散歩

父が亡くなり、母親が病院や施設の入退所を繰り返す中で実家の犬の散歩が私の日課になった。高齢になってからのペットの飼育は自分の健康状態や余命、何かあった場合のフォローなど慎重に考えるべきだ。犬や猫は今は10年以上は生きるのだ。いつもの散歩道は、今は花見で賑わう堤の対岸だ。

花見で賑わう海蔵川の堤防

新しい施設を見学

母親が入所している施設で、同じ法人が近くに新しい施設を作り、そのお披露目というか説明会のようなものがあるということなので、見舞いのついでに寄ってみた。特別養護老人ホーム20床、ショートステイ用が10床の新築施設。その内覧会とのことで、仮設のテントの受付が2張り設けられ施設内ではお茶やコーヒーの接待に、デイルームではお好み焼きが焼かれて振る舞われていた。帰るときに小さな箱を頂いたが、紅白饅頭だった。

サテライト常磐外観

客層(?)は、いわゆる団塊世代とその親とおぼしき世代の人たちが多いように思った。それとその方たちと比べると年齢の低い介護関係者。こちらはチェックする時の目つきと、案内者に対する質問の内容ですぐそれとわかる。自分の親、または自分たち自身が入所することを具体的に考えての見学であるように見えた。でもなんとなく華やいだ明るい雰囲気は、たとえば若いカップルの人たちが新居さがしにマンションギャラリーを訪れるのと同じようにも感じた。

サテライト常磐の内部・内覧会の様子

その施設は、平屋造りで、全体の建物の構成は⊥字状に配置され三つの辺の交点の部分にデイルームやスタッフルームが配置され浴場や医務室は縦の辺のところに置かれている。明るく開放的で合理的に構造となっていた。床や柱は木目調の厚めにクッションフロアー材のようなものが張られ、手の届かない天井の梁などは実際には装飾だろうが四寸角くらいの檜の節ありの材が使われていた。

退院

1月9日に入院、12日に手術を終えた母親が昨日退院。当初4〜6週間とされていた入院期間が結局2ヶ月となった。

転倒

年末の25日に、老健に入所出来た母でしたが、1月9日に所内で深夜に転倒。系列の病院での検診の結果、左大腿骨転子部骨折、頸部も先端が剥離している。そのまま入院して12日に手術となる。

年末に老健に入所した母は、施設にも次第に慣れ落ち着いた様子でした。スタッフのアドバイスもあって私たちも毎日顔を出すようにしてましたし、元日には一時帰宅出来たのですが、自分でそろそろ戻ると言って施設に帰っていきました。母は糖尿のため定期的な血糖値の検査とそれに合わせた投薬が必要であり、それに腎機能の低下のため塩分を控えなくてはなりません。色々心配していたつもりでしたが、一番気をつけねばならない事態となってしまいました。

あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。

昨年来、長らく更新もせずに申し訳ありませんでした。

昨年は、5月から父が長期入院、それにともない独居となった母の認知証が一挙に進むというダブル介護状態になりました。夏を過ぎた頃から生きる気力と外界への関心を喪失していった父は、しだいに寝た切り状態となり11月2日に死去。その後体調を崩して入院してさらに痴呆の進んだ母も、曲折はあったものの年末ぎりぎりにある老健施設に入所することが出来ました。

今は強いストレスからとりあえず開放された安堵を感じています。不謹慎は承知していますし、もう少し時間が経てば別の感慨がおそらくわいてくるでしょう。ただ、私自身がメンタルな面でのリハビリも少し必要かなと感じています。無理をせずゆっくりと、まずは工房と家を片付けながら、ゆっくりと仕事を進めていきたいと思います。

親が壊れていく

30日(金)、第61回正倉院展に行く。昨年は行けなかった。

今年の展示では木工関係の宝物の展示が多かったように思う。別に参考にするとこかパクると言う訳ではもちろんない。職業がら他の分野に比べるとその意匠・技量のすばらしさがより分かりやすい。

久々に大阪に出る。後で述べるような事情で、ジャンクなもの食べ、つまらない時間を過ごしたかったのだ。

この夏前から壊れてゆく人間二人に時間を取られる。一人は半年余りの入院生活でほぼ寝たきり状態になり認知障害も出る。すでに治癒・機能回復の意思も、自分の病状に対する関心すら放棄して外界への関心もなくしている。本人曰く、ここは市の施設で自分はボランティアでここに来ているそうだ。私には痴呆の症状のひどくなった自分の配偶者の相手が面倒になって、この病院の個室に逃げ込んでいるように思えてならない。残された一人は既に昨年より認知証による記憶障害・妄想を生じていたが一人での生活によりそれがよりひどくなる。誰か家に入って来てものを盗る、勝手にしまうという妄想から始まり、その対策としてお金やらなにやらを隠す、隠した場所も隠した事自体も忘れる、盗られたと騒ぐ。それの後始末(通帳・カード、保険証などの紛失使用停止届けと再発行などなど)は既に自分では出来ない。用意すべきと言われる印鑑やら身分証明の保険証やらが覚えられないし、いつもそれらは盗られたなくなった状態なのだ。それらをなんとか集めて手続きをする私を逆に泥棒となじる。盗られたと騒いだものをある日平然と手にして悪びれることもない。

病院での病状説明、治療方針や日程こうした本人自身の基本的な事に関しても一人は無関心から一人は痴呆からすべて立ち会う必要がある。ケアマネージャーとの相談・打ち合わせ、様々な不始末の後処理からおしめの補充までほとんど毎日なにかがある。たしか今年の夏は寒く短かったはずだ、そういえばシルバーウイークというものもあったそうだ、世間では。という感じでこの半年ほど何かをしたという記憶がない。このままでは、体はともかく神経がもたない。お決まりの通りの身近な人間への泥棒扱いは、これからさらなる妄想、徘徊、排泄・摂食障害とこれから長期にわたり症状が悪化してゆくのだろう。寝たきりの方は、今の急性期型の病院からの退院を迫られている。

納品

昨日、千葉県市原市まで納品(納めたのはこちら→留隠蟻組・座卓の製作)。やはり、ここでこうゆう具合に使っていただくのだと直接見せてもらえるの嬉しい。打ち合わせには、逆にこちらに来て頂いた。おじゃまして、その納めたばかりの座卓に紅茶のもてなし。それが、なんとマルコポーロ。以前のここでの記事を見て下さっていたのか、その心遣いに癒される。

お昼には、少し離れた住宅街の中にある。イタリア料理のレストランでランチを御馳走になる。豊富なメニューで、それぞれ好きな料理を頼むが、いずれも心のこもった美味しいもので量もたっぷりだった。手伝いで同行してもらった某さん(あえて名をふせる)は帰りの車中でも、帰ってからのメールでもランチが美味しかったとばかり言う。