらと痒くなるのは、子供のようにシモヤケを作ってしまったか、漆を触っているせいか。今、仕事と少し離れて試していることがあります。膠、漆、刳り物などですが、その件は、おいおい報告させてもらいます。

昨日のリベンジで、金星撮影。今日はあらかじめカメラの設定をしておきました。絞りを開放(F2.5)にして、ISO感度を1600か3200にしてどの程度のシャッター速度を稼げるか。結果、1段マイナスに露出補正をして、1600で、1/45秒ほどになりました。これなら手持ちでも十分です。そう思って、じっと肘と手首を固めてカメラを構えて、あとはタローが暫くおとなしくしてくれれば・・・。シャッターを押して、えらく静かにしてやがると思って下を見ると、私の足に小便をかけています。当然、胸ぐらをつかむように首輪を左手で持って、ねじり上げて・・・・。

手ブレを抑えると、今度は星ではなくて、センサーのゴミかという感じに写ります。桜の枝のすぐ上、中央やや左にあります。まあ、広角で星を撮るということがそもそも間違いかもしれませんが、景色としてはこの画角が視覚のイメージに近いように思います。

GXR A12 28mm

GXR A12 28mm