今、被災地はボランティアを求めています。悲しいくらいに人が足りません。私たちが登録ボランティアとして活動した石巻ボランティアセンターなどは、受け入れ体制も整備されており、先日もNHKの朝の番組でも女性キャスターの体験ボランティアとして取り上げられていましたが、それでも実際の派遣件数は依頼に対して三分の一程度になっています(4月2日現在、同サイトによる)。
最低限の約束事を守り相応の準備さえすれば、今被災地に行くことは無謀なことでも危険なことでもありません。まして、被災地・被災者にとって迷惑
なことでは断じてありません。繰り返しますが被災地は今人を求めています。避難者生活が3週間を超え、避難者の生活再建が具体的で緊要な課題のひとつになってきた今後はますますそうなります。
私は、被災地に行って良かったと思っています。ボランティア活動に少しでも心ひかれている若い人が一人でも多く赴いて欲しいと思います。そのために留意すべき点をいくつかあげてみます。少しでも参考になればと思います。
私たちが行った3月23日〜27日の間は、拠点とした石巻ボランティアセンターでは水道は復旧していませんでした。支援活動を行った地域でも活動中に復旧が始まったような状態でした。今後、ライフラインの復旧は広がっていくと思いますが、基本は水も電気もないと思っておいたほうが良いでしょう。暖かい物が欲しければ熱源も自前で用意しなけばなりません。当たり前の話ですが、被災地には開店しているコンビニもファーストフード店もありません。
石巻では、連日夜は気温は氷点下で雪も降りました。これから寒さは緩和していくと思いますが、夜は冷え込むのは確かです。雨も降る場合もあります。そうした中でちゃんとテントを張って眠らなくてはなりません。相応の準備は必要です。車の中は、冬期はかえってテントよりも冷えます。
上記2点は、テントかついでの山行の経験のある人なら問題にはならないでしょう。燃料の問題は今回一番のネックになっているように思います。我々が撤収した27日の段階でも石巻や仙台の営業しているガソリンスタンドの周辺は、終点がいったいどこなのかわからないような長蛇の列でした。山形でも同様な状態でした。石油連盟は、今月中旬には被災地における燃料事情を回復させたいとしているようですが、当面被災地およびその近県では燃料の補給は無理だと考えるべきです。
対策として考えられるのは、ガソリン携行缶に燃料を用意して置くことですが、その携行缶も買い占めにより今店頭にありません。三重を含む東海、関西一円でそうした状況です。私の場合、仕事仲間、知人、友人などの筋から借り集めて十分な数の携行缶を準備出来ました。このことが、被災地内の移動も含めて大きな精神的な余裕になりました。私が再度行くことも含めていくつかの借りた携行缶は返却期間の猶予をもらっています。私が買い求めた小型の携行缶も複数あります。
もし、近県の方でボランティアを志しているが燃料の件がネックになっている人がいれば声をかけてください。
そもそもどこへ行って、何をすればよいのか、何ができるのか、分かりづらい状況が依然続いているようです。宮城県の場合、県や各市町村の社会福祉協議会を中心にボランティアセンターが立ち上がりつつありますが、まだ固定電話も用意出来ていない所もあります(石巻市のようなところでもそうでした)。連絡が取りにくいし、取れたとしてもけんもほろろの対応をされる場合がほとんどです。県外のボランティアお断りとわざわざ宣言しているところもあります。それは現地での活動が忙しすぎて、県外などからの一般的な問い合わせなどに対応していられないという事でしょう。私たちの場合、そうした困難な事前の調査はリーダーの杉山裕次郎さんが精力的に行ってくれました。こちらが完全な自己完結型の用意をしていること、メンバーの構成、活動可能な期日、用意できる機材や物資などの情報を伝えると、やはりそれなりの対応をしてくれたようです。
杉山さんの尽力で松島町のボランティアセンター他に連絡がついて受け入れも決まっていたのですが、最終的には到着日である23日に発足が予定されていた石巻ボランティアセンターに連絡もつけないままに赴くことになりました。より被災状況が深刻で、我々の力が必要とされるのではという判断というか思いこみからでしたが、このあたりの事は杉山さんご自身がブログでお書きになっています(「石巻B.Cへのアクセスと震災関連サイト」)。
石巻専修大学の5号館に置かれています。広大な校内の駐車場に駐車、芝生の広場にテントなどの設営が許されています。受け入れも柔軟に対応してくれているので、いったんこちらの登録ボランティアとして活動して、様々な情報を探って見ることのもよいでしょう。
石巻の場合、市役所、消防本部など大きな避難所の場合、避難所単位でのボランティア登録も行われているようです。現に、当初我々と2日間活動をともにした救急救命士の林君は、2日目にトイレ休憩のため訪れた市役所で、そちらのほうがより有益な活動が出来るとの事で3日目からそちらに移りました。
奈良県川上村から神戸ナンバーのトラックを借りて一人でやってきたレゲエの若者がいました。詳しくは、別に書きたいと思いますが、食・住・足、自己完結型の参加であれば、たとえ独りよがり思いつきのような物資支援・活動であっても隙間需要のようなものはあります。少なくとも迷惑にはなりません。
なにより大切なことは、被災地に行きたいと思ったその気持ちを大切にすることです。私自身は最初にも書いたとおり、行って良かったし行くべきであったと思っています。その中身は別記事として個々に揚げてゆきます。一つあげるなら、生まれて50余年、人からこんなに深くお辞儀をされたことも、こころからの感謝の言葉を頂いたこともなかったではと感じています。もうそれだけで得難い体験であったと思います。
現地で合流し、3日間活動を共にした佐々木康介君が自身のブログ・26歳ニートが社会復帰を目指すまでのブログで面白いことを書いています。1.「旅行に行きたい!」って思ってる人 2.「女性にモテたい!」って思ってる男子
は、その思いは全て、震災ボランティアで叶えられます
というのです。詳しくは直接ご覧頂くとして、こういう動機づけもあってもいいなと思いました。誤解をまねくといけないので言っておくと、佐々木君自身はきわめて真面目な青年でした。
その真逆に今、日本という国で生かされていて東北に行かずしてなんの日本男児か、なんの大和撫子かという悲憤慷慨も口にされると暑苦しい限りですが、内に秘めたる思いとしてなら許されるでしょう(私にもそうした所は多少あります)。動機は色々であっても、その思いを具体的に行動に移すことによって、それぞれに得られるものがあるでしょう。