300Bシングル・パワーアンプの修理

木工するのに気持ちのよい季節というのは、そう長くない。今がちょうどその時期なのだが、こうした時に限ってのように事務的な作業に追われる。これから2件のいわゆる箱物の少し複雑な物件の図面を仕上げなくてはならない。今は、こうした作業もCADを使って行うので、またしてもパソコンに向かうことになる。そうした作業は夜にして、昼間は普通に仕事をすれば良いというのは無理だ。もうずいぶん前にわかった。体も頭も、もはや若くない。結局遅れ遅れになって、お客さんに叱られることになる。

加えて、これは仕事とはいえないのだが、以前作ってもう10年以上も使ってもらっている真空管アンプの修理依頼がきた。じつは私のホームページでも飛び抜けてアクセスが多いのが、仕事の関係ではなくこのアンプの制作記事(300Bシングル・パワーアンプ)なのだ。先日大阪に出向いた折に、現品を見せてもらった。確かに音が出ない。一応裏蓋を開けて配線のチェックくらいはしたが、テスターすらない状況では診断は無理なので、真空管だけ抜いて本体は送ってもらうことにした。手で持って帰るにはこのアンプはあまりに重たい。

ヤマト運輸の宅急便で届いたのが10月3日、仕事が忙しかったのでそのまま梱包もほどかずにいた。8日(土)になって、梱包を開く。裏蓋を開けようとすると、あきらかに凹んでいる。それに四隅の溶接の内2カ所にひどいクラックが入っている。フタを取ると、一番大きな電解コンデンサーのハンダが一カ所外れている。これは相応の高さから落としたとしか考えられない。念のために送り主に、もしかして発送前に落としたりしたかと尋ねると、そんなことはしてないという。先週私がチェックした時も無事であった。

クラックの入った300Bアンプのシャーシ1クラックの入ったシャーシ(別角度)

ヤマトに一応連絡して、現状の確認と事故の調査をお願いする。まあ、丁重に対応してくれはしたが、到着後5日も経っているので調査も保証も難しいとの予想通りの返答ではあった。それにワレモノのシールは貼ってあったが、梱包がエアーキャップ(プチプチ)を巻いて、ガムテープでとめただけという仕事柄、信じがたいものであったので、あまり強くは出られないなとも思っていた。一番怖いのは、トランス類の断線やピッチの割れであったが、簡単な導通のチェックなど行うと、それは大丈夫そうであった。

気を取り直して落下による損傷のチェックも兼ねて修理に入る。

前に聞いていた症状によると、雑音が少しずつ目立ちはじめ、だんだん音量も小さくなり、とうとうまともに音が出なくなったとの事。 メーターでの300Bのカソード電流の値は60mAほどで正常値だから、初段周りが原因かと思って、交換の球をおくったが症状は改善せず云々。あらためてチェックすると同様の症状が再現する。300Bのカソード電流が正常に流れているということは、電源も含めた出力段まわりは正常だということなので、初段まわりが原因ということで問題はしぼりやすい。まずは常道に従い直流電位をチェックすると、初段のプレート電圧が異常に低い。これではまともに動作するはずがない。スクリーングリッドやカソードの電圧や、プレート負荷抵抗の前のデカップリングの電圧はほぼ正常値の範囲である。プレート抵抗が設計値よりずいぶん大きくなっていることになる。そこで、このアンプを実装したときに頭をよぎったためらいを思い出した。それについては後述する。

増大した抵抗値

51KΩの抵抗が、230KΩになっている

このプレート抵抗の設計値は51KΩである。この抵抗を取り外して測定してみると230KΩもあった。この抵抗には通常の動作で約1.1Wの負荷がかかることになる。だから、回路図にはちゃんと3Wの抵抗と自分で指定してある。そこに2Wの金属被膜抵抗を使っているのだ。いまならちゃんと5Wクラスの酸金(酸化金属被膜抵抗)を使うところだが、当時はプレート抵抗のような信号負荷となる所に音の悪い酸金抵抗など使うことに抵抗があったのだ。それで、2倍のマージンもとれないがカーボン抵抗と違って金属被膜抵抗は丈夫だと聞くし、リード線も太く放熱もよさそうだしと、勝手に理屈をつけて、これを着けたのだ。その時、やはり多少はためらいがあったために、今実際に故障が生じて、その事を思い出した。逆によくも10年近くもったものだと思うが、ついに焼き付いて急激に抵抗値が増えていったのだろう。

この抵抗を手持ちの3Wの酸金抵抗に交換する。落下の際はずれたであろう電解コンデンサーを付け直す。それと少し気になる事のあった出力段のカソードバイパスコンデンサーをついでに交換する。嘘のように正常な直流電位に戻る。もう発振機やオシロスコープを持ち出すのも面倒なので、遊んでいるロクハンのユニットをつないで裸で鳴らしてみる。パソコンに吸い出したモノラル録音の森山良子が若い声できれいに歌う。それが心地良い。念のため一晩通電させてから、あらためて直流電位だけチェックして音出ししても大丈夫であった。このアンプは今手もとに2台残っているのだが、肝心の出力菅をお金がないときにネットオークションで売り払ってしまい音を出せる状態ではない。このアンプを設計して作った20年近く前には考えられなかったように老眼が進み、体力も落ちた。測ってはいないが聴力だって相応に落ちて、若者なら聞こえる高周波なんてとっくに聞こえないはずだぜ。そうした老人の耳には、今あらためて聞くこのナローレンジの直熱3極管無帰還のアンプの音が優しいのかなと思う。中国製でもロシア製でもなんでも良いから、300Bをもう一度揃えてまた鳴らしてみようと思った。

修理で交換したパーツ

自分で作った物だが、これはいいアンプだと思った。それは、よくネットで見かける音がいいとか言う読まされる方が恥ずかしいような自画自賛ではない。10年使い続けて、私の部品実装の間違いで生じた故障以外は、球も含めて極めて正常に動作している事、シャーシにかなりのダメージを受けるような強い落下事故にもかかわらず基本部品に障害がない事、今回のような不具合が生じても回路も部品配置も単純で、チェックや部品交換が容易な事、などと言うことだ。ちなみに身の回りの電化製品、とくにオーディオとかビジュアルと称するジャンルの物で10年以上不満なく使えているものがどれだけあるだろう。そうした意味でもいいものであったと言うことは出来ると思う。ちなみに、このアンプは20年近く前では、特注のシャーシも含めて部品代だけで10万円ほどで揃えられた。その実費だけ頂いて何台か作って使ってもらっているのだが、タムラのトランスもずいぶん値段が上がって、今なら倍の価格でも部品を揃えるのは難しいと思う。


全くなんの保証もしませんし、責任も取りませんが、作ってみる価値はあるとかなと思います。個人でお使いになるなら、回路や配線、シャーシ図面もコピーしてもらってけっこうです。ただし、まったくの道楽でやっていることなので、質問の受付やアドバイスを行うつもりもありません。もとの記事で特定を避けた初段の管種ですが、ウエスタンの91B型アンプの構成の流れをくむもので、あとは回路図をよくご覧になれば分かると思います。3極管シングル・無帰還という構成なら、よほどデタラメな配線や部品配置でもしない限り、オシロや発振器といった基本的な測定機を持たなくても、テスターだけで音は出ると思います。ただし、相応に高圧電流も流れますし、発熱もあります。音が悪くなるとか言った迷信でヒューズを省いたりするのは危険です。配線に音が良いというこれまた迷信のことさら太い線材は使わない方が無難です。配線は、細めのスズメッキの専用の配線材を使いましょう。見た目も綺麗だし、ハンダ付け不良によるガサゴソといった嫌な雑音を発生させる可能性が少ない、という意味では音も良いはずです。配線材はスズメッキの上から軽く熱してハンダを染みこませます。その上で部品のリード線も同じですが、ラグ端子に一回だけからげた上でハンダを流せば、私のようにハンダ付けが下手くそでも失敗は少ないと思います。素人の私が、同じく素人の皆さんにアドバイスが出来るとしたら、それくらいです。繰り返しになりますが、万が一の事故や怪我に関しては一切の責任はとりません。

モーツアルトのピアノ協奏曲全集

今日は、仕事の打ち合わせでお邪魔したお宅でクララ・ハスキルのモーツアルトを、アルテックのA7、EMTのプレーヤーで聴かせてもらう。

誰だったかある高名な音楽評論家はオフレコでは、西洋音楽なんてバッハとモーツアルトだけあれば良い。あとはみなその亜流か出来損ない。と言い放っていると読んだか聞いたかした記憶がある。私もそう思う。それに我々日本人には美空ひばりの歌がある。

関係ないが、美術評論家の洲之内徹は、藤田(嗣治)の絵は戦争画しかない、あとはクズだよと言ったそうだ(司修・『戦争と美術』)。何年か前に藤田嗣治の戦争画が一般公開されたとき、これも本当にその通りだと思った。洲之内徹という人も前に書いた絶対にお金を出してその本を買いたくない人の一人で、その「気まぐれ美術館」は『芸術新潮』連載時にはもちろん立ち読みだし、後に何冊かの単行本になってからも図書館で借りて読んだ。この司修さんの著作は、毎年この季節になると読みたくなる。そして東京国立近代美術館の靉光(あいみつ)の大きな目玉の絵を、関根正二の『少年』などと一緒に見たくなる。この本の冒頭にはシャガールの「ホロコーストの犠牲になったユダヤ人画家たち展」のカタログへの献辞が引用してある。これを読むだけでも、この本を購入する意味があると思う。シャガールの絵にこびりつくどうしようもない禍々(まがまが)しさが少しは理解できる気になる。

フォルテピアノとピリオド楽器によるモーツアルトのピアノ協奏曲全集。2005〜2006年の新しい録音の11枚組で4,330円というもの。

フォルテピアノによるモーツアルト協奏曲全集

ルイス・ヤッカ

いつもより少し早く起きて、サッカーのヨーロッパチャンピンズリーグ決勝を見る。特に海外サッカーのファンでもないが、美しいサッカーを標榜するFCバルセロナが勝ったのは愉快だ。しかも場所はロンドンのウエンブレーで、相手はその地元で筋肉サッカーの代表ともいえるイングランド・プレミアリーグのマンチェスター・ユナイテッドだ。

カタロニア(カタルーニャ)とかその州都バルセロナというのは、私にとってわけのわからない所だ。だがたかだかサッカー、見るだけならそこに勝手に色々なものを投影させてもかまわないだろう。FCバルセロナのユニフォームのエンジと紺の縦縞は、かつての共和国スペインの最強最大のアナーキスト組合ー政党・CNTFAIの赤と黒の旗を連想させる。ケン・ローチ監督の 『大地と自由』 で、POUMの兵士が首に巻いていたスカーフも赤と黒に染め分けられていた。屈強なマンチェスター・ユナイテッドの選手の間を軽やかに駆け抜けるイニエスタやビジャの姿に、バルセロナやマドリードや他の市街戦下の街を走るドゥルティやアスカソの姿をダブらせる。


こうした時はバルセロナ由来の歌を聴きたい。ルイス・ヤッカ(Lluis Llach"BARCELONA Gener de 1976"。あとに引用した解説にあるように、バルセロナでの凱旋コンサートのライブ録音のようだ。

ルイス・ヤッカCDジャケット

Llis Llach BARCELONA Gener 1976

ルイス・ヤッカを知ったのは、今からもう30年近く前に出た『帰らぬ兵士の夢 平和のための世界の歌 〜 ヨーロッパ編』(1983年 制作・発行(株)音楽センター)というLPレコードだった。ここには、主に政治的理由で祖国での活動を禁止・制限あるいは自身が国外追放とか亡命を余儀なくされていた10人のアーティストの歌が収められている。ルイス・ヤッカも上のCDにある2曲のライブが収録されている。もとは、フランスのシャン・デュ・モンド社から出されたそれぞれのアルバムから、昨年亡くなった芳賀詔八郎さんが1枚のアルバムにまとめたものだ。構成・プロデュース、訳から解説まで芳賀さんがされている。その博識と眼力、それに情熱は本当にすばらしい。

さて、このCDのライナーノートは、フランス語とカタロニア語(?)で書かれており、さっぱり意味が分からない。ルイス・ヤッカに関するネットの情報もカタロニア語とスペイン語のものが多く、英語でのまとまった物はない。それにもう現在では音楽活動からは引退しているようだ。ただ、例によって動画サイトで検索すると新旧さまざまな彼の歌を聴くことができる。若い頃の彼は、今日も途中から出場したFCバルセロナのキャプテンで、南ア大会でのスペインチームのキャプテンでもあったプジョルのようだ。

日本語の解説となるといまだに芳賀さんの30年前のLPのそれが一番詳しいようだ。以下にルイス・ヤッカに関する部分を全文引用する。

ルイス・ヤッカ

スペインの若手アーティストの中で、一番に聴いてみたい歌手である。彼の絶大な人気は、故郷のカタロニアは言うに及ばず、今やスペイン全土に鳴り響いている。彼は、カタロニア語で歌う。それは普通スペイン語と称するカスティージャ語と異なり、フランス語とも等距離にある言葉だ。そして永らく使用を禁止されてきた。フランコ死後も最近まで、その措置は続いていた。そのため若者は、20歳過ぎてから母国語を勉強する始末だ。ただ言葉は話す、何故なら親たちが家庭で使うから。でも文字は知らない、教科書が取り上げられていたから。この悲劇は、我が身に置き換えてみれば歴然とする。だからカタロニア語で歌うことは、体を張ることだった。数年後に同じカタロニアの歌手ライモンが来日し、その記者会見の席上、"何故解りやすいスペイン語で歌わないのか、カタロニアの悲惨な歴史を世界に訴えるつもりなら"という問いに、彼はきっぱりこう答えている。"だからこそカタロニア語で歌うのだ"と。このへんの事情は、戦前の日本も立場こそ逆だが体験したことである。

さて、ルイス・ヤッカ(ルイス・ジャックとも呼ぶ)は1950年生まれ、早くから才能を発揮し、17歳でファースト・アルバムを発表したり、"カタロニア語で歌うことこそが、スペインの国家権力からわれわれの文化を護る最良の運動だ"として16人の闘志という若者グループを結成したりしている。バルセロナの大学を出た後は、検閲、追放、禁止という数々のレッテルの貼られたコンサートを繰り返しながらも、やがてカスティージャ、アンダルシア、バスクでも並外れた影響力と人気を持つようになった。しかし遂に全面活動禁止令が下り、フランスに向かうことになってしまう。そのおかげで、ヤッカの名は国境を越え、73年パリ・オランピア劇場の大成功に続いて、ヨーロッパ各地での成功の報に本国政府も折れざるをえず、解禁処置に至った。やがてカタロニア語の解放。ルイス・ヤッカは、まるで凱旋将軍のごとく祖国に迎えられた。

ルイス・ヤッカ、彼は文字通り、傷みと反乱、正義と自由を叫んで、今やスペインの若者の象徴となっている。

芳賀詔八郎

スワンもどきの制作開始

詳細図の作成で難渋していたスワンもどきの制作にようやく入る。今回はタイプ1のものにする。連休の間、蕎麦打ち修行の後ずっと聞いていて、おそらくはオリジナルの雰囲気を持っているのはホーンの形状や定数にほぼ準じたタイプ2の方だろうと思った。24畳の工房で大きな音で鳴らすと威力を発揮するのだが、10畳和室に持ち込むとボンボンした中低音、ざらついたボーカルなどアラが目立つ。バラック作りのガタガタのエンクロージャーのせいとも思うのだが、タイプ1ではそれも目立たず要するに好きな音なのだ。

スワンもどきパーツ

構想やスケッチ、それに制作図面段階の組み手設計などではいつも優柔不断でとんでもなく時間がかかってしまう。その割にいつもごく普通のものになってしまうのだが。ただし実際の制作に入ると私は比較的手の早い方(雑?)だと思っている。今日も矧ぎも含めた材の木取りと面出しをほぼ終える。

魔笛

モーツアルトの魔笛が見たい(聞きたい)と思っていたら、エディット・マティスがパミーナを演じる古い映画撮りのものがDVDになっており、ネットで中古で安く出ていたので買って見た。通しで見たの何年振りだろう。

とりあえずザラストロやタミーノがからむ儀式のシーンは暑苦しくてもういいやという感じになる。ふたつの恋の話もタミーノとパミーナのくだりは、ようするにこんなもの政略結婚じゃないかと思えてしまう。マティスの演じるパミーナは古いディズニーのアニメの御姫様のようにきれいだが、なんだかきれい過ぎて逆に興が覚めてしまう。ただ、モノスタトスの所からのパミーナとパパゲーノの逃避行のくだりは楽しい。二人で歌われるアリアもいずれもほっこりしていいな。

途中、二人はモノスタトスとその家来たちに再び捕まって痛い目に合わされそうになるのだが、パパゲーノが機転を利かせてグロッケンシュピールを鳴らすと、モノスタトス達は歌い踊り出して二人を放してしまう。いがみ合い迫害するもの達とも一緒に踊り出してしまう魔法の鈴!まさにお伽話だが、お伽話だからこそこんな幸福で愉快な事があったっていいじゃなかと思う。今回、魔笛を通して観て一番幸せになったのは、この場面だ。

Das klinget so herrlich,
das klinget so schön !
La-ra-la,la la!
Nie hab’ ich so etwas gehört und gesehn!

なんて素敵な響き!
なんて美しい音!
ララララララ、ラララ!
見たことも、聞いたこともない楽しさ。

LPレコードのコレクション

ひょんな縁で、たくさんのLPレコードを頂ける事になった。10数年前に亡くなったお父様の残したものだそうで、業者に引き取らせてお金に換えるよりは、同好の人に譲って聞いてもらうのが故人の供養になるのではと、ご家族でずっと保管されていたそうだ。

お宅にお邪魔してコレクションを拝見する。4000枚ほど残されたそうだが、人にお譲りになっりして数は相当減っているとの事。実際に拝見すると、たしかにベートーベンとかモーツァルトの曲、演奏者で言うとカラヤンとかベームといった有名所がない。逆に、バルトークとか、シェーンベルク、それにシュトックハウゼンやメシアンといった現代の作曲家のレコードがたくさんある。中にはCD化されていないものもたくさんあるだろうから、その意味では希少なコレクションかもしれない。

これを私がまたストックしてしまっても意味がないので、検索可能なリストを作って公開して利用してもらえるようにしたいと思う。以前、遊びとスキルアップを兼ねてXMLを使って蔵書と所有するCDのデータベースを作りかけた事があった。それでやってみようと思う。

Der tote Knabe(死んだ少年)

Brilliant ClassicレーベルのBrahms Choral Works、8枚組のボックスセット。2007年の1月に購入。税込みで2,669円だった。その中の1曲。

Es pochet ein Knabe leise
an Feinsliebchens Fensterlein;
Feinslieb sag, bist du darinnen?
Steh auf und laß mich ein!

Ich kann mit dir wohl sprechen
Doch dich einlassen nicht;
Ich bin mit Jemand versprochen,
Eine Zweiten mag ich micht!

Mit dem so du versprochen,
Feinsliebchen, der bin ich;
Reich mir dein Händelein weiße,
Vielleicht erkennst du mich.

Du riechest gar nach Erde,
Sag, Liebster, bist du tot?
Soll ich nach Erde nicht riechen,
Da ich in dem Grab geruht?

Weck Vater auf und Mutter,
Weck deine Freund all auf.
Grün Kränzelein sollst du tragen
Mit mir in den Himmel hinauf.


若者は、彼女の部屋の窓を小さく叩く。
中にいるの?
起きてきて、
中に入れてくださいな。

君にいっぱいお話があるのに、
中に入れてくれない。
私は、誰に対してでも言うことが出来るさ
君以外の人を絶対に好きになったりしない。

以下、訳すのにつかれました。でも怖い歌です。これももとはドイツの民謡か?

LPレコードの復活

昨晩の同窓会のせいか 少しセンチな気分になって今朝は森田童子のLPなどかけてみた。もちろん、私はリバイバルで森田童子を聞いた世代ではなく、このLPも30年以上も前のものだ。悪い環境と機械で聴き続けたせいで音が割れノイズもひどく、もうかけることもないだろうと思っていたが、雑巾がけクリーニングで復活した。昔、評論家の江川三郎さんか誰かが提唱していたもので、方法は簡単。良く絞った濡れタオルでLPの表面を音溝に沿ってゴシゴシ力一杯拭くだけです。力一杯というのがミソです。ほかのノウハウなどいっさいありません。軸受けと台のしっかりしたターンテーブルなら、その上でやるのが楽です。LPを今でもお持ちで、再生環境の残っている人は、騙されたと思って一度やってみてください。スクラッチノイズはもちろん少々の音飛びもなくなります。濁っていたような音は、鮮明に蘇ります。要するに、音溝がすり減り傷付いたと思い込んでいたものが、実は溝に大小のごみやらカビやらが付着していたに過ぎないのです。それは、ベルベットのような柔らかいもので撫でるだけでは取れないのです。

DENON DP6000

これをやって高校時代に買ったLPなども復活して、その再生環境も含めて処分するのをやめた。身の回りのものを減らすという50歳を過ぎたときに立てた方針に反するとも思うが、新たに増やすわけではないのでと、これも自分に言い訳している。実際にもうLPレコードなど買うこともないし、森田童子も一度聞いたらごちそうさまという感じだ。しばらくは、聞くこともあるまい。別に懐メロばかり聞いていたいとは思わないし、若い頃の思い出や感慨にばかり耽っていたいともまだ思わない。もっと知らない新しい歌をたくさん聞きたい。