辺野古「新基地」反対! 「移設」は自公政府らの言葉だ。

沖縄の人、少なくとも辺野古の埋め立てやこれ以上の基地建設をこころよく思っていない人は、辺野古移設とか辺野古移転とかは言いません。そんな言葉を使っているのは安倍や菅とその同類及びそれを支持する人たち、朝日や毎日を含む本土のマスコミ。それに残念ながら沖縄の人の言葉に真面目に耳を傾けようとしてはいない口先リベラル(今ならネットリベラルとでも言いましょうか)もそうです。さすがに『赤旗』や『社会新報』は、それにもちろん沖縄の2紙もそんな支配者の言葉を使いません。ちゃんと辺野古新基地建設反対と呼んでいます。

スローガンは「新基地反対」
2015年10月 キャンプ・シュワブゲート前

辺野古移設という言葉は、普天間海兵隊飛行場(アメリカ側の名称は “Marine Corps Air Station Futenma” です。正確にこう呼ぶべきです)の返還・廃止のための方策が辺野古の新基地建設が唯一の解決策とする菅や政府のキャンペーンに他なりません。つまりそれを繰り返すことにより宜野湾市普天間海兵隊飛行場を返還・廃止するには名護市辺野古に移設するしかないと思い込ませようとしているのです。それは沖縄県民同士を対立させ分断させることになります。

嘉数高台公園展望台から見た普天間海兵隊飛行場。市街地を挟んで中央奥。
2016年3月
RICOH GXR A16 24ミリ相当

同上
RICOH GXR A16 85mm相当

今、名護市辺野古にある米軍施設はキャンプ・シュワブです。駐屯地(キャンプ)であってそこには飛行場はありません。たとえば沖縄戦の激戦地であった嘉数高台公園の展望台から普天間海兵隊飛行場を眺めます。それと辺野古の海や329号線の座り込みのテントから見えるキャンプ・シュワブは同じ米海兵隊に占領されていると言っても全く違う施設です。誰にでも分かります。そこに移設というのはいかにも乱暴なこじつけです。それだから現に辺野古の海を埋め立てて飛行場を作ろうとしているのです。それはまさしく新しい基地の建設です。ですから今知事選を戦っている玉城デニーさんやオール沖縄の人たちはあくまでも辺野古新基地建設反対をスローガンにしています。

辺野古の海。埋め立て工事前、対岸は海兵隊キャンプ・シュワブ
2015年10月

大浦湾から見た辺野古の海。岬の奥。連れ合いがiPadで撮影。
2017年8月

繰り返しますが辺野古移設というのは、米軍基地をこれからも沖縄に押し付けようとする本土の支配者の言葉です。マスコミがそれに追従しているのはもう仕方がない。それでも真面目に沖縄や辺野古の問題を考え取り組んでいる人たちは移設という言葉は使いません。別に沖縄に辺野古や高江まで出向かなくても沖縄から発せられるメッセージに耳を傾ける姿勢があれば、そうした支配者の言葉を使えるはずがない。そうした本土のネットリベラルな軽佻浮薄さもまた沖縄の人たちの絶望感を深めているように思えてなりません。

「山」に樹を見に行く 5 カツラ

私がこの仕事をはじめた20年ほど前は、抽斗などの内側の側板とか先板の材料といえばカツラが定番とされていました。それで、当然のようにその材料としてカツラを求めましたが、もうその頃は良質のカツラは手に入りにくくなっていました。一度ある偶然で古い柾目の良い材を少量手に入れることが出来たのですが、後はいわゆる性の悪い板目の材ばかりでした。反りや歪みも多く、歩留まりは悪い、木づくりなどの加工も手間がかかる、加工後のくるいも生じやすいなど、良い所はありません。

その頃、インドネシアから入ってきていたアガチスという材が良材が多く、4メートルものの柾目の板がバンドル買いなら立米単価で10万円を切る値段で手に入りました。軽くて加工性もよく、通直で素直な木目の材は、ほとんど抽斗の材として理想的と言ってもよく、当時出回っていたカツラに劣る点はなにもないと思いました。もう、その当時でも木材としてのカツラは枯渇してしまっていたのだと思います。

ちなみに、母親の遺品に嫁入り道具として持ってきたと思われる立派な裁ち台があります。カツラの柾目の一枚板で長さ2,100ミリ、幅500ミリ、厚み36ミリあります。ガキの頃、母親がそれを使って浴衣を縫ったり、あるいは半襟を着けたりしていたのを見たような記憶がありますが、その後はずっと実家の屋根裏に放置されていました。そのせいか少しだけプロペラ状にねじれていますが、大きな反りや木口の割れもなく吸付きさんで嵌められた畳摺りの着いた板足もしっかりしています。少なくとも60年ほど前には、こうした良質のカツラが多少は値がはったかもしれませんが実用品の材として使われていたのです。

最近では、そのアガチスも価格も高騰し、材の質も以前よりは随分悪くなってきました。そこで中国産のキリの集成材などを使っていました。廉価ですが、それなりの物という感じでお薦めできるものではありません。15ミリ厚が定番なのですが、もともと細びきというか定尺を割っていた材が、シーズニングをしている間に12ミリ程になっていた事がありました。

今は、工房齋の齋田さんを通して廃業する桐箱屋さんから譲って頂いた枯れ切ったキリの端材(が、良材です)があるので、しばらくはそれで間に合いそうです。

カツラの巨木 GXR A16

カツラの巨木
RICOH GXR A16

さて、先日近江高島に所用があって出向いたのですが、その時間待ちに山に寄って来ました。そこで、久しぶりに見てきたカツラの巨木です。カツラの巨木というのは、比較的たくさん全国に残されているようですが、いずれもこうしたヒコバエというか根本から分枝したような木が多いように思います。逆に言うと、すっとした木は木材として伐り尽くされてしまったということなんでしょうか。

同じカツラ。モデルは身長187センチ。 GXR A16

同じカツラ。モデルは身長187センチ。
RICOH GXR A16

上の写真は、いつものGXRにA16というズームレンズユニットを付けたものです。倒木の上に置いてセルフタイマーで撮ったのですが、ミラーレス・レンズシャッターだからか、いい加減に置いただけですが特にぶれていません。

長太なごの大楠

三重県で大楠と言えばやはり長太なごの大楠か。と土曜日の昼休みに思いついて出かける。自転車で行ける距離だけど、ペダルとサドルは食傷気味なので電車と徒歩にする。 近鉄・長太ノ浦駅で下車して西南の方向に歩いて集落を抜けるとすぐに目に止まる。

実はこうして間近に見るのは初めてだったのだ。子供の頃、 鼓ヶ浦の海水浴場に家族で何度か出かけた折に、近鉄電車の車窓から教えられて眺めたような記憶がある。あの頃は、周辺に家なども少なく確かに田の中にこの樹を見ることが出来たのだろう。

鈴鹿市の看板によると、樹高26メートル、目通り直径2.9メートル、枝張りは東西30メートル、南北35メートルとある。今はまわりは一面麦畑となっているが、その中で一本立ちする姿はなかなかに美しくも立派です。それにこの樹はよく見られる枯れた巨木ではなく枝ぶりも若々しく勢いがあり、葉の緑も瑞々しい。生命力を感じさせる樹です。

南から見た長太の大楠 GXR A16 31.8mm(50mm)

南から見た長太の大楠
GXR A16 31.8mm(50mm)

北から見た長太の大楠 GXR A16 31.8mm (50mm)

北から見た長太の大楠
GXR A16 31.8mm (50mm)

GXR A12 28mm

GXR A12 28mm

GXR A16 55.5mm (85mm)

GXR A16 55.5mm (85mm)

GXR A16 46.5mm (70mm)

GXR A16 46.5mm (70mm)

麦畑の畦で大判カメラで撮影している人もいた GXR A16 55.5mm (85mm)

麦畑の畦で大判カメラで撮影している人もいた
GXR A16 55.5mm (85mm)