一昨日・13日、辺野古「平和丸」船長の相馬由里さんの講演に行ってきました。相馬さん、その冒頭で今日から辺野古を離れてしばらく息抜きが出来るとか言って、いたずらっぽく笑っていました。でも、講演の最後に今日もカヌーで海に出た仲間の女性の抗議の叫びを、揚げられたSNSの音声で流しながら声を震わせていました。
相馬さんは、介護福祉士として働きながら好きなダイビングで沖縄に通っていたそうです。どうせならと、まず西表島に移住して、それから16年。その間にお金がなくなって員弁のデンソーに季節工として2年半いたこともあったとか。辺野古の米軍新基地(移転ではない、新しい基地なんだ!)に反対するのは、何より好きなきれいな海を守りたいから。それに、仕事で沖縄戦で受けた傷を持った人の介護をしたから、また苛烈な戦争体験の一端を聞いて、戦争はダメだと思ったからと言う。
働きながら、反対運動に忙殺されながら船舶免許を取った。それに昨年はケアマネージャーの資格を取ったそうです。ケアマネは受験資格が厳しい上に問題もむずかしく合格率3割程度と言われています。居丈高なところの全くないむしろ穏やかで謙虚な人ですが、一方でものすごく頑張る人だという事が分かります。そんな真面目でよく働く心優しい人が、仕事を通して、趣味や生活を通して、基地の問題に向き合わざるを得なかった。そして今、仕事を辞めて専従として活動している。仕事を辞める決断がついたのは、施設の利用者の人に相談したら、私が今、体が動けばすぐにでも辺野古へ行くと逆に言われたからだとおっしゃっていました。
さて、会場の聴衆を眺めて、相馬さん曰く。
今日は高齢の方が多いですね。もし、お子さんやお孫さんが、この夏にでも沖縄に行くことがあれば、そこに米軍の新しい基地が作られようとしていると、教えて上げて下さい。もしご自身が沖縄へ行かれたら、なぜ隣に米軍の車が当たり前に走っているのか、そのAナンバーとかYナンバー、なぜイオンでドルが使えるのか、なんでもいいから米軍の存在と、それが当たり前になっている沖縄の現実というものを感じて下さい。
何かを要求するのでもなく、もちろん上から目線で物を語るのではなく、機会があれば自分で感じて欲しい。そうした素直な目は持って欲しいという訴えです。心に染みます。
戦争になぜ反対しなかったそう賢しげに我ら言ったはず
先週の朝日歌壇に佐佐木幸綱選で載った春原さんという人の歌です。馬場あき子さんや高野公彦さんの選ではありません。安倍晋三とその茶坊主たちや、名前を出すのもおぞましい大臣病の宗教政党指導者たちのゴリ押しする戦争法案や憲法改悪への危うさを心ある人は感じている。ここへ来てまた橋下徹が出てきた。安倍と3時間の会談だそうだ。
6月15日というのは、今から55年前、日米安保条約の改定に反対するデモで、国会南門で樺美智子さんが亡くなった日です。私たちが学生の頃は、まだその事が語り継がれていました。そして、ショボイながらデモをしました。それを、私たちは語り継ぐことが出来なかった、しなかった。今の若い人の大半は樺さんの名前も知らないでしょう。
まずは、なんでも現地に行くことだと思いました。それと、津のJFEで辺野古基地のケーソンが作られようとしている。それに反対するビラまきなどもこの日の主催者が工場前で行っている。これは行かねば、行きたいと思います。