木工をはじめて、アマチュア時代を含めて30年近く、脱サラして本業として携わるようになってからでも17年になります。その間、特に銘木や希少材を求めてきたわけではありませんが、それでも相応の量の木が手元に残ってきました。自分で材木屋や市で購入したものも、もちろんありますが色々な事情や理由で、私のもとに来たものもあります。
さて、50代も後半になってみると、残りの人生ということに思いが至るようになります。健康と体力が許すなら、70歳くらいまで、あと12年仕事としての木工を続けたいという願望はあります。しかし、当然体力や仕事の能率はこれまでよりも落ちるでしょう。そう考えるとこれ以上板を求める前に、今縁あって手元にある木の板を一度ちゃんと何らかの形にすべきではないか。そう考えて、仕事の合間に、そうした板を取り出してきました。今回の木の仕事の会IN東海2013に出展したもののいくつかは、そうした縁あって手にあった木の板を形にしたものです。
この置床に使った栃の板は、岐阜県神戸町(ごうどちょう)のお寺・正願寺の書院に使われていたものです。昭和3年(1928年)に建てられたこの書院は耐震の問題もあって8年ほど前に取り壊されたのですが、幼少時にこの書院に疎開して暮らされていたお客様の紹介でその使われている建材をいただくことになりました。セントレアの4階の蕎麦屋・紗羅餐(さらざん)の巨大なブビンガのテーブルの脚には、その2間通しの梁を使わせてもらいました。 この栃の板もその時のものです。
さて、古材とくに建築古材は、効率とか経済性ということを考えたら使うべきではありません。栃なら、これくらいの幅の板でも今でも手に入ります。詳しくは別に書くことにしますが、そこに何かの縁を感じるか、なんとか再生させたいという使命感のような思いがなければやってられないと思います。下の画像は元の板の状態です。
珍しいナラの一枚板の座卓・テーブルです。このナラの板は廃業する同業者から譲り受けたものです。いわゆる「耳付き」材として天然乾燥させられていたこの材は端割れが何本も入り、中には板の中央付近にまで達しているものもあり、ひどい状態でした。一応天板として売り物扱いとされていたのですが、まともに鉋もかけられずにサンダーで表面研磨だけして誤魔化されていました。これを腐りかけのシラタを切り落とし、割れを補修し、手鉋で歪みとりと平面出し、厚み出しをしてまともな天板の状態にしました。厚みは元の半分ほどになってしまいましたが、仕上げてみると綺麗な中杢の良い板です。せっかくなので、拭き漆を施して仕上げました。
この座卓は、脚部をノックダウンで交換することによりテーブルになります。それから追付き桟にあたらしい趣向のものを使っています。それもまた記事を改めます。
この文机の板は、トガサワラです。材木屋の世界ではヨシノマツとして流通していたようです。トガサワラは、かつては紀伊半島南部、三重県、奈良県、和歌山県の県境周辺に広く自生していたようです。ヒノキや杉の植林に伴い他の広葉樹と共に乱伐され、今はほとんど残っていませんし、流通在庫もないようです。奈良県川上村の後南朝終焉の地と云われる三之公にその原生林がわずかに残されています。ここももともと民有地でパルプ用に伐採される予定だったのを水源保全の目的もあって村が買い上げたそうです。いまは国の天然記念物に指定されています。
私は、この仕事をはじめてしばらくした頃、この板を含む何枚かのトガサワラに板を廃業する地元の材木屋から買いました。もともとは建材中心の材木屋でしたが、床板としては高級材ともされなかった栃とこのトガサワラが残っていたようでした。今となっては逆に希少な材となってしまいました。この板も大きく反って、なおかつ中心部に大きな死に節があったのですが、ある工夫をして使っています。