沖縄の人、少なくとも辺野古の埋め立てやこれ以上の基地建設をこころよく思っていない人は、辺野古移設
とか辺野古移転
とかは言いません。そんな言葉を使っているのは安倍や菅とその同類及びそれを支持する人たち、朝日や毎日を含む本土
のマスコミ。それに残念ながら沖縄の人の言葉に真面目に耳を傾けようとしてはいない口先リベラル(今ならネットリベラルとでも言いましょうか)もそうです。さすがに『赤旗』や『社会新報』は、それにもちろん沖縄の2紙もそんな支配者の言葉を使いません。ちゃんと辺野古新基地建設反対
と呼んでいます。
辺野古移設
という言葉は、普天間海兵隊飛行場(アメリカ側の名称は “Marine Corps Air Station Futenma” です。正確にこう呼ぶべきです)の返還・廃止のための方策が辺野古の新基地建設が唯一の解決策
とする菅や政府のキャンペーンに他なりません。つまりそれを繰り返すことにより宜野湾市普天間海兵隊飛行場を返還・廃止するには名護市辺野古に移設
するしかないと思い込ませようとしているのです。それは沖縄県民同士を対立させ分断させることになります。
今、名護市辺野古にある米軍施設はキャンプ・シュワブです。駐屯地(キャンプ)であってそこには飛行場はありません。たとえば沖縄戦の激戦地であった嘉数高台公園の展望台から普天間海兵隊飛行場を眺めます。それと辺野古の海や329号線の座り込みのテントから見えるキャンプ・シュワブは同じ米海兵隊に占領されていると言っても全く違う施設です。誰にでも分かります。そこに移設
というのはいかにも乱暴なこじつけです。それだから現に辺野古の海を埋め立てて飛行場を作ろうとしているのです。それはまさしく新しい基地の建設です。ですから今知事選を戦っている玉城デニーさんやオール沖縄の人たちはあくまでも辺野古新基地建設反対
をスローガンにしています。
繰り返しますが辺野古移設
というのは、米軍基地をこれからも沖縄に押し付けようとする本土
の支配者の言葉です。マスコミがそれに追従しているのはもう仕方がない。それでも真面目に沖縄や辺野古の問題を考え取り組んでいる人たちは移設
という言葉は使いません。別に沖縄に辺野古や高江まで出向かなくても沖縄から発せられるメッセージに耳を傾ける姿勢があれば、そうした支配者の言葉を使えるはずがない。そうした本土
のネットリベラルな軽佻浮薄さもまた沖縄の人たちの絶望感を深めているように思えてなりません。