年末の25日は、京都に納品でした。お施主さんのお住まいは、千本釈迦堂や北野天満宮にほど近い西陣にあります。こちらからお願いして25日を指定しました。いわゆる終い天神の市の日です。車をお宅に置かせてもらって、短い時間ですが覗いてきました。
結局買ったものは、中古の鑿1本だけです。800円と言われて、500円に値切って買いました。鎬鑿と言われるものです。画像のような状態のものでしたが、きちんと研ぎ直して、柄をすげ替えるなど手を入れれば良い姿の道具になる。そうした素性の良さのようなものを感じました。良く切れる使いやすい道具というものは、美しい姿をしているものです。例外はありません。8分(24ミリ)の鎬鑿は持っていないし、鋼の小刃の部分が薄いのも良い。
終い天神で買った鎬鑿(全体)。タブレットで撮影
刃先。幸いグラインダーは当てられていないようだ。
刃裏。ダレて入るが、表から叩いて裏出しをやり直す。「クサレ」といわれる鋼を貫通する錆はないようだ。
こういうものを手に入れると、とにもかくにも玩びたくなります。睡眠時間2時間のときもあったこの年末でも、やってしまいました。時々、仕事が好きなのか仕事の道具を弄るのが好きなのか、他人から揶揄される時もあるし、自分でもそんなふうに考える事もあります。でも、以前にも書いたとおり(
砥石の話・まとめ)、私の場合、こうして道具を弄る事が、とりもなおさず仕事を続けていく大きな動機付けになっています。
さて、研ぎあげてみると画像のように凛とした美しい姿になりました。テキ屋かそこにたどり着くまでの過程か、多分錆を落とすために、かなり乱暴にペーパーが当てられています。こうした古道具では、ありがちですが、そのため鎬の稜線がダレてしまっています。それでも、元のキリッとしまった形は保たれているように思います。実際に使ってみましたが、よく切れます。それに、ハシカイ感じもない。幸いなことに、乱暴にグラインダーなどは当てられていなかったようです。こうした古道具、特に鑿とか小刀の類は、炭素鋼が使われている場合が多く、下手にグラインダーなど当てられると、焼きが戻って全く切れなくなっていたり、逆に焼きが入りすぎてハシカくなりすぎて、刃こぼれを起こしやすく、これも使い物になりません。
ちなみに、下の1枚は、オリンパスのマイクロフォーサーズ規格のM.ZUIKO 45mm F1.8 というレンズで撮っていますが、こうした道具を撮るには、パースペクティブ(遠近感)の関係では、こうした90ミリ相当のものが自然に見えるようです。ただし、このレンズは寄れません。その下の3枚のような接写は出来ません。
研ぎあげた鎬鑿(全体)
OLYMPUS M.ZUIKO 45mm F1.8 / PEN E-P5
研ぎあげた鎬鑿(刃先)
RICOH GXR A12 50mm MACRO
裏は叩いて押し直した
RICOH GXR A12 50mm MACRO
もう1枚、刃先をマクロ的に撮ったものを貼っておきます。画像をクリックすると拡大画像(1200 x 797px)が表示されます。さらに縮小前のオリジナルサイズ(4288 x 2848px)の画像も置いておきます。これを見ると、仕上げ砥石をかけても残っている研ぎ筋もよく分かります。
刃先のマクロ画像
RICOH GXR A12 50mm MACRO