来年の2月開港予定の中部国際空港に出店する蕎麦工房・紗羅餐の什器回りと造作材の仕事をさせて頂きました。
使った主な材料はブビンガというアフリカ材です。テーブル、カウンター、飾棚の天板など、大型什器や主な造作材はすべてブビンガを使いました。しかも、矧板ではなくすべて一枚板です。
写真の真ん中に写っているのは、長さ4200・幅1300の12人掛けのメインテーブル。右側が、長さ8メートルの12人掛けのカウンター、正面が6人掛けのカウンターです。この他に、手前側に4人掛けのテーブルが3つと、6人掛けのテーブルが一つ、全部で48人のお店です。三種類の椅子は、すべてウォールナットを使っています。上の画像をクリックして拡大して頂くと、雰囲気が分かるかもしれません。
12月15日に、最後の点検と補修が終り、一応の納品が終わりました。この二月あまりは、この仕事に連日掛かり切りで、サイトの更新もままなりませんでした。ご注文を頂いている他の仕事も、後回しのような事になり、たいへん申し訳ありません。
2004年12月17日
このメインテーブルも含めて、紗羅餐・中部国際空港店の主な什器はブビンガで作りました。空港に合わせて、蕎麦工房・紗羅餐の本店の什器も誂えたこともあって、この夏から4立米ほどのブビンガを潰したことになります。私のような個人でやっている工房にとっては半端な量ではありません。ブビンガというのは、とりわけ重く固い材で、実際に使っている乾燥材を実測したところ比重で、0.97ほどもありました。この天板は、幅・1300〜1200×長さ・4200×厚さ・70mm ほどありますから、後述の吸い付き桟と合わせて、400Kgほどの重さになります。骨身を削るという言葉がありますが、この春に病気をしてから体調が完全ではないのですが、確実に椎間板を削っているような気がしました。
店舗はターミナルビルの4階にあり、空調など厳しい条件に置かれる事は分かっていますし、こんな板がいったん暴れだしたらどうしようもありません。電気鉋を使って、大まかな平面出しをした後、反りを押さえるために、130×100・長さ1100の同じブビンガの角材を吸い付き桟として三カ所に入れています。これくらいの大きさの桟になると、玄翁では入りません。カケヤを使って叩き込みます。私は、大型家具などの組み立てには、良くカケヤを使います。
写真に写っているのは木工房またにの若森昭夫君です。今は長浜で工房を開設して立派に仕事をこなしていますが、その前に血迷って私のところで半年ほど修行
してました。そのため、その後も再三私の仕事に引っ張り出されるはめになりました。彼も、最初は家具の組み立てにカケヤを使うという野蛮な所業に抵抗があったようですが、今は平気です。それどころか、彼自身も、自分の仕事では大ハンマーを振り回しています。
吸い付き桟を入れて、ひとまず反りを押さえてから、天板の仕上げにかかります。電気鉋、手鉋による横削りから始まり、最後はサンダーで仕上げます。ブビンガというとりわけ固く重い材で、これくらいの大きさになると、ひたすら力仕事という感じです。以前、紫檀を使って仕事をしたとき、仕上げでどうにも手が負えずに、台を自分で掘って唐木用の鉋を作った事がありました。もう使うこともあるまいと思っていましたが、今回、ブビンガを削るにあたってずいぶん役に立ちました。寸六の刃の仕込を逆勾配の95度くらいにしてありますが、これでも鉋屑はちゃんと出ます。台にボルトが埋められているのは、そこらにあった割れた鉋台を流用したためです。
塗装は、二液性のポリウレタン塗装です。サンディング・シーラー、七分消しのフィニッシュをそれぞれ三回かけています。塗膜の強度という点では、ポリウレタン塗装はたいへんすぐれたものです。
2004年12月23日
テーブルの脚部は、松の古材を使っています。
前に紹介した、岐阜県神戸町の正願寺さんの書院で使われていた梁です。
蕎麦屋のテーブルにアフリカ材のブビンガを使う、その足にお寺の梁の古材を使うと言うのは、いかにも行き当たりバッタリのデタラメに思えます。事実、そうした側面もないとは言えませんが、オーナー・設計士を含めた三者で何度も話し合った末に今の形になりました。もちろん私なりの屁理屈もあるのですが已めておきます。ただし、よくあるようにこうした古材を、ディスプレイ的につまり建物や家具の構造とは関係ない見せ物として晒すような事だけはしたくないと思いました。古材も、今はブームのようで、特に店舗関係では紛い物も含めて内装材・ディスプレイ材料として扱われている場合もあるように思います。しかし、本来の役割・場所から切り離され適当な化粧を施されて晒されているこうした古材や古民具を見ると、動物の剥製を目にした時のようなおそましさを感じる事もあります。
正願時の書院の梁は、一番太く長いもので三間強あり、二本継ぎで六間の小屋組を支えていたようです。そのうち一本を、貫として使っています。たかだた 400Kg程度の天板を支えるなどわけないことです。加工は、まず基準となる芯墨を打ち、水糸を張ってそれを基準に墨指しと曲尺で墨を着けていきました。加工も、穴挽鋸にヨキ、チョウナで行い、最後に鑿で修正を加えました。ようするに以前にすこし習った大工仕事の要領ですが、こうした丸太を加工する作業には、普段我々木工屋が使わない穴挽き鋸や手斧、ヨキなどがたいへん具合いが良いという事が分かりました。
70年以上前の材ですが、鋸で挽くと強烈な松脂の臭いがしました。心材からは、脂が滲み出てきます。それと、意外にもシラタの部分が石のように固く鑿で穴を穿こうとするとはじき返されるような感覚になります。かえって心材の方がサクサクと仕事が出来ました。良く分からないのですが、松のシラタというのは、このように何十年も経つと締まって固くなるのでしょうか?
この加工した松の古材は、床の玄昌石に合わせて松煙を混ぜた柿渋で黒く塗装しました。知らずに入ったお客さんには、古材の丸太が使われていると気づかないようにしたいと思っています。
2005年1月7日