今晩、これから行われるアジアカップの決勝の事ではありません。前に書いた27年前に中国を訪れた時のことです。同じような暑い8月の夜でした。場所は定かに覚えていませんが、たしか今日の試合の行われる北京工人運動場であったと思います。
いかなる大会もしくは試合であったかも忘れてしまいましたが、確か地元中国とアフリカのザイールかどこかと、同じく中国の別のチームと北朝鮮の二つの試合が続けて行われました。中国と北朝鮮の選手がつないだ手を高く掲げ、並んで入場してきた姿を覚えています。当時中国は、毛沢東が亡くなり、その後、文革派とされた四人組が失脚した華国鋒等によるクーデターの後でした。文革が否定され始めてはいましたが、公式には七割の正しさ、三割の誤りと言われていました。まだまだ貧しかったとは言え、政治優先で、中国は第三世界の解放の先頭に立つと自負する誇り高き人々の国でした。
試合の前やハーフタイムのセレモニーでは、電光掲示板に友誼第一といった文字が何度も映されていました。観衆も当たり前のように、相手のチームに拍手を贈っていました。かといって、何も政治的に動員された人たちといった風ではなく、ごく普通の工員風のお兄さん達が多かったように思います。たばこを吸い、饅頭を食べながらの応援で、作り笑顔のお姉さんの集団の応援があったわけでも、マスゲームがあったわけでもありません。隣りに座っていた工場労働者風の若いお兄さんからもらったタバコが、きつくて思わず噎せ返った事を覚えています。スタジアムは、今のように禁煙ではありませんでした。
当時、中国に行くという事は、一般の旅行ではなく、党や国家のお客さんとしての訪問でした。当然自由にどこにでも行けたわけではありません。それに、どちらかと言うと王洪文、張春橋といった四人組の支持者であった当時の私は、実際に中国を訪れていても、そのすべてを賛美し受け入れていたわけでもありません。それでも、いくつか感心させられた事がありました。たとえば、京劇や映画、それに雑技や、幼児の演芸に至るまで、必ず少数民族の衣装や題材が取り上げられていること。また、どこに行っても出迎える幹部の中には複数の女性が必ず含まれていたこと。それと、このスポーツにおける友好第一の姿勢です。
このスポーツにおける友好第一の姿勢は、政治運動・思想活動として徹底されていたと思います。卓球の世界王者であった荘則棟が、文革前に厳しく批判されていたのも、そうした面からであったと記憶しています。一度復活して大臣にまでなった彼は、四人組批判とともに再び失脚して投獄されたそうです。体育学校のような所を訪れ、そこで小学生のような子供と卓球をしましたが、当然相手にされません。すると、彼は私がバックが苦手と判断してか、フォアに打ちやすい早さに苦労して返してくれていました。決して八百長はしませんが、スポーツはけっして相手をボコにして楽しむものではない、友好第一というのが、こうしたスポーツエリートに対しても、小さい頃から教育されていたと感じました。
時が流れて、それから十年以上が過ぎ、国際舞台での中国のスポーツの台頭が話題になった頃です。日本に来たバレーボールの女子の選手たちが、試合で審判の判定に猛烈に抗議して喚いている姿を観て、時代は変わったと思いました。今、話題にされているアジアカップ・サッカーの中国の観衆のマナーに関しても、特に問題にしなければならない事だとは思いません。ゴミを投げつけたと言われてますが、遠く離れたところから空のペットボトルを放り投げただけの事のようです。テレビでは、中国のネット上の書き込みを映して取り上げていましたが、それなら、日本のネットの匿名掲示板に、どんなに下劣でおぞましい言葉が書き込まれているかも報道すべきでしょう。国歌の演奏時のブーイングは、日の丸・君が代をどう考えるかという問題とは別に、やはり良い気分ではありません。それに、中指を立てての侮辱のポーズは、日本ではなく欧米の諸国に対して行えば、間違いなく流血沙汰や外交問題になるでしょう。歴史的問題など、取り出すまでもなく、そうした点を軽くたしなめるくらいの余裕があっても良いと思います。すでに日本のサポーターの警護くらいはちゃんとやられていますし、少なくとも一国の首相がコメントすべき問題ではないでしょう。
さて、今晩の試合は、これからテレビで観戦しますが、私が望むのは、中国の大観衆の圧倒的なブーイングに中で、日本の選手たちがこれまでと同様、胸を張って戦い、勝つ事です。一番、危惧するのは、空席の目立つ観客席の死のような沈黙の中で、まるで余所事のように試合が進められる事です。かつて韓国や北朝鮮で行われた予選の試合などでは、日本が得点した時などそうした沈黙が訪れる事がありました。試合が終わったら、また書きたいと思います。結果はどうあれ、日本の若い選手たちはたいへん立派です。ゲームもその前後のコメントも立派な職業選手のそれですし、国を代表しているという立場もわきまえているようです。それをぶち壊しているのが、なんでも視聴率稼ぎのワイドショーにしてしまう民間放送、とりわけサッカー報道のある種の伝統であった国際感覚や見識を省みない松木某元読売監督などの解説者
で、本当に腹立たしい限りですが時間が来ました。
2004年8月7日